【東大日本史】2023年第4問の解答(答案例)と解説

リード文の分析

特にありません。飛ばします。

設問の分析

設問A

まず時期を確認すると、占領終期から岸内閣期とのこと。
占領が終わったのは、サンフランシスコ平和条約が調印された日ではなく、発効した日なので、1952年4月28日です。日本が独立を回復した日ですので、できれば常識として日付まで覚えておいてほしいと思っています(個人的な意見)。と、押しつけがましいことを言いつつも、実際のところは「ゴールデンウィークの直前」と覚えています。4月29日の昭和の日からGWですから、その前日が独立回復の記念日です。
岸内閣期は細かく言うと、1957年2月25日から1960年7月19日ですが、1960年に終わったことが分かれば十分でしょう。岸は安保条約の改定をして、新安保条約を結んだ直後に退陣しています。安保改定の時には「60年安保闘争」が起きていましたから、これと合わせると覚えられます。
以上をまとめて、1952年4月28日から1960年が問われている時期です。

次に、問われていることを確認すると、「日本の対外関係はどのように変化したか」。そして、「国際政治の動向に留意しながら」とあります。
戦後の国際政治と言えば「冷戦」です。世界は広いですから、細かい動きは様々ありますが、国際政治というのは大国が大きな流れを作っていくものです。よって、戦後の世界で世界を大きく動かしていたアメリカとソ連の動きを中心に考察していくことになります。
つまり、日米関係や日ソ関係がメインの内容になってくるのかなぁと想定しておけば良いでしょう。日本の対外関係ということですので、朝鮮戦争なども関係してくるかも、と幅を持たせて構えておけば十分だと思います。

設問B

時期は1950年代後半から岸内閣期。
岸内閣期はさっきと同じで1960年で終わりだとして、問題は「1950年代後半」の解釈。これは、人それぞれで感覚が変わりうるので、何とも言えません。
僕であれば、絶対にケチを付けられないのを優先するため、1958年とか1959年だと解釈して取り組もうと解き始めます。
しかし「後半」の対義語は「前半」ですから、1950~1955年を前半、1955年以降を後半とする解釈も成り立ちます。などなど、結局考えたところで決まりません。

そこで、問われている内容を確認すると、「政党間対立はどのように変化したか」と言われています。
戦後政治は、1955年に「55年体制」が構築されてから、政党間の対立は「与党の自民党 VS 野党の社会党」という構図から変化しません。
ということは、1955年を開始時とする説が説得力を持つような気がします

この立場に立つと、もし開始時を「1955年から」と書いてしまうと、「55年体制」が簡単に思いつきすぎるということで、避けたのかもしれませんね。(知らんけど)

最後、「内閣の施策に留意しながら」という条件が付いています。1955年にスタートした鳩山内閣から始まり、石橋内閣、岸内閣で行った政策を思い出しながら解きましょう。まあ、石橋内閣はすぐに終わるので、鳩山内閣と岸内閣だけでよいですね。

資料文をどう使うか

いつもであれば、すぐに設問の解説とか資料文の分析に移るのですが、あまりにも資料が変わっているので、説明を加えましょう。

まず、資料文(1)は日本国憲法の条文そのもの。96条、つまり憲法改正に関する条文です。これが、日本の対外関係(設問A)や、政党間対立(設問B)にどのように絡むかを考えるわけですね。これは、後述しますが、設問Bの「55年体制」の構築に絡めて解釈するのが順当でしょう。といっても、私が初見でこの問題を見たとき、一番使い方に困ったのが(1)の資料でした。そういう方も多いのでは?

問題は(2)以降の円グラフです。
受験生レベルでは、選挙結果(今回は衆院選のみ)から政治の動きを読み取る作業なんて、やったことないのではないでしょうか?政治オタクは当然のようにやるのですが、一般の受験生はやらないでしょう。せいぜい「〇〇党が大勝ちした」とか「議席を減らした」みたいな、数字を含まない結果ばかりを「暗記」するでしょうから、かなり動揺したことでしょう。

余談ですが、このような円グラフは「テレビやネットで見るもの」という印象ではないでしょうか?
選挙が行われると選挙速報の特番が組まれて、開票と共に円グラフが画面に映ります。このとき「自民党が過半数を超えました」など、実況解説が施されるのを見たことがあるかもしれません。その意味で、受験問題というより、テレビのネタ。

