2025年東大世界史(第一問)入試問題の解答(答案例)と解説

 

東京大学2025年 世界史第1問 問題

2025世界史第1問

設問(1)の解説

昨年に引き続き、今年の東大文系入試でも話題を呼んだ東大世界史第1問の解説を始めたいと思います。
全体的な概況については、入試当日に作成した速報記事を先ずはご一読いただけると幸いです。

2025年(令和7年)東大世界史を当日解いたので、所感を書いてみた。

2024年度の第1問に引き続き、2025年度も20世紀の歴史にフォーカスがあてられました。
19世紀以前にヤマを張っていた受験生はきっと涙目だったことでしょう。

速報記事でも申し上げた通り、良問の宝庫と呼ばれる90年代の過去問の中核をなす1997大論述の焼き直しとも言える問題で、過去問探究をしてきた受験生には既視感のある問題だったはずです。
とはいえ、東大教授もそのあたりは想定済みだったのでしょう。

「国民統合」や「連邦制」や「委任統治」といった盲点となりがちな指定語句を本年度では盛り込んできていますので、1997の解答例を丸暗記しただけでは太刀打ちできなかったはずです。

さて、今年度の問題を前にしたとき、私は美しさすら覚えました。
と申しますのも、2024大論述と2025大論述を横並べしてみると、見事に20世紀の見取り図が浮かび上がってくるのです。

おそらくは、場当たり的に作問したのではなく、この珠玉の2問を連続して出題することを数年前から構想されていたように思うのです。

ナショナリズムの嵐が世界中を駆け巡るなか、ユーラシアを支配していた四つの帝国が崩壊し、多くの国民国家が誕生しました。
大国に抑圧されていた民族からすれば、憎っくき帝国が崩壊し、万々歳になったと思われるやもしれません。

ですが、残念なことにハッピーエンドにはなりませんでした。
そもそも、一民族のみで構成される国家は存在し得ません。
それにもかかわらず、一民族一国家を謳う国民国家が世界中に誕生するなか、かえって少数民族問題が先鋭化し、ファシズムやナチズムを生み出す遠因ともなりました。
多民族・多宗教国家の解体は、壮絶な内戦や反乱をも伴うことが多く、その影響は21世紀にはいってもなおのこと残っています。

現代世界で巻き起こる紛争の原因を紐解くと、多くは西欧列強による帝国主義政策に元凶があることに気付かされます。
2025大論述では大陸国家が崩壊し後継国家に受け継がれていく1910〜1920年代にのみフォーカスがあてられていますが、話はそこで完結せず、大国に翻弄された地域や民族の悲劇は第二次世界大戦など後世にまで受け継がれています。
そうした禍根の一端を問うたのが2024大論述でした。
ぜひ当該年度の解説記事も併せてご覧ください。

2024年東大世界史(第一問)入試問題の解答(答案例)と解説

さらには、20世紀初頭の帝国崩壊に先立って世界中で巻き起こった反帝国主義運動についても、併せて見直しをしておきましょう。

いかがでしょうか。東大過去問が有機的に連関していることに気付けましたでしょうか。
過去問分析チャートを入試当日の所感記事でもご紹介いたしましたが、ぜひご活用ください。
一見して、無秩序に並んでいるだけの過去問も、実は特定の切り口で整理することで歴史を鳥瞰する最高のテキストになるのです。

本問に絡めて申し上げるなら、1985大論述〜2025大論述(1997大論述)〜2024大論述(2012大論述)を横に並べて見つめ直すことで、東大教授陣が受験生に訴えている壮大な世界史の見取り図が浮かび上がってくるはずです。
敬天塾の授業では、必ず1985大論述と2012大論述を授業で扱っています。
それは、駒場の教授陣が熱く語ってくださった歴史観を生徒たちに共有するのに適した問題だと考えているからです。
ご興味のある方は、以下の授業もぜひご参照ください。

