2026年東大日本史(第1問)入試問題の解答(答案例)と解説

◎はじめに

2026年の東大日本史、第1問は、律令制下の女官についての問題でした。

「女官!?そんなの知らん!」となるかもしれませんが、ノープロブレム。普通、受験生は何も知らないでしょう。尚侍(ないしのかみ)くらいは古文で出て知っているかもしれませんが、他の難しい漢字の役職なんか知らない誰も知らないでしょう。つまりこれも、東大日本史アルアル。知らない資料が出るけど、読み取って答えるスタイルです。資料を読んで、問われていることを丁寧に分解すれば解けるようになっています。

◎リード文の分析

いつもの指示が書いてあるだけです。何も書いていないに等しいのでとばします。

◎設問の分析

文法的な理解

聞かれている言葉大きく2つ。前半の「尚侍 をはじめとする女官について、律令制下での職務や政治権力との関係はどのようなものであったか。」と、後半の「それは9世紀前半にどのように変化したか。」です。
前半はさらに2つに分かれて、「女官について、律令制下での職務がどのようなものであったか」と「女官について、政治権力との関係はどのようなものであったか」となります。

ちなみに、前半が2点を問う構成なのに対して、後半は「”それ”は9世紀前半にどのように変化したか。」と受けています。複数だから”それら”じゃね?とも思いますが、ここは塚原先生の解説で触れられている通り、2つを受けているのに「それ」と表現しているということで良いでしょう。厳しく言えば誤表記かもしれませんが、あまり気にしなくて良いところだと思います。
さらに、後半で「 それは9世紀前半にどのように変化したか。」とあるので、文脈的に、前半は9世紀前半より前の時代、具体的には8世紀が中心の内容のことなんだろうな~、と解釈して問題を解けば良いところまで、塚原先生と同じ立場です。
塚原先生のHPで他の年度の解説や答案例も見られるので、ぜひうちと比較しながら、学びを深めてください。東大文系受験生ならば、解説はともかく答案例だけでも比較するのは当然行うべきだと思います。

資料を読む方針

やや冗長でしたが、設問文の理解を深めたところで、 ここから、資料の読み方がある程度わかります。

まず、設問の中心語にチェック!「職務」「政治権力との関係」「9世紀前半における変化」です。

  • 「職務」なら、史料の中から女官が何をしていたかを探す。
  • 「政治権力との関係」なら、女官の存在が誰の政治的利益につながったかを探す。
  • 「変化」なら、変化の前後を比べ、何が別の役職や人物に移ったのかを探す。

このくらいは、設問を読んだだけでも気づけるレベル。注意して資料を読みましょう。

◎資料の分析

資料(1)

教科書で習う二官八省の他に、実は女官の組織があったということが書いてあります。 組織があったということは、女官にしっかり役職が与えられていたということですね。
そしてその組織の長官が「尚侍」で、設問文に登場した役職です。
尚侍は 常に天皇の身近にいて、二官八省との意思伝達を担ったとあります。歴史的な事実とは関係ないことを言いますが、私はここで蔵人頭を思い出しましたね。嵯峨天皇期に設置された令外官で、天皇の秘書みたいな役職でしたよね。「ここに書かれている尚侍と似ているなぁ」と思っていたら、資料(4)で蔵人頭に仕事を奪われるんですね。そりゃ似ているわけだ。

後半には、女官が宝物の管理をしていたとあります。これもそれなりに重要なポジションだと思ってよいでしょうね。ただの食材の管理庫ではなくて宝物類ですから。
ようするに、資料(1)では女官が重要なポジションを担っていたことが書いてあります。

さて、ここで重要なのは設問との関係性です。
設問では「政治権力との関係」とありますが、当然「政治権力」とは「天皇」です。二官八省も政治権力ではありますが、やはりここは天皇との関係が優先されるでしょう。これを踏まえて、先ほどの職務を見直すと、「天皇の近くに仕えて、男性組織との間の意思伝達を担った」とは、政治権力を円滑に行使するためのポジションを担っていたということになります。言い換えれば、尚侍がいなければ、政治権力が行使されなかったかもしれません。
「宝物類の管理」に関しても、資料文をよく見てみると「天皇の位を象徴する宝物類」と書いてありますから、天皇(=政治権力)の位を支持する役割を担っていたわけです。

資料(2)

(2)には、難しい漢字で闔司(みかどのつかさ)という役職が登場します。
役割は「内裏の門の管理」とのことで、これだけ読むと門番のような下っ端の役割っぽいですが、ところがどっこい、読み進めると印象がガラッと変わります。

そもそも天皇の居所には女官だけしか入ることが出来なかったんですね。
だから、男性官人が門の内部に入る時には、闔司(女官)が天皇にとりついで許可をもらう必要があったのです。必然的に女性が門番をせざるを得なかったのですね。

こうなると話が変わってきます。
男性よりもむしろ女性の方が天皇との距離が近かった。だから、天皇の近くの役職は女性が担っていたわけなのです。
今のようにインターネットや電話がなかったため、当時は、情報が人づてに伝わり、天皇に会うこと自体が大きな意味を持っていました。「誰が天皇のそばにいるか」自体が政治の一部であったと言えるでしょう。そして女官が重要な役割を果たしていたのです。

