2016年東大日本史(第4問)入試問題の解答(答案例)と解説(一般生向け)
目次
実質賃金の定義と本問の関係性について
「実質賃金」は誤って語られる
この問題のテーマは「実質賃金」です。
しかし、この「実質賃金」という言葉はよく間違って使われます。政府統計の計算の定義を確認せず「その時の労働者の賃金のことでしょ?」と、言葉尻から感じ取れるニュアンスで語られることが多い用語です。
テレビや新聞、雑誌、SNSなど、立派な肩書を持っている人やインフルエンサーなどが、「実質賃金」の定義や性質を知らず誤ったことを発信することが頻繁に見受けられます。
同様に、東大を受験する一般的な受験生も、教科書でしっかり習わない以上は、実質賃金の正しい定義を知らないことでしょう。
このように他分野の用語を用いることで正しく解釈できる受験生が想定できないどころか、誤った印象で用いられやすい用語をメインテーマにして、東大入試として出題すること自体に疑問があります。まさか、出題に携わった東大の先生方が定義を確認しないはずはないと思いますが、受験生としてどのように立ち振る舞えばよいのか、困ってしまいます。
しかしながら、出題されてしまったものは仕方ないので、以下のような構成で解説記事を書こうと思います。
まず、本稿では実質賃金の定義を知らず、なんとなく賃金の意味だと理解して解く一般的な受験生を想定した解説を書きます。
実質賃金の定義を確認し、よく見受けられる誤った解釈を正した上での解説は、別記事として立ち上げ、政府統計の定義や性質に従った解説記事から読めるようにしておきます。
一般的な受験生として解説を読むのであれば本稿だけで十分です。
設問の分析
設問Aは、女性工業労働者の賃金上昇の要因とその社会的影響を述べる問題である。どちらも、解答の要素は資料から読み取れるので、落ち着いて丁寧に読み取ろう。
設問Bは、30年代と60年代における男性労働者の賃金の上昇・下降の背景を述べる問題である。グラフをよく見つつ、教科書の知識を多面的に用いる必要がある。
資料文の選定
本問は設問ごとに資料が分けて与えられているので、こちらが選定する必要はない。
設問A
設問Aの解説
まずは女性工業労働者の賃金上昇をもたらした要因から考えてみよう。
なお、当然のことながらここにおける工業とは、製糸業や紡績業といった繊維工業である。
図1のグラフを参考にすると、賃金が上昇しているのは①1880年代後半、②1890年から92年にかけて、③96年以降の大きく3つが挙げられる。では、それぞれの時期における繊維工業の動向を見てみよう。
①1880年代後半
まず①の時期は、最初の企業勃興の時期にあたり、紡績以外にも鉄道などの会社設立ブームが起こって産業革命が本格的に進展した時期である。その結果、綿糸生産が拡大し1890年には綿糸の国産高が輸入高を上回った。
②1890~1892年
次に②の時期について考えてみよう。グラフを見ると、1889年から90年にかけては賃金の上がりが鈍くなっていることがわかるが、これは1890年恐慌によるものと考えられる。つまり、②の時期は繊維工業が恐慌から回復している時期にあたる。
③1896年以降
最後に③の時期についてである。この時期は、日清戦争後に再度紡績・鉄道などの分野で企業勃興が起こった時期にあたる。企業勃興の結果、繊維工業を中心に資本主義が本格的に成立し、また器械製糸の生産高が座繰製糸を上回った。
以上より、繊維工業の成長が賃金の上昇の要因となっていたことがわかる。繊維工業の成長が労働者不足を招いたため、女工の賃金を上げなければならなかったのである。
社会的影響について
では次に、賃金上昇が及ぼした社会的影響について考えてみよう。これについては、与えられている資料『日本之下層社会』から読み取る。
最も重要な要素は、資料文の最後「社会的地位を高める」という部分であり、女性労働者の社会的地位を上昇させたという要素である。また、そこから派生させるとしたら、例えば「近頃の下女は生意気でどうしようもない」「非常に高い賃金を受け取っている」などといった部分から、労働条件の改善や権利意識の向上に触れる事もできる。また、女工の賃金が下女に比べ非常に高い事から、賃金格差が広がりつつあったことに触れても良い。
