【東大日本史】2019年第2問の解答(答案例)と解説

設問の分析

設問A

後鳥羽上皇が隠岐に流される原因となった事件について、その事件がその後の朝廷と幕府の関係に与えた影響にも触れつつ、2行以内で説明しなさい。

とある。

見てすぐ分かるだろう。単純な”承久の乱の影響について”の知識問題である。
1221年承久の乱にて幕府側が朝廷方に勝利した。かの有名な尼将軍北条政子の演説が生まれた乱だ。
以下は承久の乱後の影響について、教科書をベースに、論述演習などで受験生が一般的に学習する可能性の高い範囲での説明を羅列した一覧である。

  1. 3上皇が配流された。後鳥羽上皇が隠岐へ、順徳天皇が佐渡へ、土御門天皇が土佐へ配流となった。(土御門天皇は自主的に土佐へ移った。)
  2. 京都守護が六波羅探題となり、朝廷の監視、京都の警備、尾張以西の御家人の統制を担った。
  3. 朝廷が皇位継承に介入するようになった。
  4. 後鳥羽上皇方の所領を没収し、新恩給与として御家人に与えた。御家人は新補地頭となり新補率法に則って給田や加徴米、山地や河川などの自然から得られる収益といった恩恵を受けた。
  5. 東国武士が西国に進出し、幕府が西国での支配を強めた。
  6. 公武二元支配体制が崩れ、朝廷に対し幕府が優位に立つようになった。
  7. 評定衆を中心とした御家人の合議体制が作られた。
  8. 御成敗式目に基づく執権政治が行われるようになった。

受験会場で思いつくのはこれくらいだろうか。
しかし、これを2行以内に書くには明らかに多すぎる。なので東大側は優先順位の指針を設けている。それが「その事件が、その後の朝廷と幕府の関係に与えた影響」である。
このことから考えると、⑥は絶対に外せない。
他の要素を無闇に詰め込もうとして⑥の文を下手に改変・省略したり、全体の日本語が崩壊するのはあまり得策とは言えないだろう。
⑥がおよそ1行分であるため、他の項目の中で関連度が高い要素を残りの1行分に充てたい。

設問B

持明院統と大覚寺統の双方から鎌倉に使者が派遣されたのはなぜか。系図を参考に朝廷の側の事情、およびAの事件以後の朝廷と幕府の関係に留意して、3行以内で述べなさい。

とある。両統迭立の始まりの時期についての問いである。
注意すべき点は2点だ。設問にもあるように
①「朝廷の側の事情」を”系図を参考に”説明すること。
②「Aの事件以後の朝廷と幕府の関係」を説明すること。→設問Aの知識問題の部分で羅列した承久の乱の影響の一覧から、”この問いに関連するもの”を抽出する。

この2つに対応した要素を入れたうえで、鎌倉に使者を送る理由に答える。
「朝廷の側の事情」は系図を見れば明らかだ。後嵯峨天皇が持明院統と大覚寺統のどちらが皇位を継承するか決めずに亡くなったため、両統どちらが院政を行うか決めかね、争っていた。ということであろう。(資料文からも読み取ることができる。)
「Aの事件以後の朝廷と幕府の関係」は先ほどの設問Aでの③と⑥であろう。
この2点から両統が鎌倉に使者を送る理由は十分に推察できる。

資料文の分析

資料文(1)

1235年、隠岐に流されていた後鳥羽上皇の帰京を望む声が朝廷で高まったことをうけ、当時の朝廷を指導していた九条道家は鎌倉幕府に後鳥羽上皇の帰京を提案したが、幕府を拒否した。

1235年とあるから当然承久の乱以後である。
九条道家が朝廷の事情にも関わらず、幕府に”提案”する形をとらざるを得なかった。という部分に着目しよう。このことから朝幕関係の変容が見て取れる。さらに言えば、幕府は”拒否”していることから、形式上の譲歩ではなく、明らかに幕府優位であることがわかる。

資料文(2)

後嵯峨上皇は、後深草上皇と亀山天皇のどちらが次に院政を行うか決めなかった。そのため、後嵯峨上皇の没後、天皇家は持明院統と大覚寺統に分かれた。

これは両統迭立の原因の説明であろう。後述の系図を補足説明するものであり、設問Bで盛り込むべき内容であることは言うまでもない。

資料文(3)

持明院統と大覚寺統からはしばしば鎌倉に使者が派遣され、その様子は「競馬のごとし」と言われた。

そもそもこの両統においてどちらも皇位継承についての優位性、正当性に差異はなく、争いが決することがなかった。そんな状況のなか、この頃、朝廷に対して優位に立つ幕府が朝廷の政治や皇位継承に干渉するようになっていたことから、両統は他方の統よりもいち早く幕府に継承を認めてもらおうとしたのだろう。

答案作成用メモの例

2019年度日本史第2問

実際の問題用紙には、このように書き込むなどすると、答案作成に役に立つでしょう。

 

答案例

答案A

⑥をこの答案の帰結部に据え、その原因やプロセスを記述することをまず第一に考えよう。
無論、「承久の乱」という用語を冒頭で明確に提示することを忘れずに。

承久の乱で幕府が勝利したことで公武二元体制が崩れ、朝廷に対し、政治や皇位継承に干渉するなど幕府が優位に立つようになった

答案B

設問は「両統が鎌倉に使者を派遣した理由」を問うているので、それにきちんと対応する帰結部にしよう。これは現代文と同じ話である。

後嵯峨天皇が後継を決めずに亡くなったため、両統どちらが院政を行うか決めかねた。ゆえに両統は、朝廷の皇位継承や政治に対し影響力を持っていた幕府に働きかけ、後援してもらおうとしたから。

まとめ

Aは知識問題である。それを見抜き、踏まえた上で、自分の頭の中にある知識から何を記述するかを冷静に判断しよう。設問に大学側の優先順位に関しての意図があるはずだ。
Bは一転して、資料文や系図を見て得た情報を綺麗な日本語でまとめられるかが重視される。
設問が何を問うているか。分かっていることをアピールするためにたくさん溢れ出てくる書きたいことを溢れ出るままにやたらと詰め込むのではなく、取捨選択する力を養おう。

①設問文を各要素に分けて答えるべき内容を精査し、答案の方向性を定めよう。
②資料文から抽出すべき内容を探し、各内容で解答に反映させるべき細かい部分まで探そう。(なぜ東大はこのような記載にしているかまでを追及したい。)
③答案を作る時は、背景(今回の問題でいう時代設定など)の条件の提示を過不足ないように厳密に意識しよう。
④設問の聞かれていることに対してダイレクトに答えられているか現代文的な意識でチェックしよう。
⑤現代文として読みやすく、主従関係がはっきりしており、各要素・各単語・各文の接続部分に違和感がないかをチェックしよう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)