2022年東大世界史(第二問)入試問題の解答(答案例)と解説

東京大学はここ数年、従来出題されてこなかったオセアニアやアフリカからも出題をしてきています

2017東大 1965年に独立国家シンガポールが成立した。その経緯について、シンガポールの多数派住民がどのような人々だったかについて触れながら、2行以内で説明しなさい。

2019東大 ニュージーランドが1920~30年代に経験した、政治的な地位の変化について2行以内で説明しなさい。

2019東大 太平洋諸地域は近代に入ると世界の一体化に組み込まれ、植民地支配の境界線がひかれた。地図中(※地図は省略、グアムを除く赤道以北のミクロネシアが図示されている)の太線で囲まれた諸島が、19世紀末から1920年代までにたどった経緯を2行以内で説明しなさい。

2020東大 オーストラリアは、 ヨーロッパから最も遠く離れた植民地の一つであった。 現在では多民族主義・多文化主義の国ではあるが、1970年代までは白人中心主義がとられてきた。ヨーロッパ人の入植の経緯と白人中心主義が形成された過程とを、2行以内で記しなさい。

2021東大 16世紀後半以降、植民地となっていたフィリピンでは、19世紀後半、植民地支配に対する批判 が高まっていた。1896年に起きたフィリピン革命によって、フィリピンの統治体制はどのように変化していくか。その歴史的過程を4行以内で説明しなさい。

2021東大 1990年代,南アフリカ共和国において、それまで継続していた人種差別的な政策が撤廃された。この政策の内容、および、この政策が撤廃された背景について、3行以内で説明しなさい。

これは、羽田 正東京大学名誉教授が10年ほど前から提唱されているアジアから見るグローバルヒストリー研究の流れにも合致しており、本年度の出題されたトルキスタン大論述に同じく、アジア地域から世界史を俯瞰する姿勢を受験生に強く求めたことによるものだと推察されます。

これら地域については、市販の論述本にはあまり掲載されていません。
だからこそ、「差」がつくのです。

そうした流れから、2022年度も急所を突いてくるのかと警戒していましたが、第1問で中央アジア史を大々的に出題してきた手前、平均点が落ちることを危惧してか、この第2問では至ってシンプルな問題セットとなりました。

受験生としては、1問たりとも落としてはいけないセットになっていると思われます。

設問別の答案例や解説

問1(a) ハンムラビ法典の制定時期と特徴

(問題文) 最古の成文法の一つであるハンムラビ法典は、イスラーム法にも影響を与えたとされる。この法典が制定された時期と、その内容の特徴を、2行以内で説明せよ。

→ 正直、高校の中間期末テストレベルの問題でした。ただ、制定された「時期」については、案外、ど忘れした受験生も多かったかもしれません。ここで、合格者の答案例をいくつかご紹介するとしましょう。

Aさん バビロン第一王朝の最盛期に制定され、同害復讐の原則や身分による刑罰差を特徴とする。

Bさん  前18世紀にハンムラビ王の「目には目を」の復しゅう法であった。

いかがでしたでしょうか、正直、良くはありません(笑)。
まず、時期が分からないから、Aさんは王朝名で誤魔化していますね。
ここは減点を食らうでしょうが、法典の中身についてはキッチリ書けています。

Bさんは時期について説明はできているものの、設問条件にない「ハンムラビ王」という余事記載や、規定字数に足りないことから、あまり点数をもらえなかったと思います。
教科書にそのまんまの解答例が載っているわけですから、明らかに両名とも準備不足でした。

 

(b)『世界史序説』を著した学者の名前

(問題文) 14世紀に北アフリカの諸王朝に仕え、『世界史序説(歴史序説)』を著して王朝の興亡の法則性を説いた学者の名前を記せ。

→ 共通テストレベルであり、絶対に落としてはいけない問題です。文化史については、東大は独特な切り口で好んで問うてきます。

 

(c)イラン革命で批判された従前の政策

(問題文) 1979年のイラン革命では、イスラーム法に通じた宗教指導者(法学者)ホメイニらが中心となり、それまでのイランで推進されていた政策を批判した。このとき批判された政策について、2行以内で説明せよ。