さて、円グラフを使うと、最大議席を有する党が過半数を超えているかどうかが、すぐにわかるので便利です。
現行憲法下では、衆議院で過半数の賛成が得られれば立法できます。よって、与党にとっては過半数を超えるかどうかが、はじめの関心事になります。しかし、過半数を超えたからといって安心ではなく、党内に反対派が混ざっていることもあります。過半数を割り込んでも、連立を組むことで賛成多数を占めることもあります。このように、現実の政治は様々な力学が働きながら動いていくものです。
「若者は政治に無関心」と言われることが多いですが、歴史の主軸は政治史です。そして、近代史は選挙結果と共に勢力が決まります。「もっと政治に興味を持てよ」という警鐘だと捉えるのは、私の考えすぎでしょうか。

本稿の立場

さて、この問題は珍しいポイントがもう一つあり、資料文や円グラフの全てを解釈しなくても、それなりの答案を作ることが出来ます。特に設問Bに関しては、資料が全くなくても、教科書の知識だけで解くこともできると言えばできます。

では、与えられた資料に意味がないのかと言われると、そんなことはありません。丁寧に解釈していくと、確かに設問に絡むような情報が読み取れます。ただ、それが細かすぎて、結局は使わなくても設問に答えられる、というような仕組みです。

そこで、本問では答案を書くのに最低限+アルファくらいの解説にとどめてまして、細かすぎる部分に関しては映像授業で解説するというように棲み分けをしています。ご理解をお願いします。

設問Aの解説

では、資料文に移りましょう。設問Aに絡む部分だけピックアップしながら解説していきます。

資料文(1)

憲法改正の条文ですが、これは対外関係と直接的にかかわるものではないため、飛ばします。

資料文(2)

冒頭、「サンフランシスコ平和条約」と「日米安全保障条約」が登場しますが、これが対外関係を決定しています。
サンフランシスコ平和条約とは、太平洋戦争の講和条約です。これによって、日本は戦争状態から脱し、占領を終えて、独立国になります。
独立国ということは、(実質はともかく)名目上はアメリカともソ連とも対等です。占領期はアメリカの一部でしたが、条約発効後は国際政治の一員となります。

そして、日米安全保障条約によって、日本はアメリカに従属する形で独立することになります。アメリカがソ連と対抗していますから、必然的にソ連とも対立関係に置かれます。アメリカやイギリス、フランスなどは「西側陣営」「自由主義陣営」、ソ連や中華人民共和国、北朝鮮など共産主義の国々は「東側陣営」「社会主義陣営」ということもありますので、「日本は対米従属する形で西側陣営の一員として独立した」などと表現することが出来ます。

資料文(3)

1956年に鳩山首相が日ソ共同宣言に調印しました。これは、明らかに対外関係に絡む部分なので、必ず触れましょう。

日本は西側陣営として独立しましたが、ちょうど1950年代の半ばは一時的に東西が少し接近して、冷戦が緩和した時期です。「雪どけ」と言います。
その流れに乗って、鳩山首相がソ連を交渉して、ソ連と国交を回復したというのが「日ソ共同宣言」です。

日ソ共同宣言の内容

日ソ共同宣言の内容をおさらいしましょう。

①日ソの戦争状態の終了
一応、これで戦争はお終いね、と確認しましした。

②外交・領事関係の回復
日本とソ連が国交を回復しました。国交を回復したので、領事を置く/置かない の関係も復活します。

③日本の国連加盟へのソ連の支持
新しく国連に加盟させるかどうかは、常任理事国が全て賛成する必要があります。日本の加盟は、ソ連が反対していたので否決されていました。ソ連にとっては、敵対するアメリカの従属国なので、否決するのは当然ですね。
しかし、日ソ共同宣言でソ連が賛成することが約束されたので、常任理事国が全会一致となり、日本の加盟が認められました。

