2014年 東大国語 第2問(古文)『世間胸算用』解答(答案例)と現代語訳

はじめに

出典は江戸時代の町人物として有名な井原西鶴『世間胸算用』。

わりと難しめの年です。
(鉄緑会の『東大古典問題集』によると難易度「4」)
読解も記述が難しいです。

解答例(答案例)とプチアドバイス

(一)傍線部ア・エ・カを現代語訳せよ。【各1行】

ア 気のはたらき過ぎたる子供の、末に分限に世を暮らしたるためしなし。

答案例:機転が利きすぎている子供が、将来に裕福に暮らした例は無い。

プチアドバイス:「の、」について、読点があるので連体修飾格ではないことはわかりますよね。ただ、主格か同格かで迷う人が多いようです。
同格は「AのB」と書く際に、Bの終わりが連体形(あるいは人・とき・ものなどAの最後と同一)となります。
よって同格ではないです。

 

エ 反古にはなりがたし

案例:無駄にはなりにくい。

プチアドバイス:「~になる」は自動詞。「~にする」という他動詞とは異なることにも注目を!

 

カ おのれが役目の手を書くことはほかになし、

答案例:自分の役割である手習いはほったらかしにし、

プチアドバイス:読点の前なので連用形。
つまり「ほかになく、
」ではないので、「他に無く」ではなく「他に為(な)し」。

 

(二)「手まはしのかしこき子供」(傍線部イ)とは、どのような子供のことか。【1行】

答案例:手段を考えて巧妙に金儲けをする小賢しい子供。

プチアドバイス:「手まわし」は現代語の「手を回す(=上手くいくように手配する、手段をめぐらす)」。

 

(三)手習の師匠は、「これらは皆、それぞれの親のせちがしこき気を見習ひ、自然と出るおのれおのれが知恵にはあらず」(傍線部ウ)と言っているが、 これは軸簾を思いついた子の父親のどのような考えを戒めたものか。【1行】

答案例:自分の知恵で金を稼いだ我が子は大成する格別な才能があるはずだという考え。

プチアドバイス:傍線部の「自然と出るおのれおのれが知恵にはあらず」は冒頭の「生まれつき格別なり」と関連しています。「生まれつきの才能」である点も入れたいです。

 

(四)手習の師匠が、手習に専念した子供について、「この心からは、ゆくすゑ分限になる所見えたり」(傍線部オ)と評したのはなぜか。【1行】

(直後:その子細は、一筋に家業かせぐ故なり。惣じて親よりし続きたる家職のほかに、商売を替へてし続きたるはまれなり。)

答案例1:親の言葉を信じて手習いに専念した子供は家業にも専念するだろうから。

答案例2:家業にも同様に専念し、商売を替えて失敗することはないだろうから。

プチアドバイス:理由説明問題は前後に該当箇所がないかをまず探そう!
直後に「その子細(事情・理由)は~故なり」とあるので、直後が該当箇所。
「一筋に」を言い換えた語(専念・一心など)は絶対に外さずに解答に入れましょう。

 

(五)「とかく少年の時は、花をむしり、紙烏をのぼし、知恵付時に身を持ちかためたるこそ、道の常なれ」(傍線部キ)という手習の師匠の言葉の要点を簡約にのべよ。【1行】

答案例1:幼い頃は外で遊び、学ぶべき年齢になったら将来のために学ぶべき。

答案例2:子供は商売のことを考えずに、年相応に遊んだり、将来のために学んだりすべき。

プチアドバイス:「少年の時」と「知恵付時」が対比になっているので、それぞれどんな時期かを考えたい。
知恵「付」時なので、知恵が付き始めた時期。今回の話では、お金儲けの工夫が該当する。よって、手習いをしている年齢(冒頭の子どもだと9~12歳)。
「少年の時」は外で遊ぶことを推奨しており、「知恵付時」よりも前。

本文と現代語訳の併記(JPEG)

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2014年『世間胸算用』現代語訳

現代語訳

 金持ちになった者は、その生まれつきから(持っているものが)格別である。ある人の息子が、9歳から12歳の年末まで、書道教室に通わせたところ、その間の(自分が使った)筆の軸を集め、他の人が捨てたのも取り溜めて、間もなく13歳の春、自分の手作業で、軸の簾を作り、一つを銀貨一匁五分を3つも売り払い、初めて銀貨四匁五分を儲けたことを、「我が子ながら、只者ではない」と、親の立場としては嬉しさのあまりに、(子の)書道の師匠に語ったところ、師匠である坊主は、このことを「良い」とは褒めなさらない。「私は、この年まで、数百人の子供を預かって、指導しまして、見届けてきましたが、お宅の子供のように、気が利き過ぎている子供が、晩年に裕福に暮らした例は無い。また、乞食するほどの身の上にはならないものの、中から下の職業をするものである。このようなことには、様々な詳しい理由があることである。あなたの子供だけを、賢いようにお思いになりなさるな。あなたの子供より、うまく手配してお金を稼ぐ、ずる賢い子供がいる。自分が当番の日は言うまでもなく、他の人が当番の日も箒を取って座敷を掃いて、多数の子供が毎日使い捨てた半紙をまるめたのを、一枚一枚皺をのばして、毎日屛風屋へ売って帰る子供もいる。これは、筆の軸を簾にする思いつきよりは、すぐに役に立つことではあるけれども、これもよろしくない。またある子は、余分の紙を持ってきて、紙を使い過ぎて困っている子供に、一日あたり倍の利率でこれを貸し、年内に積った利益は、この上なく大きい。これらはみな、それぞれの親の利害損得にこだわる気質を見習い(やったことで)、自然と発生した各々の知恵ではない。その(いろんな子供の)中にもある一人の子は、父母が朝夕に仰ったのは『他のこと(に見向きすること)なく、書道に精神を注ぎなさい。(それが)成人してあなたのためになる秘訣だ』との言葉を、無駄にはなりにくい(はずだ)と、明け暮れ読み書きに(手中して)油断することが無く、後には兄弟子達よりも(字が)優れて、達筆になった。この(親の言葉通り、書道に専念する)心からは、将来裕福になることが見えた。その詳しい理由は、一心に家業に打ち込む(はず)だからだ。一般的に、親の代から続いている家業の他に、商売を替えて続いているのは稀である。書道の生徒も、自分の役目である書道はほったらかしにし、幼い頃から鋭く抜け目がなく、無駄に欲深い(のは良くない)。だから、第一の(本分である)書道をしないことは呆れる。その(筆軸で簾を作って売った)子であっても、そのように(書道以外に)注力するのは、良いこととは言い難い。とにかく、幼い頃は花をむしって凧揚げ(するような外遊びを行い)、学ぶべき年齢になったら将来のために学ぶのが、王道である。七十歳になる者の申し上げたこと、将来を御覧なさい」と言い置かれた。

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