2023年東大日本史(第3問)入試問題の解答(答案例)と解説

リード文の分析

特にありません。飛ばします。

設問の分析

設問A

(1)のように江戸で寄席が急増したのは、どのような理由によったと考えられるか。歌舞伎と対比される寄席の特徴に留意しながら、2行以内で述べよ。

メインで問われているのは「江戸で寄席が急増した理由」、条件として「歌舞伎と対比される寄席の特徴に留意」があります。

歌舞伎については、教科書内容で少しは習いますが、寄席に関してはほとんど習いません。せいぜい、風俗取締り令の一環として禁止されたことくらいでしょう。よって資料文を頼りに答案を書く問題です。
後に書きますが、資料(1)にほぼ書かれていますので、まとめれば良いです。背景まで含めるような深い答案を作る場合は、少し予備知識を混ぜながら書くこともできます。

設問B

町奉行が(2)(5)のように寄席を擁護したのは、どのような事態が生じることを懸念したためと考えられるか。江戸に関する幕府の当時の政策や、幕府がこれ以前に直面したできごとにふれながら、3行以内で述べよ。

メインで問われているのは「町奉行が寄席を擁護したのは、どのような事態が生じるのを懸念したからか」です。これは、資料文に書かれている年号を確認して、資料内容から推測することで、「打ちこわし」や「一揆」だと分かります(後述)

条件として、2点に触れることを求められています
1点目が「江戸に関する当時の政策」ですが、これは資料文の年号から特定できます。資料文(2)は1841年、資料文(5)は1844年ですから、「天保の改革」の時期です。もちろん「天保の改革」と書くのではなく、その中の具体的な政策を指摘する必要があります。天保の改革で何が行われたかは、資料文に書かれていないため、自分の知識から引っ張り出す必要があります。

2点目は、「幕府がこれ以前に直面したできごと」です。1841年や1844年の以前に直面したということなので、暗記した年号から推測することになります。後述しますが、天保の飢饉や大塩平八郎の乱を思い出すのが良いと思われます。

資料文の選定

設問Aで「(1)のように」とあり、設問Bで「(2)(5)のように」とありますので、(1)(2)(5)の棲み分けは決定です。

(3)では、途中で「職人などは何をするかわからないと懸念し」と、懸念したことが書かれているので、設問Bで使います。
(4)では、江戸の人口の半数が低収入だということが書かれていますが、当時の江戸の背景の説明ということもあり、設問AでもBでも使おうと思えば使えます。

ただし、ハッキリとした選定は、資料文の内容をじっくり読まないと分からないので、気を付けましょう。

設問Aの解説

資料文(1)(2)(4)

ほとんどココに書かれています。
寄席の特徴と、歌舞伎の特徴をまとめた表がこちらです。

しかしこれだけでは、寄席が人気になった理由が不十分です。その理由が資料(2)と(4)にちょっとずつ書かれています。

先に資料(4)から見た方が分かりやすいと思いますので、(4)から

江戸の町方人口56万人の」うち、28万人余りは日々の暮らしをその日に稼いだわずかな収入でまかなう「その日稼ぎの者」である

とあります。
「その日稼ぎの者」の定義がとして、その日に稼いだわずかな収入でまかなうと書かれています。要するに、昼に働いて夜にその日の賃金をもらっている、低賃金労働者ということです。

続いて資料(2)には

寄席は歌舞伎などに行けない職人や日雇い稼ぎの者などのささやかな娯楽の場で

とあり、「日雇い稼ぎの者」についてさらに説明があります。(職人にも説明がありますが、同じです)

「日雇い稼ぎの者」は歌舞伎に行けないと書かれていますが、それもそのはず。歌舞伎は高額で昼間しか営業していません。日中働いている低賃金労働者には不向きです。

一方、寄席ならば、夜にもやっているし、安価で遊べます。だから江戸の大半を占める「その日稼ぎに者」にとってピッタリだったわけですね。

このあたりをまとめれば答案になります。

江戸に低賃金労働者が多く住んでいた背景

では、なぜ江戸にはこのように、低賃金労働者が多かったのでしょうか。このような背景の状況を盛り込むことによって、厚みのある答案にすることが出来ます。

江戸後期の社会について、私も色々調べましたが、わかりやすくまとまっている資料がなかったので、簡単ではありますが解説しましょう。

映像授業の方では、より詳しく構造的に説明していますので、よろしければご覧くださいね。

ちなみに、設問Bにも関わる内容なのですが、面倒なのでまとめてここで解説してしまおうと思います。

大きな社会の動きについて

貨幣経済の浸透によって、貧富の格差が開く

まずは、特定の年号に関係なく進行する社会の変化についてお話しましょう。

日本では(いつをスタートにするかは色々な説明ができると思いますが)鎌倉時代くらいから貨幣経済の浸透が続いています。これによって必然的に貧富の格差が広がっていきます。
古代で米作りが始まったとき、米が保存ができるために、たくさん米を持っている人と、米を蓄えられない人が出てしまい、徐々に身分差が出てきてしまったのと同様に、
貨幣が流通すればするほど、たくさん持っている人と、持っていない人が生じます。
これにより、貧しい人が増えてしまう構造があったと理解しましょう。

