2025年(令和7年)東大国語を当日解いたので、所感を書いてみた。

 
敬天塾の塾長と講師が東京大学の二次試験当日(2025年の2月25日・26日)に入試問題を解いて、速報で所感を記した記事です。他の科目については、上記のリンクにございます。
 
※当日の所感なので、今後の研究によって難易度などを変更する可能性もございます。

【科目全体の所感】

総合難易度 標準

第一問 やや易~標準

大雑把な所感としては、東大国語の第1問として典型的で、ちゃんと対策すれば解ける内容で、理系っぽく論理的で読みやすかった&解きやすかったと言ってよいでしょう。
ただし、東大の国語第1問は毎年マイナーチェンジされていて、少しずつ傾向変化があります。細かい部分で、過去問だけでは対策できないことがありました。

第二問 標準

一昨年2023年の『沙石集』「耳売りたる事」よりは難しめで、
2021年『落窪物語』、2022年『浜松中納言物語』、2024年『讃岐典侍日記』よりは易しめでした。

 
語り手が上人を褒めていることがわかるヒントが多々あったので、それらを無視せずに読めば問題なく解けたでしょう。
 

第三問 標準

具体例から「要するにどういうこと?」と抽象化して理解する力が求められました。
比喩が表すことの説明問題もありましたが、それほど難しくありませんでした。

第四問 難

珍しい小説の出題。21世紀になって初めて小説が出たようです。

心情説明の問題が多くあり、受験生は慣れていなかったでしょう。心情の読み取りも難しく非常に難しいと感じたことだと思います。
その中でもやや解きやすい設問一と設問二で点数が取れるかどうかがポイントになったでしょう。

第一問(現代文)田中省吾『身体と魂の思想史―「大きな理性」の行方』

難易度 やや易~標準

いつもは「どういうことか」の問いが多いのですが、今年は4問中3問が「なぜか」という問い。子供やチンパンジーの発達段階についての論理的な文章だということもあり、「なぜか」の問いとマッチしている印象でした。
「どういうことか」と聞かれると、問題によっては傍線部の骨格を保存しつつ書く必要が生じることがありますが、「なぜか」と問われたら答案の骨格は自分で構成して良くなります。その意味で「自由」に書ける問題ですね。
他には、傍線部の問いに対して参照すべき部分が少ない(射程範囲が狭い)問題が多く、抜き出すだけでは字数が不足しがちになるのではないかと思います。この意味でも、自分の言葉で答案を作る訓練が重要そうです。(これは最近の傾向)

また、いわゆる受験テクニックで解こうとしていると足元をすくわれるように思います。「だから」があるから前後で因果関係だとか、「つまり」があるから前後で同じ内容だとか、そういうことばかりしていると、要素が見つかりにくかったでしょう。傍線部から離れたところに解答の根拠や要素があることが多かったです。

つまり「ちゃんと読んで、ちゃんと理解して、素直に答える」という、シンプルかつ王道なスタイルを貫くことが大事になりますね。

難易度判定は、文章を論理的に読める人向けに行いますが、テクニックが先行して文章を読んで理解することを疎かにしてきた人にとっては跳ね上がってしまうかもしれません。

設問一 易

非常に射程が狭い問題です。3行目に傍線部が登場して、傍線部の前をまとめるだけの問題です。こんなに短いの、過去にありましたっけ?(調べてないですが)

論理を理解するのは簡単ですが、射程が狭い分、自分で言葉を補って書かなければなりません。「鏡に映った身体を他者として知覚しているから」と、抜き出しても答案としては物足りませんからね。
すると、メインの要素は傍線部の前にありますが、必要に応じて傍線部より後の部分も要素としてカウントして盛り込んだ方がよさそうです。すると「なぜか」の問いなのに、傍線部よりかなり後の部分(体性感覚的とか視覚的情報とか)を参考に書かなければならなくなり、東大の過去の傾向とは少し違って見えてくると思います。

設問二 やや易

これも射程が遠いところにあります。
傍線部は第3段落にありますが、ちゃんとした説明は第5段落にあります。第3~4段落は、ちゃんと理由を説明するための部分。第5段落まで来てしっかりと理由が説明されます。やはり、「東大国語は傍線部の前後で解ける」みたいな固定観念を持たず、全体を通読してから解く方が良いですね。

核になる部分は「鏡像あどっちつかずの中途半端な存在」とか「鏡像をどのように受け止めてよいのかいまだ正解が見当たらず」の部分でしょう。ただし、ここだけでは説明不足なのと、説明が抽象的なので、分かりやすく自分で言葉を足すか、他の部分の内容を引っ張ってこなければなりません。

