「隣の隣」

トルコとイランの共通点

今日の授業で、トルコとイランが日露戦争勝利に刺激されて立憲体制を目指したという話が出ましたが、
この両国の共通点は何でしょう。

日本から遠い国???
いいセンいってます。確かに遠いですね。
僕が用意した回答は「隣の隣」です。

日本とロシアは海を隔てて隣でしたが、ロシアの逆側の隣にあるのがトルコやイランです。
とても遠くの国に見えて、実はたった隣の隣だというのは意外だったかもしれませんね。
(この理論で言うと、現在のフィンランドやインドやメキシコも隣の隣です。)

さて、この「隣の隣」は非常に重要で、近代史を理解する上で外せません。歴史を見るときは、最低でも「隣の隣」までは把握しておかないと、分からなくなります。

日露戦争の勝利の秘訣は?

例えば、日本が日露戦争に勝てた理由を考えましょう。
日本とロシアは国力で約10倍程度の差があると言われ、絶対に勝てない戦争だと思われていました。
しかし、結果として奇跡の勝利をおさめます。
それは軍事、経済、外交、諜報、金融などなど各分野の選りすぐりが大活躍したというのも重要です。
しかし、その大前提として、日本が富国強兵をする「時間を与えてもらった」というのも、非常に重要なファクターです。

日本は1894年の日清戦争まで長い間、大した戦闘をしていません。白人の国と戦うのは、その10年後の日露戦争が初めてです。
攻められればすぐに負けるような極東の超弱小国が。なぜ戦わずに済んだかというと、
日本に構っている余裕がなかったからです。

ビスマルク外交

ヨーロッパに目を向けてみましょう。
ヨーロッパの外交政策は、ビスマルクが握っていました。いわゆるビスマルク外交です。
三国同盟(独墺伊)、三帝同盟(独墺露)、地中海同盟(英墺伊)など、複雑な外交政策で、世界史選択者は覚えるのが大変だと思いますが、
補助線を一本引きましょう。
「フランスを包囲している」です。

ビスマルク(ドイツ)の目的は隣国フランスの封じ込め。
なぜなら、ドイツの隣にある大国のフランスとロシアが仲良くなったら、ドイツは挟み撃ちになるからです。
そこで、あらゆる利害関係を駆使して、フランスだけを孤立させる外交をするのです。

欧州(日本にとって隣の隣の地方)で、こんな曲芸のような外交が繰り広げられていると、
ヨーロッパ各国は地元にかかり切り。
つまり、日本はすぐに攻め込まれることなく(せいぜい東アジアのことを考えればよく)富国強兵をすることができたということです。

ビスマルクの得意技

しかし、事態は突然動きます。
ヴィルヘルム1世がこの世を去ります。

ヴィルヘルム1世は、物分かりの良い皇帝でした。
だから、ヴィルヘルム1世が生きている間は、ビスマルクに外交を任せます。

ビスマルクは、自分にとって何か不都合なことがあると、
「それでは、辞めさせていただきます。」
と脅しをかけるという得意技がありました。
これに対し、ヴィルヘルム1世はビスマルクの手腕を認めており、なんやかんやビスマルクがいないとヨーロッパの秩序が成り立たないことが理解できています。
そのため「辞めないでくれ」と言って、ビスマルクを使い続けます。

日露戦争の黒幕はコイツだ!

しかし1888年、ヴィルヘルム1世は逝去。ヴィルヘルム2世が即位します。
そして不幸なことに、ヴィルヘルム2世は「わかってないヤツ」でした。
ビスマルクの得意技「辞めさせていただきます」に対し、「どうぞ」の一言。

結局1890年にビスマルクは罷免されてしまいます。
そして、ヴィルヘルム2世は、それまでの外交政策を無視して、三帝同盟の更新を拒否。
これで、ドイツとロシアの同盟関係が切れてしまいます。(隣同士で仲良くしてたのに)

翌年1891年には、ロシアが早速フランスに接近して、露仏同盟。
せっかくビスマルクが築き上げてきた安全網は、一瞬にして包囲網に変化してしまいます。

やっと自分の失態に気付いたヴィルヘルム2世は、あわてて頭を使う。
「そうだ!!ロシアの目を他に向ければよいんだ!」

そこで登場するのが、日本です。
ロシアをそそのかして、日本に興味を持たせ、ドイツの安全を確保しようとしたのです。
これが、日清戦争後の三国干渉や日露戦争の原因になっていきます。
日本の命運は、隣の隣の地方である、ヨーロッパに握られていたのです。

日本の「倍返し」

日本がピンチで終わるのは癪なので(笑)、もう少し話を進めましょう。
日露戦争では日本が奇跡の勝利をおさるのですが、この後も大事です。

1907年は協商の年と言われます。
日露協商、英露協商、英仏協商、日仏協商と、多くの協商が結ばれます。
これも、やたらと覚えるのが大変。なんとかならないのでしょうか。

あれ?
登場しない国がありますね。
そうです、ヴィルヘルム2世率いるドイツ(を中心とする三国同盟)です。

ヴィルヘルム2世は信用できないということで各国の思惑がまとまり、
あれよあれよという間に対独包囲網が出来上がっています。

日本からしてみれば「ざまあみろ!」
隣(ロシア)の隣(ドイツ)のせいで死ぬ寸前まで追い込まれましたが、
日露戦争の勝利の後の外交で「倍返し」!

これが、日露戦争のメインストリームです。

隣の国が重要なのは誰でもわかります。
しかし「隣の隣」まで見ないと、歴史の流れは分からないようにできているのです。

どうぞ、今後の近代史の勉強に「隣の隣」を取り入れてみてください!
きっと理解が深まることでしょう。


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