【東大日本史】2019年第4問の解答(答案例)と解説

リード文の分析

大問4では、先に読んだ方が良さそうなリード文があるので、分析していこう。

20世紀初頭の日本の機械工業は、力織機や小型のポンプなど繊維産業や鉱山業で用いられる比較的簡易な機械を生産して、これらの産業の拡大を支えていた。また、造船業は国の奨励政策もあって比較的発展していたが、紡績機械をはじめ大型の機械は輸入されることも多かった。一方、高度経済成長期には輸出品や耐久消費財の生産も活発で、機械工業の発展が著しかった。

とある。日本の工業化についての記述である。

日本は既に資本主義体制を確立した列強に追いつくべく、明治維新を皮切りに工業化を推進していく。そのスタートとも言えるのが1870年の工部省、1873年の内務省設置による殖産興業の推進だろう。

さて、リード文を部分ごとに分析しよう。

「20世紀初頭」について

当時の日本の輸出品目のメインといえば生糸と綿製品だろう。
綿紡績業では、1882年の大阪紡績会社をはじめとする綿紡績工場が次々と開業し、生産量が増加し、1890年に国内生産量が輸入量をはじめて上回った。しかし20世紀初頭、綿花と大型機械自体は輸入に頼っていた。
生糸業では、1894年に器械製糸が座繰製糸を上回った。器械も繭も国産であったために、大きな利益を生んだ。
重工業では、下関条約の賠償金により1901年に官営八幡製鉄所が設立された。これに次いで民間の製鉄所の設立が起き、鉄鋼の国内生産が本格的に行われるようになった。

「造船業は国の奨励もあって比較的発展していた」について

政府は、経済上及び国防上の観点から造船業の近代化を推進した。経済上の観点とは、外貨消費の節約のためである。ボンベイ航路などの遠洋航路などでの物資の輸出入において、外国船を使用すると外貨の浪費だからである。
国防上の観点とは、戦争時の軍用艦確保のためである。これは日清戦争で船舶不足に悩まされた経験からも影響を受けている。このことから、1896年に造船奨励法と航海奨励法を施行した。

「高度経済成長期」はおよそ1955年〜1973年あたりを指すものであり、「耐久消費財」は主に、

三種の神器→電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ
3C→カラーテレビ、クーラー、車

などに代表される生活家電を指す。

リード文の中盤には、

「次の(1) ・ (2)の文章は、2つの時期に挟まれた期間の機械工業について記したものである。」

とあり、以下の資料文の補足説明があることに注意。

リード文の最後には、

「これらを読み、機械類の需要や貿易の状況に留意しながら、下記の設問A・Bに答えなさい。」

とあるため、普段ならば設問文に該当している部分がリード文に組み込まれているということを忘れないように解き進めよう。

資料文の分析

この大問の設問文では資料文の読了を前提としているため、先に資料文を分析していこう。

資料文(1)

このたびのヨーロッパの大戦は我が国の工業界にかつてない好影響をもたらし、各種の機械工業はにわかに活況を呈した。特に兵器、船舶、その他の機械類の製作業はその発展が最も顕著で、非常な好況になった。

とある。リード文の時期設定から、もちろんこの「ヨーロッパの大戦」というのは第一次世界大戦を、「かつてない好影響」というのは大戦景気を指している。

日本政府は、戦場から遠く離れていたものの日英同盟を口実に対独参戦を表明する。これは連合国側への軍需品輸出と中国での権益拡大を図ってのものだった。

軍需品輸出に加えて、軽工業では、ヨーロッパ諸国が戦争により撤退していた中国を中心とするアジア市場への綿織物の輸出・在華紡としての進出や、日本と同様に交戦国への軍需品輸出で好況となったアメリカへの生糸・絹織物の輸出が大幅に拡大したことで日本は輸出超過となった。

重化学工業に於いては、鉄鋼業が八幡製鉄所の拡大や満鉄による鞍山製鉄所の運営などで発展した。化学工業が同盟国側のドイツから輸入が途絶えたことで国産化せざるを得ない状況となり、結果的に発展した。

造船業は、造船奨励法を背景として増加した日本の船舶を第一次世界大戦の軍用艦として輸出するようになったので急速に発展し、舟成金が現れた。

資料文(2)

近来特に伸びの著しい機種は、電源開発に関連した機械類や小型自動車及びスクーター、蛍光灯などの新しい機種である。輸出額では船舶(大型タンカー)が40%近くを占めて機械輸出の主力をなし、繊維機械、ミシン、自転車、エンジン、カメラ、双眼鏡など比較的軽機械に類するものが好調である。

とある。これに関しては、資料文の内容をそのまま把握する程度に留めて良いだろう。設問文を見た後に、どのように問われているかに合わせて考えていこう。

設問の分析

設問A

(1)に示された第一次世界大戦期の機械工業の活況はなぜ生じたのか。3行以内で述べなさい。

とある。「(1)に示された機械工業」とは、兵器と船舶とその他の機械類を生産する工業であるため、それらに対応する因果関係の説明を書こう。これは資料文(1)の分析と同様の話になるので割愛する。