マニュファクチュア

続いて、マニュファクチュア(工場制手工業)の登場です。
手作業ではなく、マニュファクチュアで生産できるようになれば、当然ながら、製品の量も増えていきます。
これにより、生産手段を持ち富裕する人が生じる一方で、実際に生産を担う人たちとの格差も増します。

江戸周辺の農民が江戸に流入

さて、貧困に陥った人は、どのような行動をとるでしょうか?
地理選択の人ならば頻出の話題なので理解しやすいかもしれません。人は仕事のある所に集まります。つまり都市部です。
本問においては、当然、江戸です。つまり、江戸にたくさんの人が押し寄せ、低賃金労働者が増えていたのです。

治安の悪化

収入が低い人が増えると、どうしても治安が悪化します。泥棒をしたり、悪いことでお金を稼ぐ人が出てきたり。
多少豊かな生活をしていたとしても、右肩下がりの経済状況では心が荒んでいき、悪いことに手を出しやすくなります。
なお、この頃は江戸だけではなく、江戸周辺の農村でも治安の悪化が進んだそうです。

江戸時代後期の出来事

文政期のインフレ政策で、貨幣経済がさらに浸透

ここまでは、大きな社会の流れについて、つまり特定の年号に関係ない流れを書きました。次は、年号が登場するようなイベントを紹介していきましょう。

まずは、天保期の数十年前から。
天保期の前の時代は「大御所時代」と呼ばれますが、2つに分けるとすれば、文化期と文政期。
大雑把に言って文化期(1804~1818)はデフレ政策が敷かれていましたが、文政期(1818~1830)はインフレ政策に転向しました。
デフレ政策とは、貨幣に対してモノの量が多くなり、物価が下がっていく(貨幣価値は上がっていく)現象のこと。インフレは逆で、モノの量に対して貨幣の量が多くなり、物価が上がっていく(貨幣価値は下がっていく)現象のことです。

つまり、後半の文政期には、貨幣の量が増えて価値が下がり、物価が上がっていました
これを後押ししたのは、貨幣改鋳(文政金銀の鋳造)でした。価値の低い金銀通貨を発行することで、貨幣の量が増えた代わりに貨幣価値が下がります。
さて、貨幣量が多くなれば、それだけ色々なところへ流通しやすくなるもの。よって、江戸の町だけでなく、江戸周辺の村々へも貨幣が一層浸透していきました。

関東取締出役と寄場組合

ちょっと時代は前後しますが、大御所時代の治安悪化対策で出されたのが、「関東取締出役(1805)」と「寄場組合(1827)」です。
関東取締り出役は、勘定奉行による直接管理の下で、幕領や藩領に関係なく、自由に関東8国を巡回できる権利を与えられました。無宿人や博徒の取締りや風俗の取締りなどを担います。
しかし、非常に少人数しか任命されず(開始時はたった8名)成果が出ませんでした。
そこで今度は、それぞれの農村の人に治安維持を担当する役目を割り当て、さらに村同士で連携させ大組織を作りながら治安維持にあたらせたのが寄場組合です。

天保の飢饉

さて、悪い状況に追い打ちをかけたのが、天保の飢饉(1833~1839)です。
飢饉ですから、米がとれません。米がとれないということは、米不足から米価が上がります(つまり、インフレの加速)
インフレには、好景気を誘発するタイプのものがありますが、急激な物不足が由来のインフレは悪性です。(戦後の日本や、オイルショックなども同様)
人々は生活に困って、一揆を多発させました。

大塩平八郎の乱→全国に飛び火

天保の飢饉に併発したのが大塩平八郎の乱です。
大坂で餓死者が出ているにも関わらず、幕府が米を江戸に送ってしまうなど、目に余り失政を繰り返す始末。加えて豪商が米を買い占めてしまいます。
そこで、奉行や商人を倒そうと立ち上がったのが大塩平八郎です。

大塩の乱は、たった半日で鎮圧され、大塩自身も自刃します。
しかし、大塩の乱に刺激を受けて、全国で同様の乱が連発。幕府はこれに、かなり怖がったそうです。

人返しの法

さて、天保期の幕府は人返しの法(1843)が出します。
出稼ぎや飢饉で関東の農村部から人口が流出して江戸に集中しすぎたので、元の村に追い返す目的でした。しかしほとんど効果はありませんでした。
なお、江戸の貧民層を追い出すことで、打ちこわしの予防をしたかったという意図もあるそうです。

さて長々と江戸後期中心に時代背景を書きましたが、このようなことを踏まえて、まずは設問Aの答案に行きましょう。

答案例

設問文を再度読んでください。

(1)のように江戸で寄席が急増したのは、どのような理由によったと考えられるか。歌舞伎と対比される寄席の特徴に留意しながら、2行以内で述べよ。

後半に書かれている条件部分に「歌舞伎と対比される寄席の特徴に留意しながら」とあります。
このまま読めば、歌舞伎の特徴そのものは書かなくてもよく、寄席の特徴のみ書けばよいと思います。しかし字数が余れば書いても良いでしょう。

