2016年東大世界史(第二問)入試問題の解答(答案例)と解説

設問別の答案例や解説

問1(a) 10世紀にブワイフ朝が始めた土地・税制度の名称とその特徴

解答例

イクター制

軍事奉仕を代償として義務づけ、軍人に対して俸給の代わりにイクターと呼ばれる分与地を授与し、その土地の徴税権を与えた。

問題の要求

この問題では、「10世紀にブワイフ朝が始めた土地・税制度の名称とその制度の特徴」について述べることが求められている。

まずは、どの制度のことを指しているかを把握することから始まるが、これは「10世紀にブワイフ朝が始めた土地・税制度」というフレーズからすぐにイクター制のことを指していると気づきたい。
高校世界史で学ぶ範囲内でブワイフ朝が始めた制度としては、イクター制くらいしかメジャーなものはない。
「同時代に発展した西ヨーロッパの封建制やビザンツ帝国のプロノイア制にも似た特徴をもち、その後のイスラーム諸王朝に受け継がれ、体系化された」という問題文の記述からイクター制のことを指していると確信を持つのが理想である。

この問題は、明らかな易問である。イクター制のことを指していることに気づければ、あとはただの用語説明の問題である。東大合格を目指すなら、確実に高得点をとっておきたい。

解説

ここでは、まずイクター制について説明する。

教科書の記述をそれぞれ見てみよう。

東京書籍 『世界史B』(2022 旧課程版)

ブワイフ朝は、軍人に対し給与のかわりに一定地域の徴税権を与えるイクター制をはじめて実施した。

帝国書院 『世界史B』(2022 旧課程版)

軍人が、給与のかわりに割りあてられた農地の管理権と徴税権を与えられる制度。その授与の代償として軍事奉仕が義務づけられていた。ブワイフ朝に始まり、セルジューク朝を経てアイユーブ朝やマムルーク朝ではその体系化が進んで、軍人集団が国家を支配する体制の基礎となった。

山川 『新世界史』(2022 旧課程版)

マムルーク朝では、軍人に俸給のかわりに農地などからの徴税権を与えるイクター制が整備され、施行された。(中略) イクター制は、ブワイフ朝の時代に導入され、以後多くの王朝で採用された。

この問題では、どの教科書の記述を引用しても、十分合格点が取れる答案が作れるだろう。
しかし、世界史の学習という観点においては、教科書間の情報量の差はかなり大きい。
複数の教科書あるいは用語集などを用いて世界史の学習をするのが重要である。

教科書の記述にもあるように、イクター制は、軍人に対して俸給(アター)の代わりにイクターと呼ばれる分与地を授与し、その土地の徴税権を与えるもので、軍事奉仕がその代償として義務づけられていた。
これは、次のセルジューク朝などにも引き継がれ、オスマン帝国ではティマール制という名で、デリー=スルタン朝でも同様の制度が見られた。
また、ムガル帝国では、官僚に土地の徴税権を給与として与えるジャーギール制というイクター制に似た制度が見られた。

この問題では、イクター制の制度としての特徴に関して、答案としてまとめ上げればよい。
ポイントとしては、「軍人に対して俸給(アター)の代わりにイクターと呼ばれる分与地を授与し、その土地の徴税権を与えること」
「軍事奉仕が代償として義務づけられていたこと」の2つである。
これらを指定字数の範囲内でまとめればよい。

 

まとめ

どうだっただろうか。問われているものがイクター制ということにさえ気づければ、かなり簡単な問題だったのではないか。
そうは言うものの、いざ用語を説明しろと言われても説明できるレベルまで用語を理解できていないという人もいるだろう。
そのような受験生には、「逆一問一答」というものをおすすめしたい。
普通は一問一答というと、説明文を読み、その中にあるキーワードから用語を推測し、その説明文が指している用語を当てるというものである。

それに対して、「逆一問一答」とは、用語を見て自分でその用語を説明するというものである。
その時には、一問一答の問題文を答えとしてやるのがよい。
一問一答の問題文は、その用語を説明するのに必要なキーワードを高密度で詰め込んだ良文である。
用語説明を求められるタイプの問題では、非常に役に立つ勉強法になるだろう。
話は戻るが、この問題は問われている知識も簡単なものであり、答案をまとめ上げるうえでも手間がかからない問題であるため、さらっとまとめ上げて短時間で満点近い点数をとれるのが理想である。

マンサブダール、ジャーギール、イクター、テマ、プロノイア、ライヤットワーリー、ティマールといったカタカナ語句に東大受験生が弱いことを教授陣はよくご存知である。
しっかりと定義を言えるようにしておきたい。

 

問1(b) 16世紀にオスマン帝国が導入した外国人商人に対する制度とその内容、および後の時代に与えた影響

解答例

カピチュレーション

外国商人に領内での安全保障や領事裁判権などの特権を与えた。のちに不平等条約として西欧列強のオスマン帝国進出に利用された。

問題の要求

この問題では、「16世紀にオスマン帝国が導入した外国人商人に対する制度とその内容、および後の時代に与えた影響」について述べることが求められている。

「16世紀」「オスマン帝国」「外国人商人に対する制度」という3つのキーワードからカピチュレーションについての話だと気づきたい。
ここに気付きさえすれば、(1)(a)と同様に大した問題ではない。外国人商人に関連した制度や法律はかなり珍しいため、しっかりと勉強していれば、難なく気づけるのではないかと思う。
(1)(a)と同様、確実に高得点をとりたい問題であることは間違いない。

