【東大日本史】1995年第1問の解答(答案例)と解説

◎はじめに

東⼤⽇本史の問題は、リード⽂、資料⽂、設問⽂の3点で構成されているのがスタンダード(例外あり)。
これを、どの順で読むべきかというと、おススメはリード⽂→設問⽂→資料⽂の順です。

これがなぜかというと、理由は2点。
リード文は本文へ導入するための文なんだから、リード文の方が先。
そして、本文は設問に答えるための材料だから、設問文が先ということです。カレーを作るか、ポテトサラダを作るか決めないと、ジャガイモの用途が分からないのと同じで、何に答えるかが分からないと本文の使い道も分からないわけですね。

もちろん、絶対的な指標ではなく、あくまでガイドライン。
未来永劫、本文を最後にすべき問題しか出ない保証なんかないので、その場で柔軟に対応すべきといえばその通りではありますが、だからといって基本パターンを知らなくてよいことにはなりません。

これまで多くの答案を⾒て採点や添削を⾏ってきてわかったのですが、内容の良し悪し以前に、問われていることに答えていない答案が、想像の5倍くらい多いと思ってください。自分の答案が十分問いに答えているかどうか、必ずチェックするクセを付けましょう。

※この問題の詳しい解説や、問題の解法、高評価を受ける答案の書き方などは、オープン授業日本史第3講にて扱っています。
ぜひこちらもご覧ください。

◎リード文の分析

摂関政治について、だそうです。

◎設問の分析

リード文も資料文もほとんどないので、予備知識だけで解く問題です。
言い方を変えれば、資料文の読解が皆無なので、知識がないけどその場でアドリブで考えようとしている人は0点の問題です。

設問Aは、シンプル。
摂政と関白について、共通点と相違点を答えるという、超シンプル対比問題です。
字数が60字なのでかなり短いですから、細かいことは書けませんので、優先順位をつけるところも難しいポイントかもしれません。

設問Bは、摂関政治を前期と後期に分けて、前期の特徴を後期と比較して書く問題。これもシンプルです。

注意点は、あくまで前期の特徴を書くのが設問の要求で、後期は比較材料だというのを念頭に置きましょう。
普通は「前期はーーーー、後期は、ーーーーー」と時系列に従って書くのが良いのですが、この問題に限っては、「後期はーーーー、前期は、ーーーーー」と逆に書いた方が良いでしょう。

◎(ほぼ)予備知識だけの問題

リード文も資料文もほとんどないので、予備知識だけで解く問題です。
言い方を変えれば、資料文の読解が皆無なので、知識がないけどその場でアドリブで考えようとしている人は0点の問題です。
東大では、たびたびこのパターンの問題が出題されます。多くは第4問に出題されていると思いますが、たまにこうして第1~3問にも登場します。
中には、一見すると知識だけの問題ではなさそうで、よく読んでみると知識だけの問題、というものもありますので注意しましょう。

◎設問Aの解説と答案例

【予備知識】

読解することがないので、頭の中から摂政と関白についての知識を引っ張り出さなければなりません。

まず、誰でも思いつくのは、摂政も関白も、実権を握った存在だということでしょう。もちろん、これは非常に重要なことなので、共通点に入れて良いと思います。
但し、ここで大切なのは、ただの暗記で終わらないこと。摂政と関白とは、いったい何なのか(what)や、いったいなぜ実権を握れたのか(why)など、さらに突っ込んで理解し、覚えておくことです。

まず、摂政と関白というのは何なのかです。
摂政というのは、天皇が幼くて政治を行う能力が育っていない場合に、代わりに政治を行う者としておかれた役職です。簡潔にまとめると「幼少期の天皇に変わり政務を行う者」。
一方、関白というのは、成人後の天皇の補佐をする者です。大きな違いは、幼少期なのか成人後なのかですが、摂政は代行するのに対し、関白はあくまで補佐をします。

これが違いです。

摂関政治というと、やりたい放題に権力を奮ったという印象があるでしょうが、実は全員がそうではありません。そこまで権力を奮えたのは藤原氏が外戚になった場合です。
外戚になると、天皇が身内になりますので、天皇に対して強い発言力を持ちます。だから政治的な実権を握れるのであって、摂政や関白になっただけでは、そこまで大きな実権は握れません。(もちろん、ゼロというわけでもありません)