④すべての日本人の日本への送還
いわゆる「シベリア抑留者」の返還です。
戦争が終わった時には、まだまだ中国大陸にたくさんの日本人が残っていました。その人たちがソ連に強制連行され、さらに10年以上も強制労働に課せられました。その数、なんと57万人ほどに及ぶと言われています。この「シベリア抑留者」たちが、日本に返還されることが決まって、続々と帰国できることになりました。

余談ですが、私(平井)の祖父もシベリア抑留者でして、私が小さい頃はシベリア時代の厳しさを聞かされたものです。当時はあまりに現実離れした内容のためかロクに理解できず、あまり内容は覚えていないのですが、かなり壮絶だったようです。日ソ共同宣言がなかったら私も存在していない、ということです。歴史の出来事は、こうして巡り巡って自分に関ってくるのだなと思います。

⑤ソ連の対日賠償請求権の放棄
ソ連に対して賠償金を払わなくて良い、という内容です。ソ連は対日参戦をしないという約束や国際法を破りまくって、一方的に日本に酷いことをしたわけなので、当たり前と言えば当たり前かもしれません。

⑥平和条約締結交渉の継続と、締結後の歯舞諸島・色丹島の日本への返還
平和条約締結交渉を「継続」するということは、締結されていないということ、もっと言えば交渉は決裂したということです。
北方4島のうち、2島は返還するという内容ですが、日本は4島全て返還でないと納得できない、ソ連は2島返還なら良いが4島返還は納得できない、ということで決裂しています。ということで、平和条約は未締結です。
余談ですが、ソ連やロシアって折版が好きですよね。明治初期には樺太を南北で折版させてましたし。なお、戦前は北方4島だけでなく、千島列島まで日本のものでした。そりゃ2島では納得できないのも無理はないですね。

現在では、ロシアの北側に北極海航路が開通しました。これにより、北方領土はロシアにとっての重要度がはるかに高まっています。北方領土を日本に返還したら、航路の出口を日本に取られてしまうわけです。ということで、北方領土の返還交渉は一層難化したといってよいでしょう。

注)受験範囲外 日ソ共同宣言の裏側

さて、日ソ共同宣言の内容を改めて眺めてみてください。
日本にとって不利な内容が一つもありません。強いて言うと北方領土くらいですが、実利の問題というより、プライドの問題です。
外交交渉において、このように一方的に有利な内容というのは、普通はあり得ません。しかも、日本とソ連の力関係は、明らかにソ連が上です。なぜ格上の相手に有利な交渉ができたのか。このあたりの内容は別記事として昔書きましたので、こちらのリンクをご覧ください。
簡単に言うと、日本とソ連の交渉ではなく、アメリカとソ連の交渉の一部として、日本がお土産として扱われただけ、ということです。

資料文(4)

この資料で対外関係に関るのは、「新しい日米安全保障条約が発効した」という部分。
吉田茂が調印した日米安全保障条約に比べて、いくつかの内容を改定したものが岸内閣の「新安保条約」です。ポイントは「対等に近づけた」ことです。

新安保条約の内容

①アメリカが日本を防衛する義務を明記
防衛範囲は「極東」まで。

②随時協議
在日米軍の重大行動(配置や装備、直接戦闘作戦行動の基地使用など)に関しては「事前協議」する。

③日本及び在日米軍基地への攻撃に対する共同行動
日本も防衛する義務がある。

④有効期限10年
自動延長により継続。
日米どちらもこの条約を終了させる意思を相手に通告できる。その通告後、1年で条約が失効される。

他にも、
国際紛争の平和的解決
日米間の経済協力の促進
憲法上の規定に従うことを条件に日本の防衛力の維持発展
米軍の駐留、施設及び区域の使用
国際連合憲章の義務を優先
批准書交換で効力が生じる
旧安全保障条約の失効
などがあります。

①は旧安保のように、日本が守ってもらうものなので従属関係は変わらないとして、②は事前に協議してもらえるし、③では日本も米軍を守る義務があります。④でも日本側から安保を破棄できる権利を与えられています。などから、対等に近づいたということです。

え?全然対等じゃない気がするって?
いいえ、対等に近づいたのです。

以上が設問Aの「対外関係」に絡む内容ですので、答案をまとめましょう。

答案例

対米従属の形で占領を終え西側陣営として独立した後、東西対立の緩和に伴いソ連との国交回復と同時に国連加盟を果たした。岸内閣では安保改定を行いアメリカへの従属関係を対等に近づけた。