資料(3)

(1)と(2)に比べて、資料⑶はやや意味が読み取りづらかったかもしれません。

まず登場する藤原仲麻呂ですが、 事前の知識で孝謙太上天皇と淳仁天皇の元で実権を握っていたことは知らなければいけません。
その妻である藤原袁比良も、孝謙太上天皇と淳仁天皇の信任で尚侍と尚蔵を兼任していたそうです。要するに、時の権力者の妻も、天皇や太上天皇の権威権力を背景に重要なポジションを得ていたということです。
次に、恵美押勝の乱のあと、仲麻呂の政敵だった藤原豊成や藤原永手が大臣となるのですが、彼らの妻も尚侍や尚蔵を担ったと。

「ふ~ん、権力者の妻が女官の重要ポジションを与えられてたのか~。そりゃ、権力者の妻だからコネ採用もあるよな。」みたいなことを思った方も多いでしょうが、
重要な一言を読み飛ばしています。

真ん中あたりに書かれている「袁比良の没後」です。
もちろん、これだけでははっきりとした因果関係はわからないのですが、袁比良が死んだことによって、孝謙太上天皇と淳仁天皇の対立が深まったというようなことが推論できます。藤原仲麻呂は、孝謙&淳仁に非常に近い存在だった妻の袁比良のおかげもあって実権を握っていた、ということです。

オマケ:ことの経緯

この部分は、少し補足しておいたほうが良いかもしれません。

藤原仲麻呂は、光明皇后の後ろ盾や橘奈良麻呂の反乱計画を阻止したことなどで実権を獲得していきます。
光明皇后は聖武天皇の妻で、孝謙天皇は聖武天皇の娘です。そして仲麻呂は孝謙天皇の摂政ですから、色々重なり実権を握る土台が確立されていました。

そして孝謙天皇が譲位して、淳仁天皇が即位します。淳仁天皇は仲麻呂が擁立しているため、淳仁天皇とも蜜月です。
「恵美押勝」の名も淳仁天皇からもらっています。

ここで問題になるのが、当時の太上天皇と天皇の関係です。
平安時代以降(嵯峨天皇以降)は太上天皇が天皇に位を譲っていくのが徐々に慣習化されますが、奈良時代はまだ太上天皇と天皇が二頭体制で政治を行っていました。
※この辺りの、太上天皇と天皇との関係性を問うた問題が2024年第1問です。ぜひ合わせて学習してください。

仲麻呂は孝謙、淳仁の両方を仲良くやりながら政治を動かしていたのですが、ここで事件が起こります。孝謙太上天皇の病気です。
孝謙の病気を看病したのが、あの道鏡です。しだいに孝謙は道鏡を寵愛するようになり、「大事なことは全部私が決める」と言い出す横暴ぶり。当然、仲麻呂と淳仁天皇は反対をします。これで孝謙太上天皇と淳仁天皇は対立していき、こじらせていった結果が「恵美押勝の乱」です。

なお、光明皇后が亡くなったのは孝謙太上天皇が病気になる少し前くらいで、袁比良が亡くなったのは道鏡を寵愛するようになった後くらいのタイミングです。つまり、孝謙太上天皇の病気の前後くらいに、藤原仲麻呂の支えた女性が2人亡くなっているのです。
袁比良の死によって、仲麻呂は尚侍である妻がいなくなります。天皇の非常に近い存在だった尚侍がいなくなり、仲麻呂と孝謙との距離も離れてしまったことでしょう。それに加えて、孝謙が道鏡を頼るようになりました。これでは仲麻呂と孝謙の意思疎通がうまくいくはずがないだろうな、というのは想像に難くありません。

乱後も妻が重要

さて、恵美押勝の乱後に権力を握った藤原豊成や藤原永手の妻も、高位の女官となりました。
ここでも、先ほど書いた通り、「夫が偉いから妻も偉い」というだけでなく、「妻が偉いから夫が偉くなる」という側面が感じ取れます。
高位の女官になれば、天皇の身近に仕え、天皇の意思や宮廷内の情報に接することができます。男性官人にとっては、妻を通じて天皇との距離を縮め、政治的な信頼や権力を維持しやすくなるわけです。女官の立場が男性官人の政治権力を支える媒介になったといってもよいでしょう。「妻が高位の女官になる→天皇に近づける→夫の政治的立場に有利」という因果が理解できれば良いと思います。

なお、女性が政治に関わったかどうかを、現代の男女平等の感覚だけで判断しないことも大切です。この時代の政治は、朝廷の公的な役職だけでなく、天皇との距離、親族関係、婚姻関係によっても動いていました。女官は、その「距離」を制度の中で担った存在だったのです。「女官が政治権力を握った」とは書かないように。

資料(4)

突然時代が飛び、薬子の変(平城太上天皇の変)の内容が書かれています。

まず大事なのが、薬子の変が起きたのが810年だということです。設問文で書かれた「9世紀前半」にバッチリ該当します。
問題文中には書かれていませんから、覚えておかなければなりません。東大入試とはいえ、最低限の西暦を暗記するのは大切です。第3問や第4問では 西暦を覚えてないといけない問題が出るイメージでしたが、第1問でもこのように出てきたというのが重要ですね。