設問三 やや易~標準

設問一と二が、簡単ではあるけど「フリースタイル」で解くような問題だったのに対して、設問三は伝統的な東大現代文って感じの問題です。
傍線部の前後に要素があり、わかりやすくまとめるのが主な作業です。

「他者から見た自己の身体」を最初から知っている、というのが核になる内容ですね。まずはこれを書く。ただ、これだけでは説明不足なので「集団の中で育っている(単独で飼育されない)」という要素などを入れて、説明を充足させると良いでしょう。

設問四 標準

毎度お馴染みの出題形式ですね。
「他者の眼差しが刻印されている」というのが比喩表現なので、(比喩を除いた)直接的な言い方に変えるのがメインの作業です。

内容を理解していれば「他者の眼差し」とは何か、モヤっとわかっているでしょう。この「モヤっと」をハッキリと言語化するのが、難しいですね。
言語化しようとすると、傍線部の前後だけでは説明が足りなくなるので、必然的にもっと前の部分(傍線部アとかイとかウのあたりなど)も参照して要素として盛り込む必要が出てきます。これが「本文全体の趣旨を踏まえて」の正体だと考えてよいと思います。

傍線部の直前に「その意味で」とあるので、当然この「指示語」を辿ると、「他者と共存することを学ぶ」という抽象語がぶち当たります。もちろん、ここも具体的な表現に変換。こんなことをやっていると、すぐに120字を超えると思います。

設問五(漢字の書き取り)

漢字は、「探索」「半端」「額」の3つが問われました。簡単です。

 

第二問(古文)『撰集抄(せんじゅうしょう)

難易度 標準

仏教説話で前半は読みやすいのですが、ほぼ裸の乞食となった上人を褒め称えるという観念が理解できずに、後半は混乱した受験生も多かったと思われます。

本文にはいくつも「語り手は上人にプラスの評価をしているよ」というヒントがあるのですが、勝手に「狂人になった?」「清水寺を追い出された?」と考えてしまわないように、要注意です。

★上人にプラスの評価をしているポイント
・(第二段落の最後)「かしこくも覚え侍る」
・(第三段落)「いみじく静かに思ひ澄まし給ふ」「澄み渡る心の内」
・(第三段落と注記)「さきら」
 ※東大古文で注記が設問を解くヒントとなることはよくあります!

ちなみに、注記に中関白(藤原道隆)が出てきて、「おっ♪」と喜んでしまいました。

昨年の大河ドラマが史上初の平安王朝を描いた「光る君へ」という作品だったので、共通テストに『源氏物語』が登場したように、東大二次試験でも『栄花物語』などの関連作品が出典になるかな!?と予想していたからです。

道長のお兄さん(兼家の長兄)。
関白・摂政となって栄華を極めたのに、病気であっけなく亡くなり、死後は念願だった我が子の出世も上手くいきませんでした。
栄華盛衰・諸行無常を思わせる方ですね。

「光る君へ」を観ていたら、設問(五)で問われている傍線部キの和歌の意味も理解しやすかったかもしれません。
※受験生は大河ドラマを見る余裕はなかったでしょうけど。

なお、隆明はなんと、藤原道隆の孫・藤原隆家の子にあたります。
三室戸寺の法印(最高の僧位)ではありますが、道隆の一族が反映していったならば、栄華の中心にいた可能性もあります。

 

さて、全体の難易度ですが、
一昨年2023年の『沙石集』「耳売りたる事」よりは難しめで、
2021年『落窪物語』、2022年『浜松中納言物語』、2024年『讃岐典侍日記』よりは易しめでした。

設問一 標準

傍線部ア・イ・エを現代語訳せよ。

ア あさましくやつれたる やや易

「あさまし」は重要単語で「驚き呆れる」。
「やつる」は重要単語の「やつす」とほぼ同じ。

但し、「驚き呆れるみすぼらしい格好をしている」だと日本語として拙いので、「驚き呆れる”ほど”」くらいは補足しておきたいですね。

イ ひが目にや 標準

「ひがめ」は東大古文2024年『讃岐典侍日記』の本文に出たばかり!
過去問演習をしていた人なら簡単でしたね。

もし2024年を解いたのに、「ひがめ」や類語の「ひが耳」「ひがごと」を確認していなかったら、過去問の使い方がもったいないです!!

