2026年(令和8年)東大日本史を当日解いたので、所感を書いてみた。〔難易度・講評・プチ解説など〕

敬天塾の塾長と講師が東京大学の二次試験当日(2026年の2月25日・26日)に入試問題を解いて、速報で所感を記した記事です。他の科目については、こちらにございます。

※当日の所感なので、今後の研究によって難易度などを変更する可能性もございます。

【科目全体の所感】

総合難易度 やや易

毎年、入試当日に記事を書くようになって、一番簡単だなと思いました。
資料から読み取れるストーリーがすぐに思いつき、あまり方向性がブレないような気がします。求められる知識も少なく、非常に東大らしい問題だと思いました。

一方、こうなると重要なのが記述力ですね。分かりやすく、端的に、論旨を明確に答案を書く力が差をつけるでしょう。
日ごろから暗記や理解中心の勉強ではなく、記述の訓練をしていた人にとっては、有利に働くと思います。

第一問 律令制下の女官における職務と政治権力との関係、またその変化

難易度 やや易~標準

律令制の女官の話ですから、受験生全員、ほぼ何もしらないでしょう。そういう意味で、フェアな問題だと思います。

問われているのは、「律令制における女官について、職務や政治権力との関係はどのようなものであったか。またそれは9世紀前半にどのように変化したか。」ということ。「職務」「政治権力」「9世紀前半」を気にしながら読むと良いでしょう。

資料1と2では女官が重要なポジションを得て、天皇に近いような重要な役目を担っていたことが書かれています。資料3では女官に務める重要ポジションが時の権力者の好みで決められていたことが書かれていますね。ちなみにここまでは全て奈良時代までの話とみなしてよいと思うので、9世紀前半より前の話です。
そして、資料4では最近ヘビーローテーションで登場する嵯峨天皇の時代。つまりちょうど9世紀前半の登場です。平城太上天皇の変(薬子の変)をきっかけに、嵯峨天皇が男性女官を自分の近くに仕えさせたということが書かれています。あの有名な「薬子」というのは、平城太上天皇の尚侍(女官が務める重要ポジション)をしていた藤原薬子だったのですね。この薬子による変をきっかけに嵯峨天皇が女官に仕事をさせるのをやめたとのこと。
そして資料5では女官には職務がなくなったことが書いてあります。

ということは、はじめ女官は天皇にとても近いような重要ポジションをしていて、政治権力によって人事が左右されたが、9世紀前半に嵯峨天皇が男性に置き換えてから、女官は職務を担わなくなった
というようなことを書けばよいのでしょう。
読み取りやすいストーリーで、論理もはっきりとしているので、非常に良問だと思います。難易度はそこまで高くないのかなと思います。

なお、女性の社会進出が謳われている昨今ですが、女性の社会進出が遅れたのには理由があるというようにも読み取れてしまいますよね。ちょっと時代を風刺しているのか、それとも嵯峨天皇を批判(薬子の変くらいで女性の仕事を奪うな)しているのか、みたいに勘ぐってしまいましたが、考えすぎでしょうか。多分考えすぎでしょう。

知識レベル:2
読解レベル:4
記述レベル:3
☆過去問重要度:2

※答案を作成する前に評価したものです。今後の考察によって変化する可能性があります。第2問以降も同様です。

第二問 中世の下人の子の所有権

難易度 やや易

テーマは中世の法について。
中世の法といえば、まず御成敗式目が重要ですが、これの一部が資料1に登場し、資料2の塵芥集と3の結城氏新法度は分国法です。なお、書かれているのは、別々の主人を持つ夫婦が子どもを産んだ場合の、子どもの所有権について(今でいう親権みたいなものでしょうか)です。
律令制ではどんな場合でも母方の主人のものにすると決まっていたそうですが(これは問いに直接関係ない)、御成敗式目(武士の法)では男子は父の主人のものにし、女子は母の主人のものとするように決められました。
資料2の塵芥集は御成敗式目と同じ内容で、資料3では「子が生まれた当初から届け出をして、成長に関する恩恵を受けている場合は」男子は父の主人、女子は母の主人のものにするべきだという「条件」が加わっています。

設問Aでは御成敗式目はどのような方針で制定されたか、資料1の内容を踏まえて1行ということなので、「律令より武士の法を優先するように制定された」と書くべきなのでしょうか。2005年の第2問では「律令とは矛盾しないように御成敗式目を作りました」という言い訳みたいな部分が登場したので、今回の問題とは別の方向性になってしまいますが。

設問Bでは、御成敗式目と分国法の関係について、2と3の内容を踏まえて4行とのこと。
塵芥集では御成敗式目そのまま。結城氏新法度では御成敗式目の一部を改訂した内容でした。しかしどちらも御成敗式目の内容を踏まえて考えられていることには違いありません。また結城氏新法度では、子の所有権の実態に無理が生じていることを根拠に改訂をしているため、「おおまかな方針は御成敗式目に従っているが、実態に即して適宜改正した」みたいな感じでまとめるのが良いのかな、と思いました。

なお、第1問につづき女性が登場する問題でしたね。

知識レベル:3
読解レベル:3
記述レベル:4

第三問 近世の山間部の年貢と経済

難易度 やや易~標準

信濃の清内路という山間にある幕府領の村では石高がそもそも設定されていない、という受験生の常識の外側から攻め込む問題です。
2004年の第3問で蝦夷地の問題が出ていますが、蝦夷は寒すぎて米が取れないので石高が設定できませんでした。清内路も理由があって石高が設定できなかったのでしょう。

