2020年 東大国語 第2問(古文)『春日権現験記』解答(答案例)と現代語訳

はじめに

2019年と2020年の東大古文は非常に簡単でした。
読解が簡単な年こそ、記述力で差が付くので、しっかり設問に答える解答が書けるように訓練しましょう。

解答例(答案例)とプチアドバイス

(一)傍線部イ・ウ・エを現代語訳せよ。【各1行】

イ けしかる巫女来て、壹和をさして言ふやう、

答案例:異様な様子の巫女が来て、壹和を指さして言うことは

プチアドバイス:「壹和に向かって」ではなく「壹和に指さして」です。
省略して意訳するのではなく、補っていきましょう。

 

ウ 人の習ひ、恨みには堪へぬものなれば、

答案例:人間の習性として、恨みには耐えられないものであるので

プチアドバイス:「習ひ」は「習慣」だとNG。持って生まれた性(さが)です。
古文単語の暗記力ではなく、文脈から最適な語を選ぶ日本語力が求められています。

 

エ それもまたつらき人あらば、さていづちか赴かん。

答案例:そこにもまた恨めしい人がいたら、それでどこへ行くのだろうか。

プチアドバイス:「つらし」は普通「薄情・冷淡」と訳しますが、「恨み」の話をしているのだから、「恨めしい人」にした方がしっくりきますね!

 

(二)「思ひのどれども」 (傍線部ア) とあるが、何をどのようにしたのか、説明せよ。【1行】

答案例:維摩会の講師の地位を祥延に越されて恨む気持ちを、前世の因縁だと思い心静めようとした。

プチアドバイス:傍線部直前に「とは」とあるので、「前世の宿業」は外せません。
「のどむ(和む)」はたまに見かける語なので、この機会に覚えましょう。心静めることです。

 

(三)「あるべくもなきことなり、いかにかくは」(傍線部オ) とあるが、これは壹和の巫女に対するどのような主張であるか、説明せよ。【1行】

答案例:自分は恨みを抱いて本寺を離れた僧ではないので、巫女の言葉は的外れだという主張。

プチアドバイス:「恨み」については簡単ですね。それだけで良ければ全員正答してしまうので、「乞食修行者」が何を意味するのか考えましょう。
本当は興福寺という立派な寺から出てきたのですが、黙っていたらそんなことはわかるはずがないので、自分は単なる物乞いをしている修行者だと名乗っています☆

 

(四)歌占「つつめども隠れぬものは夏虫の身より余れる思ひなりけり」(傍線部力)に示されているのはどのようなことか、説明せよ。【1行】

答案例:隠しても壹和が恨みを抱いていることは、春日明神にはお見通しだということ。

プチアドバイス:直前の「巫女大いにあざけりて」にも注目♪

 

(五)「あたかも神託に違はざりけりとなん」(傍線部キ) とあるが、 神託の内容を簡潔に説明せよ。【1行】

答案例:維摩会の講師には、祥延・壹和・喜操・観理の順番に指名されるということ。

プチアドバイス:直前に「四人の次第(順番)」とありますね。
簡単な設問ですが、中には信託の内容自体ではなく、解答に「帝釈宮の金札に~」と書いてしまう方もいますので要注意。

本文と現代語訳の併記(JPEG)

本文と現代語訳の併記(PDF)

2020年『春日権現験記』現代語訳

現代語訳

 興福寺の壹和僧都は、修行も学問もともに励み、才能・知恵が優れて並ぶ者がいなかった。後には俗世から離れて、外山という山里に住み続けた。その昔、維摩会の講師になることを望み申し上げたのに、予想外にも祥延という人に先越されてしまった。「全てのことは前世で行ったことの報いであるのだろう」。とは思いを穏やかにしようとするけれども、その恨みは耐え忍ぶのが難しく思われたので、「長らく本寺の論談交流をやめて、仏道修行のために諸国を歩く身になろう」と思って、弟子たちにあれこれと(事情)も知らせず、本尊とお経だけを竹製の背負う旅行箱に入れて、こっそりと僧侶達の住居を出て、春日大社の社殿にお参りして、泣きながら最後の法施を差し上げなさったような心の内、ただ推し量るのがよい。
そうはいってもやはり住んできた寺も離れがたく、慣れ親しんだ友も捨てがたいけれども、決心したことなので、行き先をどことでさえ決めず、なんとなく東方に赴いているうちに、尾張の鳴海潟に着いた。

 潮干きの合間を狙って、熱田神宮に参詣して、何度も法施をお供えしているうちに、異様な巫女が来て、壹和を指さして言うことには、「おまえは、恨みを心に抱えることがあって、本寺を離れて途方に暮れている。人の習性として、恨みの感情には耐えられないものなので、(あなたの行動も)もっともではあるけれども、思い通りにならないのはこの世の常である。(おまえが)『陸奥国の蝦夷の城に行こう』と思っても、そこでもまた恨みたくなる人がいたら、さて、どこに向かうのか。急いで本寺に帰って、平素からの望みを遂げなさい」と仰ると、壹和は頭を下げて、「意外なご命令だなあ。このような乞食修行者に何の恨みがあるはずもありましょうか。あるはずもないことだ。どうしてこのように(仰るのですか)」と申し上げるとき、巫女は激しく嘲笑して、

  包み隠そうとしても、隠れないのは蛍のように身体から溢れる(恨みの)思いだなあ。

という歌によるお告げを述べて「おまえは、思慮が浅いことに私を疑っているのか。ではそれならば、言って聞かせよう。おまえは維摩会の講師(の地位)を祥延に先越されて、恨みの心を生じたのではないか。あの講師(の地位)というのはな、帝釈宮の金の札に記されているのである。その順番は、つまり、祥延・壹和・喜操・観理と(書いて)あるのである。帝釈宮の札に記してある順序も、これは前世(の報い)による導きであるにちがいない。(順番を決めたのは)私のやったことではない。早く早く、憂いの気持ちを安らかにして、本寺に帰るべきだ。和光同塵は仏道に縁を結ぶ始まりであり、八相成道は衆生に恵みを与える最後なので、神といったり仏といったり、その名は変わっても、同じく衆生を憐れむことは、慈悲深い母親が子供を愛するようなものだ。おまえは薄情なことに、私を見捨て(ようとし)たが、それでも私はおまえを見捨てず、このように後を追い、教えるのである。春日山の老体は、もう疲れてしまった。」と言って、(巫女に憑依していた春日明神は天に)上がりなさったので、壹和は有り難さ、尊さが並一通りではなく、(春日明神を)深く信仰する感激の涙を抑えて、急いで(興福寺に)帰った。その後、次の年の維摩会の講師(になるという念願)を遂げて、四人の順番は、ちょうど信託と違わなかったとのことだ。

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