設問B

(2)はサンフランシスコ平和条約が発効した直後の状況を示す。この時期の機械工業の活況はどのような事情で生じたのか。3行以内で述べなさい。

とある。この設問文を読んで初めて、資料文(2)がどのような問われ方をするかがわかる。

なお、この問題自体には直接間接はないが、サンフランシスコ平和条約の開催と調印自体は1951年であり、”発効”は翌年の1952年なので注意。

まず思い付くべきは1950〜1953年の朝鮮戦争に伴う「特需景気」であろう。同条約発効直後とも合致する。これは米国への軍需品の輸出超過によってもたらされた好景気である。しかしこの点だけでは3行分にはやや不足感が否めない。

それに加えて、もう一点抑えておきたいのは、1950年代に実施されていた「産業合理化政策」であろう。東大はインフレデフレなどの経済状況を絡めた出題を好む。戦後のGHQ占領期に於ける経済史についても前後関係を押さえよう。
占領初期の日本では、第二次世界大戦の影響で物資が欠乏と急激なインフレーションが発生していたため、統制経済の一環として、石炭・鉄鋼を重点的に増産するなど、「傾斜生産方式」を採っていた。

しかし、GHQは日本の統制経済から自由主義経済への転換を図っていた。1949年、当時の政府が積極財政を進めていた中、GHQはインフレ収束を目指しドッヂラインを導入し、デフレ傾向となった。これを受けて日本は産業の合理化を促進した。傾斜生産方式では、石炭業や鉄鋼業などのように、政府が定めた産業の企業であれば、全ての企業が政府支援の対象であったが、産業合理化政策下では生産効率の良い企業に支援を集中した。これにより国内の各産業に於いての国際競争力を高めようとした。
これら二つの理由が大きいと考える。

答案作成用メモの例

2019(4)日本史 メモ

実際の問題用紙には、このように書き込むなどすると、答案作成に役に立つでしょう。

 

答案例

設問A

活況がなぜ起きたか、について問われている。兵器についての理由、船舶についての理由、残った文字数でできる限りその他機械類の産業についての理由について触れたい。今回は帰結部が簡単に思い付くものではなく、ひとつに定めて取り掛かるのは危険なので、書きながら質問に答えられているかを逐一確認しておきたい。
その他機械類については、リード文で言及されている力織機や、輸入に頼っていた繊維産業の機械がリード文との関連度も高いうえに、説明しやすいので、それを述べよう。

第一次世界大戦勃発を背景に,軍需品や繊維製品の外需が高まると共に交戦国からの機械製品の輸入が減少したため,連合国側に輸出する兵器や船舶の生産,製糸や紡績に使う機械の生産が増加した。(90字)

設問B

論述すべきロジックの展開は設問Aと同じである。その題材が、大戦景気ではなく特需景気に置き換わったものであるから、同様のフォーマットで答えたら便利で楽だと考える。
これら多く羅列された品目を、軍需品・輸出品・民間で消費する品物の3つに大別できることに気が付けば、あとはそれらに合わせた説明をするだけだ。

朝鮮戦争勃発により、米国に輸出する自動車や軍需品の産業や、産業合理化政策を背景とする輸出用の機械類の産業や、好景気下での民間の消費拡大を背景とする耐久消費財の産業が活況となった。(89字)

まとめ

まず思うことは一つではないだろうか。「東大で占領期以後の論述が出たのか」と。
戦前のインプットに比重を置き、戦後をおろそかにするという、かつて一部で流布されていた東大受験への考え方が間違いだったというのがハッキリとわかる。(なお、戦後史に関する問題は2010年頃から度々出題されているため、「戦後史は不要」という指導はすでに通用しなくなっている)すると、産業合理化政策前後のコンテクストが掴めず答案でうまく記述できなかっただろう。

それと同時に感じることもある。やはり出題してくるならば経済史か、と。時間のない現役生などが比重の強弱を置くとすれば、”まずは東大の好きなジャンルから。それが網羅できたらあまり出題頻度の高くないジャンルへ。”という方がまだ良いのだろう。
時代は進み、歴史は累積する。ややもすると、平成以降は教科書に載ってはいても出題されないだろうと高を括っていると、足元を掬われる時代ももう近いかもしれない。出題範囲は教科書の中から、というのを痛感する問題であった。

設問A,Bとともに知識偏重。その知識の中でも”容易な基礎知識(大戦景気、特需景気関連)”と、”比較的発展的な知識”の2段階が必要になっている気がした。

加えて、いずれの設問も書きたい文字数が多くなりがちだろう。3行に纏めるのが難しいとは思われるが、書くべき産業ごとの優先順位をきちんと定め、日本語の体裁を重視して大学教授に気持ちよく読んでもらえる文章を書くことにも注力すべきだ。

①設問文を各要素に分けて答えるべき内容を精査し、答案の方向性を定めよう。

②資料文から抽出すべき内容を探し、各内容で解答に反映させるべき細かい部分まで探そう。(なぜ東大はこのような記載にしているかまでを追及したい。)

③答案を作る時は、背景(今回の問題でいう時代設定など)の条件の提示を過不足ないように厳密に意識しよう。

④設問の聞かれていることに対してダイレクトに答えられているか現代文的な意識でチェックしよう。

⑤現代文として読みやすく、主従関係がはっきりしており、各要素・各単語・各文の接続部分に違和感がないかをチェックしよう。


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