答案例
繊維工業の急成長に伴う労働力不足により実質賃金が上昇し、その結果賃金格差の拡大を伴いながら女性の社会的地位が向上した。(問番号含め60字)
設問B
問われているのは、1930年代における男性工業労働者の実質賃金の下降と、60年代におけるそれの上昇の、それぞれの背景である。まずは30年代の経済動向から確認してみよう。
1930年代の解説
1930年代の経済といえば、真っ先に昭和恐慌が思い出されるだろう。井上蔵相による金輸出解禁デフレ政策と時を同じくして世界恐慌が発生し、日本経済は深刻な不況に見舞われた。
1931年末に犬養内閣が成立し蔵相に高橋是清が就任すると、金輸出を再禁止し金本位制から離脱、これによって為替を円安に転換し不況のデフレ効果を緩和しつつ、管理通貨制度に移行することで積極財政を行い、工業生産の回復に成功、恐慌から脱出することに成功した。
30年代の経済動向は概ねこのような経過を辿る。では、このように重化学工業は発展していたのに実質賃金が30年から40年にかけて下降の一途を辿ったのはなぜだろうか。その理由は大きく3つに分けられる。
実質賃金下落の原因①
まずひとつは、恐慌を経て産業の合理化が進んだ事が挙げられる。そもそも産業合理化は井上財政の目的のひとつでもあったが、昭和恐慌のなかで国際競争力のない企業は整理・統合され合理化されていった。その過程で労働者の解雇や賃金の引き下げが起こっており、これがグラフに反映されているのである。
実質賃金下落の原因②
ふたつめには、労働組合運動の後退が挙げられるだろう。日中戦争期には各工場で労働組合が解消され産業報国会が組織された。これにより労働者と生産者が一体となって生産力増強を図る体制が整えられ、労働条件改善などの要求は国益優先のもとに抑制される事となった。これにより、労働者の賃金は上がらなかったのである。
実質賃金下落の原因③
最後に、インフレが挙げられる。グラフの数値は実質賃金であることに注意したい。つまり、物価の影響を考慮しなければならないのである。先述のように高橋蔵相は積極財政を推進したが、その財源は赤字国債の発行する事で確保された。
ここで注意したいのは、この時点で日本は金本位制から離脱し、管理通貨制度に移行しているという事である。つまり、経済の実態以上に貨幣を発行する事ができ、それがインフレを招くのである。
そして、この赤字国債の発行という方式は二・二六事件以降も継承され、軍拡予算を組むのに利用され、財政は膨張を続けた。それに加えて日中戦争で軍事費が増大した事によってインフレが生じたのである。これを軍事インフレという。このインフレが実質賃金を下げる要因となった。
以上、これらの要因が連続的に発生した事で実質賃金の低下が起こったのである。
1960年代の解説
続いて1960年代についてである。
1960年代は高度経済成長を遂げた年代である。特に工業部門では、技術革新による労働生産性の向上が工業生産拡大をもたらし、若年層を中心に労働者不足が発生した。
それに加え「春闘」方式を導入した労働運動によって賃上げが実現していた。なお、「春闘」とは総評(日本労働組合総評議会)を指導部とし、各産業の労働組合が一斉に賃上げを要求するものであり、1955年に始まって以降しだいに定着していった。
このように、主に工業部門において高度な成長が起こった事と、その成長の成果が労働運動によって広く分配さえた事によって実質賃金が上昇したと言える。
答案例
1930年代は、昭和恐慌による産業合理化や日中戦争に伴う労働運動の停滞が賃金を抑制し、インフレの進行が実質賃金を下降させた。1960年代は高度経済成長下、技術革新による生産性向上や男性労働者不足、春闘方式の労働運動が賃金を上昇させた。(問番号含め118字)
まとめ
どちらも教科書の細かな知識が要求される問題で、大まかな経済の動向を把握しているだけでは満足に解答できない問題だった。
まず第一段階としてグラフを正確に読み取り、それに則った解答が作成できているか、次にその解答に正しい知識を過不足なく盛り込めているか確認しよう。