2026年東大日本史(第4問)入試問題の解答(答案例)と解説

リード文の分析

たくさん書いてありますね。丁寧に見ていきましょう。

まずはテーマ設定。
ふむふむ。今回は、男女の働き方の特徴についてですね。時代によって変化してきたと。そりゃそうでしょう。

続いて、資料や図の説明です。
時期は日中戦争から太平洋戦争について、そして高度経済成長期についてのようです。与えられた資料やグラフは、男女の働き方の変化についてのものだと、再度記述があります。
あとはいつもの問題の指示です。

核心を突いた情報はなかったので、ここではテーマを理解すれば良いですね。

設問A

設問文の分析

まずは時期の確認。日中戦争から太平洋戦争にかけてです。西暦を特定する必要はないですが、1937~45年でしょう。

内容について「この時期では、いろいろな職場で働く女性が増加していた」と書かれています。
確かに、教科書の知識でも、同様の事が書かれていますね。
山川教科書の該当部分を引用してみましょう。

1943(昭和18)年には、大学・高等学校および専門学校に在学中の徴兵適齢文科系学生を軍に徴集(学徒出陣)する一方、学校に残る学生・生徒や女子挺身隊に編成した女性を軍需工場などで働かせた(勤労動員)。

また、国内の労働力が足りなくなった背景として、このように説明されています。

日本国内では、軍隊に動員された青壮年男性は400〜500万人に達したので、必要な労働力が絶対的に不足していた。

簡単にまとめれば、戦争にたくさんの男性が駆り出されたので、国内の労働者が足りなくなった。それを補うために女性を軍需工場などで働かせた。ということですね。

これを理解したうえで、設問文に戻り、続きを読みましょう。すると、「戦争終結後、その動きは続かなかった。」とあります。「その動き」というのは、女性が職場で働くようになった動きのことです。つまり、戦争が終わった後は、女性が社会に出て働く機会が減った(増えなかった)ということです。

この部分に関しては、教科書に直接該当する記述がありません。強いて言えば、この部分が関わりそうです。

敗戦の時点で海外にいた約310万人の軍人の復員や、約320万人の一般居留民の引揚げで人口はふくれ上がり、失業者も急増した。

軍人が国内に戻ってきたり、一般人が戻ってきたことで、国内の労働力が過剰になったわけです。これにより、今まで働いていた女性の雇用が奪われる、というようなこともあったかもしれません。
設問文だけではヒントが少ないので、設問文に関する分析はこのぐらいにして、資料を見ていきましょう。

(1)以外の資料やグラフ

資料(2)と(3)は高度経済成長期のもの。資料4は図の説明で図(棒グラフ)は 1955年と1970年のもの、つまり戦後のものです。

設問Aは戦前の話を答える問題ですから、結局これらは全て該当しない資料だということがわかります。よって、資料(1)だけが設問Aのヒントです。

資料(1)

結構ポイントが書いてあります。
まず、日中戦争以降、女性の就業者が増加したことが書いてありますね。これは、設問文やリード文と同じ内容ですね。再確認です。

つづいて、 大西洋戦争開戦後はさらに増え、戦争末期にはもっと女性が重要になっていった、と書かれています。 戦争末期には、機械工業や鉄道などで、助成なしには成り立たない事業所が多くなったとのこと。 それだけ労働力が逼迫していたのでしょう。

なお、戦中の女性労働者が増えたことに関して、「女性の権利が広がった」ということではありません。あくまで男性労働者の不足分を補うためだというのが主要因です。戦後に婦人参政権が確立しているので、その点についてであれば「女性の権利が広がった」と言うことはできます。しかし今回の問題では、戦後に女性の労働者が減っているというのが主題です。戦後には権利拡大したのに労働者は減っている、となってしまいミスマッチですから、ややこしいので書かない方が良いですね。
回りくどくなってしまいましたが、女性の社会進出の要因は権利拡大だけではありません。短絡的に判断しないようにしてください。