そして、今までの資料よりも直接的な表現が見て取れます。
「平城太上天皇は尚侍である薬子の助けを得つつ、ふたたび政治の実権を握ろうとした。」とのこと。尚侍が天皇にとって非常に重要なポジションだということが、再度見て取れます。クーデターの助力を得ようとしたとは、かなり信頼されていたことでしょう。

一方で、嵯峨天皇側の表記にも気になるところがあります。
「嵯峨天皇は(中略)一部の男性官人をみずからの身近に仕えさせた。」とのこと。 わざわざ男性官人と書いています。 先取りして資料の(5)を見ると、「女官としての職務がほとんどなくなる」というようなことが書いてあります。 平成太上天皇は女官を頼ったけど、嵯峨天皇は男性を身近に仕えさせた。そして、10世紀末には女官としての職務がなくなった、という、女官のポジションが変化するストーリーが読み取れるのです。

なお、嵯峨天皇は宝物類の管理や、円滑な命令伝達を蔵人頭に担当させたとありますが、宝物類の管理も女官(尚蔵)の担当だったはずです。ここでも、女官の仕事が男性に奪われた様子が読み取れます。

なお、「薬子の変後、女官がいなくなった」ということではありません。問題文が示しているのは、あくまで、天皇の近くで仕えることや天皇と官人の間をつなぐことの一部が、蔵人などの男性官人に移ったという変化です。女官の政治的・実務的な重要性が相対的に下がった、くらいに理解して良いでしょう。

資料(5)

最後に資料(5)は、さらに時代がとんで10世紀末です。
先ほどは、実権を握っている男の妻が尚侍を務めていましたが、 ここでは有力貴族の幼い娘が任じられたと書いてあります。 有力貴族の幼い娘が重要ではないとは言いませんが、実権を握っている人の妻と比べたら、見劣りします。 女官の重要度は下がったという理解をしてよいでしょう。

そして、職務についても書かれていますが、華やかな装いで祭祀に参加するだけ。しかも、はっきりと「女官としての実質的な職務がない」と書いてあります。成長して皇后や皇太子妃になることが想定されているポジションであり、実務をするわけではないわけです。后妃になる前の、名目的で儀礼的な存在に性格を変えたと言えるでしょう。貴族女性を天皇の后妃につなぐ経路としての意味は残った、と考えても良いです。

なお、ここでも時代感覚を持てると、考察が深くなります。
10世紀末と聞いて、すぐに「摂関政治期」を思い浮かべられますか?摂関政治期に藤原氏の権力を後ろ盾したのは「外戚」です。自分の娘を天皇に嫁がせることで、権力を握るという手法です。これで繋がりましたね。外戚戦略を行うにあたり、自分の娘を尚侍として仕えさせ、皇后や皇太子妃になるまで待つ。そして外戚として権力を握るわけです。
奈良時代まで、女官がアクティブなポジションのように思えましたが、摂関政治期になるとずいぶんと男性に従属したようなポジションになってしまいました。

◎解答例

答案例①

律令制下の女官は天皇に近侍し、男性官人との意思伝達や宝物・内裏の管理を担った。天皇への接近を生かし、妻が高位の女官となることは男性官人の権力維持にも有効だった。しかし薬子の変後、蔵人が女官に代わって天皇との連絡を担うと実務的地位は低下し、10世紀には有力貴族の娘が后妃候補として名目的に任じられる性格を強めた。

答案例②

女官は天皇の身近に仕え、天皇と男性官人を仲介するとともに、宝物や内裏の門を管理する重職を担ったため、その妻を女官とすることは男性官人の政治権力の維持に役立った。だが薬子の変後は蔵人が天皇に近侍して女官の職務を代替し、のちに女官は有力貴族の娘が皇后などになるための名目的な官職となった。

まとめ

女官というと、あまり重要なポジションのように思わない人もいるかもしれませんが、奈良時代くらいまでは、かなり重要なポジションだったことが分かりましたね。
奈良時代までは女性天皇もいたし、孝謙太上天皇みたいにゴリゴリに政治を動かそうとした女性もいたし、女性が元気な時代だったようです。
(まあ、道鏡事件を機に女性天皇はやめようということになってしまったので、大変な時代でもありましたが。)

あと、問題の感想として、 非常にクオリティが高いと思いました。 
受験生が知らない内容を出しつつ、しっかり背景が推測されるような資料文を用意していること。絶妙なバランス感覚で、簡単にも難しくもなりすぎないようにまとめています。 しかも、「女性が活躍する」という最近話題のテーマにも沿っている。
さらに、薬子の変の西暦を覚えておかないといけないことや、 摂関政治期の外戚戦略を想像させることで理解が深まる点も素晴らしいです。

私も生徒向けに東大の形式の問題を作ることがあるのですが、このクオリティの問題は何年かかっても作れないような気がします。改めて東大の先生方はすごいなぁと思いました。

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