2024年東大日本史(第2問)入試問題の解答(答案例)と解説
東京大学の日本史の設問を「リード文」「設問」「資料文」それぞれで分析しています。
目次
リード文の分析
「東大寺の再建に関する」という一言が付されていますが、そんなこと資料や設問を読めばわかるので、事実上何も書かれていないのと同じでしょう。
設問の分析
設問A
「東大寺再建に用いられた技術について」がメインで問われていることで、「その背景にふれながら」というサブ条件が付されています。
東大寺の再建に関しては、文化史の中でも色々教わるところですね。重源、勧進、大仏様、南大門、金剛力士像など、覚える用語もたくさんあります。
東大受験生は文化史が相対的に弱いことが多く、「やばい、文化史だ!」と心理的に焦った人も多いのではないでしょうか。
教科書に書いてある知識がベースとなり、資料文を参考に解くわけですが、教科書ベースの知識が抜け落ちていると答案が満足に書けず、取り繕ったような弱い答案になってしまいます。「東大日本史は知識ではない」とよく言われますが、知識で差が付くことはよくあります。
ヒヤっとした人は、今からでもちゃんと知識を入れましょう。
ちなみに、東大寺を焼き討ちしたのは平重衡ですね。
設問B
「源頼朝が東大寺再建にどのように協力したか」がメインで問われていることで、「頼朝の権力のあり方に留意し」というサブ条件が付されています。
Aよりも知識重視の問題ではない(ように思われる)ので、いつも通り取り組めたかもしれませんね。「頼朝の権力のあり方に留意」というのが、やや抽象的な条件です。頼朝の権力基盤のどの部分を切り取るのか、慎重に検討しましょう。
設問Aの解説
では、資料文に移りましょう。設問Aに絡む部分だけピックアップしながら解説していきます。
資料文(1)
教科書で習ったことが書いてありますね。
東大寺再建の技術そのものの記述はないので、「その背景」というサブ条件についての情報と捉えれば良いでしょうか。
朝廷が主導していること、財源は人々の寄付であること、責任者が重源であること、宋に渡った経験があることの4点が書いてあります。
ちなみに、東大寺が平重衡に焼き討ちされたのは1180年12月のことで、重源が依頼を受けたのが1181年です。朝廷は即決しているのが分かりますね。
資料文(2)
重源が身分の貴賤に関係なく寄付を呼び掛けたことが書かれています(勧進)。わざわざ後白河院から庶民と書かれていますから、本当に上から下まで全員が対象だったんですね。
これを受けて、奥州藤原氏の藤原秀衡が金の寄付を約束し、頼朝は米や金、絹などたびたび多額の寄付を行ったとのこと。資料文(1)から、1180年より後だというのが分かり、秀衡が寄付の約束をしていると書いてありますから、この時期はまだ源氏と奥州藤原氏がバリバリ対立している時期ですね。
朝廷主導の国家事業に双方が寄付をしているわけですから、武力以外の面での戦いだった(アピール合戦をしていた)と捉えられるでしょう。
資料文(3)
やっと東大寺の技術についての記述がありました。
まず「技術者不足」で大仏の鋳造が難航していたと書かれています。そこで重源は宋から来日していた商人の陳和卿を抜擢して成功。要するに「宋が由来の技術が使われていた」というのが設問Aのポイントになりそうですね。
「伽藍の造営には大仏様とよばれる建築技法が用いられた」とありますが、普通「南大門」に大仏様が使われていると習いますね。まず基本知識の確認ですが、大仏様というのは、建築様式の一種です。屋根までの長い通柱を立て、その柱に挿肘木をさし込んで軒を支える・・・とか書いてもわからないと思うので、資料集で確認してください。一応、簡易的なイラストが載っているサイトも貼っておきます。
さて、東大寺の伽藍配置はこちらのサイトに分かりやすい模式図がありましたが、恐らく一部に南大門を含むので「伽藍の造営に大仏様が用いられた」と表現しているのでしょうね。
なお大仏様というのは、規格が統一されていて短期間に建造できるうえに、大風や自信の揺れにも強い免震構造になっているらしいです。
資料文(4)
これは技術の特徴の話題ではなくて、頼朝の関わり方の話なので、設問Bで使いましょう。
答案例
日宋貿易を通じて来日していた技術を持つ商人や僧などを登用して頼ったため、大仏の鋳造や伽藍の造営には宋の技術が使われた。
