2021年 東大国語 第4問 夏目漱石「子規の画」

歴史に残る難問

一瞬見て、「あ、これはアカン」と匙を投げた難問。
東大国語で、この問題のように心情を説明する問題が出るのは珍しいです。

2021(4)国語 問題

 

短文。
そして漱石の文筆に隠された深い友情。
表面的に読むことは容易ですが、深く考察しようとすると、時間がいくらあっても足りなくなります。
通常、第4問には30分程度の時間をかける受験生が多いのですが、それでは到底仕上げられない難易度だと思います。
2021年は国語の点数が全体的に低かったようですが、この問題のせいだという可能性もあるでしょうね。

東大の発表している「出題の意図」では、こう書かれています。
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文学的内容をもつ文章についての問題で、今回は夏目漱石が亡友正岡子規を偲んだ文章を題材としました。
行間が雄弁な文章なので、表面的な読み取りでは太刀打ちできません。「拙」の語に込められた万感の思いをどこまで丹念にくみ上げ、心情という一見曖昧模糊とした領域で明確な理解を組み立て、適切なことばでそれを表現できるかどうかが問われます。豊富な語彙を自在に操れるだけの読書量が要求されているともいえるでしょう。
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このように、東大が表面的な読解を明確に否定しているため、通常とは異なる深い考察が必要です。

以上を踏まえ、本稿は講師・生徒一同で考察を重ねた結果をまとめたものです。

以下、敬天塾の答案例をご覧いただいた後、設問ごとに簡単なコメントをしていきます。

敬天塾作成の答案例

敬天塾の答案例だけ見たいという方もいるでしょうから、はじめに掲載しておきます。
受験生の学習はもちろん、先生方の授業にお役に立てるのであれば、どうぞお使いください。
断りなしに授業時にコピペして生徒に配布するなども許可していますが、その際「敬天塾の答案である」ということを必ず明記していただくようお願いします。
ただし、無断で転売することは禁止しております。何卒ご了承ください。

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【平井基之のサンプル答案】

設問(一)
懸命に描いても拙い絵になってしまうのは病気のせいだと伝えることで、闘病中の自分にもう一度会いに来てほしいという気持ちを婉曲的に強調したいという心情。

設問(二)
絵の色彩が乏しく構図が簡素なことが、子規の喪失を思い起こさせるのは言わずもがな、死を目前にして親友の漱石の来訪を、独りぼっちで待ち続けた子規の様子が絵から伝わるから。

設問(三)
一見どこにも欠点がなく、才能に任せて文学作品を作り上げる子規にも、実は苦心して平凡な絵を描いてでも気持ちを伝ようとする人間らしい一面があったと気づき、思わずその意外性におかしさを感じたから。

設問(四)
もし子規の真意に気づき、望み通りに生前に面会しに行けば、孤独に耐える子規の心が満たされて、東菊の絵の周辺にぽっかり空いた余白が子規の拙い描画で埋まっただろうにと、過去の薄情な自分からくる罪深さを後悔している。

※多少、字数が多めの答案になっていますが、短くまとめきれない私の力量不足以外の何物でもありません。あくまで、答案サンプルの一つであり、皆さんの考察の材料となることを願って作成したものですので、寛大な心でご覧いただけると幸いです。

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【別講師Aのサンプル答案】

設問(一)
俳句や歌のようには雄弁さを画描きでは発揮できず、親愛なる漱石に自身の「拙」を感じさせてしまうだろうことに気恥ずかしさを覚えつつ、病のせいだと冗談を述べるくらい漱石に心を開き信頼もしている。
<別答案>
大病を患いながら、不慣れな画描きに多くの時間と労力を割き、親愛なる漱石がこの作品に「拙」を見出し微笑むことを予想した上で、病のせいだと冗談めく程に漱石を信頼し、心開いている様を表している。

設問(二)
単調な色合いに死期を前にした子規の憂鬱の念と、漱石が遠く熊本にいることを悲しむ気持ちを感じ取り、友を失った悲しみと傍にいてやれなかった後悔の念が漱石の心を満たしていたから。

