スエズ動乱(第二次中東戦争)と北方領土

本科生向けに、軽くまとめたので、共有します。

第2次中東戦争(スエズ戦争)では、英仏イスラエルの3国がエジプトに攻め込み、なぜか突然米ソが登場して終結しました。
ソ連はエジプトを支援していたから、エジプトを守るためだというのは合理的な理由があるとして、
なぜここでアメリカが登場?という疑問は浮かびましたか?

アメリカは中東の利権を狙っていたので、英仏に中東に進出してほしくなかったそうです。これで納得。受験生であれば、ここまで分かっていれば、まあまあかなと思います。

しかし、もう一歩突っ込んで見ましょう。
対立する米ソがなぜ協力できたか。

実は、同時期にハンガリー動乱が起こっています。
ソ連はアメリカに「ハンガリー動乱を見逃せ」という条件を申し出て、アメリカが認めたのでスエズでは協力したそうです。

そして、アメリカはどんな条件をソ連に出したかというと、日ソの関係回復でした。
日ソで争わないという関係ができれば、アメリカは安心して極東に進出していることができます。アメリカにとって、極東に安全な基地ができるのは、相当なメリットがあったということですね。

スエズ動乱と同じ年に、日本の鳩山一郎首相が、日ソ共同宣言出しますが、実は日本は、ハンガリー動乱との「交換条件のカード」だったというのを知っておくと、年号なども含めて覚えやすいのではないでしょうか。

これで、国連の常任理事国の5国が日本の国連加盟に対して、全員一致の意見にまとまることとなります(それまでは、ソ連が反対していたので、可決されませんでした)
また、シベリアに抑留していた日本人も、ソ連から返してもらえることになります。

北方領土の話は「据え置き」で、ソ連の実効支配を認めるままになりますが、現在も一歩も改善してませんね。

補足すると、北方領土は日本にとってはあまりメリットはありませんが、ロシアにとっては非常に重要。
2000年頃に、北極海ルートが開通し北方領土をロシアが握っている価値はますます高まっています。
(もし、北方領土を返してほしければ、それに見合うくらいのメリットをロシアに提供しなければなりません)

ということで、日本人にとっても、スエズ動乱は大切な出来事だったのです。(日本史選択者は、なお重要です)

このように、歴史や国際情勢は地球全体でつながっています。地球の裏側でも、日本に無関係ではありません。

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