2020年東大日本史(第1問)入試問題の解答(答案例)と解説

設問の分析

設問A

中央の都城や地方の官衙から出土する8世紀の木簡には、「千字文」や「論語」の文章の一部が多く見られる。その理由を2行以内で述べなさい。

とある。

まず都城については当時の日本の首都の基本構造であり、天皇の住居である大極殿や官衙を中心とする宮城と、官人などの居住区である京とで構成されたものなので、地方の官衙含め政治的機構、政庁であるから、そこから出土した木簡がどういう意味を持つかは自ずと分かる。

ここで、木簡の意義を再確認しよう。大まかに分けて3つある。
①荷札として使われ、荷物と共に運ばれた。(税)
②記録用に用いられた。
③文字の練習用に用いられた。
そして、その木簡には千字文や論語が記されていたとあるので③の用途及び学習のために用いられたのであろう。

これらの点を踏まえ、資料文を確認していくことで、東大側が意図している文章の骨格に肉付けすべき内容を拾う。

設問B

中国大陸から毛筆による書が日本列島に伝えられ、定着していく。その過程において、唐を中心とした東アジアの中で、律令国家や天皇家が果たした役割を4行以内で述べなさい。

とある。

まず余談であるが、この設問文を見て率直に抱く感想は読点の多さである。
自分が記述解答を作成する際に、社会のみならず国語にしろ英語にしろ、ややもすると読点を打つ量について考えてしまうことがあると思われる。(実際に現代では、日常的なメッセージなどで句読点が多いと嫌われるきらいがあることなども原因だろう。)
だがこのように要素ごとに細々と切り分ける読点を多用した東大側が提示しているのを見ると、多少くどく、しつこく感じられてもやはり句読点で区切ることによる読みやすさを重視した方が良いのだ。と安心させられる。

本題に戻す。困ったことに、この設問文は、一読しても、はっきり言って何を求められているか、また何を答えるべきかが難解である。

とりあえず解答すべきなのは、唐を中心とした東アジア情勢の中で当時の日本がどのような役割を果たしたか、ということをメインとして帰結部に据えるべきである。確かにこの時期日本は、東アジア文化圏の形成の一部となっていたが、これは律令国家や天皇家がどのような”役割”を果たしていたかの説明には最適当とは言えない。

仮に、たとえば、日本国家が唐からの文化を周辺諸国に伝播している、などのような資料文があれば明確な”役割”として論ずることが出来るが、資料文及び教科書的な理解の範疇では、そのような役割という日本語の単語にしっくり来るような律令国家及び天皇家の働きかけに該当するものは思い浮かばない。

ゆえに苦肉の策として、唐を中心とした東アジア文化圏を形成するにおいてどのような”立場”であったか、という意味に換言して把握したい。だが”立場”はあくまで”役割”という単語に対して必要十分性を担保している訳ではないため、慎重に扱わざるを得ない。

この場合、「日本は唐に対して平等な立場とし冊封を受けなかったが、遣唐使を派遣し文物を下賜するなど、文化を受容することで、唐を中心とする東アジア文化圏の形成に関与した。」という文章を記述骨格の基軸に据えたい。

そして、毛筆による書が日本列島に伝えられ定着した件についても触れたい。
この時点で77文字あるため、残りの限られた43文字の中に盛り込むべき内容を資料文から拾っていきたい。

資料文の分析

資料文(1)

「千字文」は6世紀前半に、初学の教科書として、書聖と称された王羲之の筆跡を集め、千字の漢字を四字句に綴ったものと言われる。習字の手本としても利用され、「古事記」によれば百済から「論語」とともに倭国に伝えられたという。

とある。

まず、千字の漢字を四字句に綴ったものと言われてもあまりピンとこないので以下を参照。

これの文字そのものは王羲之の筆跡であるが、編纂者は彼ではない。これは王羲之の筆跡の千文字を集め編纂したものである。
これが初学の教科書、及び習字の練習として活用されたと記述されている。
そして、当時の律令国家における学問とは、主に儒教と漢詩文の読み書きである。その漢字の読み書きのための入門書として用いられたようだ。

また、論語は儒教思想を学ぶための孔子の経典であることから、こちらは儒学学習の入門書として用いられた。当時の日本は律令国家体制期であり、官僚の学識としてこれらの習熟が要求されていたことがわかる。

資料文(2)

唐の皇帝太宗は、王羲之の書を好み、模本(複製)をたくさん作らせた。遣唐使はそれらを下賜され、持ち帰ったと推測される。

とある。

この資料文からは当時の唐を中心とする東アジア文化圏に参画するに至って、唐が日本を含む周辺の朝貢国に学識として要求する漢字の読み書き能力を習熟させるため、参考にすべき模本を作らせて朝貢の返礼品として下賜したことが書いてある。
これにより日本も東アジア文化圏の一部であったことや、中国大陸と日本での文物の往来には遣唐使が鍵であったこと、儒教教典・仏教教典・政治の体制に関する知識などの諸々の大陸文化を受容していったことが読み取れる。

資料文(3)

