2025年東大国語 第2問(古文)『撰集抄(せんじゅうしょう)』現代語訳
『撰集秘』巻三 第六話が出典でした。
取り急ぎ、暫定版の現代語訳です。
こちらもご参照ください。
2025年(令和7年)東大国語を当日解いたので、所感を書いてみた。
プチ解説 宝日上人の奇行?について
『撰集秘 上』(現代思新潮社)によりますと、
「まことに物に狂ひ侍るなり」と言っているのは、
”止観の思想に支えられた「狂をあらわす」一つの修行姿”だそうです。
「止観(しかん)」は要するに瞑想です。
『精選版 日本国語大辞典』には
”雑念を止めて、心を一つの対象に集中し、正しい智慧を起こし、対象を観ること。
天台宗がもっとも重視する修行実践法。”と書かれてあります。
本文中盤の「いみじく静かに思ひ澄まし給ふ時」がこの止観をしている時なのでしょうね。
また、『撰集秘 上』には以下の注釈もあります。
この説話においては、宝日上人のさまざまな狂態を描き、しかし静かに心を澄ますこともあると述べている。『摩訶止観』巻七下の「狂を揚げ実を隠す」思想に基づく。『閑居友』巻上三からの影響か。
浅学菲才なので、摩訶不思議だなあ…と思ってしまいます。
本文と現代語訳の併記(JPEG)
本文と現代語訳の併記(PDF)
2025年『撰集抄』現代語訳現代語訳(暫定版)
昔、御室戸寺の法印隆明という、尊い高僧が、「中国に渡ろう」と思いなさって、西の国に向かい、播磨の明石という所に滞在していらっしゃる時に、驚き呆れるほどみずぼらしい格好をした僧で、やって来て物乞いをする僧がおります。
まったく裸同然の姿で、子犬を脇に抱えています。
周りの人々は、前後に立って、笑ったり冷やかしたりした。
(隆明は)「不審な者か」とお思いになってご覧になると、(なんと)清水寺の宝日上人でいらっしゃったのだ。
「見間違いであるのだろうか」とよく(目を凝らして)ご覧になるけれども、まさしく間違うはずもなく(宝日上人)その人だったので、(隆明は)自然と悲しみに心が暗くなる感じがして、(その場に)倒れ伏して、「これは滅多にない事態であることよ」と仰ったところ、上人は笑って、「本当に気が狂っておるのです」と仰って、走り出ていらっしゃるように見えるのを、大勢の人を(隆明が)使って、引き留め申し上げようとしますけれども、(上人は)木々がとても生い茂る中にお入りになってしったので、仕方がなく、(追いかけるのを)中止しました。
隆明法印は、甚だしくどうしようもなく悲しく感じなさって、(他に)これという理由や目的もなく、その里に留まりなさって、(上人の行方を)広く捜し求めますけれども、その後は二度と(上人は)見られなさらなかった。
そこで(隆明)は里の者に詳しく事情を尋ねなさったところ、「どこの者とも人々に知られないで、この村に住み始めて二十日ほどです」という回答でございました。
この出来事は、この上なくしみじみと心動かされる気がします。
なんとまあ、確かに(出家は)「世を捨てる」と表現しますけれども、(そうはいってもやはり)生きているうちは、(せめて)衣服は捨てないものでございますのに、(衣服まで捨てなさった上人は)しみじみと心動かされ、立派にも思われますなあ。
おおかた、この上人は、様々な正気を失ったような(常識から外れた)行動をしなさっていたという。
ある時は、清水の滝の下に立ち寄って、合子〔=ふた付きの容器〕という物に水を入れて、陰部を洗いなさることが、日常的な行為であった。(また、)非常に静かに余念をまじえず心を澄ましなさる時もあったようです。並一通りの僧ではなく見えなさいました。
澄み切った心の内側は、常に同じ才能と知恵を持っているけれども、外見上のふるまいは、数多く(常識とは)変わっていたのは、「取るに足らない(平凡な)人々からの(尊敬の)念を、自分一人にだけは受けないようにしよう」とお思いになったのだろうか。
この上人こそが、藤原道隆の追善供養の日に、法興院に籠って、夜明け前頃に千鳥が鳴く声を聞きなさって、
夜が明けたようだ。賀茂の河原で千鳥が鳴いている。今日も(また)あっけなく日が暮れようとしている
と詠んで、『拾遺和歌集』に収録されなさった。
夜が明けるやいなや、きっとあっけなく日が暮れてしまうだろうということ〔=無常〕を、以前から悟っていらっしゃたのだろう。
あの『拾遺集』には円松法印として載っておりますのは、この上人のことである。
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