2026年東大日本史(第2問)入試問題の解答(答案例)と解説
目次
◎はじめに
具体的な史料が3つ登場。
下人の子の所有という、たった一つの事象をめぐる規定から、律令法・武家法・分国法という法の重なりが見えてくるのが面白い問題です。細かい条文を見ているようで、実際には「法は誰のために、どの範囲で、どのような基準によって働いたのか」を考えさせています。
現代の感覚からすると条文の内容は炎上必至でしょうけど(笑)、条文の善悪を評価するのは、問題を解いたあとにしましょう。
◎リード文の分析
含蓄のある冒頭です。
「法は時代によって変わることがある。」まるで誰かの格言かのよう。
でも、深読みする必要はありません。
御成敗式目(1232年)、塵芥集(1536年)、結城氏新法度(1556年)と、時代の違う3つの法の内容に違いがあるから、受験生に「違っても良いんだな」と安心させるための一言ということでしょう。
「塵芥集と結城氏新法度はほぼ同じ時代だよね。”時代によって変わる”なんて大げさじゃない?」
「そもそも3つそれぞれ、法の適用範囲が違うんだから、内容が違っても当然じゃない?」
などとは、思っても口に出さないようにしましょう。
「たとえば」と続き、3つの資料が、下人の子の所有者について記述された中世法が引用元であることが明示されます。これも「そうなんだな」と思って読めばOK。
あとはいつもの問題の指示です。
◎史料と資料
なお今回問題文に与えられているのは、教授が作成した文章である「資料」ではなく、歴史学の研究として直接の根拠として使われる「史料」です。
たとえば、織田信長が家臣に送った手紙は、信長の時代に作られたものなので史料ですが、その手紙を研究者が分析して書いた論文は、資料です。御成敗式目の条文や、塵芥集の条文は、原文そのままの内容なので史料と言います。
◎設問A
◎設問文の分析
「御成敗式目はどのような方針で制定されたか。」という問いで、字数も30字。
小学生でも答えられそうな問題です。「よりとも いらいの せんれいと ぶけしゃかいの どうりに もとづく さいばんきじゅん」という呪文がスラスラ出てきます。
しかし、このように事前にマルアンキした内容を答えても点数にならないのが東大日本史。
サブ条件として「(1)の内容を踏まえて」とあります。
なので当たり前ですが、資料(1)を読まないと、 書く内容は決まりません。
また、 気をつけてほしいのは問われ方です。「どのような方針で制定されたか。」という問いです。
「どのような”基準で”制定されたか?」なら、さっきの「頼朝以来の・・基準」で良いですが、今回は「どのような”方針”」なので、問いに答える内容でなくてはなりません。
この辺りを冷静に捉えれば、難しい問題ではないと思います。
なお、使用する資料は(1)のみで良いでしょう。
◎史料⑴
奴婢が生んだ子についての、御成敗式目の条文です。
律令法では「必ず母方の主人のものとせよ」とされているが、「男子は父の主人、女子は母の主人のものとせよ」と書かれています。
つまり、律令法とは違うルールなのを自覚しつつ、御成敗式目を優先しろという内容が書かれています。
そしてその根拠として「頼朝い時代の判例に任せて」とも書かれています。
これで、大きな方針は理解できたでしょう。律令法の内容と矛盾する内容だとしても、御成敗式目を優先するように制定されたのです。
ちなみに「どんな場合も、律令より御成敗式目が優先!」とか、「律令or御成敗式目」という二択などのように、単純化して考えないようにしましょう。御成敗式目は律令法を知ったうえで、それだけでは処理しにくい武家社会の紛争に対応した法です。必要な部分を引き継ぎながら、武家社会に合わせて組み替えられています。
武家社会が、「道理と先例」によって既に形成されていたので、無理矢理すべての基準を律令に合わせるより、武家独自の法を同時並行の2本目として走らせた方が合理的なのです。
◎解答例
(答案例1)
律令法に拘束されず、源頼朝以来の先例と武家社会の道理を重視する方針。
(答案例2)
律令法の内容よりも、頼朝以来の先例と武家社会の道理を優先させる方針。
(注意点)
道理とか先例とかだけ書いてもダメです。史料(1)を踏まえて、「律令法よりも優先」とか「律令法に縛られず」のような内容を入れないといけません。「律令より御成敗式目を優先する」という内容でも良いと思います。
◎設問B
◎設問文の分析
メインの問いが、「御成敗式目と文国法の関係について。」で、サブの条件が「(2)・(3)の内容をふまえながら」です。よって、資料(2)と(3)を見ることになります。
資料2が塵芥集で、資料3が結城氏新法度なので、どちらも分国法です。御成敗式目の条文ではありません。
しかし、ここで注意してほしいのは、資料(1)が御成敗式目だということです。
塵芥集や結城氏新法度は室町時代(戦国時代)の分国法ですが、その時にも鎌倉時代に制定された御成敗式目の効力は生きています。建武式目は御成敗式目に追加して出されたものなので、御成敗式目は失効されていません。戦国時代でも現役なのです。
よって、資料(1)の御成敗式目と、資料(2)&(3)の分国法との関係を考える問題とも考えられます。
◎史料⑵
では塵芥集を見ていきましょう。
書かれている内容は・・・と読んでみると、御成敗式目と全く同じルール!!