大宝令では、中央に大学、地方に国学が置かれ、「論語」が共通の教科書とされていた。大学寮には書博士が置かれ、書学生もいた。長屋王家にも「書法模人」という書の手本を模写する人が存在したらしい。天平年間には国家事業としての写経所が設立され、多くの写経生が仏典の書写に従事していた。

とある。

そもそも大学と国学に関して、大学は中央の貴族の子弟が学ぶための学校であり、都城に存在した。国学は郡司、地方豪族の子弟が学ぶための学校であり、国府に存在した。となれば、これらは政治の要衝に併設されていることがわかり、行政に欠かせなかった、と判断できる。(事実、当時は文書を用いて行政おこなっていた。文書行政という)

加えて、書博士は律令国家において大学寮に勤めていた官人で、書学生に書道を教えた。このことを踏まえると、論語を用いて儒学を教えていたと共に、学生や官僚たちの識字能力の向上のため書道を教えていたとされる。

さらに長屋王家にも「書法模人」なる職員が存在していたことを考えると、天皇家も積極的に漢字文化を受容し、そして文書行政の活発化推進のため、国内に推し広げようとしていることがわかる。ゆえに国家事業として教科書となる仏典を模写し複製し各地に分散していたことがわかる。この背景には仏教における鎮護国家思想の隆盛もあるといえる。

資料文(4)

律令国家は6年に1回、戸籍を国府で3通作成した。また地方から貢納される調は、郡家で郡司らが計帳などと照合し、貢進者・品名・量などを墨書した木簡がくくり付けられて、郡に送られた。

とある。

この資料文では前述の国学での読み書き能力の指導が実際に活用されている場面が記されている。さらに、国府よりさらに末端の各地の郡家などでも税の情報を記すために木簡に文字を書く必要性があったことが読み取れる。
これにより律令国家体制及び税制度の維持のために政治機構に於ける地方の政治の末端機構の役職でさえも読み書きの能力が要求されていたことがわかる。

資料文(5)

756年に聖武天皇の遺愛の品を東大寺大仏に奉献きた宝物目録には、王羲之の真筆や手本があったとしるされているを光明皇后が王羲之の書を模写したという「楽毅論」も正倉院に伝来している。平安時代の初めに留学した空海・橘逸勢も唐代の書を通して王羲之の書法を学んだという。

とある。

この資料文は前半と後半の二つに大分して考えることができる。

前半は8世紀中頃に天皇家でも王羲之の書を重用していたことがわかる。そして、後半では、平安時代に活躍した三筆と呼ばれる彼らも、王羲之の書法を踏襲していたことがわかる。
空海と橘逸勢は9世紀初頭に活躍した人物であることから、9世紀頃には、唐から流入した文章経国思想が日本でも流行していたことがわかる。よって漢詩文の能力を涵養することで文芸を興し国家の繁栄安寧に繋げることを目的としており、それに王羲之の書も活用されていたことが推察できる。

答案作成用メモの例

2020(1)日本史 メモ

実際の問題用紙には、このように書き込むなどすると、答案作成に役に立つでしょう。

答案例

設問A

文書行政を行う律令国家では官僚の学識として漢字の読み書きや儒学を重視していて、木簡は習熟のための道具として用いられた。(59字)

文書行政を浸透させるため、都城や官衙に勤める官人に対して木簡を使って『千字文』や『論語』を手本に文字の練習をさせたから。(60字)

設問B

日本は、唐に対して平等な立場とし冊封を受けなかったが、遣唐使を派遣し毛筆の書などの文物を下賜するなど、天皇家や律令国家が儒学・漢字・仏教の様な唐の文化を積極的に受容することで、唐を中心とする東アジア文化圏の形成に関与した。(111字)

律令国家は全国で、官人教育機関で模写をさせ、徴税の情報を墨書で記録させた。鎮護国家政策では写経の国家事業が展開され、天皇家が書の模写や収集、保管をし、後に書に優れた三筆も生まれた。このように毛筆文化を日本に広く普及させる役割を担った。(120字)
※律令国家や天皇家が、唐が由来の毛筆文化を、日本全域に普及させる役割を担った、という主旨の答案

まとめ

やはり大事になるのは、問題文が与えた時代範囲などの条件設定に基づいた上で、設問の問い方にピッタリと沿う形で丁寧に解答を仕上げることだ。その点、今回の設問はやや答え方を間違えやすい問い方だったと思う。

A「都城や官衙からの出土する木簡」についての問いに対して、なんとなく臨んでいれば、税に関することを書いてしまう人もいるかもしれない。しかし今回は千字文や論語の文章の一部が見られる、という条件設定が与えられている。

Bであれば、設問文の意図の理解がややこしいために「東アジア文化圏で、律令国家や天皇家が果たした役割」にフォーカスしない解答を作ってしまうかもしれない。

最近、世の中ではこういった「問いに対応する答え」が出来ないがために、人との意思疎通がうまくいかず揉めているケースを散見する。一例に過ぎないが「今日夕ご飯食べる?→あなたが作るなら」このような受け答えがおかしいことは明白であろう。
これに類するミスをしないようにまずは国語に気をつけたい。

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