設問(三)
「拙」と最も無縁だと思われた子規が漱石のために懸命に不慣れな画描きに労力を割き、本来他人には知られたくない「拙」な一面を見せてくれたことに子規の人間味と漱石に抱く友情の深さを知れたから。

設問(四)
子規の最期を看取れず、死期を前にして精魂込めて送ってくれた画に込められた漱石への思いを、没後十年を経て気付いた己の過ちを懺悔し、叶うことなら共に「拙」を笑い飛ばしたいと思っている。
<別答案>
「拙」な作品を送ることで漱石と笑い飛ばしたかったであろう子規の想いを叶えられたなら、漱石との再会を果たせず鬼籍に入った子規の無念さと悲哀の念を晴らせるのにと懺悔の念に苛まれている。
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設問(一)「下手いのは病気の所為だと思いたまえ」

再現答案や答案例なども多数拝見していますが、ほとんどの解答が「言い訳」の路線で書いています。
しかしながら、私はその路線だけでは済まないのではないかと考えています。
子規は文学者であり、短歌・俳句の革新運動を行ったとリード文に書かれています。その子規が絵に添えた短歌ならば、無視してはならないと感じているからです。

「東菊 活けて置きけり 火の国に 住みける君が 帰り来るかな」

和歌は、特に手紙に添える和歌には、万感の思いを短い31字に込めるもの。強い心情が表現されていることでしょう。
幸いこの和歌は読みやすく、意味も分かりやすい。端的にいうと
「会いに来てくれ!」

これが本音なのではないかと思い、その路線で答案を作成しました。これが最も大きい要素だと捉えています。

そして東菊。
なぜ子規は東菊を選んだのでしょうか。
本文中には、漱石と子規の位置関係が明記されています。すなわち、漱石が熊本(西)で、子規が東京(東)。

そして、東菊が一輪という寂しい構図。
注釈にはわざわざ「切り花として好まれる。」とあります。別に、必要ではない一言です。ないなら、ないで文章は読めてしまう。
切り花は寿命が短く、すぐにクタっとなってしまいます。思えば、菊は葬式を連想させるもの。

絵が下手なのは、確かに病気のせいもあるでしょう。
しかし、構図を寂しくするとか、寒色を使うとか、3色しか使っていないというのは、病気のせいではありません。

ここまで読むと、
「さては東菊とは子規のことで、病床で一人孤独に闘病を苦しむ様子を表現し、漱石に会いに来てほしいという悲痛なメッセージを届けたのではないだろうか。」
という路線が浮かび上がってきます。

すると傍線部のあるカギ括弧のある
「これは萎みかけた所だと思いたまえ。下手いのは病気の所為だと思いたまえ。」の部分も、意味合いが変わってくるのではないでしょうか。
一見、絵の下手さを取り繕うために言い訳しているように見えるのですが、実は「こんな下手な絵しかけないような俺なんだから、相当に病状が悪いと思って、会いに来てくれ」という意味に見えてきます。

さて、ここで突然ですが、この画像をご覧ください。

もちろん、お分かりのとおり、この問題の主役。東菊の絵です。
和歌と「言い訳の」注釈、どちらがメインでしょうか。
和歌は字も大きく見えやすい部分に書いていますが、言い訳の注釈は右隅に小さく書いてあります。
よく見ると、葉の上に文字が書かれており、明らかに東菊の絵の後に書いています。

もちろん入試会場ではこの絵を見ることはできないので、解説に使うのはズルいのですが、ちゃんと私のサンプル答案は画像検索する前に作成していますし、上記の推理も絵を見る前に行っています。

