2026年東大国語 第2問(古文)『狭衣物語(さごろもものがたり)』現代語訳
こちらもご参照ください。
2026年(令和8年)東大国語を当日解いたので、所感を書いてみた。
取り急ぎ、暫定版の現代語訳を掲載します。
いずれ解答や解説も掲載予定です。
現代語訳(暫定版)
年末に、(狭衣大将は)あの方〔=女君〕の一周忌の法要を執り行わせなさった。(女君への)愛情の証としては、「(法要を厚く催すことの他に)何ができるか。いや、何もできることはない」とお思いになるので、経典や仏像の御飾りなどを、並々でなく(立派に)(準備)させなさる。何事も、本当にその日のうちに成仏し(て極楽往生でき)そうなほど(完璧に)、取り計らいなさった。その当日、(大将は)ひどく(人目につかないように)隠れて、(大将)ご自身が(法要の場所へ)いらっしゃった。講師(を務める僧)は、比叡山の座主であった。招かれた僧六十人、七僧〔=供養の役僧〕なども、並んで座っている。
(法要が)とても(盛大で)尊いことにつけても、「(亡くなったのは)素晴らしい人だったのだなあ。(大将に)これほどまでに大切に思われていることよ」と思って見る人が多い。そんなにも立派なご様子で、泣きながらお読みになる願文(の文章)の悲しさは、涙で袖を濡らさない人もめったにいなさそうなほどであるので、まして大将の(着ている)直衣の袖は、(涙で)絞れるほどまでになってしまうにちがいない。それというのも実は、(大将も)「人目にも(私の)心が弱い(と思われるだろう)か」とお思いになって、堪え忍ぼうとなさらないわけではないけれども、ただふと聞こえる詩文集や物語、古歌なども、自分の思い(に重なる)方面であるものは、格別に目が留まって、しみじみと心を動かされるものなので(涙が止まらないの)であるにちがいない。
拝見する人々なども、「(これほどまでに惜しまれるのは)どなただろうか、これほどまでに(大将から)愛しく思われていた人は。本当に残念な寿命の短さだなあ」と、見て驚かない者はいない。いろいろと尊い(供養の)事柄は多いけれども、そのまま書いて伝えることができないのは、かえって(尊いことが無いよりも)残念なことだ。
法要が終わって、僧も人々も退出してしまったけれども、(大将)ご自身はお残りになって、尼君〔=女君の伯母〕とお会いになり、尽きることのない(女君への)愛情を感じなさった。(日没を告げる)入相の鐘の音がかすかに聞こえてくる、夕暮れの空の様子は、場所柄(もあって)、言いようもなく心細く感じられるのを、(大将が)簾をかき上げて、しみじみと(物思いにふけって)眺めなさって、勤行をなさっている様子は、とても尊く、しみじみとした風情がある。
(大将は)夜明け前にもなっただろうかと思われる頃まで(一晩中)座っていらっしゃって、度を超して苦しいので、そのまま(部屋の)端でちょっと休んで、うとうとなさっていると、(夢の中で女君が)生前と変わらない様子で、(大将の)傍らに座って、このように言う。
暗い(迷いの)道から、さらに暗い(迷いの)道へと迷う(冥土にあるという険しい)死出の山ですが、あなたが私を)弔ってくださるので、このように(仏の救いの)光を見る(こともできます)。
と言う(女君の)様子が、可愛らしいさまであるのも、めったにないほど素晴らしくて、「何か言おう」とお思いになるうちに、はっと夢から覚めて(空を)見上げなさると、(月が)澄んで高く上っており、月(の光)だけが(大将の)顔に映っていた。雲の果てまで、はっきりと一面に澄んでいる空の景色は、普通の目覚めにでさえ、心細くなってしまいそうな空の様子なので、(女君が)傍らにまだいらっしゃるような気がして、自然と見渡さすけれども、人々は皆、遠くへ下がって、とてもぐっすりと眠っている。
(大将は)一人でしみじみと空を眺めなさって、(女君が)今ごろ泣きながら越えているだろう死出の山道まで思いを馳せなさると、ひたすら(女君と初めて出会った折に)あの吉野の山で(女君の気持ちを確かめるために、)敢えてつれなくしたことを、(女君が)恨めしそうに思っていた様子などが、心が惹かれるように感じられたことも、今しがた(目の前で)向かい合っているように自然と思い出しなさって、
死に遅れまい〔=一緒に生死を共にしよう〕と約束したのになあ。(女君は)死出の山か三途の川で、(私を)待ち続けているのだろうか」
と思いを馳せなさっても、枕が(涙で)浮いてしまいそうなほど(悲しい)気持ちが湧きなさって、(女君の供養のために)お経を読みなさる。
補足
『新編 日本古典文学全集』(小学館)にて、「暗きより暗き」のところに興味深い注釈が載っていました。
和泉式部に「暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」(拾遺集・哀傷、和泉式部集)がある。作中歌および和泉式部の歌は、『法華経』化城喩品(けじょうゆほん)の「冥(くら)キヨリ冥キニ入リテ、永ク仏ノ名ヲ聞カズ」という経文を踏まえている。
和泉式部の和歌を現代語訳すると、
「(煩悩による)迷いの闇から(さらに深い)闇の道へと入ってしまうにちがいない。どうか、はるか遠くの私を照らしてほしい。山の端にかかる月よ。」となります。
『拾遺和歌集』の詞書には「性空(しゃうくう)上人のもとに、詠みて遣はしける」とあります。
・「暗き道」=「仏教の煩悩、心を悩ませる欲望」。
・「月」=仏教の「真如(しんにょ)の月、真如〔=永久不変の真理〕が一切の迷いを破ることを月が闇を照らすのにたとえた言葉」。
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