「王」とは誰か?
珍しく(笑)科目の内容について書きます。
敬天塾の塾生たちとは、チャット形式で常に細かい質問と回答を繰り返しているのですが、面白い内容になりそうだったので、皆さんにも共有です。
ことの発端は、聖徳太子の子「山背大兄王」のことを「山背大兄皇子」と答えた生徒がいたことからです。
「王」と「皇子」は定義が違うため、知っていれば絶対に間違えるはずのない間違いだったので、すかさず噛み付いて、話を拡げました。
他の生徒からは
王→その国の一番の権力者
皇子→天皇の跡継ぎ
だと思っていた、と回答がありました。
これは、ヨーロッパのkingの訳語としての「王」をイメージしているからでしょうね。「王様ゲーム」や「裸の王様」などは、好例でしょう。
が、山背大兄王は権力争いに負けて蘇我入鹿に殺された人なので、当然「一番の権力者」であるわけがない。
別に、私大を受けるなら、「山背大兄王」と丸暗記してればよいのですが、東大を受けるとなると論述問題に答えなければなりません。
論述問題というのは単語の意味や背景など、様々なことを紐づけて覚えていかなければならないため、言葉の意味をイチイチ調べることが大事です。
ということで、この辺りの面倒な言葉の意味を、解説していこうと思います。
※直感的な理解を優先するため、かなりザックリと書いています。細かい事実関係を調べる場合は、他に当たってください。
「王様だーれだ」
では、まずは「王様」から。日本人が一般的に思いつく「王様」は、恐らくヨーロッパ風の王様でしょうね。ディズニー映画によく登場していると思います。お金持ちで、贅沢をしていて、たまに悪いことをして懲らしめられたり。
王子様はイケメンで、別の国のお姫様と恋に落ちるのが定番ですね(笑)
もちろん、ヨーロッパでは「オウサマ」と呼ばれているわけではなく「king」と呼ばれています。
では「king」とは何かというと、その土地の統治者の事であり、世襲で次の王様を決めています。(王制と言いますね。)
ヨーロッパの「皇帝」
しかし、kingよりすごいのが「emperor(皇帝)」です。
kingが限られた範囲にしか権力を及ぼせないのに対し、
emperorは、言語・文化の異なる複数の民族を有する帝国を支配しています。
限られた地域にしか統治権が及ばない王に対して、上位の存在ということです。
emperorの語源に関しては、高校世界史でも登場しますね。
古代ローマの「インペラトール」(Imperator:終身独裁官)が由来ですが、
初めてそう呼ばれたのはオクタヴィアヌス(アウグストゥス)で、ユリウス・カエサル(Julius Caesar 英語読みではジュリアス・シーザー)の甥です。
ドイツ語やロシア語では、「カエサル」という名前のほうのを引き継いで、「カイザー」(ドイツ皇帝)と「ツアー」(ロシア皇帝)になっていますが、これも世界史選択者には常識として知っておいてほしいレベルです。
日本の「王」
そして日本の「王」実は、日本史で登場する「王」には、大きくわけて3つの意味があります。
①冊封体制化の「王」(古代)
②皇親のうち親王宣下を受けていない人(明治になる直前まで)
③天皇の嫡男系嫡出で三親等以上離れた皇族男子(明治以降の皇室典範)
一つずつ行きましょう。
冊封体制下の「王」(中国)
中国が古来から敷いている冊封体制というのがありますね。
中国大陸では「中華思想」というものがありますが、中国こそ世界の中心(華)だ!という(自己中な)考え方です。そこを治めている人のことを(中国式の定義による)皇帝と言います。
中国大陸は広すぎるので、皇帝が全てを支配するのが難しく、地方の有力者にその土地の支配を頼みます。
この支配者の事を「王」と呼ぶのです。
「王」は「皇帝」と契約関係を結び、地方を治めながら得た税金の一部などを肯定に貢ぎ(朝貢)、皇帝は王のことを地方の支配者として認めます。
