【東大日本史】2022年第3問の解答(答案例)と解説

◎はじめに

東⼤⽇本史の問題は、リード⽂、資料⽂、設問⽂の3点で構成されているのはしっていることでしょう。
ではいったい、どの順で読むべきでしょうか?
問題によって柔軟に対応するのがベストではありますが、基本的には、①リード⽂、②設問⽂、 最後に③資料⽂の順に読むことをお勧めしています。 それは、まずはリード⽂と設問⽂をよく読み、解答にどのような情報が必要なのか 把握した上で資料⽂と向き合うのがよいだろうと考えられるからです。

これまで多くの⽣徒や再現答案を⾒て、採点や添削を⾏ってきましたが、内容の良し悪し以前に、問われていることに答えていない答案が、想像以上に多いです。そこで、設問の分析から始めることで、問われている内容から外れないようにい⼼掛けることを強くお勧めしています。

 

◎設問の分析

設問A

メインで聞かれているのは「江戸幕府が、鉄砲の所持や使用を認めた用途」で、それには「条件がついている」とのこと。しかも資料(3)が出典であることもわかります。
さらに、「(1)で没収された理由と対比して」とあるので、ルールはガチガチ。ほとんど自由裁量がないくらいの設問だと言えます。

注意すべき点は「なぜ鉄砲の所持や使用を認めたか」ではなく、「どのような用途を想定したか」。つまり、鉄砲の使い道を答える問題だということです。

 

設問B

こちらも、根拠となる資料文が明確で、(2)(3)(4)の3つを見れば良さそうです。

問われていることは「(4)のような手厚い対応をとるようになった背景」なので、詳しくは資料(4)を分析する必要があります。
また、「(2)(3)をふまえると」という条件が付いてますから、これもちゃんと注目。

 

◎資料文の選定

簡単です。ほとんど設問文に書いてあります。設問Aは(1)と(3)で、設問Bは(2)(3)(4)です。
必要があれば、ココ以外の資料を見れば良いですが、主軸となる資料文は一瞬で確定します。

 

◎資料文の分析

資料文(1)

いわゆる「刀狩」について書いてあります。
この資料文は、設問Aで使用するため、設問文を確認すると「(1)で没収された理由と対比して」とありますから、刀狩で武器を没収した理由を探りましょう。

資料文そのものからは、直接的ではないにしろ「農具さえ持って耕作に専念すれば子孫まで末永く繁栄する」とありますから、ここを要約・読解すればよし。端的にいうと「兵農分離」です。

しかし、刀狩の目的としては「一揆の防止」も有名。
資料文は「兵農分離」に近い内容なので、優先するのは確定として、一揆の防止を含めるかどうかの判断が微妙。
自分の答案の字数で決める、答案の方向性で決める、「一揆の防止」は5字と短いので入れてしまうと決める、などなど色々あります。

 

資料文(2)

これは、未知の史料。乞食の亡骸を捨てさせたという問題。「雑な扱いだなぁ」と感想が持てればよいでしょう。
なぜなら、資料文(4)と対比させるための資料文だからです。後述しますが、資料文(4)の方が丁寧な扱いをしています。

 

資料文(3)

時系列に並んでいるから資料文(3)だけど、内容的には(1)と接続しています。江戸幕府が鉄砲の所持を部分的に認めたという内容です。

1文目には「条件をつけて」としか書いてませんが、2文目には「作毛を荒らされるか、人間や家畜の命に関わるような場合には」と具体的に書いてあります。2年しか違わないので、2文目の内容を理解すればよいでしょう。

設問Aで使う資料として、設問の要求との対応を見ると、バッチリ!
「どのような用途」かと言われると、文字通り書いているわけではないにしろ「作物や人命、家畜の命を守るため」の(何かしらの)用途。ここまでくれば想像に難くありません。