映像授業【東大世界史 大論述対策講座1】1985年第1問〜反帝国主義運動〜

映像授業【東大世界史 大論述対策講座10】2012年第1問〜植民地政策と独立過程〜

さて、本問の詳細な分析検討に移るとしましょう。
まずは形式面ですが、昨年に引き続いて600字級の大論述が消えてしまったことには寂しさを覚えた受験生もいらっしゃるやもしれません。
ですが、2024大論述解説記事の中でも申し上げました通り、2問構成に変化したように見えて、本質的には1問構成と何も変わらないと私は考えています。
採点しやすくするために2問構成にしたのかもしれませんし、
1問構成ですと白紙答案ばかり出してくる受験生が多いことにうんざりして2問構成にしたのかもしれません。

ただ、いずれにせよ、書くことの中身は従来となんら変わりがないのではないかと思うのです。

 

つぎに、中身についてです。まず問(1)です。
1997大論述を過去問分析された方であれば、オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国は第一次世界大戦の敗北で連合国に解体させられ、ロシア帝国と清は革命によって体制が崩壊したことを瞬時に分けられたはずです。
その上で、前者は支配領域や民族別人口構成が大きく変わり、後者はあまり変わらなかったと書けば瞬殺できるじゃないかと思われた受験生も多かったことでしょう。

ですが、先にも申し上げたと通り、指定語句が意外に厄介なのです。
「国民統合」や「連邦制」をどこで使えばいいのか悩んだ受験生も多いと聞きます。

さらには、「ドイツ人」という指定語句も、「人」がついている分、使い方に悩んだ方も多かったのではないでしょうか。
よくもわからず、指定語句をテキトーに使おうものなら事実誤認を犯し容赦ない減点を食らってしまいます。

大論述とは言っても、正確な知識が頭に入っていることが前提です。
ときどき、「私は、大論述は好きなんですけど、第2問や第3問は苦手です。」と仰る受験生がいますが、中論述が解けないのに大論述で高得点を狙うのは不可能だと私は考えています。

 

さて、巷では、本問は1997大論述を知っていれば、あとは単なる知識問題で、「オーストリア=ハンガリー帝国は解体され、オーストリア共和国になり〜。オスマン帝国は解体され、トルコ共和国になり〜。ロシア帝国は革命でソヴィエト政権に取って代わられ〜。清は革命で中華民国に取って代わられ〜。」といった具合に知識を羅列するだけで高得点が取れる問題だと評価されています。

まあ、きちんと正確な知識を詰め込んだ答案を仕上げられたなら、相対評価上では高評価になること間違いなかったでしょう。
大論述自体は苦手だけれども、知識丸暗記では誰にも負けないと自負されている受験生にとっては、この設問(1)はラッキーに思えたかもしれません。

ただ、「絶対評価」という意味で捉えたとき、果たして、360字という規定字数に後継国家の国名をツラツラ書き連ねることを東大教授が要求しているのかは疑問に思えたのです。

そこで、1時間ほどでザックリと答案を3案書いてみました。
私が受験生なら、この答案のいずれかを提出していたと思います。

もっとも、時間無制限であれば、文献にあたってもっとスタイリッシュな答案を紡ぎ出せるとは思うのですが、受験生が教科書や過去問探究のなかで紡ぎ出せる範囲の解答をご紹介した方が学びが大きいと考え、敢えて全力答案の一歩手前で踏み留めました。
拙い内容かもしれませんが、ぜひご笑覧ください。

巷とはかなり異なる答案例その1

第一次世界大戦敗北で支配領域の大規模解体に至った国家群と、革命で体制が崩壊するも新たなイデオロギーや政策のもと支配領域をほぼ維持した国家群に大別できる。前者として①オーストリア=ハンガリー帝国②オスマン帝国が、後者として③ロシア帝国④清が挙げられる。①は領内諸民族の離反で解体するなか、連合国の政治的思惑のもとドイツ人の小国家に不本意に継承された。②は戦勝国に支配領域を解体されたのち革命で崩壊し、トルコ人による後継国家に移行した。③はロシア革命で倒されたのち、社会主義の理念のもとソヴィエト政権が(名目上の)連邦制を敷くことで多民族の統合を図り大半の支配領域を維持した。④は辛亥革命で崩壊したのち、中華民国が五族共和のもと国民統合を目指し、独立を図ったチベットなど少数民族には自治を付与するなどして支配領域の維持に努めた。(360字)