じゃ、いらないじゃん。と思うかもしれませんが、わざわざ塵芥集でも条文にすることで、「塵芥集のもと(伊達氏の勢力範囲)では、御成敗式目と同じルールにする!」と意思表示になります。
さて、ここで問われているのは、「御成敗式目と塵芥集の関係」なので、答えは「同じ」です。伊達氏は、御成敗式目と同じルールに”わざと”決めた決めました。
◎史料⑶
史料(3)はちょっと長いですが、丁寧に見ていきましょう。
まず(中略)の手前までですが、簡単に言えば、御成敗式目のルールが書いてあるだけです。「昔から伝え聞くところによれば」というのは御成敗式目のことですね。
そして(中略)のあとには、御成敗式目のままでは不条理になってしまう例が書かれています。
せっかく何年も養育して育てたのに、何もしていない方の親が「自分の子だ!」として取り上げるのはおかしい。ちゃんと子供が生まれたときから届け出を出して養育した場合にのみ、御成敗式目のルールを適用するのが良い。(ただし、主人の屋敷以外の子は、御成敗式目のままで良い。)とのこと。
つまり、基本的には御成敗式目のルール通りで良いけど、養育者が異なる場合は養育者を優先するわけです。
これは納得がいきます。何年も養育したのに、突然子供を奪われるのは不条理です。
◎成文法が出来るパターン
ここで、ちょっと脱線しますが、成文法と不文法の話をはさみます。
ルールには、成文化されたルール(成文法)と、成文化されていないルール(不文法)があります。
平井家には、子どもに対して「お菓子をもらうときは、必ず保護者の了解を得なければならない」というルールがあります。
うちの子どもはアレルギーがあるため、勝手に食べないようにと定めたルールです。
生まれたばかりの頃は、子どもが勝手にお菓子をもらうことなんてなかったので、別にわざわざ子供に言い聞かせていませんでした。(不文法)
しかし、ある程度大きくなって、お菓子をお菓子だと認識できるようになると、勝手に食べてしまうかもしれません。そこで言い聞かせ始めたのがこのルールです。(成文法)
国会議員が作る法律に限らず、日常のあらゆる場面で、成文法と不文法が存在しています。
平井家のルールのように、はじめは成文化する必要のないルールでも、何かしらに必要性に応じて成文化するということがありますので、いくつかのパターンをしっておくと、日本史や世界史の勉強が深まると思います。
例えば、国家が新しくできたとか王朝が交代したような時には憲法などの法を定めるでしょう。酷い交通事故が起きて、交通ルールが厳しくなることもありました。ちょっと昔は牛肉のユッケ(生食)がお店で食べられたんですが、食中毒の痛ましい事件が話題になり、今では違法です。
「敬天塾では、オンラインの授業中は原則としてミュートにする」というルールがあります。これは、生徒たちがミュートを解除していると生活音が入ってしまい、音が聞き取れなくなってしまうからです。発言を求められたときだけ、ミュートを解除して運営しています。
しかし「授業中にワルツを踊ってはいけない」というルールはありません。過去にワルツを踊った生徒が一人もいないし、今後も出てくるとは想定できないため、そもそも定める必要がないからです。なんでも成分化すれば良いというわけではありません。
それにしても、なんか同じようなこと、書いたことがあるなぁ。いつだったっけなぁ。と思っていたら、去年の解説記事でも成文法と不文法について書いていました。ちょっと違う切り口から説明しているので、良かったら該当部分を合わせて読んでみてください。2025年第3問の解説記事です。こっちの問題の方が、成文法と不文法の理解が役立つ問題なので、合わせて解いてみると良いかもしれません。
◎トラブルがあったのかな?
