2026年東大日本史(第3問)入試問題の解答(答案例)と解説
目次
はじめに
信濃の山の暮らしから、近世の経済を見る問題。
「おじいさんは山へ芝刈りに・・・」というフレーズが頭をよぎりました。
江戸時代は石高制ではありますが、石高いがいで年貢を支払っていた例外に着目した面白い問題です。
例えば、2004年第3問で蝦夷地が石高制が敷けない場所として取り上げられています。併せて解いておくと良いでしょう。
リード文の分析
いつもの文言だけなので、飛ばします。
設問A
設問の分析
「清内路村に石高がなかったのはなぜか?」を問う問題です。
丁寧に「 石高をつけられた近世の村の通例とは異なって」と 丁寧に書いてあるので、この村の特徴を掴めば良いということになります。
もちろん「清内路村」なんて受験生が知っている村ではないので、事前知識はゼロ。「何が特徴なんだろう」と思いながら、資料文を読んで要素を拾えば良いでしょう。
なお、設問Bの設問文で「経済面の特徴」を答えさせられます。ということは、設問Aは経済面以外に注目するってことでしょう。
資料文の分析
資料(1)
清内路村の場所が示されています。
「信濃国の飯田の西」とか、木曽と美濃との境に位置するとのことです。。
信濃は今の長野県の旧国名、木曽は長野の中で岐阜との県境のところ、美濃は岐阜の一部の旧国名です。余談ですが、僕は中学生の頃、長野県の飯田を舞台にした小説を読んだことがあるので、飯田の場所まで分かりました。今考えるとすごいマニアックな小説・・・。
まとめると、長野の中で、岐阜との県境くらいをイメージすれば良いでしょう。
続いて「山間」と書かれています。
これで皆さんの頭の中には、山奥の村がイメージされたことでしょう。
続いて「清内路」という地名と、幕府領だという情報があります。幕府領というのは、少し解説が必要かもしれません。これは、検地の手順と関係があります。
検地は、幕府や藩が主体となって、村ごとに検地帳を作成して行います。
幕府領にあるということは、検地の対象になっている(可能性が高い)ということです。資料(2)で、代官が清内路に関する史料を残しているのが確認できることも踏まえると、幕府は清内路に住民がいたことを認知していたわけです。
よって、幕府公認で石高の設定から外れているということになります。
資料(2)
代官が1641年に残している史料の内容です。
「清内路には石高がないから、郷帳にも載せていない。」とのこと。郷帳とは、全国の国や郡ごとに村名と村高(石高)を書き上げさせた公式の帳簿のことです。全国の村ごとの石高リストみたいなものですね。清内路は石高が設定されていないから、郷帳にも載せなくてよい。筋が通っています。
続いて「近年は人が多くなったため、御榑木という屋根用材を1000丁ずつ年貢として納めさせている」だそうです。
普通は米で年貢を払うけど、清内路は木を切って年貢にしているんですね。
さらに「この村の百姓はきこりなので、年貢以外を納める場合も、たくさんの木を出す」と書かれています。色々な木が伐採できるような場所なんだと分かれば良いでしょう。
資料(3)
ほとんどは設問Bに使う内容なのですが、一瞬だけ設問Aに使える要素が登場します。
「米など食糧は飯田で買っていて」という部分です。
これは要するに、清内路の村内で十分に米を生産していないということです。後述しますが、米の生産は石高に直結しています。これを踏まえて、答案化することを考えましょう。
答案作成までの思考プロセス
資料も一通り見たので、設問Aについてまとめてしまいましょう。
「普通とは異なり、石高がなかった」わけですから、「石高」いう言葉から連想を広げます。
先ほど、幕府が主体で検地すると書きましたが、検地の結果として、土地がどれだけの米を生産できるかを基準に、村や領地の生産力を表したものが石高です。
その石高が設定できないということは、米が生産できないということです。具体的には「米を作る田畑が少ない」「米の収穫量で村の生産力を測りにくい」などと考えられます。
と、 もっともらしいことを書きましたが、実際には、上述した関連問題の2004年第3問を解いたことがあるから瞬殺でした。 蝦夷地は寒すぎて米が取れないから石高が設定できなかったということを知っていれば、気づくのは難しくないでしょう。清内路村は山間部なんだから、「あ!山奥すぎて、田んぼが敷けないんだ」となります。
地理で、山間部などの斜面が多いところでは、田んぼが設置しづらいというのを学んでいたからかもしれません。
