【中学入試で決まる東大受験46】字が汚いとダメなの? 書字に潜む幾つかの重大な問題 ディスレクシアと東大受験

「字が汚い」「丁寧に字を書きなさい」

と言われたことのある人は多いことでしょう。
入試においても字が綺麗な方が採点官の心証もよく、字の巧拙が得点に多少なりとも影響を与えうるという噂は昔から尽きることがありません。

字が汚いという場合、

◽️ 腕や指の力が弱く字体が崩れがちになる

◽️ 急いで書いているから雑になる

◽️ 一画一画丁寧に書くのが面倒くさいから(意図的に)雑に書いている

というのが一般的に考えられる理由でしょうか。
これらの理由であれば、ペン習字を学んだり、ラブレターを書くかのように丁寧に文字を書くことを心がけたり、他人の汚い字を読んで反面教師にしたり、腕の筋力を上げたりすることで、年齢を重ねるとともに自然と字体も綺麗になっていくものです。

そのほか、

◽️ 頭の回転が早く、思考スピードに書記速度がついていかず、字体が崩れる。

字の下手さを咎められるなか、次第に書くことを嫌がり始めるケースもあります。
進学校に在籍する理数系の生徒に多く見られました。
こうした場合は、パソコンやipadなどを早いうちから駆使できるようにしたり、速記を学ばせたり、表現したいことを一旦iPhoneなどで録音して、それを文字起こしアプリなどで文書化してみたりするのも有効です。
万人にヒットする方策ではないかもしれませんが、受け持ちの生徒たちは、このちょっとした工夫で学ぶ楽しさや表現する喜びに目覚めていました。

ですが、多くの生徒を教えていると、どうにもこれだけが原因ではないことに気付かされます。
たとえば、丁寧に時間をかけても大きく字体が崩れる、漢字をなかなか覚えられない、ローマ字のbとgの違いをうまく認識ができない、文章をうまく読み解けないというケースもあるのです。
こうした場合、親御さんや教師は、「なまけているだけだ!」「気合いが足りない」と本人を責めることが多く、背後に隠れた恐ろしい原因に気づいてあげられないまま、子どもの心に傷を負わせ続けているのです。

すでにお気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、ディスレクシアという文字の読み書き能力に絡んだ学習障害が背景にあることが多いと言われています。
昨今少しずつではありますが認知されるようになりました。

私は医師ではありませんが、20年以上前から上記のような状況に苛む子を何十人も見てきました。
学業成績が芳しくないという学習相談を受けた時、私は生徒の答案用紙を見せてくださいと親御さんに必ずお願いするのですが、そこで先ず書体の違和感に気づきます。

その他にも、思考力はあるはずなのに国語の記述問題をいつも白紙にして出す子。
口で説明させるとすらすら答えられるのに、なぜか答案用紙に文字を書こうとしなければ、おや?と思いヒアリングを必ずするようにしています。

文字を書くことに抵抗感を感じている様子が見受けられた場合、詳しくヒアリングをしてみると、文字を書くことで周りの大人に咎められたり、同級生にからかわれたりした過去のトラウマが絡んでいることが多くあることに気付かされます。

そうしたケースでは、まず、「汚い」とか「雑!」という評価は絶対にしないことを周囲の大人の方などに約束させます。
「お!味わい深いね!」「大胆だね!」「力強いね!」「芸術的だ!」などと褒めてあげます。
大きなホワイトボードに大きく書かせることもあります。
そして、巨大な花マルを横に書いてあげると、もっと書きたい!と笑顔になることもあります。

パソコンのローマ字打ちやカナ文字打ちを早いうちからマスターさせるのも有効です。
その際、「社会で活躍している人は、みんなパソコンで文書作成しているから、他の子達より早くに社会で活躍できるかもだね!社長さんとか、誰も手書きで文書なんて書いてないよ!時代はICTだよ!」と明るく声がけをして、楽しみながらタイピング練習できるソフトもぜひご活用ください。

