全集中「合格の呼吸」捌ノ型 〜「捨」てて「拾」え〜【毎月10日掲載】

試験を受けているとき、ある1科目でつまづいたせいで、動揺したり戦意を喪失したりすることがある。

東大受験ともなれば、腕に覚えのある猛者が全国から集うわけだ。東大側も、そんな猛者たちに良い気持ちで問題を解いてもらおうとは思わない。あらゆるところに、「地雷」を敷き詰め、受験生を蹴落とそうとしてくる。なぜなら、これは何点とったら全員合格という資格試験ではなく、合格者数が定まった選抜試験だからである。

己の能力に自惚れる者ほど、解けない問題が1つでもあると、動揺し、冷静さを失う。勝負事において冷静さを失った者は負ける。

そして、ここに、番狂わせが生じる理由が隠されている。能力が高い者が順当に受かるのではない。その場の状況に適応できる者が受かるのだ。冷静さを失わず、限りある時間資源を、解ける問題に投下することができた者が勝利を掴むのである。

ゆえに、一旦「捨」てて、余った時間で解けそうな問題を「拾」いにいく姿勢が、合格者に求められる重要な資質だと言えよう。

こうした姿勢を保つには、ある考え方を持つとよい。

皆さんの二次試験の目標点は何点だろうか?

センターでの持ち点が圧縮換算88点(8割720点)だとして、仮に 270点(/440点)としよう。

受験生は皆、このように考える。勉強している時も本番でも、270取らなきゃ!だから完璧にしなきゃ!と。

確かにその通り。入試直前期に近づけば近づくほど、精神戦。妥協との闘いになるわけだから、もっともっとガーーーっっっと勉強しなくてはならない…と考えるわけだ。

それは全国1万人の東大受験生、みんなが分かっていることだから何をいまさらと思うだろう。

だが、270点を取ろうという思いが強すぎると、焦りが生まれ、自分への苛立ちで暗記効率や脳の回転が落ちることがある。これは試験場でもである。

模試を受けたとき、ある教科・ある大問が出来なさすぎて心が折れてしまったことはないだろうか。その結果、その後の科目を冷静に解くことができなかったことはないだろうか。帰路の途中や家に帰ってから見返すと「これ、解けたのに!」と嘆いた経験はないだろうか。

もし一度でもこうした経験があったなら、今日のアドバイスが役に立つかもしれない。

入試では全科目、全大問、全設問が難化することは決してありえない。バランスがとられているのだ。科目の中でだって、大問全てが難化することはありえない。

だが、多くの人は、そうした当たり前とも言える判断を試験場でできないのだ。それも実力のうちと言ったらおしまいではある。なぜなら、できないことをできるようにするのが戦略なのだから。

そこで、今日お伝えしたいことは、発想の逆転だ。270点を取ると考えるのではなく、どこで170点落とすかと考えてみるのだ。270点取ることと同じことのように見えて、同じではない。

たとえば国語。古文が激ムズになっていたとしよう。直ちに漢文や他の大問にスライドするプランを構築しているだろうか。あるいは、極端な話、ここで30点落としてもいい….どうせどこかで難易度調整されているだろうし….他で取れればNo Problemと割り切り他の大問を片付ける場面を脳内シミュレーションしているだろうか。

このように、試験場でのリスクを事前に想定していれば、心に「ゆとり」がうまれるのだ。「ゆとり」がうまれると、心に「春」が訪れる。そうして最後にもう一度読み返すと案外解けたりするものなのだ。

入試というものは、人生にも似る。限られた時間の中には、冬もあれば春もある。夏もあれば秋もある。

試験のとき、ガンガンにテンポよく問題が解ける「夏」もあれば、ちょっとしたひねりを前に少し戶惑う 「秋」もある。まったく手が出ず心が凍てつく「冬」もある。

大切なのは「春」の到来なのだ。雪解けを感じさせてくれる「春」の訪れは心の持ちようによってもたらされる。

「大丈夫! 落ち着け! こんなことが過去にもあったじゃないか。こういう時は一呼吸置こう。別の問題にトライしよう。大丈夫。170点は捨てられる。どこで捨てるか判断するのがポイントだもんね。1科目以上まるまる捨てられるんだ。ここまで頑張ってきたんだもん。落ち着け、私。私にならできる。」と。

もちろん、ぶっつけ本番で、そんな器用なことはできないと嘆く人もいる。だ・か・ら・こ・そ、模試を受けたり演習をするわけだ。

模試はA判定を取って自己満足に浸るものでもE判定をとって落胆するものでもなく、不足知識や弱点分野の気づきを与えてくれる機会であり、極限状態における自己コントロールを修練する機会に他ならない。

東大入試は2日連続で行われる。よく、1日目のことは気にせず2日目に気持ちを切り替えてと言われる。これは詰まるところ、どこで170点を落とすか考えよということに他ならないのだ。

「点数」をカードだと考えても良いだろう。いま、440枚のカードを持っていたとする。どのタイミングで170 枚を捨てるかは相手プレーヤー(=入試問題)の動き次第なのだ。

オセロだって、将棋だって、駒を取られないようにしすぎると大局を見失い敗戦してしまう。守るべき「玉(ぎょく)」を第一に考え、捨て駒をつくることは勝利の常套手段である。

入試も全くもって同じなのだ。これが入試は精神戦であり、戦略がものをいうと言われる所以でもある。歴史の話をここで少し。

圧倒的劣勢に立たされた状況を前に皆が絶望し、「この状況をどうすることもできません。我々は全滅するほかありません」と皆が口を揃えて司令官に叫んだとき、
その司令官は、こう言い放った。

“ Circumstances?

What are circumstances?

I make circumstances.”

彼だけは希望を見出していたのだ。それは願望ではなく戦略ゆえの必然。この発言の通り、彼は自分に有利な状況を創出。絶対的劣勢を覆し、アウステルリッツの三帝会戦で華々しい勝利を飾った。世界史選択者にならわかるだろう。そう、彼の名はナポレオン・ボナパルト。

話は変わって、フィギュアスケートの羽生結弦選手。試合の前には1000回近くイメージトレーニングをするそうだ。万が一、4回転ルッツで失敗したら、た・だ・ち・に、3回転を2回入れよう、もし3回転でもコケたら、演技力で勝負しようなど細かにシミュレーションをしてゆくのだそうだ。

一本の矢に全ての思いを込めるためには、その前段階で血の滲むような鍛錬とシミュレーションがなされねばならない。いま皆は必死になって勉強している。ここにシミュレーションという名のリスク戦略が伴えば、東京大学合格は必然のものとなろう。

時間に限りはある。人間の持久力にも限りはある。だからこそ、それら資源をどこに投下するのが総合得点を上げることに資するのか戦略を練ることが大切なのだ。

It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change. Darwin

ダーウィンは、適応できる者が生き残ると説いた。この理は、入試においても通ずる。「考え方」を変えよ。さすれば、希望の光がきっと差し出づるだろう。

「捨」てて「拾」え。

ぜひ、今日から実践していただきたい。

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