【東大日本史】2022年第2問の解答(答案例)と解説

◎はじめに

東⼤⽇本史の問題は、リード⽂、資料⽂、設問⽂の3点で構成されているのはしっていることでしょう。
ではいったい、どの順で読むべきでしょうか?
問題によって柔軟に対応するのがベストではありますが、基本的には、①リード⽂、②設問⽂、 最後に③資料⽂の順に読むことをお勧めしています。 それは、まずはリード⽂と設問⽂をよく読み、解答にどのような情報が必要なのか 把握した上で資料⽂と向き合うのがよいだろうと考えられるからです。

これまで多くの⽣徒や再現答案を⾒て、採点や添削を⾏ってきましたが、内容の良し悪し以前に、問われていることに答えていない答案が、想像以上に多いです。そこで、設問の分析から始めることで、問われている内容から外れないようにい⼼掛けることを強くお勧めしています。

 

◎設問の分析

メインで問われているのは「3代の天皇が譲位を果たせなかった理由」です。
条件として「鎌倉時代以来の朝廷の経済基盤をめぐる状況の変化」と「それに関する室町幕府の対応」にふれることが求められています。

指定行数は5行なので、せいぜい150字。この短い字数で、2つの条件指定と、設問に答えようとすると、結構いっぱいいっぱいの印象です。

資料文も5つあるので、書くことはそれほどブレないでしょうが、後で解説するように、資料文から、文字になっていないことを読み取り、設問に答えなければなりません。その読解力で大きく差はつくだろうと考えられます。

 

◎資料文の分析

資料文(1)

書いてあることは、正直言って東大受験生なら誰でもしっておくべきというレベルの基本知識。しかし、東大の難しさは「知っているかどうか」ではなく「なぜ、そこに、わざわざ書いてあるのか」です。
今回は、資料文で「上皇たちの生活は」とお茶を濁すように書いてありますが、端的にいうと「経済基盤」のことです。

資料には書いてないですが、上皇や天皇家、朝廷などの経済基盤は荘園群からの年貢や一国平均役でした。所有する荘園群が莫大だったとはいえ、鎌倉時代を経て皇統が分裂し、上皇が5人も存在するとなると話は変わります。単純に考えて5分割されれば、1人当たりの経済基盤は弱くなります。要するに、この資料文からは、上皇の数や両統迭立から、経済基盤が弱くなったことを読み取ることが必要でした。

 

資料文(2)

半済令についての資料です。半済令の基本知識は皆さん持っていることでしょうが、ここでは半済令の内容ではなく、目的について書かれています。
「諸国の主語や武士による荘園公領への侵略がすすむなか、荘園領主の権益を半分は保全するという目的もあった。」とのこと。半済令というと、「武士が半分もっていった」という印象が強いかもしれませんが、裏を返せば「半分までにしとけよ」という意味もあったわけですね。

そして、次の文には「天皇や院、摂関家などの所領については全面的に半済を禁止した」とあります。当然、大切なのはこちら。問われているのは天皇や朝廷に関することですから。

資料文(2)全体を通して要約すれば、「天皇や院、摂関家などの所領は、全面的に武士による侵略を許さなかった。」ということ、もっと端的に言えば、幕府が朝廷の所領を保護したわけです。これを読み取れればGOOD。

 

資料文(3)

これは、あまり知らない知識が書かれていたかもしれません。
先に脱線しておくと、天皇や朝廷が行う儀式なんて、どうせ去年のと同じことをするんだし、どうせそんなに出費はないだろうと思うかもしれませんが、そうではありません。意外とお金がかかるものです。
この資料文で言えば「内裏の造営」なんかは、建物を造るってことですから、それなりに出費があったことがわかるでしょう。

その財源は「一国平均役」だそう。そして一国平均役は荘園や公領に賦課されるということまで書いてくれてます。(これは、書いてなくても知らなきゃダメですが)
ということは、資料文(1)で触れたように荘園が分割され、資料文(2)で触れたように武士による侵略が進めば、当然財源は少なくなります。

鎌倉⇒室町と続く中で、朝廷の祭祀や儀式の財源は減ってしまったのでした。

 

資料文(4)

1文目は、後花園天皇が院政をするために、足利義政に頼ったことが書かれています。当然これは、「お金くれ」という意味。室町幕府が朝廷の儀式のためにお金を出していたということを読み取りましょう。
これが、設問で触れるように指定されている条件「室町幕府の対応」に該当しますね。

また、後土御門天皇は「幕府の経費負担で」大嘗祭を行いましたが、これが室町時代最後の大嘗祭になったとのこと。

資料文は丁寧に年号を書いてくれています。読み取ると、後土御門天皇が大嘗祭を行ったのは、1464年です。室町幕府が滅亡したのは1573年ですから、100年以上大嘗祭が行われなかったことになります。
ちなみに、東大日本史では年号が大きなヒントになることが度々あるので、こういうのは見逃してはいけません。

さて、これまでのことをヒントにして、なぜ最後になったのでしょうか?

それは、応仁の乱で室町幕府が弱ってしまったからです。
応仁の乱により、室町幕府の権力は衰退してしまいます。すると当然、経済的にも弱くなり、朝廷を十分に保護する経済的余裕もなくなります。これが、天皇が譲位できなかった理由に繋がりますね。

※ちなみに、大嘗祭は1678年になり徳川綱吉が復活させるまで200年ほどストップしていました。

 

資料文(5)

最後、ここには織田信長のおかげで譲位が実現できるようになったことが書かれています。余談ですが、織田信長は権威を破壊していくイメージがあるかもしれませんが、実は権威主義者の側面もあります。
ここには、特に織田信長が経済援助をしたことも書かれていなければ、朝廷の経済基盤に繋がるようなことも書かれていないので、設問文の補助をしているに過ぎないと捉えるのが良いでしょうか(珍しいパターンではありますが)

設問文には、冒頭に「(5)に述べる3代の天皇が・・・」とありますが、この部分を説明するための資料が(5)だったということです。

 

◎答案例と補足

朝廷の経済基盤は荘園群と一国平均役であったが、皇統分裂や上皇の増加によって細分化され、武士による侵入を受けたため、室町幕府が朝廷の所領を保護し、儀式費用を負担していた。しかすい、応仁の乱で室町幕府が衰退すると、朝廷は幕府の援助を受けられなくなり、譲位に必要な儀式の費用が確保できなくなったから。

 

◎まとめ

知識、読解、記述全てをバランスよく求められている良い問題でした。

平成から令和になり、いわゆる天皇の「生前退位」が実施されましたが、その時事に絡めた問題と言えるでしょう。
天皇が譲位(生前に退位)するというのは、ただ「今日からあなたが天皇ね」と口約束をするというわけではなく、伝統に即した儀式や祭礼が必要です。(これは大きく話題になりましたね)
そして、現在のように皇室の予算が毎年確定しているような制度がなかったため、譲位は経済的余裕に従っていたことは、意外に思うかもしれません。

高校生が受験で学べる歴史は、とても断片的で細かい事情を省いた説明です。東大では初見の資料を与えられますが、これを使って柔軟に背景を読み解ける力は、まさに歴史に触れる力だと言えると思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)