2024年東大世界史(第一問)入試問題の解答(答案例)と解説

問題

設問(1)の解説

今年の東大文系入試で最も話題を呼んだ東大世界史第1問の解説を始めたいと思います。
全体的な概況については、入試当日に作成した速報記事を先ずはご一読いただけると幸いです。

2024年(令和6年)東大世界史を当日解いたので、所感を書いてみた。

速報記事でも申し上げましたが、本年度の問題は新しもの好きの東大が世間に新課程の内容を啓蒙するために出題したと推測しています。
東大は2020年にも資料読み取り型の問題を出題しています。
そこでは、歴史総合の教科書の探究コーナーでも問われていた近代東アジアの国際秩序の話がそのまま問われていたのです。
詳しくは映像授業もご参照ください。

今年度の問題については、新設された世界史探究の教科書に載っていた、SDGs関連の論点を東大側がチョイスしたものだと言えましょう。
まさしく2020年度入試の再来です。
東大の入試問題は、受験生に限らず、学校関係者や塾の先生、受験とは無縁の人までもが目にするものですので、注目度抜群の宣伝広告にもなります。
本年度の東大英語2B和文英訳がまさにそれです。

2024年東大英語(第2問B 和文英訳)入試問題の解答(答案例)・解説

本問を通じて、世界史学習のあり方を根本的に変えるよう東大教授陣は受験生に促しているように思えてなりません。

ただ、現役生泣かせの戦後史から出されたこともあり、白紙答案が続出したと風の噂で耳に入ってきています。
そうした事態を東大教授は想定し、第2問(中論述)の難易度を思いっきり下げ、なんとか平均点を例年並みにしようと意図されたのでしょう。
そんなエゲツない問題を第1問で出すなよと思われたやもしれません。
ですが、厳しく申し上げれば、今年度の問題は想定の範囲内にしておくべきでした。
東大は2016年に1970〜1980年代にフォーカスをあてた大論述を出してきていますし、2012年の第1問では植民地政策の独立過程への影響という本年度の問題に通ずる出題をしてきています。
その他にも、過去問探究をしていれば1960年代だけが未だに大々的に問われていなかったことは明白でした。
この間隙をいつ東大が狙ってもおかしくはないと塾生には再三問うてきましたが、まさにドンピシャで当たったわけです。

さて、本問の中身に移るとしましょう。
大々的な傾向変化が2024年度入試で起こりうることは直前期の特集記事でも申し上げていたところでしたが(https://exam-strategy.jp/archives/7383)、600字級の大論述が消えてしまったことには寂しさを覚えました。
正直なところ、90年代のようなワクワクする問題をつくってほしいと東大世界史部会の教授方々には願っておりましたので、ツマラナイ印象をはじめ覚えました。

ただ、実際に解いてみると、私の深読みかもしれないのですが、意外に趣深い問題かもしれないぞと印象が変わってきたのです。
たとえば、設問(1)。巷では、これは単なる知識問題で、「アルジェリアはフランスから〜。コンゴは、ベルギーから〜。パキスタンはインドとカシミールを巡って〜。ベトナムでは〜。」といった具合に知識を羅列するだけの面白みのカケラもない駄作だと評価されています。
白紙答案が続出していた状況で、きちんと正確な知識を詰め込んだ答案を仕上げられたなら、相対評価上では高評価になること間違いなかったでしょう。
大論述自体は苦手だけれども、知識丸暗記では誰にも負けないと自負されている受験生にとっては、この設問(1)はラッキーに思えたかもしれません。
戦争の名前や地域の名前を正確に書きさえすれば点数がもらえると思ったでしょうから。

ただ、「絶対評価」という意味で捉えたとき、果たして、360字という規定字数に指定語句の国で起こった戦争名をツラツラ書き連ねることを東大教授が要求しているのかは疑問に思えたのです。
そこで、1時間ほどでザックリと答案を実際に3案書いてみました。
私が実際に受験生なら、この答案のいずれかを提出していたと思います。
もっとも、時間無制限であれば、文献にあたってもっとスタイリッシュな答案を紡ぎ出せるとは思うのですが、受験生が教科書や過去問探究のなかで紡ぎ出せる範囲の解答をご紹介した方が学びが大きいと考え、敢えて全力答案の一歩手前で踏み留めました。
拙い内容かもしれませんが、ぜひご笑覧ください。