巷とはかなり異なる答案例その2

第一次世界大戦に敗れ、連合国の政治的思惑のもと支配領域を分割された結果、従来の支配民族のみで国民統合された小国家に移行した大陸国家群と、帝国内部の革命・内戦を経たのち、新たなイデオロギーのもと、多様な民族を繋ぎ止め支配領域の維持に成功した大陸国家群とに大別される。前者としては、オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国が挙げられ、一民族一国家(なる虚構)が是とされる潮流のなか大戦敗北を経て民族自決等を名目に支配領域は大幅に縮減され、それぞれドイツ人・トルコ人の国民国家に継承された。残る2国は後者に分類される。則ち、ロシア帝国はソヴィエト政権が継承し、社会主義や反帝国主義を理念に連邦制を敷いて多民族の包摂を目指した。清は中華民国が引き継ぎ、チベットなど少数民族との共和を旨とする中華民族なる概念を掲げ領土維持に努めた。(360字)

巷とはかなり異なる答案例その3

ロシア帝国と清は革命・内戦で崩壊し、後継国家は新たなイデオロギーのもと、多様な民族を繋ぎ止め支配領域の維持に成功した。則ち、前者はロシア革命で倒されたのち、社会主義の理念のもとソヴィエト政権が連邦制を敷くことで多民族の統合を図り大半の支配領域を維持した。後者は辛亥革命で崩壊したのち、中華民国が五族共和のもと国民統合を目指し、独立を図ったチベットなど少数民族には自治を付与する等して支配領域の維持に努めた。以上の国家群とは異なり、第一次世界大戦の敗北で、連合国の政治的思惑のもと解体され大半の領土を失い、従来の支配民族のみで国民統合された小国家に移行した大陸国家もあった。則ち、オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国である。前者は民族自決原則で解体されドイツ人の小国家に移行し、後者はトルコ共和国に継承された。(358字)

 

いかがでしたでしょうか。
この答案を紡ぎ出すまでに私が考えた思考プロセスを申し上げます。

まず、設問文を再掲します。

共通の課題を抱えていた4つの大陸国家は, 1910年代から1920年代にかけて後継国家に移行していく。その際に, 支配領域や民族別人口構成の面で, 大きな変化があった場合とそうでない場合があった。これらの点に着目して, 4つの大陸国家の変容を, 2つの類型に分けて, 12行以内で記述せよ。その際, 以下の4つの語句を必ず一度は用い, その語句に下線を付すこと。

                     国民統合         チベット         ドイツ人          連邦制

この問題で要求されていることは、

① 支配領域や民族別人口構成の変化の有無に着目して、4つの大陸国家を2つに類型化すること

② 指定語句を用いて、使用箇所に下線を付すこと

③ ①の内容を踏まえて、4つの大陸国家の変容を説明する。

です。

1997大論述をしっかり過去問探究された方は、①は難なくクリアできるでしょう。
②については、答案構成によって使用箇所にバリエーションが生まれそうですが、「国民統合」や「ドイツ人」の使い方には苦慮された方も多いと思います。
ですが、肝心なのは③のはずです。
①だけでよければ360字も必要はありません。
①が中核で③はオマケなのでしょうか。③では「変容」について書き記せと要求されているところ、問1の設問文だけ読んでいたのでは、「支配領域」や「民族別人口構成」が変わったことだけ書けばいいと勘違いする危険性もありました。

ここで、忘れてはならないのがリード文の存在です。

リード文では、「これら4国は、版図を統合する強力な政治体制や軍事力をもつ一方で、脆弱性も抱えており、いずれも20世紀前半に大きな変容を迫られた。」とあります。
その結果として、「支配領域や民族別人口構成」が大きく変わったに過ぎず、肝心なのはリード文で明示されている変容の中身です。

広大な領域を支配している以上、帝国には多様な民族や宗教が混在しています。
彼らを束ねるだけの統治の正当性(理念)や政治の仕組み、あるいは強力な軍隊の存在がなければ、帝国を維持することなどできはしません。
19世紀に入ると、イギリスやフランス、ドイツや日本といった国民国家が経済的・軍事的に力をつけるようになりました。
2025大論述で紹介された旧来の帝国は、これらの国々を前に負け戦を強いられることになるのです。
クリミア戦争やアヘン戦争、日清戦争や日露戦争を思い浮かべてみてください。