さんざん色々書きましたが、答案にしてみると、ほとんど一般常識みたいな事実を、時系列に従って書いただけ、みたいになってしまいました。

設問Bの解説

では、設問Bに行きましょう。
資料を(1)から(4)までおさらいしながら、必要な部分に解説を加えていきます。

資料(1)

憲法改正の条文ですが、ここで読み取るべき内容は、改正に必要な条件です。

①衆議院で2/3以上の賛成
①参議院で2/3以上の賛成
③国民投票で過半数の賛成

この3つをすべてクリアすることが必要です。

ご存じの通り、今まで一度も日本国憲法は改正されたことはありません。戦後にできたまま、一語一句そのままです。
ちなみに、大日本帝国憲法は一度だけ改正されたことがあります。大日本帝国憲法→日本国憲法、という改正のことです。日本国憲法は無から生み出された憲法ではなく、大日本帝国憲法を改正したものとして誕生しました。そのため、戦前の内容が踏襲された部分もあります。

さて、この日本国憲法に対して、様々な意見があります。
「日本の憲法なのに、アメリカの意向に従って作られたものなのは良くない!改正すべきだ!」
「いやいや、中身が良いものなんだから、変える必要はない!」
皆さんがどう思うかは別として、戦後から現在まで様々な意見があり、憲法は常に注目を浴びてきました。

そして、後に憲法を改正すべきだという政党=自民党と、改正すべきではないという政党=社会党の2つが、与党と野党として政治を運営していく時代がやってきます。
これを55年体制と言います。

55年体制について

55年体制とは、具体的には、
・自民党は、1/2 ~ 2/3の議席を常に確保する。(50~66%)
・社会党は、1/3以上の議席を常に確保する(34%以上)
この2つが同時に成立している状態です。

先ほど書いた通り、憲法を改正するには、衆参両院で2/3以上の賛成が必要です。裏を返せば、衆参のどちらかで1/3以上の反対があれば必ず否決されます。憲法は一般の法律より重要なので軽々しく変えられないように2/3という多数の賛成が必要になっていますが、一般の法律は衆参で過半数の議席数があれば可決させられます。

つまり、自民党が50~66%、社会党が34%以上の議席数を維持していると、
自民党は常に好きな法案を通せてやりたい政治ができるし、社会党は憲法改正を阻止できる。
つまり、両党にとってウィンウィンな関係になるのです。
そこで、有名な話ではありますが、両党が選挙前に調整して、この範囲内に収まる議席数になるようにしていたようです。

円グラフで見ると、例えばこのくらいの状態

実はこの図は、資料(4)の円グラフそのものなのですが、
自民党が50~66%以内、社会党が34%以上だというのが、とても分かりやすいですね。

以上、長々と説明してきましたが、資料(1)からは55年体制のことを思いつけばよいのだろうと思います。

資料(2)

吉田が調印したサンフランシスコ平和条約と日米安保条約に関しても、政党間対立が関わってきます。

というのも、55年体制の成立を理解するためには、社会党と自民党がもともと分裂していたことが重要で、その社会党が分裂した原因が日米安保条約だからです。(自民党は分裂していたともいえるし、別の党だったとも言えます。詳しくは後ほど)

当時、日米安保条約に反対する勢力が多数いました。
その筆頭が社会党。
社会党の内部で、左派と右派に分かれていて、違う主張を唱えていました。
右派はサンフランシスコ平和条約には賛成だが、日米安保条約には反対している勢力。サンフランシスコ平和条約に賛成しているということは単独講和論(自由主義陣営とだけ講和をすればよい)を唱えている勢力です。
一方、左派はサンフランシスコ平和条約にも日米安保条約にも反対している勢力。全面講和論(自由主義陣営だけでなく、社会主義陣営とも講和をしろ!)を唱えている勢力でした。
同じ党の中で意見が真っ二つに分かれていたため、社会党は左派と右派に分裂し、別の党となっていました。