巷とはかなり異なる答案例その1

植民地が傀儡国家ではない真の独立を得るまでには①分断統治や経済的従属や恣意的国境線といった植民地政策の禍根②豊かな資源を狙う西欧列強の干渉③東西対立という米ソの思惑等と対峙する必要があった。アルジェリアは激戦を経て独立を達成したが①②の影響を排せず貧困に喘ぎ続けた。ベトナムでは南ベトナム解放民族戦線が傀儡政権やアメリカとの死闘を繰り広げ民族としての真の独立を目指したが米ソの代理戦争でもあった。植民地時代の分断統治の遺恨を引きずったまま分離独立したインド・パキスタンではカシミールの帰属を巡り再び戦火を交えた。多民族国家として独立したコンゴやナイジェリアでは②③で西欧列強が次々に介入して内戦が激化し、内戦終結後も国内統治はままならなかった。以上のように独立過程でも独立後もアジア・アフリカは大国に翻弄され続けたのだ。(360字)

巷とはかなり異なる答案例その2

脱植民地化の過程では激戦や大国の干渉を伴い、独立後も植民地政策の負の遺産を引きずることが多かった。宗主国による経済的従属状態等の解消を望んだアルジェリアは、激戦を経て独立したものの夢叶わず貧困に喘ぎ続けた。ようやく独立を果たしても、資源を欲した旧宗主国の干渉や米ソの介入等で悲惨な内戦に陥ったコンゴ動乱やビアフラ戦争の例もある。米国が傀儡政権を建てたベトナムでは、民族としての真の独立を望んだ南ベトナム解放民族戦線が結成され、米国の参戦や中ソの支援もあって未曾有のベトナム戦争が勃発した。コンゴやベトナムの例は米ソの代理戦争とも言える。その他、植民地政策の禍根が独立した国々に惨禍をもたらすこともあった。植民地時代の分断統治策もあって分離独立したインド・パキスタンの両国は、カシミールの帰属を巡って再び戦火を交えた。(358字)

巷とはかなり異なる答案例その3

脱植民地化における最初の関門は宗主国との対立である。アルジェリア戦争のように宗主国フランスとの激戦を繰り広げる例もあった。晴れて独立を果たしても資源依存の経済構造は変わらず大国に収奪される構図に変わりはなかった。天然資源や植民地時代の分断統治を背景に苛烈な内戦へと至る例もあった。コンゴ動乱やビアフラ戦争が好例である。これらには旧宗主国の干渉や冷戦構造も多分に関係した。冷戦との絡みではベトナムも挙げられる。反共名目で米国が建てた傀儡政権と南ベトナム解放民族戦線による内戦はベトナム戦争へと発展し米ソの代理戦争の様相も呈した。独立後に大国の干渉がなくとも植民地政策の禍根で独立国家同士が衝突することもあった。イギリスの分断統治等によって分離独立したインドとパキスタンが、カシミールの帰属を巡り再衝突したことが挙げられる。(360字)

 

いかがでしたでしょうか。
この答案を紡ぎ出すまでに私が考えた思考プロセスを申し上げます。

まず、設問文を再掲します。

 演説で述べられているように,諸民族の政治的解放が進んだが,独立を得る過程では戦乱が起こっただけでなく,独立した国どうしが対立を深めるなど道のりが容易ではない場合も多かった。1960年代のアジアとアフリカにおける,このような戦乱や対立について,12行以内で記述せよ。その際,以下の4つの語句を必ず一度は用い,その語句に下線を付すこと。

アルジェリア      コンゴ     パキスタン     南ベトナム解放民族戦線

この問題文を読んだとき、単に1960年代の戦乱や対立について書けと要求されていないことに気づいたのです。
「このような」戦乱や対立を書けと要求されているのです。「このような」が指すものは、