→イラン史については出題可能性が高まっていると授業で警鐘を鳴らしてきましたが、パフレヴィー2世の政策について問われたのが本問です。
用語自体は共通テストレベルではあるものの、イラン革命や白色革命といった単語だけ単純暗記している受験生には難しく感じられたかもしれません。
日頃、教科書や資料集で見かける用語をこまめに用語集などで調べる訓練が東大中論述制覇の鍵と言えるでしょう。ここで、合格者の答案例をいくつかご紹介するとしましょう。

Aさん 国王のパフレヴィー2世が、石油利権を譲渡する親英米的な姿勢を取る見返りで国内の近代化を推進した「白色革命」という政策。

Bさん パフレヴィー2世の白色革命では政治体制、教育などの西洋化が進められ政教分離が重視された。

Cさん 親米のパフレヴィー2世が女性の権利拡大や土地改革などを謳う白色革命を主導し開発独裁を敷いた。

いかがでしたでしょうか。
Cさんの答案が最も要点をうまくまとめられていますが、AさんとBさんも、事実誤認がなく設問の要求を最低限盛り込んでいますね。
この程度の答案と思われるかもしれませんが、なかなか良い点数で合格されている方々です(笑)。
逆に言えば、この程度の答案も書けていない人が多いということです。
せっかく共通テストで知識を詰め込んだわけですから、うまく活かせられるようにしましょう。

(東大教授からのメッセージ)

問(1)では、イスラーム教が支配宗教となった地域や国家について、その統治制度やその背景にあるイスラーム法などの理念、思想に注目します。まず、イスラーム法の基盤ともなったハンムラビ法典の時期や特徴、ついで王朝の興亡の法則性を説いた『世界史序説』の著者の名前、そして 1979 年のイラン革命でイスラーム法学者が批判した従来の政策の内容を問うています。

 

問2 (a) 大憲章(マグナカルタ)が作成された経緯を、課税をめぐる事柄を中心に論ぜよ

→ あまりに簡単な問題ではありますが、4行120字という指定字数を前にして、何を書いて良いかわからないと焦った受験生はいたかもしれません。
指定字数が多いと、深読みして、変な答えを書いてしまう人は、2021年の第2問フィリピン史でも散見されました。
ここで、合格者の答案例をいくつかご紹介するとしましょう。

Aさん フランス王フィリップ2世が英領のアキテーヌを奪還しようとすると、英国のジョン王は重税を課して貴族を動員したがブーヴィーヌの戦いで敗れたため不満に思った貴族は国王に窓意的な課税を禁止する内容などを盛り込んだ大憲章を突きつけて認めさせた。

Bさん  教皇から破門を受けたりフィリップ2世に敗れて大陸領を失ったりしたイギリスのジョン王は課税を多く行なった。そのため貴族や諸侯は国王にマグナ=カルタを認めさせ、課税は彼らによる議会の承認を得てからではないと行われないと定めた。

いかがでしょうか。
本問の採点要素を大きく二つに分けるなら、
ジョン王が課税をした背景(上記の青いゾーン)と、
課税の態様や反発の中身(上記の赤いゾーン)となるでしょう。
Aさんは前者が詳しすぎており、字数稼ぎ感が満載で、後者が正直薄っぺらくなっています。
おそらく、書く内容が思いつかず戦いの名前や土地名で字数稼ぎしようとしたのでしょう。
「恣意的な課税」という表現は優れていますが、課税には貴族や高位聖職者の同意が必要であることなど具体的な事柄を述べたいところでした。
評価としてはそんなに高くはないと思います。

一方、Bさんに至っては、「教皇から破門」されたことは大憲章が作成された経緯と無関係であり完全な余事記載でした。
赤字のゾーンは、「議会の承認」という指摘がAさんより優れているものの、「マグナカルタを認めさせ」といきなり書いている点にも違和感があり、相対評価上でどのような点数となるのかに委ねるばかりです。
東大の定期考査でこのような答案を書こうものなら、確実に減点を食らうでしょう。

AさんとBさんは東大受験生の中では比較的上位に位置する方でしたが、
そうした方であっても、このような基礎問題で完全解を書けないことは、逆に言うとチャンスでもあります。