実際は、上記のように社会党が分裂したことを思いつけなくても、答案は書けてしまいます。
なぜなら、先ほども書いたとおり、55年体制の成立過程で、社会党と自民党が分裂していたことを必然的に思い出すからです。おそらく、資料(2)に関しては、設問Bを解くうえで何も使わなかったという人も多いことでしょう。
さらに、資料(2)の文章のうち、1文目に書かれている「吉田がただ一人署名した。」という部分や、2文目の吉田が事前通告なく衆議院を解散したという内容、そして気になる円グラフ。こいつらも、何も読み取れなくても解けてしまう部分ではあります。

解けてしまうので、本稿では解説を省略しますが、読み取るとちゃんと意味がありました。
資料(3)や(4)でも同様に、読み取らなくても良いけど、読み取るとちゃんと意味がある部分が登場しますが、こういう部分は全てまとめて、映像授業中で解説しています。より詳しく徹底して対策したい方は、ご検討ください。(リンクはこちら

資料(3)

この資料も、要らないと言えば要らないのですが(設問Bで問われている時期より前ですし)、読み取ろうと思うと色々読み取れます。
本稿ではかいつまんで書きますが、一つ目は鳩山一郎の動きでしょう。

鳩山はもともと自由党でした。
公職追放から解放されると、三木武吉(三木武夫と名前が似ているけど関係ない人)に担がれて首相を目指すことになります。吉田が造船疑獄事件などで支持を失い失脚すると、資料にも書かれている通り、左右社会党の支持を得て鳩山内閣が誕生する、という運びになります。
「吉田がアメリカならば、俺はソ連だ」と言わんばかりに対ソ交渉をし、内閣を総辞職。
すると、資料(3)に与えられているような円グラフの選挙結果になるのでした。

さて、このグラフを見ると、絶対多数の政党がなく、細々と分裂しています。
特に社会党が恐れたのは改憲です。鳩山一郎は改憲を主張していましたが、社会党は左派も右派も34%には及びません。そこで、左派と右派を再統一して34%を超える勢力を保つことで、改憲を阻止する勢力になることを選びます。

この、社会党の再統一を受けて、「保守側も分裂している場合ではない」となり、日本民主党と自由党が合同して自由民主党が結党されるのです(保守合同)

そして、保革二大政党が誕生し、55年体制がスタートするのです。

資料(4)

鳩山、石橋と続き、岸内閣が誕生します。
岸内閣の目標は安保改定=新安保条約締結です。
岸は新安保の批准を衆議院で可決し、参議院で承認を得ないまま自然成立をさせます。革新勢力は、新安保の内容はもちろん、このやり方が「強行採決だ!」ということで、反対運動を展開しました。
吉田の安保も反対勢力がたくさんいたと言いましたが、今回はその比ではありません。
連日、国会の周りに「安保改定阻止」のデモが押し寄せ、その数数百万人とも言われます。労働者、学生、市民など幅広く巻き込んだデモに発展し、ストライキなども繰り返されました。(60年安保闘争)

岸首相は、暗殺未遂事件まで起こされます。大混乱しているなか、次の池田勇人へバトンを渡すのでした。

ということで、ここでの「政党間対立」の内容としては、「保革の対立が深まった」ということで良いでしょう。「内閣の施策に留意しながら」という条件も、「安保改定」に触れればクリアできます。

ということで、答案例です。

設問B

鳩山内閣が目論む改憲を阻止すべく左右両社会党が再統一すると、保守も呼応して合同し55年体制が成立した。岸内閣期では安保改定に対して革新勢力が激しく反対し、保革両党の対立が深まった。

解説していない資料の部分

資料(2)の「ただ一人署名」、2文目全体の内容(抜き打ち解散)、円グラフの読み取り
資料(3)の「左右両社会党の支持を得て」や鳩山内閣誕生までの過程、円グラフのより詳細な内容
資料(4)の「日本社会党の鈴木茂三郎委員長と会談を行い」

については、本稿で詳しく触れていません。
しつこいですが、受験生がそこまで読み取れないだろう、そこまで知らないだろうという内容が含まれていることや、答案を書くうえで細かすぎる内容だと判断したことなどから、敢えて省いています。映像授業ではこのあたりにも全て触れていますし、設問Bの別答案例も紹介しています。サンプル答案に対する指摘や修正案なども解説していますので、よろしければご覧ください。(リンクはこちら

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