①諸民族の政治的解放が進んだ
②独立を得る過程では戦乱が起こっただけでなく
③独立した国どうしが対立を深める
など
⑤道のりが容易ではない場合多かった。

の5点です。まず、①に言う政治的解放とは要は独立したということだと思います。
ただ、これも、宗主国から与えられた独立なのか、宗主国から勝ち取った独立なのか分けて考える必要がありそうです。
そのことは、②にもあらわれています。
③については、指定語句のパキスタンがカシミール絡みで使えそうです。

ここまでは、何も難しくはないのですが、問題はその次です。
④にいう「など」とは何か、⑤でわざわざ「道のりが容易ではない場合も多かった。」と書いているわけですが、容易ではない道のりにはどのようなものがあるのか考えろと東大側は要求しているように思えたのです。

ですので、単にアルジェリアやベトナムの戦争の名前や年号や人名といった諸要素を答案に詰め込んでも、独立までの経過には様々な種類があることが明示できなければ、お題に答えたことにはならないように思えたのです。
このように気付けたのには、2012年の東大過去問を探究していたことも大きいです。
ここで、2012大論述のリード文をご紹介します。

いかがでしょうか。まさに2024年第1問(1)で要求しているのは、こういう話ではないのかと私は思いました。
対象としている地域もアルジェリア・ベトナム・パキスタンと本年度の問題に共通する地域ばかりです。
以上をもとに、改めて2024の設問(1)の問題文を読み返してみると、

独立を得るまでにアジア・アフリカ各地域が経験した様々な困難や、独立後にも続く禍根の背景などの特徴を地域ごとの差異を考えながら、適宜、具体的な地域名も挙げつつ、概略せよ
と言い換えられるのではないかと思ったのです。

このように考えると、設問(2)と設問(1)とが実は有機的に連関していることに気付けます。
設問(1)が単なる知識問題ならば、(2)とは全く別の独立した問題になってしまいますが、そんな下手くそな問題を天下の東京大学が出題するのだろうかとも思いました。
(1)で独立までの道のりが植民地政策の差異や冷戦秩序、あるいは天然資源を巡る大国の干渉などによって混迷を極めたことを略述させた上で、さらに独立後の苛況をもたらした原因(=過去)と解決策(=未来)の両面を経済的側面から簡潔にまとめさせようとしたのが(2)だと私は思えたのです。
このように考えると、本問は実のところ、360字+150字の2問構成にはなっていますが、実質的に510字大論述だと看做すことも可能なのではないかと感じています。

もっとも、「いやいや、それは考えすぎでしょう」という御意見も十分に考えられると思うので、ぜひ本稿を叩き台に、より良い案や思考プロセスををコメントしていただけると励みになります。

設問(2)の解説

では、引き続き、設問(2)に移りたいと思います。まずは、設問文の確認です。

(2)演説で述べられている経済的な問題は,どのような歴史的背景をもち,その解決のため1960年代に国際連合はいかなる取り組みをおこなったのかについて,5行以内で記述せよ。

まず、演説で述べられた経済的な問題の中身を正確に把握しなければいけません。
ざっくり言うと、独立しても深刻な低開発の状態が続いていて生活水準が悪化しているということです。
地理選択の方にはお馴染みのテーマですね。
このような経済的苦境に至ったのは、別にアジアやアフリカの人々が怠惰だからというわけではなく、「歴史的背景」があると設問文で述べられています。
その中身に言及するとともに、こうした苦境に対処するために国連は手をこまねいていたわけではないことも答案に盛り込めと要求しているわけです。
ざっくり言えば、アジアやアフリカの人々が貧困で苦しんでいる理由と実際に採られた対策を書けということです。

(1)とは異なり、規定字数が150字と短いのでダラダラと書いていては中身の薄い答案になってしまうのは気をつけなくてはなりません。
中論述と同じく、ピシッと要点を端的に書ける子を東大は欲しているということでもあります。

まずは教科書でどのようなことが書かれているのか一緒に見ていくとしましょう。

(帝国書院2023世界史探究p329「SDGsを考える世界史」コラム)
南北格差是正に取り組む国際協力機関が1960年代に二つつくられた。まず,1961年に設立された経済協力開発機構(OECD)は先進工業国を中心に構成され,主要活動の一つを,低金利の融資を開発途上国に提供することとし,日本も64年に加盟した。また,南側諸国の主導により国連貿易開発会議が設置され,その第1回会議(1964年)では,先進工業国による発展途上国への技術援助・資金援助(GNPの1%)や特恵関税制度適用などを求めた。