300語レベルの単語帳だと見出し語ではなく関連語レベルの語彙ですが、このくらいは東大受験生なら知っておいて欲しいです。
※「ひがめ(僻目)は「見間違い」。
 「ひが耳(僻耳)」の「聞き間違い」や「ひがごと(僻事)」の「間違い・誤り」とセットで覚えておきましょう。

係助詞の「結びの省略」である「にや」も、東大古文で頻出です。
2024年にも「よく聞きおかせたまひたりしかばにや」「おぼしめすにや、」と二ヶ所で登場していました。
※「に+ぞ・なむ・や・か・こそ」はあり系を補います。
 「に」は断定の助動詞「なり」の連用形です。

エ 力なくやみ侍りけり やや難

東大古文で頻出の「慣用表現」が問われました。
「力なし」(どうしようもない・仕方がない)は多くの300語レベルの本には載っていませんね。

やはり東大古文で求められる単語力は300語レベルを超えています

なお、弊塾の映像授業【東大古文 古文単語編】の特典として付けている「慣用表現まとめプリント」では、「言っても仕方が無い(どうしようもない)あきらめ系」の中で「力なし」も紹介していました。

「言~ない」と訳す慣用表現は多い上に、十分に整理されている単語帳はないので、東大受験生はぜひご自分で以下の4分類で整理してみて下さい。※上記プリントでは整理しているので、自力で整理したくない方は映像授業をどうぞ。

◇言い尽くせない(言い尽くそうとすると「疎(おろそ)か」になる系)
◇言い表せない(言う「方法」が無い系)
◇言うまでもない(当然系)
◇言っても仕方がない(どうしようもないとあきらめる系)

設問二 標準

「かきくらさるる心地」 (傍線部ウ)とは、何に対するどのような心情か、説明せよ。

心情の方は簡単ですね。
傍線部にある重要単語「かきくらす」の意味を知っているかな?という知識問題でしょう。
(悲しみに心を暗くする・気持ちが暗くなる)

「るる」は自発なので、解答欄に余裕があれば「自然と~」か「~せずにはいられない」の訳も入れておくことを推奨します。
※但し、解答欄が1行しかない説明問題なので優先度は低めです。

さて、「何に対する」ですが、隆明が何を見て傍線部ウの心情になったかをまとめます。

ほぼ裸の乞食となって、
人々に笑われている僧が
かつて清水寺の宝日上人だった方だった

といったことをまとめると良いでしょう。

設問三 標準

「この事、限りなくあはれに覚え侍り」(傍線部オ)とあるが、語り手はなぜそのように感じたのか、説明せよ。

設問文にある「語り手は」は東大が与えてくれたヒントですね!

隆明の心情としては段落🈔の冒頭にもある「悲しく覚え給ひ」ですが、この設問の傍線部オは語り手の心情です!
混同しないようにしましょう。

傍線部オの直後に「何と、」という感動詞があるので、ここに語り手の心情があります。
文末に「あはれにも~」とあるので、「傍線部の”あはれ”と一致するな~」と確認して着目しましょう。

その後の「げに」は文脈推測の大きなヒントとなる語!
映像授業【東大古文 読解法編】をご覧になっている方は、論理ワード「なほ」の同類だと理解してください)

設問四 難

「よしなき人の思ひを、我のみ一方にはとどめじ」(傍線部力)とはどういうことか、説明せよ。

かなり難しい設問なので、これは取れなくても気にしないで良いと思われます。

設問五 やや難

傍線部キの歌は、どのようなことを表しているか、説明せよ。

和歌の解釈は和歌以外をヒントにしましょう!

今回は和歌の二文後にある「明けぬるよりはかなく暮れぬべき事の、かねて思はれ給へりけるにこそ。」が重要です。
ここでの「より」は即時「~するやいなや」です。

 

(編集部追記)よろしければ関連記事もご覧ください。

2025年東大国語 第2問(古文)『撰集抄(せんじゅうしょう)』現代語訳

 

第三問(漢文)雲棲袾宏(うんせいしゅこう)『竹窓二筆(ちくそうじひつ)

難易度 標準

具体例から「要するにどういうこと?」と抽象化して理解する力が求められました。

「対」を活かした読解力と、具体例や比喩を抽象化する力が必要になる問題は、
東大漢文あるあるです。

比喩の説明問題をトレーニングしたい方は、東大漢文2012年『春秋左氏伝』、2004理科『東坡志林』、2000年理科『史記』あたりや漢詩の問題を解くと良いでしょう。
(編集部追記:漢詩のトレーニングには映像授業【東大漢文 過去問演習 漢詩編】がオススメです)