統治の正当性(理念)という点でも、1700年代であれば「宗教」を盾にすればよかったのかもしれませんが、ナショナリズムの嵐が帝国領内に吹き荒れる中、それだけでは多民族を束ねることは困難になってきたのです。なお、宗教と政治権力との関係については、2009大論述も併せてチェックしましょう。

では、広大な版図を統合するものは何でしょうか。
それを見つけられなかったからこそ大陸国家は崩壊したとも言えます。
オーストリア=ハンガリー帝国やオスマン帝国は第一次世界大戦での敗北を機に連合国の外圧で解体されましたが、帝国の崩壊は一次大戦敗北がなくとも時間の問題だったようにも思えます。
19世紀末から、治下で盛り上がるナショナリズム運動に対抗すべく、ドイツやトルコという民族アイデンティティを押し出した政策を展開しましたが、これが失敗だったことは周知の事実です。

それに対して、ロシア帝国と清は、帝国内部の革命によって倒されました。
ただ、これだけ巨大な帝国を継承する国家に支配領域を統合する理念やイデオロギーがなければ、すぐさま激しい内戦や反乱に見舞われることは目に見えています。
ともなれば、この2つの国を引き継いだソヴィエト政権と中華民国が広大な領域を維持できたからには多民族を束ねるだけの策があったはずです。
東大教授は、それを考えてくれと本問で要求しているのです。
それゆえに、本問は単なる1997大論述の焼き直しではなく、1997をより一層進化させた応用問題だといって良いのです。
赤本や青本の解答例を丸暗記だけして過去問探究したと満足していた受験生にとっては酷な一問だったかもしれません。

なぜ、「連邦制」と「国民統合」を指定語句にしたのか。
気まぐれで指定語句は選んでいません。
必ず理由があってチョイスしているのです。
出題意図を探ってくれと言っているわけですね。
「国民」統合できるだけの強力な理念が何なのか考えてくれと東大教授は指定語句に想いを込めているわけです。

その上で、私は、以下のような表を作成いたしました。
この表とにらめっこしながら、答案構成を考えたのです。
なお、このような比較表を通じて答案骨格を考える方法については、2022に東大側が発表した作問意図でも詳述されています。
2022大論述の解説記事でご案内しておりますので、ぜひご参照ください。

2022年東大世界史(第一問)入試問題の解答(答案例)と解説

いかがでしょうか。このように考えますと、設問(2)と設問(1)とが実は有機的に連関していることに気付けるはずです。
(1)で帝国が解体した背景を概観させた上で、連合国は本当に抑圧されてきた民族を解放する正義の騎士だったのかを考察させるべく(2)が用意されているわけですね。
このように考えると、本問は360字+240字の2問構成にはなっていますが、実質的に600字大論述だと看做すことも可能なのではないかと感じています。

もっとも、「いやいや、それは考えすぎでしょう」という御意見も十分に考えられると思うので、ぜひ本稿を叩き台に、より良い案や思考プロセスををコメントしていただけると励みになります。

なお、帝国や大国同士をある特定の切り口から比較させる問題は東京大学が好んで出すところです。
近現代におけるユーラシアの帝国としては、日本・清・ムガル帝国・ロシア帝国・オスマン帝国・ハプスブルク帝国・ペルシア帝国(サファヴィー朝)あたりも周辺知識を整理しておきたいものです。これらをいくつか組み合わせて問題をつくることは、よくあります。
土地制度や宗教や軍事制度などを軸に比較させる問題は頻出です

設問(2)の解説

では、引き続き、設問(2)に移りたいと思います。まずは、設問文の確認です。

(2)これらの大陸国家の変容に際して, 国際社会では新たな原則が提唱され, 大きな影響を与えた。その原則と, 原則の適用をめぐる事情について論じた上で, オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例について, 8行以内で記述せよ。その際、以下の4つの語句を必ず一度は用い,その語句に下線を付すこと。

