2026年(令和8年) 共通テスト本試 国語第5問 漢文『松陰快談』現代語訳

現代語訳を作成しました。古文『うつほ物語』の現代語訳はこちら。

このページの内容は、学校や塾でプリントして配っていただいても構いません。
その際は、敬天塾のロゴを取らないようにお願いします。
(現代語訳のテキストをコピペされる際は、「敬天塾の現代語訳」と明記してくださいませ)

本文と現代語訳の併記(JPEG)

本文と現代語訳の併記(PDF)

R8(2026)年本試 漢文『松陰快談』現代語訳

現代語訳

【本文】

 ある客が私に問うて言った。「あなたは詩を学ぶにあたって、唐詩を手本としているか、あるいは、宋詩を手本としているか。」(私は)答えた。「私は必ずしも唐詩を絶対視しないし、必ずしも宋詩を絶対視しない。また、必ずしも唐詩や宋詩を学ばないのでもない。注目したまえ、不必の二字、これが私の主要な見解だ。」と。

 蘇軾はこう言っている。「詩を作るにあたり、『このような詩でなければならない』とする人は、(その人は)決して(真の)詩人ではない。」(これこそ、)見識のある言葉だと言うべきだ。私見では、世の詩人たちの潮流を見ると、詩の上手さ・下手さを問わず、同じ考えの者をひいきして、異なる考えの者を攻撃し、怒って争うのはまるで狂っているかのようだ。これは見識の狭さによってそうさせられているとはいえ、なんと愚かなことであろうか。

 言葉を尽くして新井白石や服部南郭を罵倒して、彼らの詩を「偽物の詩だ」とみなしていた人がいた。私は、その(人自身の)詩を見せてくれるように求めた。(するとその詩は)主題の立て方が陳腐で、ただ見慣れない字や言葉多く用いて、それによって自分の下手さを隠しているだけのものだった。私はそこで、こう言った。「白石や南郭は確かに『偽物の詩』を作っており、あなたは確かに『本物の詩』を作っている。しかし、あなたの詩は、たとえるなら『本物の素焼きの器物〔=価値のないもの〕』だ。(それに対して)あの二人の詩は、たとえるなら『偽物の玉〔=美しい宝石の模造品〕』だ。本物の素焼きの器物の価値は、偽物の玉よりもはるかに下にある。」

【資料】

私は詩に関して、作風の好みが偏ることはありません。
その詩風が同じか違うかを問わず、優れたものはそれを(優れていると)評価する。
ただし、表現が未熟でかたい感じがしたり、稚拙で低俗だったりして、(その詩を)朗唱すると、気品や風情が感じられないものは、名声の高い人物の作品だと言われても、私は(優れていると)評価しない。

【さらに深く学びたい方のために】

敬天塾では、さらに深く学びたい方、本格的に東大対策をしたい方のために、映像授業や、補足資料などをご購入いただけます。
ご興味頂いたかたは、以下のリンクからどうぞご利用下さい。

映像授業コース【東大古文・漢文】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)