2008年東大日本史(第3問)入試問題の解答(答案例)と解説
◎はじめに
東⼤⽇本史の問題は、リード⽂、資料⽂、設問⽂の3点で構成されているのがスタンダード(例外あり)。
これを、どの順で読むべきかというと、おススメはリード⽂→設問⽂→資料⽂の順です。
これがなぜかというと、理由は2点。
リード文は本文へ導入するための文なんだから、リード文の方が先。
そして、本文は設問に答えるための材料だから、設問文が先ということです。カレーを作るか、ポテトサラダを作るか決めないと、ジャガイモの用途が分からないのと同じで、何に答えるかが分からないと本文の使い道も分からないわけですね。
もちろん、絶対的な指標ではなく、あくまでガイドライン。
未来永劫、本文を最後にすべき問題しか出ない保証なんかないので、その場で柔軟に対応すべきといえばその通りではありますが、だからといって基本パターンを知らなくてよいことにはなりません。
これまで多くの答案を⾒て採点や添削を⾏ってきてわかったのですが、内容の良し悪し以前に、問われていることに答えていない答案が、想像の5倍くらい多いと思ってください。自分の答案が十分問いに答えているかどうか、必ずチェックするクセを付けましょう。
※この問題の詳しい解説や、問題の解法、高評価を受ける答案の書き方などは、オープン授業日本史第4講(工事中)にて扱っています。
ぜひこちらもご覧ください。
◎リード文の分析
ほとんど何もありませんが、「松平定信の意見の一部(現代語訳)」が書かれているそうです。
◎設問の分析
設問A
問われているのは、松平定信が、農業や食料について認識していた問題について。
これなら、知識だけで(資料文ナシ)でも書けそうなものですが、一応このあと資料文をチェックしましょう。
設問B
Aで答えた問題に対処するために、定信が主導した幕政改革(つまり、寛政の改革)では、具体的にどのような政策がとられたか、という問題。
「ああ、ハイハイ、寛政の改革の内容を書けば良いんでしょ?」と思ったら、アウト。資料文を読んではいるけど、分析していない典型です。もちろん、寛政の改革の内容を答えるのは当たってます。しかしそれだけではありません。
まず、「Aで答えた問題に対処するために」という縛り。Aでは「農業や食料の問題」を答えてるわけだから、Bでは農業問題、食糧問題の対処法を答えます。
例えば、寛政の改革では、「寛政異学の禁」や「出版統制令」など思想や出版に関する統制をかけましたが、こういうのは書く必要はありません。
次に「具体的にどのような政策がとられたか」なので、政策を具体的に指摘する問題です。
つまり抽象的な説明は不要なので「寛政の改革では田沼時代の商業重視の政策を改め、農村再興を主とする政策を行った。」などの説明は不要です。具体的な政策名と、その実施意図をたくさん並べるようなイメージで答案を作ることになるでしょう。
◎資料文の分析
5つ与えられていますが、どれも短いです。
資料文(1)
実は、もう1行目に書いてあります。「耕す者が一人減ればそれだけ飢える者が出る。」これが、資料文の主張部分で、要するに農村人口が減れば、食糧不足になるということです。
そして、後半を読むと、人別帳に登録された人口が140万人も減少しているが、その理由が「離散」だそう。
140万人は、ものすごい数です。現在の日本においてもかなりの人数ですが、江戸時代はなおさら。よく江戸時代の人口は3000万人程度と言いますが、そのうち140万人ですから、とんでもない数だと分かるでしょう。
離散ということは、農村を捨ててどこかへ行ってしまったということ。つまり、冒頭に指摘されているように、耕す者が急減して、食糧不足になってしまったことを読み取れば良いでしょう。
資料文(2)
冒頭に「利益ばかり追求し・・・少ない労力で金を稼ぐことを好む」とあります。これは、儲かりやすい商品作物の栽培を優先していることを言っていますね。
そして、米が減産されていることが続きます。
さらに「農家は今は多く米を食べと米の消費量が増えていることが指摘され、最後に「酒も濁り酒は好まず、かつ村々に髪結床などもあり」と農民が贅沢(奢侈)になっていることが書かれています。
資料文(3)
これも読みやすい資料文。
まず水害が指摘されてますが、これは初めての内容ですね。後半にも「不時の凶作があれば」とあり、ここからも天災による不作が読み取れます。答案に盛り込むかどうかはお任せしますが、確かに寛政の改革の直前には天明の飢饉がありました。
また中盤には「米の減少」が再度指摘されています。
◎答案例
資料文1~3共に設問Aに使えそうですね。
まず根本的な問題は米の減産です。その理由がいくつか挙げられていますので、これを接続すれば良いでしょう。
設問A
離村者や非農業従事者が増加し商業的農業が発展する一方、米消費量が増大していたため、凶作による米の減産や飢饉を危惧した。
設問Bについては、「具体的な政策」を述べる問題なのですが、資料文には登場していません。ここはほぼ全て自分の知識から引っ張って来るしかないでしょう。
但し、書くのは「農業問題や少量問題」に関連することだけです。
設問B
(答案例1)江戸では七分積金を飢饉や災害時の貧民救済として運用させ、物価の引き下げを行うと共に、旧里帰農令を発し農村人口の回復を促した。農村では百姓の出稼ぎを制限し、公金の貸付を行うことによって荒れた村の復興を狙い、大名に囲米を命じ備荒貯蓄をさせた。
これは、教科書の記述を参考にしてまとめた答案です。
(答案例2)倹約令によって農村での米消費や都市での商品需要を抑制し、商品作物の栽培をも抑制するとともに、旧里帰農令や出稼ぎ制限によって農村人口を回復させ、米の供給量を確保しようとした。さらに飢饉に備えて各地に義倉・社倉を設け、大名にも囲米を命じた。
実は、答案例1よりも先に作りました。
資料文から読み取れる「贅沢化、奢侈化」への対策として「倹約令」を入れたのですが、倹約令は大名や旗本などに命じたものだったと書かれている参考書などがあり、農村での奢侈化へ直接対策したと書いて良いか判断できなかったため別解として格下げしました。
◎総評
資料文が平易で読みやすく、何度も米の減産について書かれているので主旨が読み取りやすいですね。答案の方向性は外さないでしょう。
設問Bは寛政の改革についての知識問題なので、簡単と言えば簡単。しかし、農村への対策と都市部(江戸)への対策を混同して書いてしまう答案が多く、気を付けたほうが良いですね。
この問題はオープン授業第4回(工事中)で扱い、詳細な資料や知識、サンプル答案への添削をしながら答案作成のポイントを解説しています。
よろしければご視聴下さい。