きちんとした戦略に基づき学習を進められれば、相対評価上で高得点を得ることは十分に可能だと言えるからです。

 

(b) マキャヴェリの『君主論』で問われた主張内容

→ 『君主論』を聞いたことがあっても、その中身までは確認してない受験生が多いのではと踏んで出題されたのでしょう。東大は、しばしば文化史を政治と絡めて出題してきています。2009年大論述で取り上げられた宗教と国家、2007年大論述で取り上げられた農業史などは好例でしょう。倫理政治経済を学んだ受験生であれば、授業で取り上げられることが多い作品ですが、世界史の教科書にも説明は書かれています。以下をご覧ください。

いかがでしたでしょうか。
合格に必要なエッセンスは教科書と資料集に全て載っています

では、合格者の答案例を見ていくとしましょう。

Aさん チェーザレ=ボルジアを引き合いに、君主は利益追求と政権確保のために、世俗的道徳の束縛を受けず辣腕をふるうべきとした。

Bさん  イタリアの分裂状態を憂い、政教分離や権謀術数を軸に据えた君主による統治の重要性を訴えた。

いかがでしたでしょうか。両名とも実に素晴らしい答案を書けています。
お二人とも教科書レベルを超えていますが、教科書で出てくるワードは徹底的に用語集などで調べる姿勢を低学年のうちから習慣化していれば、東大中論述でも高得点奪取が期待できます。

(東大教授からのメッセージ)

 問(2)では、中世・近世の欧州における君主権力の安定的で、適切なあり方をめぐる試みに注目します。まず、イギリスのマグナ=カルタの作成経緯を、課税をめぐる事柄を中心に問い、次にマキャベリの『君主論』の主張内容を問うています。

 

問3  日清戦争敗北後に行われた変法運動(戊戌の変法)の概略と中心人物

(a) 変法運動の中心人物2名の名前

→ 人物名自体は、共通テストレベルではありますが、「2名」答えよと問われた時に、一瞬戸惑う受験生はいたかもしれません。

 

(b) 変法運動の主張骨子と経緯

→ これも基礎標準問題であり、絶対に落としてはいけない問題だったと思われます。では、合格者答案を見てみましょう。

Aさん 西洋技術の導入にとどまった洋務運動を批判した公半学派の学者らは、光緒帝と結んで立憲君主制を目指す変法運動を起こしたが、保守派の西太后や袁世凱らが戊成の政変で政権を握ると、運動の中心人物の多くは亡命し、指導者の一人である譚嗣同は処刑された。

Bさん 孔子は改革を志向したと説く公羊学派の進めた変法運動では、日本の明治維新に倣い根本からの近代化と立憲君主政を主張し光緒帝の支持を得たが、西太后ら保守派の戊戌の政変で頓挫し、国会開設や科挙廃止といった主張が実現されないまま百日維新となった。

いかがでしたでしょうか。
典型論点でありますので、お二方とも、一瞬で書き上げられたと思います。
譚嗣同の処刑はマニアックではありますが、これくらいの記述をさらっと書けられるように、用語の定義をさらりと言えるようにする逆一問一答などの訓練を実践していただきたいなと思います。

(東大教授からのメッセージ)

(3)では、19世紀末の清における国家存亡の危機への対策として実施された戊戌変法(変法自強運動)について、まずその中心人物について、次にその主張と経緯を聞いています。いずれも、出題意図を理解して、問いの内容に正面から答えて欲しいところです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。この第2問を出題した趣旨として、東大教授は次のように仰っています。

第2問は、「支配や統治には、法や制度が不可欠」だとした上で、それらは「基盤となる理念や思想とそれを具体化する運動」によってつくられるという趣旨で問題が設定されています。

特定のテーマに沿って、世界史全体を鳥瞰する姿勢は、大論述や第3問でもよく見られます。
敬天塾の講座を受講した上で、過去問探究に励んでいただき、問に答える姿勢を貫いていただけたなら、思った以上に良い評価がなされるでしょう。

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(東大世界史における文化史の切り口) https://exam-strategy.jp/archives/10874
(大論述指定語句にみる東大世界史) https://exam-strategy.jp/archives/10872        

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