       委任統治         ウィルソン        チェコスロヴァキア       平和に関する布告

まず、問われていることを確認しましょう。則ち、

①大陸国家の変容に際して提唱された新たな原則の正体

② 当該原則の適用をめぐる事情

③ オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国における事例の紹介

本問は、教科書などを読み込んでいる受験生にとっては、さほど難しくはないともいます。
差がつくところは③で求められている個別具体的な事例の紹介ができるかどうかだと思います。
民族自決という言葉は知っていても、オスマン帝国には適用されなかったことなど意外に盲点だったかもしれません。

教科書では、

ドイツの旧植民地やオスマン帝国の領土を国際連盟の委任統治という形で分配し、民族自決の原則は東欧にしか適用されなかった。
(東京書籍世界史探究p306)

敗戦国ハンガリーは、領土の71%を失い、多数のハンガリー人が周辺のルーマニアやチェコスロヴァキアなどに少数民族として取り残された。独立を達成したチェコスロヴァキアには、ドイツ人が多数住むズデーテン地方がとりこまれた。
(東京書籍世界史探究p306)

のように記されています。このあたりを端的にまとめれば、答案骨格はすぐに出来上がるはずです。
それでは、解答例を2つ示したいと思います。

解答例その1

民族自決の原則はソヴィエト政権が平和に関する布告で唱えたもので、米国のウィルソンが提唱した14ヵ条の平和原則でも謳われた。だが、第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制下で、アジアやアフリカに多くの植民地や利権を持つ連合国はこの原則を東欧にのみ恣意的に適用した。たとえば、オーストリア=ハンガリー帝国の後継国家はドイツとの統合を制限され、ドイツ人が多く住むズデーテン地方のチェコスロヴァキア編入も黙認された。オスマン帝国領は委任統治名目で英仏に植民地支配される等そもそも適用除外された。(240字)

解答例その2

大国に抑圧された諸民族解放の推進力ともなった民族自決の原則は、ソヴィエト政権が平和に関する布告で唱えたもので、アメリカのウィルソンが提唱した14ヵ条の平和原則でも謳われた。だが、第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制下で、アジアやアフリカに多くの植民地や利権を持つ連合国はこの原則を東欧にのみ適用し、恣意的に解釈運用した。ドイツ人が多く住むズデーテン地方のチェコスロヴァキア編入の黙認や、オスマン帝国領だったアラブ人地域を委任統治名目で実質的に連合国が植民地支配したことが好例である。(240字)

最後に、本稿の冒頭で、今年の第1問の(1)と(2)は有機的に連関していると申し上げました。
せっかくですから、大論述風に、この(1)と(2)の解答例を繋ぎ合わせた答案を示してみたいと思います。

総括

(1)と(2)の解答例を繋ぎ合わせた答案

ロシア帝国と清は革命・内戦で崩壊し、後継国家は新たなイデオロギーのもと、多様な民族を繋ぎ止め支配領域の維持に成功した。則ち、前者はロシア革命で倒されたのち、社会主義の理念のもとソヴィエト政権が名目上の連邦制を敷くことで多民族の統合を図り大半の支配領域を維持した。後者は辛亥革命で崩壊したのち、中華民国が五族共和のもと国民統合を目指し、独立を図ったチベットなど少数民族には自治を付与するなどして支配領域の維持に努めた。以上の国家群とは異なり、第一次世界大戦の敗北で、連合国の政治的思惑のもと解体された大陸国家もあった。則ち、オーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国である。第一次世界大戦のヴェルサイユ体制下で、前者には防共目的で民族自決原則が適用され多くの諸民族が独立を果たしたが、後継国家はドイツとの統合を制限され、ドイツ人が多く住むズデーテン地方のチェコスロヴァキア編入が黙認されるなど、同原則は連合国によって恣意的に解釈運用された。後者はそもそも同原則が適用されず、戦勝国に支配領域を委任統治などの形で解体され、最終的に革命で崩壊しトルコ人による後継国家に移行した。(487字)

追記

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共通テストや私大入試では測れない、歴史をマクロで捉えられる思考力を東京大学は受験生に問うているのです。

① 『20世紀の歴史』(岩波新書) 木畑 洋一 東京大学名誉教授

② 『いま、なぜ民族か』(東京大学出版会)   蓮實 重彦 東京大学第26代総長  山内 昌之 東京大学名誉教授

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東大世界史における文化史の切り口

大論述指定語句にみる東大世界史 

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