最大のポイントはここから

そして、最後に最大のヒントがさらっと書かれています。

それらの女性は主に未婚の若年者であった。

別に、単に「若年者」 とだけ書けばいいんですよ。でも、東大の教授はこの資料文を作る時にわざわざ「未婚の」と入れたのです。

これは、明らかに、 戦後のベビーブームのことを匂わせる記述です。

戦争が終わり、若年層の軍人がたくさん帰ってきて、国内で残っていた女性が同時期に多数結婚して子供がたくさん生まれたこと。これがベビーブームですね。
赤ちゃんが生まれると、女性は子育てに従事しなければならなくなり働けなくなります。よって、戦後は女性の労働者が減った。
これが東大が匂わせているヒントなのです。

まとめると、男性の不在が女性を職場へ押し出し、男性の帰還と軍需産業の縮小が女性を職場から押し戻したという、表裏の関係で捉えると理解しやすくなります。

以上の内容をまとめれば、3行分になると思いますが、他の要素を入れることも可能です。

他の要素の検討

よく「特需」なんて言いますよね。「武器商人」なんて言葉もあります。
戦争というのは、良い悪いは別として、需要を喚起します。
武器や弾薬だけでなく、食糧や医療、宿泊、運輸、通信・・・など、何から何まで国内の需要が高まり、それに呼応して供給を行うと、必然的に景気が刺激されるのです。つまり、そもそも戦争が起こったことで需要が高まっていったという背景事情もあることでしょう。

他には、「 「国民が一丸となって戦争に協力しよう」という精神的な同調圧力が働いたことです。
例えば、第1次近衛内閣が1937年に出した国民精神総動員運動は、節約・貯蓄など国民に戦争協力をうながすためでした。また、満洲事変以降にはナショナリズムが高まり、政府による弾圧を受けたことで社会主義者たちが次々と思想を「転向」しました。このようにナショナリズムの高揚もあったことでしょう。教育面では、1941年に小学校が国民学校に改められ、「忠君愛国」の国家主義的教育が推進されました。この時期に小学生(国民学校生)だった子は、戦時中に労働者層にはなっていませんので直接の関係ではありませんが、間接的に国民精神に影響があったことでしょう。
そのほか、組織的な動員(大政翼賛会・隣組)など、精神的な圧力が一体となり、国民が戦争に協力せざるを得ない社会状況が作り上げられていたことが背景として考えられます。

このように、背景事情はたくさんあるのですが、答案に書くべき要素としては優先順位があります。
まずは資料に与えられていることから連想される要素を書き、字数が余れば他に足しても良いでしょう。

解答例

解答例1
戦中は徴兵された男性労働力の不足分を補うため、軍需工場などで働く女性が増えたが、敗戦後は軍需産業が縮小したうえ、多くの女性が復員男性と結婚し子を産んだため働く女性が減った。

解答例2
開戦による需要の高揚や、戦争協力を精神に促す政策を背景に、徴兵による男性労働力不足が重なり、女性が代替するため職場に進出したが、戦後は軍需部門の解体と復員男性優先の雇用で退出した。

解答例1はスタンダードな答案を目指したもの。解答例2は、いろいろな要素を詰め込んだものだが、無理やり要素を詰め込んだような形になっているのを自覚しています。

「工場で働いた」とだけ書くより、軍需工場や輸送など、戦争を支える部門だったことに触れると、女性労働の増加が戦時総動員体制の一部だったことが明確になります。

設問B

設問文の分析

時期は高度経済成長期です。 一般的には1955年ころから1973年のオイルショックまでとされていると思います。

メインで問われているのは、「女性の働き方にどのような変化があったか。」で、 サブとして「変化をもたらした背景を含めて」 という条件が加わっています。 先ほどの問いと違い、労働者の数ではなくて、働き方の変化についてです。それに注意して資料やグラフを見ていきましょう。

資料(2)

資料全体として、教科書的な知識でも知っていることが書かれていると思います。余談ですが、地理選択者にもよく理解してほしい資料文ですね。東大地理でもたびたび問われている内容です。

第2次産業のようなモノづくり、第3次産業のようなサービス業の比重が高まったとか、官公庁や民間企業などで働く人が増えたと書かれていますね。一方で、 農業を営む自営業者や、自営業者の家族でその仕事を手伝っている者の割合が減った。つまり、田舎で農家をやっている女性が都市部に出て、色々な働き方をするようになったということがイメージできます。多様な働き方をするようになったんですね。 これは、設問で問われている「女性の働き方の変化」として書けそうです。