答えは、害獣を畑から追い払うためなのですが、一応、可能性としては、乞食などの人間が作物を盗みに来た場合の鉄砲の使用という可能性もあります。(資料をよく読むと、鳥とか獣とか書いてありません)
これはどう考えれば良いでしょう。

 

「東大日本史では、年号を見たらその背景を考えるべし」

ハイ、ここで登場するのが「東大日本史では、年号を見たらその背景を考えるべし」の法則です。
東大の資料文では年号が書いてある資料文と、書いてない資料文があります。
過去の文献をそっくりそのまま引用する場合は、年号が書いてあることが普通ですが、東大の教授が受験生へのヒントとして資料文を作成した場合、年号を含めるかどうかを教授が選びます。
ということは、年号自体がヒントの場合が大いにあるんですね。

今回は、1~4のすべての資料に年号が振ってありますので、全ての資料の背景状況を思い出す必要があるのかもしれませんが、特に重要なのは、(3)です。
1687年や1689年の直前と言ったら、どんなことがあったでしょう。

1684年の服忌令と、1685年の生類憐みの令です。このように、資料文に全くない情報を自分の頭ので引っ張り出すことも良くありますね。

この2つから、人間でも動物でも、死ぬことを忌避していたことが読み取れます。
人命や家畜の命が脅かされる時には、鉄砲で追い払ってよい、ということです。また、生類憐みの令が重要ですから、鳥獣を連想。人間が作物を盗みに来ることより、鳥獣を優先して答案作成すると良いと思います。(あとは、人間は作物を盗むことはあっても、わざわざ荒らすことはないだろうと考えることもできます)

いずれにせよ、鉄砲は、害鳥、害獣が畑にやってきて作物を荒らした場合に、排除するために用いるということでした。

ちなみに、鳥獣を追い払う際に、殺すことも避けられたようです。1687年には空砲で威嚇することだけが認められましたが、効果が薄いため1689年に実弾の使用が(猟師以外にも)許可されます。しかしあくまで「生類憐みの志」の趣旨を踏まえるようにされるという徹底ぶりでした。

 

資料文(4)

資料文(2)と違い、優しい話。
老婆が堀に落ちたら、お医者さんに診せて、着替えを与えて、食事を与えた上で、幕府から出来るだけ介抱するようにお達しが来る。さらに、17人の藩邸の人が出向いて引き渡されるという、中々のVIP待遇です。

この資料文はストーリーがそのまま書いてあるので読みやすいのですが、資料(2)との対比で用いるので、「手厚いなぁ」と思えるのが大事。設問文にも「(4)のような手厚い対応」と書かれています。

 

◎答案例と補足

設問A

(1)では兵農分離の推進や一揆の防止を理由としたが、(3)では新田開発に伴い増加した、鳥獣による人命や作物の被害を防止するため、害獣の排斥や護身に限って鉄砲の所持と使用を認めた。

※鳥獣によって作物の被害が増大した背景として、新田開発に触れました。

設問B

文治政治の一環として生類憐みの令が出され、生命の尊重や困窮者の保護、殺生の忌避を是とする風潮が広まったこと。(スタンダードな方針)

文治政治の一環として出された生類憐みの令により生命が尊重され、服忌令により死を忌避する価値観が浸透したこと。(服忌令を入れた)

文治政治の一環として生類憐みの令が出され、生命を尊び死を忌避する価値観や風習が藩邸の役人にまで励行されたこと。(役人として役割が求められた)
※上の2つとはちょっと違った方針の答案。上の2つは、生類憐みの令の風潮が広まった結果、藩邸の武士までそういう価値観を持つようになり、自主的に老女を助けたというような方針なのに対し、この答案では
藩邸の武士は、幕府が出した「生類憐みの令」の方針に従うように求められたからという答案です。

 

◎まとめ

生類憐みの令を思い出せなかった受験生が多かったようですが、「東大日本史では、年号を見たらその背景を考えるべし」の法則を、心にとめておきましょう。(特に、近世の問題で多いような・・・)

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