教科書の知識として覚えるような、大陸の雄大さや、力強さ、などの要素を入れても良いと思います。
設問Bの解説
では、設問Bに行きましょう。
資料(1)(3)
頼朝の協力に関する記述ではないので、使用しないと判断して良いでしょう。
資料(2)
上述しましたが、奥州藤原氏と源氏がバリバリ対立していた時期の話で、双方が朝廷に寄付を送った内容が書かれています。
つまり、朝廷からの支持を取り付けようと金品を送ってアピールしていることが読み取れますね。
資料(4)
頼朝がメインキャラの資料文です。
1191年に周防国(山口県)の材木を東大寺に運搬するように地頭に命じています。言わずもがな、地頭とは御家人の一部ですから御恩と奉公の関係を結んだ人です。次に、畠山重忠や梶原景時ら有力御家人たちにも、責任をもって仏像や伽藍を造営するように命じています。
要するに、頼朝が御家人たちに命じて、東大寺の造営を手伝わせているのが分かりますね。地頭だけじゃなく有力御家人まで駆り出しているということは、かなり重視していたことが分かりますし、「有力御家人の責任で」と書かれていますから、お金を出して終わりとか、手伝ったという実績を作って終わり、というわけではなく、頼朝が前のめりになって造営に関心を寄せていたことが分かります。
「頼朝の権力のあり方に留意し」の条件について
さて、資料文を一通り見てきましたが、頼朝の権力基盤について明確にかかれた箇所はありませんでした。ということは、「頼朝の権力のあり方に留意し」という条件については、自分で考えて書かなければなりません。もちろん、頼朝の権力なら何でも書けば良いというわけではなく、問いに関係していることや、他の資料文に関係することを優先すべきです。
資料文(2)より
資料(2)では、頼朝が何度も多額の寄付をしていたと書いていますが、その目的は朝廷へのアピールでした。
とすると、頼朝が権力を握れているのは、あくまで朝廷に認めてもらわなければ権力を握れないという構造を受験生に思い出させたいのかもしれません。
重源が朝廷から再建の命を受けたのは1180年ですが、その時にはまだ頼朝は征夷大将軍ではありませんし、後白河法皇に東国の支配権を認めてもらう「寿永二年十月宣旨」も出されていません。つまりこの時は権力を握る闘争中です。
このあと頼朝は平氏や奥州藤原氏を倒して幕府を作って権力を握っていくわけですが、その際「征夷大将軍」に任命されています。
「任命されています」ということは任命した人が偉い、つまり朝廷の方が偉いわけです。本来日本を統治する権力を握っている朝廷から、統治する権力を預けられているから頼朝は権力を握っている、という構造です。
このように、資料文(2)からは「あくまで朝廷に認められて権力を握っている」という権力のあり方が関係すると考えられます。
資料文(4)より
次に資料(4)を見ると、御家人に手伝わせていることが書かれています。年号も1191年と書かれていますから、奥州藤原氏を平定して、一瞬だけ右近衛大将になった直後で、征夷大将軍に任命される直前です。後白河法皇から東国支配権はもらったことや、守護や地頭の任命権を得たことは、すでに整っています。
頼朝は御家人と御恩と奉公の関係を構築していますから、何か必要があれば御家人に命じて動かすことが出来ます。今回の東大寺の再建も奉公として手伝わせたと考えられます。とすると、頼朝の権力のあり方というのは、「御家人と封建的な主従関係である御恩と奉公の関係を結んでいること」だというのも読み取れます。
どちらを書くか
ということで、今資料文(2)と(4)から、頼朝の権力基盤について2つの内容を読み取りました。
どちらを書き込むかと言われると、どちらも使えそうではあるので、可能なら両方盛り込みましょう。片方しか入らないとすると2パターンの答案が出来そうです。人によっては「(2)の方が良い」「(4)の方が良い」と意見が分かれるところでしょう。
答案例
源平合戦中には奥州藤原氏に対抗し朝廷の支持を得ようとして金品を送って協力した。奥州合戦後には封建的主従関係を結んだ地頭や有力御家人に対し奉公として再建を命じることで協力した。
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