資料(3)

この資料文は、直接、女性の働き方に関わる内容ではありませんね。しかし重要です。

資料(2)の文末に、官公庁や民間企業で働く人が増えたと書かれていますが、その官公庁や民間企業の給与制度が変化しました。 内容は「配偶者や子供を扶養する者への家族手当の支給が拡大された」と書いてあります。
「手当て」とか「扶養」とか書かれると、理解しづらくなる人もいるかもしれませんが、 簡単に書けば、 お母さんが働いていない(もしくは収入が少ない)場合、お金がもらえるということです。お母さんが働かなくてもお金がもらえるわけですから、女性の労働者が減る要因として考えられます。

続く記述では、収入が少ない妻がいた場合、退職後の年金も増えると書かれています。 先ほどは、 給与が増える話で、今度は年金が増える話です。 家族にとってお母さんが働かない方が有利になるという制度ができたわけです。 もちろん、この年金に関しても、女性の労働者が減る要因です。

要するに、資料3からは、給与や年金の制度によって女性の労働者が減ったというようなストーリーが考えられます。

なお、話を単純化するために「働いていないお母さん」と書きましたが、これは不正確です。妻が夫の扶養に入るためには、年収が高くなければ良いので、収入がゼロでもいいし、少額でも良いのです。
例えば、妻がパートに出て、月に数万円ずつ稼ぐなどのようなパターンだと、年収に換算してもそれほど高くなりません。すると、妻は収入が少しありながらも、夫の扶養に入り続けることが可能で、上述したような手当や年金も、もらえることになります。
より正確に理解するためには、妻が全く働かないか、収入があまりない場合、夫の扶養に入り続けることができて、給与の手当や年金の増額になるということです。

資料(4)とグラフ

資料(4)は図(棒グラフ)の説明文なので、同時に見ていきましょう。

まず書かれているのは、1955年と1970年を比較するということです。 先ほども書きましたが、1955年から1973年が高度経済成長期です。 つまり、高度経済成長期の初めと最後の方を比べているということですね。

続いて、「年齢階層別の女性の労働力率は、25歳から34歳で低下していた」と書いてあります。
グラフを見てみると、確かに25~29歳の棒グラフと、30~34歳の棒グラフでは、右の棒グラフの方が背が低くなっていますね。

続きの文は男性労働力についてです。
色々書いてありますが、簡単にまとめれば、 男性の労働力率はめっちゃ高い(95%以上とか)で、もちろん女性よりも高い。 ということが分かれば良いでしょう。

計算方法は必ずチェックしよう

さて、意外に大事だったりするのが、グラフの計算方法です。
今回は、「労働力率」に注釈が付してありますよね。そこで見てみると、 労働力率とは、「就業者と完全失業者の合計が人口に占める割合を指す」と書いてあります。式に直すと、

(就業者+完全失業者)÷人口

ということになりますね。さらに、「就業者」と「完全失業者」にも定義が書かれています。

就業者とは、「雇用されている者のほか、自営業者および家族でその仕事を手伝っている者を含む」と書いてあります。 自営業者というのは、自分で仕事をしている人たちのこと。例えば、町の中華料理屋さんとか、雑貨屋さんみたいな、小さなお店などは、たいてい自営業者でしょう。
余談ですが、例えば、敬天塾も元々は自営業としてやっていました。独立して自分で仕事を立ち上げようとしたとき、いきなり会社をつくって仕事するか、自営業のまま仕事をするかというのを選べます。書類の手続きや税金の面で違いがあるため、有利な方を選ぶと思っていれば良いと思います。もちろん、今と当時ではかなり制度が違うでしょうが、大筋は同じだと思います。
要するに、会社に雇われずに、自分で仕事をしているのが自営業者ですから、就業者の数に含まれて当然ですね。

難しいのが「完全失業者」です。
注釈には「仕事を探していないものは含まない」と書いてあります。
よく勘違いされやすいのですが、失業者というのは、「仕事をしていない人」のことではありません。 「仕事を探しているのに、仕事に就けない人」のことです。 そもそも仕事を探していない人は失業者と呼ばないんですね。
例えば、子育てで忙しくて働けないママさんなんかは失業者とは呼びません。 けがや病気で働けない人も失業者とは言いません。でも、これらの人が求人広告に応募したり、ハローワークに行ったりした瞬間、完全失業者に該当するようになり、統計データに乗っかるようになるということです。
経済ニュースなどで間違った印象で語られることもあるから、気をつけておきましょう。