設問一 やや易

傍線部a・b・dを平易な現代語に訳せ。 
 a 不概論一 標準

最終段落の冒頭にある「概シテ」と繋げて考えると良いでしょう。
漢文の助動詞「可(べシ)」は「可能・許可・当然」。
ここでは主張なので、不許可(禁止)で「~してはならない」。

b 声後世 やや易

「天下ニ鳴リテ(天下に名声が鳴り響いて)」と類句になっていることを意識しましょう。
「後世に名〔名声〕を残す」などですね。

d 不覚不知 やや易

読んだ通りなので、どんな誤訳が生まれるのか想像しづらい問題です。
「知らず知らずのうちに」という風に現代日本語の慣用表現的に訳しても良いし、
「覚」「知」を残して、「自覚なく知らないうちに」と訳しても良いと思われます。

今年も設問(一)は難しくないので、確実に得点しておきたいですね。

設問二 やや難

「何独於学道而疑之」(傍線部c)を、「之」の内容がわかるように、現代語に訳せ。

累加(るいか)の句形ですね。
苦手をしている受験生もいると思います。
累加は「反語+限定」で「ノミナランヤ」となる句形です。

そして、指示語の具体化が求められています。

前文に「而(しか)ル後(のち)ニ」とありますね。
漢文によく出てくる表現で、東大漢文2024年にもありました。
「そうやってはじめて〔やっと〕」という意味です。
直前が「条件」だと主張する文になっていることが多いです。
つまり、いつでもどこでも専念〔求道〕することが、成功するための条件である「之」なのです。

具体例から「要するにどういうこと?」という抽象化する力が求められていますね。
ざっくり意訳すると
「囲碁に着〔執着〕する者が何でも黒白(の囲碁の石)に見えるように」
「書道に着〔執着〕する者が何でも(墨で書いた書の)黒に見えるように」
「馬の絵を描くことを学ぶ者が馬が夢に現れるように」
という3つの具体例なので、いつでもどこでも専念せよという教えですね。

また、「疑」の訳し方が難しく感じたのではないでしょうか。

設問三 標準

「如水浸石」(傍線部e)とはどういうことか、簡潔に説明せよ。

比喩が表すことを説明させることは、過去の東大漢文で何度もありました。
今回はそれほど難しくない比喩です。

「水が石を浸す」ですが、石と比較対照として「水がスポンジを浸す」を想像するとわかりやすいですね。
スポンジなら、あっという間に浸透します。

では水とは何でしょう?
ここでは傍線部cにあった「学道」、つまり「仏道を学ぶこと」です。

石、あるいはスポンジに該当するのは?
求道者ですね。

いつでもどこでも執着して求道すれば、スポンジやぐんぐん吸収するけど、
執着を心配してゆったり気ままにやっていれば、全然学びを吸収できないと言っています。

設問四 やや難

「執滞之着不可有、執持之着不可無」(傍線部f)とはどういうことか、本文の趣旨を踏まえて説明せよ。

「無カルべカラず」といえば、東大漢文2022年『呂氏春秋』で現代語訳を求められた傍線部に、
威不有がありました。
最後の「有ルコト」の部分が余計で訳しづらかったですが、今回はシンプルに「無カルべカラず」なので、「必要だ〔無いわけにはいかない〕」とわかりやすかったと思います。

さて、傍線部fは対句になっていますね!
「執滞」は持ってたらダメ、「執持」は必要という対比です。

 

第四問(現代文)佐多稲子「狭い庭」

難易度 やや難~難

久しぶりに小説が登場です。調べてみたら21世紀になって初めてらしい。
文章としては、センターや共テの第2問みたいな雰囲気で、会話も多く、登場人物の心情がハッキリ描かれるわけではないけど、状況から読み取れる、という感じ。絶妙です。後半2問が特に難しく、設問四は(僕の中で伝説の)2021年第4問(子規の画)と似ている感覚でした。

なお、前年に引き続き女性が書いた文章でしたね。女性が書いたというだけで、内容も文体も時代も全然違いますが。

設問一 標準~やや難

いきなり心情を掴む問題ですね。といっても、読み取りやすい心理です。
机の上で、論理だのディスコースマーカーだのと、テクニックに頼る読解の方法を勉強していては解けない問題です。個人的には大好き。
現代文の問題というか、常識問題と言えるかもしれません。普段から人間関係の中で生活して、他人に気を遣ったり気を遣われたりしていないと、理解できない心情かもしれませんね。