ということで、このような答案を作成しました。

懸命に描いても拙い絵になってしまうのは病気のせいだと伝えることで、闘病中の自分にもう一度会いに来てほしいという気持ちを婉曲的に強調したいという心情。

以上、設問(一)でした。

設問(二) 「いかにも淋しい感じがする。」

では、設問(二)です。
これは、文法的に読み取ると、絵の構図や色使いが淋しいという内容に終始すると思います。
しかしながら、出題の意図にもあるように「表面的な読み取りでは太刀打ちできない」ので、もう少し「深読み」をしたいところです。

多くの答案例にあるように、この東菊の絵は亡くなった子規が生前に書いた絵です。
だとすると、絵を見るたびに、親友が亡くなったことを思い出し、淋しい気持ちになるのは当然でしょう。
しかし、それだけでしょうか。

設問(一)のところでも書いた通り、東菊は子規を婉曲的に表現していると考えています。
すると、子規が孤独に病床で書いた姿が思い起こされるからこそ、淋しい感じがするのではないか。
絵を見るたびに目に飛び込んでくる短歌。「会いに来てくれ」と、毎回呼びかけられているとどんな気持ちでしょう。

また、誰の淋しさなのか、という問題が残っています。
これに関しては明確な答えはないのですが、孤独に闘病している子規の淋しさと、絵を眺める漱石の淋しさとの、両方があると考えています。両方の路線を残すというのは、独りよがりな考察をして方針を間違えることによる、大失点の予防という意味もあります。

傍線部イをよく読むと、「いかにも淋しい感じがする」とあります。つまり、漱石は淋しい感じに襲われている。
これは漱石が、子規の絵に込められた「会いに来てくれ」の悲痛なメッセージに気づかず、放置して会いに行かなかった自らの薄情さを突き付けられるからなのではないかと、はじめは捉えました。

そこで、「漱石の来訪を待ちわびていた子規の真意に気づけなかった、過去の自分の薄情さをも突き付けられるから。」という文末で答案を作成したのですが、
他講師や生徒の評判が悪かったので笑、取り下げた上で以下の答案に落ち着きました。

絵の色彩が乏しく構図が簡素なことが、子規の喪失を思い起こさせるのは言わずもがな、死を目前にして親友の漱石の来訪を、独りぼっちで待ち続けた子規の様子が絵から伝わるから。

※なお、前半の「~~~~は言わずもがな」の部分は、よく見かける他答案に書かれている内容では不足しているのではないか、という可能性を暗示させるためのものであり、実際に東大に提出する際にはこのような表現を使わないだろうことを、付記しておきます。

設問(三) 「余は微笑を禁じ得ないのである。」

この設問は、再現答案や生徒答案、各社の答案などと大きく路線が変わらない答案に落ち着きました。
先に、私の答案例をご覧ください。

一見どこにも欠点がなく、才能に任せて文学作品を作り上げる子規にも、実は苦心して平凡な絵を描いてでも気持ちを伝ようとする人間らしい一面をがあったと気づき、思わずその意外性におかしさを感じたから。

元お笑い芸人のTAWASHIさんなどと一緒に学んでいるせいもあり、また私自身がお笑いが好きということもあり、笑いの基本であるギャップをどう表現しようかと考えて作っています。

工夫した点は以下の通りです。

①文末表現
「微笑を禁じ得ない」という傍線部に対する理由説明の問題です。つまり「なぜ笑ったか」。これに答えるために文末に気を遣っています。
「実は子規にも下手なところがあったから。」では、笑ってしまう理由として不十分だと思います。他人の苦手分野を知ったからと言って、笑うとは限りません。「意外に感じたから。」では驚きに発展する可能性もあります。
そこで「おかしさを感じたから。」まで踏み込み、なるべく微笑につながるようにしました。また、「思わず」を添えたことで、つい笑ってしまう様子を表現しようと工夫しました。

②子規の下手さだけではなく、人間性にも触れた
文学はうまい、絵は下手、というギャップだけではなく、自らの「拙」な側面を親友に見せてでも「会いに来てほしい」というメッセージを伝えたいという人間性も含めようと工夫しました。「らしくない」という子規の様子を読み取ってもらえると幸いです。

