全集中「合格の呼吸」肆ノ型~考え方を変えよ~

人は誰かになることなどできはしない。誰かになる必要もない。

自分を下げ、他人を崇めることを謙譲とは言わない。自分をしっかり持ち、その上で相手を敬うことが謙譲である。この世の誰とも、自分を比べてはならない。それは、自分に対する最大の侮辱である。比べるべきは、過去の自分だけである。

しばしば人は自分の境遇や能力に愚痴をこぼす。しまいには、遺伝や才能論を持ち出し、自己弁護に終始する。だが、その先には沼しかない。

だが、一つだけ沼から抜け出す救いの手がある。それは、「考え方」の変革である。

「考え方」を変えさえすれば、眼界に広がる世界は一変する。あっという間に、世界は表情を変えるのだ。

「自分にはできない、自分には才能がない、自分には無理だ」を口癖にしてはいけない。言ったところで、神様からお恵みがあるわけではない。得られるものは何もない。失うものはある。自尊心、周囲の元気、そして時間だ。

「自分にはできる、自分には才能がある、まだコツを知らないだけだ、自分にできなければ他の誰にもできない」と考えよ。思考の変化は、行動の変化をもたらす。行動の変化は、習慣の変化を促す。習慣の変化は、運命をも変える。

● 「考え方」の変化を伴わずして、自己分析などできはしない。

徹底的な自己分析の重要性については弐ノ型でも問うたところである。だが、自分を見つめるということ、実は最も難しいことでもある。誰しもが、自分から目を逸らしたいと願う。心の内にある弱さと向き合わねばならないからである。理想の自分と現実の自分とのギャップに目を瞑りたいからである。

だが、その「弱さ」は永遠には続かない。むしろ、「強さ」にもなりえる。鏡に映る「いま」の姿に囚われる必要はない。移ろいゆく雲のように、その瞬間その瞬間で、人は変化し成長を遂げてゆく。恐れてはならぬ。逃げてはならぬ。自分から逃げず、自分を見つめ、大いにハッタリをかまし、自分になら出来る!と己を鼓舞せよ。偉人たちは、ハッタリの名人でもあった。世界を敵にしても、自分の能力を信じきることができた。成功者の特性を一つだけ挙げよと問われたなら、私は迷いなく「自分を信じきること」を挙げるだろう。

弱点があるから、人は成長する。成長の余地があるから、人は頑張れる。このように「考え方」を改めよ。

●「考え方」の変化を伴わずして、覚悟を決めることなどできはしない。

壱ノ型で、覚悟の重要性を述べた。

覚悟とは、詰まるところ、自分を信じぬくチカラでもある。受験は我慢大会である。生易しい試練ではない。東大ともなれば、尋常ではない科目数が課される。暗記量も半端ない。志望校を下げようと思えば、下げられる。多くの人が志望校を変える。東大一択と義務付けされているわけでもない。逃げ道はいくらでもある。

では、なぜ、東大を受験するのか。なぜ、過酷な試練に立ち向かい続けるのか。なぜ、この過酷な我慢大会を耐え続けなければならないのか。

理由は人それぞれであろう。だが、2月26日の最後の鐘が鳴り終えるまで、自分を信じぬき駆け抜け続けることのできた勇者にのみ与えられし勲章が「合格」の二文字だと信じてやまない。マラソンをしたことがある人にならわかるだろうが、最後の1kmが物凄く辛い。棄権しようと思えば棄権だってできる。それでも最後まで踏ん張り続ける原動力は何か。それは、「俺はまだやれる」「自分はまだまだこんなものじゃない」「私は絶対に勝てる」と己を信じ続けることにある。

受験は、人生における通過儀礼ではない。己の真価を問う闘いである。自分を信じられないようでは、受かるものも受からない。常に、己を鼓舞し、奮い立たせ、猛進せよ。

不安は、脳が創り出した幻影である。脳が高度に進化したことに伴うバグである。貴方が生きている世界は、幻影の中にはない。世界を潤す大河は、数多くの支流によって構成されている。たとえ伏流することがあっても流れが途絶えることはない。必ずや本流に至る。前へ前へと歩みを進み続けよ。貴方の足元には既に栄光への道が敷かれている。

BELIEVE IN YOURSELF!

ALL ROADS LEAD TO YOUR SHINING FUTURE!

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