(帝国書院2023世界史探究p329本文)
〜南北問題の出現と国際分業体制への批判〜
1950年代に南側の発展途上国で行われた経済開発は成功せず, 国際分業体制の不平等さが問題視されるようになった。植民地体制が崩壊し,一方で西欧など西側先進工業国が高度経済成長の軌道に乗り始めた東西冷戦期の1950年代末に,「南北問題」が立ち現れた。 世界地図上の北側に豊かな先進工業国が多く, 南側に貧しい発展途上国が多い, という経済格差が問題視されるようになったのである。特にアフリカが深刻な事態に陥った。 植民地時代のモノカルチャー化で環境破壊が進行していたことに加え, 大西洋奴隷貿易で労働力を大量に奪われたことから始まる低開発を引きずったためであった。

問題の解決策は当初, 南側の主要輸出品である一次産品の増産と, 先進国からの輸入を制限したうえでの工業化 (輸入代替工業化) に求められた。 しかし資本・技術・ 市場の不足で工業化は成功せず, 植民地時代に生産を押しつけられた一次産品も, 北側の主要輸出品である工業製品より低価格に設定されやすかったため, 南北格差は縮まらなかった。また, 一次産品の輸出を増やすために世界銀行や北側諸国から得た借款は,累積債務化して南側諸国を苦しめることになった。

そうした事態を受け, 1960年代半ばになると, 北側に有利な国際分業体制によって収奪されているから南側は貧困なのだ, という主張 (従属理論)が南側から提起されるようになった。

いかがでしょうか。さすが、世界システム論の記述が厚い帝国書院の教科書だけのことはあります。
イマニュエル・ウォーラーステイン博士の世界システム論を翻訳され『砂糖の世界史』の著者としても有名な川北 稔先生のお弟子さんが多くいらっしゃる大阪大学の影響を強く受けた帝国書院の世界史教科書は、関東ではあまりメジャーではありませんが一読の価値があります。
ちなみに、ここ最近、実教出版の世界史探究も力をつけてきています。
山川出版や東京書籍の教科書も悪くはないのですが、高いシェアを誇っていることに甘んじているところがあるので、もっと競争精神を旺盛にしていただきたいなと切に願っています。
この点、近年、新たに刊行された山川の新世界史は秀逸だと言えます。
こうした良書がどんどん出てきてほしいです。

ここまで来れば自明だとは思いますが、国連事務総長が懸念していた問題とは南北問題のことであり、この解決に向けて、国連が動き出したのが1960年代だったというわけです。
まず、こうした南北問題の歴史的背景を考えていくわけですが、意外に簡単なことではありません。
先述した世界システム論の話を延々と書くことを東大教授が受験生に求めているとは考えにくいこともありますが、何世紀まで遡って書けば良いのか様々な説があるのです。
150字という字数制約のなか、国連貿易開発会議を設置したことなど国連の取り組みにも触れなければいけませんので、19世紀以前の話は簡潔にまとめ、独立後も不遇な状況に置かれていたことにも字数を割くべきだと思いました。
さらには、問題解決に向けた、国連の取り組みについても単に国連貿易開発会議を設置したの一言で終わらせるのではなく、特恵関税の付与や技術支援や資金支援といった具体的な対応を先進工業国に求めていったことまで書き添えるべきではないかと、私は考えました。

以上より、

解答例

低開発国は植民地時代に西欧列強への原料や食糧供給地として収奪されていた。一次産品に依存した経済構造は独立後も続き、国際競争力もないなか工業化もできず、先進工業国が策定した自由貿易体制下でも不利に扱われた。こうした南北問題の解決に向け国連貿易開発会議が設置され、特恵関税の付与等が先進国に求められた。(149字)

いかがでしたでしょうか。ちなみに、関連事項として、以下の教科書記述もご紹介するとしましょう。

(実教出版2023世界史探究p381)
イランの石油国有化やエジプトのスエズ運河国有化は,途上国が資源などの領有を通じて経済的自立をはかろうとする試みであった。こうした資源ナショナリズムの考え方は,1962年の国際連合による「天然資源に対する恒久主権に関する決議」などを通じて国際的に承認されるようになり,1974年の国連資源特別総会での「新国際経済秩序(NIEO)の樹立に関する宣言」につながっていった。