グラフをよく見よう

グラフについて、もう少し詳しく見てみましょう。
女性の労働力率は、20代前半が一番高く、だんだん下がって、35歳から39歳で少し増えます。(特徴1としましょう。)
そして 25歳から34歳の労働力率が下がっている時期は、 1970年の方が低くなっているというのも特徴です。(特徴2としましょう)

これらはどう解釈したら良いでしょうか。 設問文や資料2、3などをヒントに考えてみましょう。

特徴1について

資料(2)では、「若年層が都市部に進出して、多様な働き方をする」というものがありましたが、これは棒グラフの20~24歳の部分を説明できそうです。 専門学校や短大、大学などを卒業した女性が都市部に出てきて働けば、20代前半の棒グラフの背が高くなります。

では、なぜ棒グラフの背が低くなってしまうのでしょうか?これは、資料3からヒントが得られると思います。
資料3では、妻が働かない方が有利な制度ができたという内容でした。この制度が背中を押して、20代後半ぐらいに結婚・出産を経験した退職した女性が、そのまま働かずに家庭に入ったままになる、というストーリーが描けます。

そういえば、 働く気がない女性は完全失業者に含まれないのでした。つまり、 結婚・出産して、職場復帰する気がない女性は、統計データに乗っからなくなる。よって、棒グラフの背が低くなるという風に考えられます。
子育ては、子どもが完全に親の手を離れるまでは15~20年くらい続きます。しかし、子供がある程度大きくなれば、女性もある程度、自由な時間が得られるようになります。子供が小学生や中学生になれば、少し収入が欲しくなって働き出す女性も増えるでしょう。すると、35歳から39歳の棒グラフくらいから、背が高くなる、というのも納得できます。

あれ?そういえば、女性が働いてしまうと、給与の手当や年金の増額分がもらえないのでは?
と思ったかもしれませんが、思い出してください。妻は無収入じゃなくてもよいのです。夫の扶養に入っていればいいので、パートなどの少額のアルバイトだったら可能なんです。 そして、パートなどの求人に応募した瞬間に、完全失業率に含まれるようになり、棒グラフの一部に乗っかります。ということで、グラフの計算方法に矛盾せず、全てが説明できてしまいました。

特徴2について

特徴2(25歳から34歳では、1955年より1970年の方が、労働力率が低い)については、資料(4)でも説明がありましたが、理由は書かれていませんでした。
そこで、これも考えていくことになります。

まず、 私が考えたこととして、1955年のグラフ(左の棒グラフ)に関しては、 高度成長期の開始年度なので、資料(3)に書かれているような加給制度やが実施されていなかった。
一方、1970年のグラフ(右の棒グラフ)は高度成長期の末期なので、制度が実施されて定着してきたので、子育て中に無理して働く女性が減り、制度に甘えて扶養に入ったままの女性が増えたと考えました。

そこで、東大の資料(3)の根拠となる制度の実施年度を調べたところ、
・1966年に「一般職の職員の給与に関する法律の一部を改正する法律」によって、扶養手当が月額600円 → 月額1,000円とアップされた。
・1954年の全面改正厚生年金保険法で、老齢年金について、基本年金額 + 加給年金額という仕組みが規定された。

と出てきました。
老齢年金については、1954年実施ですから、制度が定着するまでのタイムラグを考えれば、特徴2が説明できると思います。扶養手当に関しては、バッチリ高度成長期内ですね。

これで、全て説明できたでしょう。

解答例

解答例1
高度成長期に工業やサービス業に従事する若年女性の就職が進んだが、配偶者を扶養する労働者を想定した賃金や年金制度が拡充したため、女性は結婚や出産で退職し子育て後に非正規で復職した。

解答例2
産業が高度化し女性の就業先が多様化・都市化したが、企業の賃金や福利厚生は世帯主男性と被扶養妻を優遇したため、女性は若年期に就職しても結婚・出産期に離職し、育児後に非正規で働いた。

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