さて結城氏新法度に戻りましょう。
結城氏新法度は、原則として御成敗式目のルールを採用したいみたいですが、養育者が異なる場合は御成敗式目のルールに沿わないよう定めています。
先ほどの話を踏まえると、養育者が異なるのに御成敗式目のルールを持ち出して、子どもの所有権を主張したことで、トラブルになったケースがあったのではないかと「推測」できます。書いていませんから推測の域は出ませんが、ありそうな事例です。
結城氏新法度の子の条文は、現実に起きてしまったトラブルを円満に解決するためにわざわざ設けられたのかもしれません。
◎史料(2)と(3)の内容を踏まえて
ここまでをまとめると、
塵芥集:御成敗式目と同じ
結城氏新法度:御成敗式目を踏襲しつつ、例外も設ける
こんな感じ。
記述式にまとめると、例えば「分国法は、御成敗式目をそのまま採用することもあったが、異なる内容を定めることもあった。」となりますが、
内容が薄すぎる!
「御成敗式目と同じだったり、異なったりする」なんて、ほぼ説明していないに等しいです。
恐らく、当日受験した受験生も、ここまで読み取って困ったことでしょう。120字に膨らませるのも、一苦労です。一応、作成できたので、史料の内容を中心にまとめた解答も下に載せておきます。
ということで、何か別の観点から加筆できそうな要素を探すこととしましょう。
◎分国法について、思い出そう!
ここで、文国法について教科書で習うことを思い出しましょう。
東大日本史では、もちろん教科書の知識を使いますが、教科書の知識”ばかり”使うわけではありません。ここまで見てきたように、まずは資料を読み、それを解釈して、字数が足りないとか、要素が足りない、論理がつながらないというような時に、教科書の知識を適宜補う、というような形で使います。
今回は、資料から読み取れるものを読み取ってしまったあとなので、教科書的な知識を補うタイミングとしては、今この瞬間です。
◎分国法は戦国大名が制定した独自の法
そもそも分国法とは何かといえば、戦国大名たちが各自で勝手に定めた法です。
室町時代の後半(応仁の乱の後から)では幕府の権力が衰退して、代わりに戦国大名たちが次々と勢力を拡大しました。
幕府の権力が衰退したということは、幕府が制定した法もなかなか通用しません。「幕府なんか弱ってるんだから、ルール効かなくてもいいじゃん」となっているわけです。 しかし、何かしらの法がないと秩序は守れません。そこで戦国大名たちは各々が法を制定して、自分たちの勢力圏を自分たちの国のように扱っていきます。
これが分国法です。
先ほど説明した通り、御成敗式目は生きています。しかし、それは幕府(しかも鎌倉幕府)が制定したものなので、影響は弱まっていました。
戦国大名の家臣団は武士たちです。 長い間守られてきた御成敗式目のルールに慣れている人も多いでしょう。しかし、時代が変わったことによって、御成敗式目が制定された頃には想定できないような事例も出てきます。
そこで戦国大名たちは、自分たちの領国内がうまく運営できるように、御成敗式目のルールを踏襲したり、例外を作ったりして、うまく国が経営できるような分国法を制定したのです。
主な内容としては、城下町への集中や嫡子単独相続の励行、喧嘩両成敗法(私闘の禁止)などでしょうか。私闘の禁止とは「当事者同士で武力を用いて解決するのを防ぐ」という意味ではあるのですが、その背景にあるのは「裁判に任せろよ」です。つまり、トラブルが起きたとしても裁判で決着を付けさせることで、トラブルが起きたとしても拡大するのを防ぐ、などの効果があります。
よって、子どもをどっちの主人の所有にするかなんて関係なさそうですが、放っておいたらそのトラブルが拡大して、被害が大きくなりかねませんから、裁判規定などルールを定めることと関係があるのです。
◎答案に使えそうな要素
以上を踏まえて、解答に使えそうな要素としては、戦国大名が自分たちの勢力圏(領国)を一円支配していたとか、独自の法を定めていたとか、私闘を禁止していたとか、その辺りでしょうか。
◎解答例
解答例1(史料の内容を中心にまとめた)
分国法は、男子を父方、女子を母方の主人の所有とする御成敗式目の原則を踏襲した。塵芥集は御成敗式目のままに継承したが、結城氏新法度では養育の実績などを考慮した例外を設けるなど、大名ごとの実情に合わせて規定を制定した。
解答例2(抽象度を上げた答案)
御成敗式目は長く武家社会の法として機能し、室町幕府でも基本法典とされたため、幕府から独立して領国を支配した戦国大名たちが独自に制定した分国法にも、御成敗式目を原則とした条文が設けられ、中には領国の実情に即して私闘を禁止する例外も見られた。



