2004年東大日本史(第4問)入試問題の解答(答案例)と解説

◎はじめに

東⼤⽇本史の問題は、リード⽂、資料⽂、設問⽂の3点で構成されているのがスタンダード(例外あり)。
これを、どの順で読むべきかというと、おススメはリード⽂→設問⽂→資料⽂の順です。

これがなぜかというと、理由は2点。
リード文は本文へ導入するための文なんだから、リード文の方が先。
そして、本文は設問に答えるための材料だから、設問文が先ということです。カレーを作るか、ポテトサラダを作るか決めないと、ジャガイモの用途が分からないのと同じで、何に答えるかが分からないと本文の使い道も分からないわけですね。

もちろん、絶対的な指標ではなく、あくまでガイドライン。
未来永劫、本文を最後にすべき問題しか出ない保証なんかないので、その場で柔軟に対応すべきといえばその通りではありますが、だからといって基本パターンを知らなくてよいことにはなりません。

これまで多くの答案を⾒て採点や添削を⾏ってきてわかったのですが、内容の良し悪し以前に、問われていることに答えていない答案が、想像の5倍くらい多いと思ってください。自分の答案が十分問いに答えているかどうか、必ずチェックするクセを付けましょう。

※この問題の詳しい解説や、問題の解法、高評価を受ける答案の書き方などは、オープン授業日本史第3講にて扱っています。
ぜひこちらもご覧ください。

◎リード文の分析

設問と一体化しているので、割愛。

◎設問の分析

簡単に言うと、地租改正と農地改革の説明をする問題。
細かいことをいうと、単に内容を説明するだけではなくて「どのように改革されたのか」だそうなので、意識しましょう。

◎(ほぼ)予備知識だけの問題

リード文も資料文もほとんどないので、予備知識だけで解く問題です。
言い方を変えれば、資料文の読解が皆無なので、知識がないけどその場でアドリブで考えようとしている人は0点の問題です。

地租改正や農地改革は、中学受験をする小学生でも、ある程度知っていることなので、正直簡単な問題です。字数も180字です。東大日本史にしては長いですが、地租改正と農地改革をキチっと説明しようと思ったら、当然短い字数ですから、小学生でも解ける問題ともいえるでしょう。きちっと覚えて、きちっと書く。それだけです。

地租改正以前について

では、背景知識を簡単におさらいしましょう。

まず、地租改正以前、つまり江戸時代の土地制度についてですが、極限まで簡単にすると
ーーーーー
領主
↑↓
本百姓
ーーーーー
土地を領有している領主(将軍や大名)と本百姓が支配と年貢納入の関係で結ばれているだけです。

とはいっても、細かく言えば色々あります。
将軍の下の、老中の下の、勘定奉行の下の、郡代や代官が、本百姓を管理しているという関係性があるとか、
本百姓の中にも村方三役(名主、組頭、百姓代)に就いている代表者と、その他の普通の本百姓がいて、その下には小作人の水吞百姓がいるとか。
江戸中期以降は、土地を質に入れる本百姓が小作人化して、買い取った農民が豪農化したけっか、地主と小作人の関係が生まれていったとか。

細かいことを色々覚える必要はあるのですが、この問題はそれほど気にする必要はないので、このくらいで良いでしょう。

地租改正の内容

では、地租改正では何が起こったかというと、いくつかあります。
その中で最も大切なのは、近代的な土地の所有制度になったということです。
具体的に言うと、江戸時代に土地を所有していた人に地券を与えて、「あんたがこの土地の所有者ね」と確定します。そして地券を持っている人が政府に納税する、という構造に変えます。

江戸時代には、将軍(が率いる幕府)に納税をしている天領の百姓もいれば、大名(なんちゃら藩)に納税をしている百姓もいて、納税先がバラバラでした。
しかし、明治になると納税先が明治政府に一元化されます。(というか、政府にすべての税金を集めることで、大きなお金を効率的を使い、富国強兵をして侵略に備えるというのが、明治維新の最大目標といってよいかもしれません)

この関係性は、大雑把に言って、現在の制度と同じです。土地を持っている人が、固定資産税の対象になって、政府に納税しますよね。こういう意味で、近代的と言えるでしょう。

もう一点は、物納から金納になったということです。
江戸時代は米を納入していましたが、明治になると金納に限られました。その金額は地価の3%です。

地租改正から農地改革まで

地租改正で地券が発行されましたが、それはもともと土地を持っていた人だけ。
江戸時代から土地を持っていなかった人は、地券をもらえません。ではどうするかというと、「地券保持者=地主」に土地を耕す権利をもらって、せっせと農業をし、農作物を納入することになります。
つまり、小作人になりました。ようするに、小作人は小作人のままです。

しかし明治以降の日本は、資本主義が導入されたり、産業革命がおこったり、貨幣経済が浸透したりと、経済状態がかなり変化します。
そして、これに伴って階層化が進行して、地主と小作人の関係も差が開いていくのです。

すると、地主は大きな資本力を持ち、米相場に投資をしたり、工場・鉄道・銀行などの社会インフラに出資をしたりして経営者的な性格を帯びていきます。
こうして大きな力を持った「寄生地主」が原因で、軍国主義化した日本は強大な力を持ったのだ!と考えたGHQによって、戦後の日本で農地改革が起きます。

農地改革の内容

ということで、農地改革の目的の1つが「寄生地主の解体」です。
寄生地主は広大な土地を持っていたのですが、法改正で所有できる土地の量に制限をかけました。そして、制限以上の土地を持っていた場合は、強制的に政府が買い上げてしまい、小作人に安く売却しました。

簡単にいうと、農地改革はこれだけです。

もう少し細かく言うと、不在地主は全貸付地を買い上げられ、在村地主は1町歩までです。(北海道だけ4町歩まで)。

これによって、大規模地主だったとしても、制限内の小さな土地を持っているだけの自作人になってしまいますし、それまで土地を持っていなかった小作人でも政府から土地を安く売ってもらえるので、自作農になれました。

こうして、全小作地の80%以上が解放されて、自作農が大量に創出されました。(現在、大地主がいないのも、この時の名残をいえるでしょう)

ここまでの土地制度の変遷を図にまとめました。参考にどうぞ。

◎答案例

地租改正では封建的な領有制を廃止し、地主や自作農に地券を発行することで、土地所有者の保証と納税者の確定を行い、地価に基づく定額金納制を導入するという近代的な土地制度に改革した。これが一因で階層分化が進み地主制が発達したため、農地改革では地主の貸付地を制限し、超過分を政府が買収して小作農に売却することで零細な自作農を創出し、寄生地主制を解体するよう改革した。

・「どのように改革されたのか」という問いなので、1文目の文末と2文目の文末を「改革した」としました。

・1文目では、地租改正以前の江戸時代の体制を、一言「封建的な領有制」とだけ書きました。地租改正以後の「近代的」と対比するため「封建的」としましたが、字数制限があるため一言しか書けませんでした。

・地租改正に結果として、地主制が発達して、農地改革へつながるという流れを端的に表現しました。

◎総評

予備知識だけですし、その予備知識も小学生レベルであることから、簡単な問題と言えるでしょう。

しかし、日本史の勉強というと、マルアンキをしている生徒も多いため、その勉強法では解けないかもしれません。東大の対策をするためには、正確な知識は当然として、十分な理解や、それを表現する記述力などが必要です。これを訓練するのに、非常に良い問題と言えます。

この問題はオープン授業第3回で扱い、詳細な資料や知識、サンプル答案への添削をしながら答案作成のポイントを解説しています。
よろしければご視聴下さい。ご視聴はこちらのリンクから

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