資料(2)で「たくさんの木を出す」と書いてありますから、かなり木が生えてる場所だったことでしょう。すると、木が邪魔をして広い田畑を作りづらいのも理由になるかもしれません。田んぼを作るには、灌漑をして水の管理をする必要がありますが、山間部の村では水が十分に得られなかったのかもしれません。いずれにしろ、山と田んぼは相性が悪そうです。
いずれにしろ、清内路は石高制と相性が悪かった、言い換えれば、米を基準にした評価が合わなかったのです。
解答例
答案例1
山間部に位置し耕地が限られて米の生産に向かないため、米の代わりに木材を年貢とするように幕府と取り決めていたから。
答案例2
山林が多く林業を営む木師が多いことから田畑が少ないため、米の生産量による土地の評価が難しかったから。
設問B
設問文の分析
メインの問いが「経済面でどのような特徴を持ったか」で、サブの条件として「米を生産する農村と比較して」というものがあります。
節分Aでは、清内路村の場所が山間部にあることなど、地理的な条件や自然条件が注目されましたが、今回は経済面へ注目することになります。 経済面ということは、どのようにしてお金を稼いでいるかや、その村の中での流通などが話題になることでしょう。
続いて「米を生産する農村と比較する」というものがありますが、 資料を読んでも、米を生産する農村、つまり普通の農村の情報は出てきません。 ということは、普通の農村に関しては、自分の知識で補って答えるということになります。
資料文の分析
資料(3)
木が豊富だった清内路村も、ついに木が刈りつくされてしまいました。
これでは年貢(木材)が収められません。よって年貢は代金納に変更されました。
具体的には、18世紀の史料に書かれている通り、男が出稼ぎに行っているそうです。
木曽や飛騨は岐阜県あたりなので良いとして、三河や遠江は静岡あたり、甲斐は山梨あたりなので、かなり遠くまで出稼ぎに行っています。
そして、設問Aで見た通り、米や食料は飯田で買っている。米の生産が十分でないことをここで確認。
続いて、 村ではタバコや炭焼き、女性や子供によって木櫛の製造などが盛んと書かれています。タバコや炭焼き、木櫛は、自分たちの生活に必須のものではありません。
「商品」です。売ってお金に替え、それで年貢を支払ったり、食糧を買ったりするのです。
これが清内路の村の生活でした。
米を生産する農村の生活
設問Bの問いの条件として「 米を生産する農村と比較して」 というものがあり、 資料には何も出てこなかったので、自分の知識で補わなければなりません。ということで、ここからは教科書などで得られる知識をまとめていきましょう。
とは言っても、そんなに難しくはありません。
普通の村では、農民が米を生産し、その生産分から年貢分を支払って、残りを自分で食べたり、もしくは換金して生活に必要なものを買うというだけです。余裕があれば、何か別の商品作物を作って売るかもしれませんし、アルバイトのような形でお仕事に従事するかもしれません。
非常にシンプルです。清内路村の方が複雑ですね。
これを踏まえて、比較しながら答案化すれば良いでしょう。
ちょっとしたまとめ
生産面
清内路村は林業や木材加工、山外での賃労働が中心。米作村は稲作と米の生産が中心。
納税
清内路村では、木材の現物納から貨幣納へ移った。米作村では米を中心とした現物納が基本。
生活・流通
清内路村では、働きに出て得た貨幣で飯田などから食料を購入し、日用品や加工品も商品として扱う。米作村では、収穫した米を基礎に村内で生活を維持しつつ、余剰分を売買する形が中心。
設問Bの答案例
答案例1
通常の農村では、米を生産し現物納を中心としたのに対し、清内路村は林業や出稼ぎ、加工品販売によって貨幣を得て、年貢や食料の調達にも貨幣を用いる経済であった。
余談 米を作らない村も、領主経済の外にはいない
「米を作る農民と、米を取る領主」という構図になりやすいですが、現実の村々はもっと多様でした。山村では木材や炭、漁村では魚、町では商工業や運送など、それぞれの地域が異なる方法で領主の財政や市場を支えていたことも理解しておきましょう。
清内路村の事例は、その多様性の中の一例です。石高制は全国を同じ尺度で把握しようとする制度でしたが、原則ではあるものの、例外を認めないわけではないのです。実際の経済は土地の条件に応じて姿を変えていました。制度と現実のずれが問題として問われやすいのです。