こういう関係性を理解しておかないといけないというのが、東大らしいところですね。単純な暗記では飽き足らず、深く理解しようという姿勢を求められていると言えるでしょう。

【答案例】

天皇の権限に関与し実権を握った令外官であるのが共通点。設置されたのが摂政は天皇の幼少期、関白は成人後だというのが相違点。

・今回は摂関政治期の問題ということで、摂関が実権を握った例が多いため「実権を握ったのが共通点」という指摘をしていますが、上述の通り外戚が伴う必要があるので削除しても良いかもしれません。

・「共通点」「相違点」という言葉を用いることによって、設問の要求点が明確にわかるようにしました。

◎設問Bの解説と答案例

【予備知識】

次に、設問Bですが、こちらは前期と後期の比較です。この比較は、学校や予備校などで習うことがあるかもしれませんね。
設問文による前期と後期の定義で再確認すると、藤原良房から村上天皇の天暦の治の時の忠平までが前期で、藤原実頼から頼道の失脚までが後期と考えて良いでしょう。

【摂関の常置/不常置に関して】

では、この2つの違いですが、よく習うのが「藤原実頼以降に摂関が常置された」という内容でしょう。つまり後期は摂関が常置される体制になります。
ということは、前期は摂関が常置されていません。平安時代はずっと摂関があったような印象になるかもしれませんが、よく考えてください、延喜天暦の治があります。
延喜天暦の治とは、醍醐天皇と村上天皇の親政期を指す言葉ですが、この期間は摂関が設置されなかったため、当然摂関が実権を握ることもありませんでした。

この点が、前期と後期の違う点と言えますね。

【藤原北家のポジションについて】

次に、藤原北家のポジションについてですが、前期はちょうど他氏排斥をしている途中です。
承和の変、応天門の変、阿衡の紛議、昌泰の変と、藤原氏が他の一族を排除して権力を握るための準備期間と捉えることができます。言い換えれば、前期はまだ北家の権力基盤が不安定だということです。

一方、安和の変が起きた頃から後期が始まりますが、安和の変とは北家の他氏排斥が完了した事件です。つまり、後期は北家の独占状態の時期でもあります。
但し、後期の中の前半では、北家の内部の権力争いは行われるということも、合わせて覚えておきましょう。

【天皇との外戚関係について】

最後に、外戚についてですが、これは前期でも後期でも苦労します。

良房→基経→時平→忠平と続く前期ですが、この4人のうち外戚関係になったのは良房だけで、他の3人は失敗しています。

後期でも、開始時の実頼は外戚ではなく、しばらく後に登場する師輔以降にやっと外戚関係が築けました。とは言っても、それで安定するわけではありません。
道長は子供に恵まれたので良かったですが、頼道や教道はうまくいかず、そこで北家の勢力は終わってしまいます。
「子宝に恵まれる」とか「子供は授かりもの」という言葉がありますが、やはり子孫を安定して繁栄させ続けるのは難しいのですね。男子と女子を産み分けることも難しいですし、当時は現在よりも乳児死亡率なども高かったでしょうから、なお難しいのでしょう。

図で表現したものも貼っておきます。

 

以上をまとめて、答案例です。

【答案例】

後期は、摂政や関白が常置され、天皇と外戚関係にあった藤原北家が就任して実権を掌握している安定期なのに対し、前期はまだ過渡期であり、摂関が設置されない天皇親政の時期を含み、藤原北家が他氏排斥を繰り返しているという不安定な時期であった。

・上述の論点について、前期と後期を比較して書きました。

。前期の特徴として「過渡期」と「不安定」と表現しました。

◎総評

小学生でも習うのにも関わらず、何となくの暗記や理解で済ませがちな摂政と関白について、深いところをついてきている問題です。
そういう意味で、非常に教育的ですし、示唆に富む問題と言えるでしょう。

ご自身の覚え方、理解の仕方、記述の仕方など、あらゆる面で学びになる良問だと思います。

この問題はオープン授業第3回で扱い、詳細な資料や知識、サンプル答案への添削をしながら答案作成のポイントを解説しています。
よろしければご視聴下さい。ご視聴はこちらのリンクから

 


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