「王」も(精神的には知りませんが)形式的には「皇帝」の下に位置付けられます。
これにより、お互いが干渉しすぎずに、パワーバランスを保つ関係が出来上がるのです。
日本も聖徳太子の時代までは、中国の冊封下に入っていたので、日本の統治者は「王」と呼ばれていました。
有名な、金印に書かれていた「漢委奴国王」はこの一例です。
「漢」という国に冊封されている、「倭」という国の中にある、「奴国」という国の「王」という意味です。
これが、日本における「王」の1つ目の意味①冊封体制化の「王」(古代)です。
天皇と皇帝
ちょっと脱線しますが、日本の天皇は、皇帝と同格扱いされます。日本の皇室は世界でブッチギリの長い歴史を持ち、戦前には複数の言語や文化の民族を統治していたことも、理由だそうです。
また、聖徳太子が派遣した小野妹子が、隋の煬帝(皇帝)に見せた「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」という国書ですが、
これは中国の皇帝「天子」に対して、日本のトップ(つまり天皇)も「天子」と表現しており、「対等だぞ」という意味が込められています。
その後、日本は律令体制を整え、ずっと独立を保ち、日本の歴史を途切らせずに紡いでいますから、やはり格が高いのです。
たまに、韓国で天皇の事を「日王」と表現して、日本人が「無礼だ!」と怒ることがあるのですが、ここまでの話を理解していれば分かるでしょう。
天皇は皇帝と同格扱いなのに、格下の「王」という呼称が使われるので「無礼」なのです。
皇室の「王」
さて、次に
②皇親のうち親王宣下を受けていない人(明治になる直前まで)
③天皇の嫡男系嫡出で三親等以上離れた皇族男子(明治以降の皇室典範)
ですが、③は明治時代になって②を制度化したものなので、理念としては同じだと思ってよいです。
日本は天皇によって治められている国ですが、天皇を中心とする皇室の中で、ものすごく簡単に言うと、
・天皇に血筋が近い(男系の)男子は「親王(しんのう)」、もう少し離れると「王」、もっと離れると一般人(パンピー)
・天皇に血筋が近い女子は「内親王(ないしんのう)」、もう少し離れると「女王」、もっと離れると一般人(パンピー)
イメージ図で書くと、
天皇 → 親王(内親王) → 王(女王) → パンピー
※カッコ内は女子
細かい定義を書くと面倒なので割愛しますが、
明治以前の律令体制化では、「王」が天皇によって親王宣下されると親王に格上げされ、女王が内親王宣下されると内親王に格上げされました。
例えば、以仁王は天皇の息子ですが、親王宣下されなかったので以仁「王」なのです。
明治になると、これがハッキリとルールになります。(皇室典範が作られました)
天皇から生まれた男系男子のうち、3親等以内は「親王」で、それより離れると「王」です。(残念ながら、現在「王」と呼ばれる人はいません。)
これが女子なら、親王の代わりに「内親王」、「王」の代わりに「女王」と呼ばれます。
今上陛下のお子様でらっしゃるのは、愛子「内親王」殿下で、今上陛下の姪に当たるのは、悠仁「親王」殿下、眞子「内親王」殿下、佳子「内親王」殿下ですね。
「皇子」って誰?
では、最後に「皇子」についてです。
これは簡単。天皇の子供という意味です。但し、奈良時代になり律令体制が整うと、使われなくなったそうですね。
確かに、飛鳥時代には、厩戸皇子、中大兄のお皇子、大友皇子、大海人皇子など、「皇子」がたくさん登場しますね。
山背大兄「皇子」と間違えない理由
さて、冒頭の問に答えましょう。
山背大兄王は、聖徳太子の子です。そして聖徳太子は天皇ではありません。(用明天皇の子ではありますが)
だから、聖徳太子の子は「皇子」にはならないのです。
言葉の定義を知っていると、このように理論的に考えて、足りない知識を補えます。
細かいと思うかもしれませんが、こういう地道な作業が非常に大切です。
ぜひ参考に頑張ってください!