また、上述したように、そもそも江戸に下層民が集中していた背景がありますから、これを盛り込んでもOK。
ということで、2案作成してみましたので、ご覧ください。

設問A

日中の稼ぎで生活する貧民が多いため、昼間に興行される高額な歌舞伎より、夜に安価で多様な芸能を提供する寄席が選ばれたから。(歌舞伎の特徴も盛り込んだ答案例)

荒廃した近隣農村から流入した人口によって急増した貧民は、歌舞伎より安く多様な芸能を夜間でも提供する寄席を好んだから。(寄席の特徴のみを記述し、江戸の貧民が急増した背景を盛り込んだ答案例)

設問Bの解説

資料文(2)

この資料から、水野忠邦が寄席を全廃しようとしていたこと、そして町奉行が反対したことが分かります。
町奉行の反対理由は、寄席が日雇い稼ぎの者のささやかな娯楽の場であり、同時にそこで働く人の雇用の場であるから。

雇用が奪われるという理由は一定の説得力があるとして、日雇い稼ぎでもないような町奉行が「庶民の娯楽を奪うな!」というだけでは、理由としては心もとない感じ。
しかし資料(3)を見れば納得のいく理由が分かります。

資料文(3)

時代はさかのぼって、1937年。
米価が高く、盛り場も閑散として、雇用もないことを問題視する町奉行。余談ですが、町奉行はなかなか見る目がありますね。水野よりマトモなことを言っているように思えてしまいます。
そして、さらに町奉行の主張が続き、

さらに状況が悪化すると職人などは何をするかわからない懸念し、彼らが騒ぎ立てないよう手を打つべき

とのこと。

ここで、作問者の先生のワザなのかわかりませんが「何をするかわからない」という婉曲表現(笑)
この部分を具体的に特定するのが、設問Bのメインの作業です。上述しましたが、直後に「懸念し」とありますから、設問Bで問われている「どのような事態が生じることを懸念したためか?」の答えはココだと判明するでしょう。

さらに、この資料文の冒頭にも注目しましょう。

これより以前の1837年、・・・

この部分も、設問文の「幕府がこれ以前に直面したできごとにふれながら」と対応しています。

つまり、1837年頃に起きていたことを思い出せばよいことが分かります。
これはすでに、設問Aの解説のところに書いてしまいましたが、1837年に起きた大塩平八郎の乱か、1833~1839年に起きた天保の飢饉でしょう。
天保の飢饉によって、米不足になり農民が困窮していたところに、大塩の乱がおきて全国的に乱や一揆、打ちこわしが飛び火する。これが江戸にも飛んできたら困ると、町奉行が懸念したということで良いのではないでしょうか?

資料文(4)

すでに見た通り、江戸の町方人口の半数以上が低賃金労働者であるという内容。
設問Aでは、「寄席に通うような所得帯の人がたくさんいたんだなぁ」という理解で良かったのですが、設問Bでは解釈を変える必要があります。
寄席を撤廃すると、このような低賃金労働者が不満を募らせて一揆や打ちこわしに発展するかもしれない、というのが町奉行の懸念事項ですから、
「一揆や打ちこわしに発展する潜在人口が半数以上もいる」と読むべきでしょう。

資料文(5)

これは、(2)とほぼ同様の内容。
1844年ですから、天保の改革期の直後くらいに、町奉行が再度、寄席の規制緩和を主張します。
水野が失脚したあとだからか、主張が通って寄席が解禁。爆発的に寄席が増えたということですね。

今回は、「町奉行がどのようなことを懸念したか」という問いなので、直接的には利用しない資料文と言えるでしょう。

当時の幕府の政策

以上をまとめると、

「町奉行がどのような事態が生じるのを懸念したのか」→一揆や打ちこわし
「幕府がこれ以前に直面したできごと」→天保の飢饉や大塩平八郎の乱。

となるでしょう。天保の飢饉を使うか、大塩の乱を使うか、両方使うか。ココは書き手によって分かれるところでしょうから、皆さんが書きたいように書いて良いと思います。
※後で紹介する答案例では、2案作成しています。

最後の「江戸に関する当時の政策」ですが、これは何度も言っているとおり、天保の改革の中から該当するものを選びます。
資料には載っていないので、自分の知識から引っ張り出すのが必要ですが、寄席の撤廃に関係するのは、倹約令とか風俗取締令でしょう。低賃金労働者への圧力ということであれば、人返しの令でも良いかもしれません。
このあたりをまとめて答案を作成してください。

では答案例です。

設問B

天保の飢饉で米価高の不況に陥り、大塩の乱の余波も残るなか、幕府が倹約や風俗の取締りを強いたため、更なる生活の緊縮は過半数を占める貧民による打ちこわしを誘発させうると懸念した。

天保の飢饉による物価高騰や雇用減少で急増する貧民に対し、人返し令や倹約令、風俗取締令で統制を強める改革が続いたため、募らせた不満を爆発させた下層民による打ちこわしの激化を懸念した。

複数要素から選んで答案の盛り込めると考えたため、入れる要素を少し変えた2例です。

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