さらに(心情説明の問題の特徴でもありますが)、本文に書いてある言葉を書いても答えにならないのも特徴。この時の登場人物の心情に、ピッタリな言葉を自分の頭の中から引っ張り出さなければなりません。そういう意味では、表現が難しい問題ともいえるでしょう。

推敲ナシで、答案を一発書きしてみますが、
「懇意にしている植木屋の伊志野に仕事を頼まず、付き合いのない本職の植木屋に高額な仕事を頼んだことを伊志野に知られ、裏切られたような気持ちにさせかねないから」
というような感じでしょうか。

設問二 やや難

ここからグッと難しくなります。
順吉と会話中の「しげの」の発言に対する理由説明です。理由説明ですが、ほぼ心情説明の問題ですね。

スタッフを意見交換をしている時には、
①順吉が植木屋を裏切ったと感じていることに対する慰め
②植木屋に対する不満。

の2方向の意見が出ましたが、諸々の理由で②で収束しました。

傍線部の直前位「しげのの方は割り切ったように」とあることや、本文全体で順吉は気にしているけど、しげのは気にしていないという対比で描かれていること、その証拠にしげのは植木屋にいつも通りお茶を出すけど、順吉は隠れたこと、などを含めて判断しました。

設問三、難

これは非常に難しい問題ですね。
まず出題形式が難しい。「傍線部から、どのようなことがうかがわれるか、これまでの経緯を踏まえて説明せよ」と、変則的すぎる問題です。

傍線部の文字通り解釈すれば、「植木屋が植えた苗木が成長した」ということ。つまり「長い年月が経った。」ということですね。でも、やはりこれだけでは物足りない。ということで、小説の読解法の鉄則「周囲の状況が心情に連動している」を使って読み解いてみましょう。

本文のオチとしては、「植木屋への羨望や同感、なつかしさ」が湧いたというところですね。ということは、「植木の丈=植木屋への思いの大きさ」と捉えるのがスタンダードでしょう。植木屋が来なくなってしまってから、植木が高くなる。それにつれて、植木屋への思い(どのような思いかは、設問四で明かします)が募る一方なのです。

植木の丈=順吉の植木屋への思い という軸に沿って答案を書けば良いのではないでしょうか。

設問四、とても難

最後。これも非常に難しい。先ほどは形式に慣れていなくて難しいですが、こちらは純粋に読解が難しいです。

やはり核になるのは順吉の心情。追っていくと、最後のページの4行目に「ばったり姿を見せない、ということは伊志野剛直の誇りなのか」や7行目に「こんなとき、順吉は自分の年齢をひけめに感じた。」「姿を現さない苗木屋の誇りを思い出していた」などとあります。

つまり、順吉は「植木屋が姿を現さないことは誇りである」という気持ちと、「計算を間違えたことに対し、年齢を引け目に感じた。」という気持ちが混在しているのです。

ここから補助線を探って引いてみると、私は「引き際の美学」だと思いました。
植木屋は、ある出来事が起こった時、スパッと身を引いて、二度と姿を現さなくなった。一方順吉は年齢を重ねてミスするようになっても仕事を続けている。植木屋の引き際に羨望を感じているのです。
若い店員にチクられた裏切りを受けても働き続けている自分と、裏切られてすぐ姿を現さなくなった植木屋。ここが対比されているのだと思います。自分のプライドに背いても目先の利益に飛びつくのか、それとも仕事を全うする矜持を持ち続けるのか。

しげのには分からなくても、順吉には仕事人として同感と憧れがあったのでしょう。

「なつかしさ」は、時間の距離のこと。つまり、心理的な距離のことだと解釈しました。
自分と植木屋が最後に会ったのは遠い昔であるのと同時に、仕事人としてのレベルの乖離があり、それを羨ましく思っている。

こういう解釈でいかがでしょうか?

(編集部より)2025年第4問のような心情の読み取りトレーニングとして、以下の「東大対策問題集 現代文 詩・エッセイ編③」がオススメです。

東大対策問題集 現代文 詩・エッセイ編③

 

 

他の科目については、こちらのページにリンクがございます。

 

最後に

上記の記事は、敬天塾の塾長と古典担当講師が執筆しています。
どなたでも受講可能な敬天塾の授業はこちら ↓

映像授業コース(旧オープン授業)【東大現代文】

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