(東京書籍2023世界史探究p358)
このような南北間の格差(南北問題)に直面した南側の国々のなかには,西側の経済支配に抵抗するために,社会主義を採用してソ連への接近をはかる国もあったが,ソ連からの援助は限定的であった。南側諸国は,北側の国際分業体制において構造的に不利な状況に置かれていると主張し(従属理論),国際連合においても開発をめぐる不公正問題が取りあげられるようになった。これに対して,国連貿易開発会議(UNCTAD)などでは,途上国に不利な分業体制の是正がはかられたが,こうした問題は容易に解決できなかった。また,国連の下部組織で開発途上国の影響が過度に高まると,ユネスコでの事例のように,先進国が脱退するケースもみられるようになった。

いかがでしたでしょうか。東大過去問を軸に教科書を読み比べてみると、学びが非常に多いことに気付かされると思います。
詳しい戦略は、映像授業でも申し上げておりますので、ぜひ併せてご活用ください。

映像授業コース(旧オープン授業)【東大世界史】

加えて、南北問題については、外務省のホームページにも簡単な解説記事が載っていますので、地理選択でない方や、少し詳しく学ばれたい方はぜひ併せてご参照ください。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1967/s42-1-11.htm

ちなみに、今年度の東京外国語大学前期日程では、「第二次世界大戦終結後、朝鮮戦争を前後する形でアジア地域において展開された,民族の独立を追求する動きと冷戦秩序の構築に向かう動きの相克を論じなさい(一部問題文修正)」という類題を出しています。
ぜひ、復習の一助になさってください。

なお、本稿の冒頭で、今年の第1問の(1)と(2)は有機的に連関していると申し上げました。
せっかくですから、大論述風に、この(1)と(2)の解答例を繋ぎ合わせた答案を示してみたいと思います。

総括

(1)と(2)の解答例を繋ぎ合わせた答案

脱植民地化の過程では激戦や大国の干渉を伴い、独立後も植民地政策の負の遺産を引きずることが多かった。宗主国による経済的従属状態等の解消を望んだアルジェリアは、激戦を経て独立したものの夢叶わず貧困に喘ぎ続けた。ようやく独立を果たしても、資源を欲した旧宗主国の干渉や米ソの介入等で悲惨な内戦に陥ったコンゴ動乱やビアフラ戦争の例もある。米国が傀儡政権を建てたベトナムでは、民族としての真の独立を望んだ南ベトナム解放民族戦線が結成され、米国の参戦や中ソの支援もあって未曾有のベトナム戦争が勃発した。コンゴやベトナムの例は米ソの代理戦争とも言える。その他、植民地政策の禍根が独立した国々に惨禍をもたらすこともあった。植民地時代の分断統治策もあって分離独立したインド・パキスタンの両国は、カシミールの帰属を巡って再び戦火を交えた。このように独立過程でも独立後も大国に翻弄され続けたアジア・アフリカの諸地域は、独立後も多くが低開発に苛まれ続けた。植民地時代に西欧列強への原料や食糧供給地として収奪されていたモノカルチャーの経済構造は独立後も続き、国際競争力もないなか工業化もできず、先進工業国が策定した自由貿易体制下でも不利に扱われた。こうした南北問題の解決に向け国連貿易開発会議が設置され、特恵関税の付与等が先進国に求められるようになったのである。(566字)

本年の問題は、上記の表のように過去問をベースに周辺知識を整理していれば、最速で解くこともできたはずです。
過去問研究と事前準備量の「差」が、解答時間の「差」に直結し、それがそのまま日本史や地理に投下できる時間資源の「差」につながったとも言えましょう。
改めて、東大過去問が最高かつ最強のテキストであることを新年度の受験生には強く訴えたいと思います。

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(東大世界史における文化史の切り口) https://exam-strategy.jp/archives/10874
(大論述指定語句にみる東大世界史) https://exam-strategy.jp/archives/10872   

 

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