この村の年貢は米ではなく御榑木(屋根用材)だったのですが、享保のころには周辺の木を伐採し尽してしまい、その後は金納に変わった、つまり米は払わなかったとのこと。特別扱いされていますね。米などの食糧は飯田という(おそらく近隣の)町まで行って買っているようで、清内路村ではタバコや炭焼き、木櫛の製造などが盛んだったと書かれています。タバコや炭焼きなどは売って換金するための商品作目と考えてよいでしょう。

設問Aは、清内路村に石高が設定されていなかった理由を答えるので、山の中で米が作れるような広い田地がない(作れない)から、というようなことが答えになるのでしょうか。地理でも、山間部では斜面が厳しいから大規模な田地や畑が製造できないとか、大型の機械が導入できないとか出てきますよね。そういうのをイメージしながら解くと日本史も深く理解できると思います。

設問Bは米を生産する農村と比較して経済面でどのような特徴を持ったか、ということなので、先述したとおり、タバコや炭焼き、木櫛など木を使って作れる商品を販売して生計を立てているというのが方針でしょう。木曽や飛騨、三河、遠江、甲斐にも出稼ぎに行っているようですから、かなり遠出していますよね。「日雇と書かれていますが、日帰りできるような場所で距離ではないので、単身赴任していたと考えてよいと思います。

なお、こんなことを書くと平井は余計なことばかり考えていると思われそうですが、鬼滅の刃を思い出しちゃいましたよね。第1話で炭二郎が町まで炭を売りに行きますが、まさに本問と似ています。まさか鬼滅の刃ブームを受けてこの問題を作ったなんてことはないでしょうけど。

知識レベル:2
読解レベル:2
記述レベル:3

第四問 戦中~高度成長期の女性の社会進出

難易度 標準

見た瞬間「また女性かい」と言ってしまいました。
教科書レベルには女性の話題が少ないですし、出てきたとしても浅いですし、女性の研究が進んでいるでしょう。問題作成には好条件がそろってますよね。

さて、問題のテーマとしては、女性の社会進出について。第1問とも近いテーマと言えるような気がします。第4問らしくグラフが登場し、戦中~戦後の話題が出るという、最近のトレンドですね。

設問Aの冒頭は「日中戦争から太平洋戦争にかけての時期」とのことなので、使う資料は1ですね。
資料1には、女性の就業者が増加して、機械工業や鉄道などで、女性の就労なしでは業務が成り立たない事業所が多くなったと書かれています。男性が戦争に駆り出されていたので、代わりに女性が働いていたという側面はあるでしょうが、女性の労働力を押し上げる要因になったのですね。なお、この時期の女性は未婚の若年層とのことです。

設問文によると「多様な職場で働く女性が増加していた」とありますが、終戦後になると「その動きは続かなかった」そうです。つまり女性の働く職場が多様化しなかったし、働く女性が増えなかったということでしょう。この理由としては、私が真っ先に思いついたのは、ベビーブームですね。戦争に行っていた男性が帰ってきて家庭を作るようになり、子どもがたくさん生まれたのが(第一次)ベビーブームです。資料1には女性に対する情報として「若年者」だけではなくて「未婚の」とありますから、ベビーブームを匂わせているような気がしてしまいます。あとは、そもそも財閥解体や軍需産業の衰退など、職場自体が減ったこともあるでしょう。

設問Bは高度成長期に関する問題ですね。
女性の働き方にどのような変化があったか(+その背景)という問いに注目して、資料2~4とグラフを使います。

まず、資料4とグラフを見ましょう。
高度成長期は55~73年を言いますから、グラフに示されているのはほぼ高度成長期の最初と最後です。女性の25~34歳の労働力は低下してしまっています。一方男性の労働力率は95%を超えていますから、男性はほとんど働いています。これを踏まえて、資料2と3へ。

資料2には産業が高度化して、農村から都市に人口移動したこと、自営業者や自営業者の手伝いが減り、官公庁や民間企業などに雇用される人が増えたことが書かれています。この中には女性も含まれているでしょうが、主人公は男性だと考えるべきでしょう。男性は実家から出て都市で働き稼いでいたということです。

資料3では、家族手当の支給拡大が書かれています。資料4で、男性の労働力率は95%あったと書かれていて、女性は25~34歳で低下していたと書かれています。つまり、家族を経済面で支えるのは男性で、女性は扶養に入って家事や育児をしていたと考えるということでしょう。配偶者が無職か少額の収入しか得ていない場合、老齢年金が増額になるとも書かれているので、やはり女性が家庭に入ってほとんど仕事をしない、という状態を政府が後押ししていたということです。

こう考えると、男性が働く、女性は家を守るという(今となっては古い)ロールモデルが形成されてきた様子が伺い知れますね。最近はこのような話題に触れることが多くなってきたので知っていた人も多いでしょうが、実際に東大がグラフを添えて出題すると影響は大きいのかなと思います。
最後に邪推のコーナーですが、高市さんが初の女性総理になりましたから、そこから着想を得て第4問(もしかしたら他の問題も)作ったのかもしれないなと思いました。

知識レベル:3
読解レベル:3
記述レベル:3

他の科目については、こちらのページにリンクがございます。

 

最後に

上記の記事は、敬天塾の塾長が執筆しています。
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映像授業【東大日本史】

 

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