設問(四) 「淋しさの償いとしたかった。」

では、最難問の(四)です。

まず、「したかった」という表現から、後悔の念があると読み取りました。
また「償い」という言葉は「罪」への埋め合わせをするということですが、何が罪で、どうすれば埋め合わせられるのか。
さらに、実は大事だと思うのが、「淋しさの償いしたかった」の「と」です。

この辺りを考察し、一定の結論を出して、答案を作成しました。

まず、罪とは、漱石が子規に会いに行かなかったことであり、子規の絵に込められたメッセージに気づかず(図らずとも)無視してしまったこと(結果、早世してしまったこと)と捉えました。
すると、後悔しているのは「子規に会いに行けばよかったこと」、となります。

また、「拙」は子規が絵を書くことで発揮されます。(厳密にいうと、それを他人に見せること)
直前に「ただ画がいかにも淋しい。できうるならば、子規にこの拙な所をもう少し雄大に発揮させて、」とあります。
東菊の絵の淋しさは、子規の孤独さです。その絵の拙を発揮させるということは、絵がにぎやかになるということであり、子規の孤独な心が満たされることにつながるのではないか。

このように考え、以下の答案を作成しました。

もし子規の真意に気づき、望み通りに生前に面会しに行けば、孤独に耐える子規の心が満たされて、東菊の絵の周辺にぽっかり空いた余白が子規の拙い描画で埋まっただろうにと、過去の薄情な自分からくる罪深さを後悔している。

工夫した点としては、
・明確に「後悔」と書いたこと。また、後悔の内容として、子規の薄情さだと明記したこと。
・償いの説明なので「罪」という言葉を入れたこと
・償い、つまり埋め合わせの方法を具体化し、面会しに行くことと、子規の絵の余白が埋まることの2つを表現したこと

なお、「薄情さ」に関しては、生徒や他講師から、疑問の声も挙げられています。
あくまで、一つの考察結果であり、サンプルの答案だという視点でご覧いただければ幸いです。

別講師Aのサンプル答案について

私の答案ではないので、答案作成時の思考のプロセスはわかりませんが、文章の読み取りの解釈次第では十分説明になっている答案だと思いますし、表現力や主張の明確さなどの総合的な評価において、非常に秀逸だと感じましたので、私の答案と合わせて掲載しておきます。
(本稿の序盤にも掲載しましたが、再掲しておきます。)

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設問(一)
俳句や歌のようには雄弁さを画描きでは発揮できず、親愛なる漱石に自身の「拙」を感じさせてしまうだろうことに気恥ずかしさを覚えつつ、病のせいだと冗談を述べるくらい漱石に心を開き信頼もしている。
<別答案>
大病を患いながら、不慣れな画描きに多くの時間と労力を割き、親愛なる漱石がこの作品に「拙」を見出し微笑むことを予想した上で、病のせいだと冗談めく程に漱石を信頼し、心開いている様を表している。

設問(二)
単調な色合いに死期を前にした子規の憂鬱の念と、漱石が遠く熊本にいることを悲しむ気持ちを感じ取り、友を失った悲しみと傍にいてやれなかった後悔の念が漱石の心を満たしていたから。

設問(三)
「拙」と最も無縁だと思われた子規が漱石のために懸命に不慣れな画描きに労力を割き、本来他人には知られたくない「拙」な一面を見せてくれたことに子規の人間味と漱石に抱く友情の深さを知れたから。

設問(四)
子規の最期を看取れず、死期を前にして精魂込めて送ってくれた画に込められた漱石への思いを、没後十年を経て気付いた己の過ちを懺悔し、叶うことなら共に「拙」を笑い飛ばしたいと思っている。
<別答案>
「拙」な作品を送ることで漱石と笑い飛ばしたかったであろう子規の想いを叶えられたなら、漱石との再会を果たせず鬼籍に入った子規の無念さと悲哀の念を晴らせるのにと懺悔の念に苛まれている。
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