話すことが好きな子なら、記述問題を解かせるに際して、口で説明させて、それを録音して文字起こしさせてみるのも良い学習訓練になります。
学校の板書もiPadで撮影すればよく、授業についていけなければネットの映像授業を活用したり、要点を絵でまとめた教材を活用したりすることで学習を進められる時代になってきました。
読み聞かせや教科書本文の音読アプリを用いることも有効なことが多いです。大切なことは、一人一人に寄り添う姿勢を示すことです。

20年前は親御さんでさえ子供の苦しみを理解してあげられず、私が孤軍奮闘して生徒たちを引っ張ることが多く上手くいかないことも多くありました。
周囲に理解されないということは、こうも恐ろしいことなのだと実感する日々でした。
ですが、今は、ディスレクシアという言葉が普及し、試験時間の延長やPC入力による解答といった配慮のほか、AO入試で多彩な力が評価される時代になってきていますから、以前に比べればだいぶ救われる子も増えてきた印象です。

ただ、注意せねばならないこともあります。
ディスレクシアという言葉が独り歩きしているようにも思えるのです。
医師の中には、安易にディスレクシア=ADHDと性急に判断し、ストラテムなどの薬を処方する方もいます。
学習障害だから勉強はこの子にはできないと決めつけてしまう親御さんや教師も多くなりました。
ディスレクシアの先輩がこのやり方でうまくいったから、うちの子供もきっとそれでうまくいくと、本人に合う合わないは考えずに押し付ける親御さんもいます。
「あなたは、ディスレクシアという障害を持っているからパソコンを打てるようにしなさい」と、子供にダイレクトに伝える人もいます。

ですが、こうした事態は非常に危険でもあります。なぜなら、「あんたはディスレクシアなんだから、これこれする他ない」と決めつけるのは、「文字が読み書きできないはずはない!」と言って等身大の子供の姿を観察してこなかった昭和時代のやり方と何も変わりないからです。

たとえば、どうにも文字を読むのがつらいと言って、成績が急降下していた子がいました。
字体は崩れ病院に行くもディスレクシアと診断されましたが、その子の様子をつぶさに観察すると、どうにも眼振が起きているようでもありました。
そこで複数の病院に連れて行ったところ、全く別の病気が原因だとわかり、ステロイド治療を経て、今ではそのような症状に苛むことは一切なくなりました。
ディスレクシアという枠組みに安易に当てはめようとすると、このようなことも起こり得ます。

また、ディスレクシアと言っても、状況は一様ではなく、100人いれば100通りの特性を見出せます。
当然、合うやり方もその都度一緒になって考えていく必要がありますし、成長に応じて合うやり方も変化していくものです。
こうした工夫を大変だと仰る方もいますが、ディスレクシアであろうとなかろうと、子供の教育に万能方程式などありませんから、結局は一人一人の個性や特性に合わせて試行錯誤する他ないのです。

だから、教育はものすごく大変なのですが、だからこそ教育は尊いことでもあります。
そして重たい責任をも伴います。
教育は、その子が持ったチカラを引き出すキッカケにもなりますし、その子が持った才能を潰す元凶にもなりかねないからです。

さて、随分と話が広がってしまいましたが、ディスレクシアであろうとなかろうと、まずは悩みに真摯に向き合うことが大事です。
「大丈夫だよ!一緒に笑顔になれる方法を考えてゆこう!」と本人に寄り添う姿勢こそが、心を通わせる契機になると私は信じています。

なお、東大生のノートは綺麗なのかと、よく質問されますが、そんなことはありません(笑) 。
人にもよりますが、「芸術的」な字を書かれる方は多くいます。
でも、皆さん、自分に合ったやり方で工夫したから、東京大学に合格できたのだと私は思います。

能力が足りないのではなく、工夫が足りないだけなんだと私はよく生徒に伝えています。
この理は、書字で苦しむ子達にも当てはまります。

「大丈夫だよ!一緒に笑顔になれる方法を考えてゆこう!」

この言葉をぜひかけてあげてください。

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