ただ、「カピチュレーションの名称」「カピチュレーションの内容」「カピチュレーションが後の時代に与えた影響」の3つを、しっかりと採点者がわかりやすい形で記述するようにしなければならない。

解説

ここでも教科書の記述を見比べてみよう。

東京書籍 『世界史B』(2022 旧課程版)

オスマン帝国はいっぽうで、対ハプスブルク同盟を結んだフランスの商人にも領内での安全保障、免税、治外法権などの特権(カピチュレーション)を与えた。この特権はやがてイギリスやオランダの商人にも与えられ、西ヨーロッパとの交易がさかんになった。(中略) 19世紀になると西欧諸国の力がオスマン帝国を上まわり、この特権が不平等条約のもとになった。

帝国書院 『世界史B』(2022 旧課程版)

その後、フランスには領事裁判権や定率関税などの通商特権(キャピチュレーション)が恩恵として与えられた。(中略) もともとは、シャリーアにもとづいたイスラーム世界外部から到来した異教徒に対する安全保障の制度であり、恩恵的に与えられるものであった。のちにイギリス・ドイツなどにも与えられたが、逆にヨーロッパ諸国による不平等条約的性格が強くなり、オスマン帝国に対する帝国主義政策に利用された。

山川 『新世界史B』(2022 旧課程版)

さらに38年に締結されたオスマン朝とイギリスのあいだの通商条約は、領事裁判権などカピチュレーションによって認められていたイギリス人商人のすべての特権存続を確認した片務的な不平等条約であった。この条約はのちにイギリスが日本などアジア各国と結ぶ通商条約のひな型となった。(中略) オスマン朝のスレイマン1世時代からの慣行。16世紀以降制度化され、西ヨーロッパ諸国の商人に恩恵として領内での通商の自由を認めた。一種の治外法権でもあった。

カピチュレーションが後の時代に与えた影響について考慮すれば、この問題においては東京書籍・帝国書院の教科書の方が優れていると言えようか。
このように、出版社によって教科書の記述内容には偏りがあるため、複数の出版社の教科書を活用して学習を進めていくことが重要になる。

教科書の記述に基づいて考えると、カピチュレーションとは、外国人商人に対して領内での安全保障・領事裁判権などの特権を与える制度である。
字数に余裕があれば、フランス商人やイギリス商人、オランダ商人に与えられたことについても触れてもよいだろう。
このカピチュレーションであるが、18世紀になると、フランスがオスマン帝国に対して交易の拡大を求めるようになり、フランスとオスマン帝国との間で見直されたが、不平等条約的側面の強いものになり、それ以降列強によってオスマン帝国進出のための足がかりにされた。
これらの内容を指定字数の範囲内でまとめればよい。

ポイントとしては、制度の内容に関しては、「外国商人に対して領内での安全保障・領事裁判権などの特権を与える制度」、
制度が与えた影響に関しては、「制度自体は、列強に対するオスマン帝国の弱体化に伴って不平等条約的側面の強いものになり、列強によってオスマン帝国進出のための足がかりにされたこと」である。

 

まとめ

この問題は、教科書の内容をただ指定字数の範囲内でまとめるだけのものであった。
カピチュレーションについて問われていることに気づけるかどうかでほぼ決まる。
気づくことさえできれば、そこからは教科書をしっかりと読み込んでいるかどうかの問題である。
教科書を読み込み込んでいなかった場合、制度の名称と内容は説明できても、のちの時代に与えた影響について説明するのは厳しいかもしれない。
東大合格を本気で狙うならば、確実に満点近く稼いでおきたい問題である。

 

問2(a) マンサブダール制の内容

解答例

官僚は官位に応じて土地の徴税権を与えられ、騎兵や騎馬の数も定められた。官職や給与地を短期間で変更して世襲化を防止した。

問題の要求

この問題では、「マンサブダール制の内容」について述べることが求められている。

これもただの用語説明の問題であることから、はっきり言って何ら難しいものではない。
この問題は確実に点数を稼いでおきたい問題である。
(1)(a)の部分でも述べた「逆一問一答」を活用して学習していれば、確実に高得点が取れる問題である。
この問題を解くための知識が足りないと感じた受験生は、早急に自分の世界史の勉強法を見直し、「逆一問一答」を実践したり、教科書を読み込んで理解を深めたりするなど合格するための実力を身につけられるような勉強をするように心がけてほしい。

解説

マンサブダール制は16世紀のムガル帝国において、アクバル帝によって整備された官僚制度である。
官僚はその官位に応じて土地の徴税権を与えられ、持つべき騎兵や騎馬の数も定められた。

しかし、世襲され続けるのを防ぐために、その官職や土地は短期間で変更された。
これらの内容をまとめればよい。

ポイントとしては、「官僚はその官位に応じて土地の徴税権を与えられ、持つべき騎兵や騎馬の数も定められたこと」となるだろう。
あとは、残りの字数に合わせて、「アクバル帝によって整備された官僚制度であること」や「世襲され続けるのを防ぐために、その官職や給与地は短期間で変更されたこと」といった要素を加えていけばよい。
最初に挙げたポイントさえ入れていれば、他の受験生に水をあけられることはないだろう。

まとめ

上でも述べたが、この問題はかなり簡単である。
論述問題の中で一番解答しやすいタイプの世界史用語の内容説明問題であるうえに、問われている用語も難しいものではない。
確実に短時間で高得点を稼ぎたい問題である。

なお、マンサブダール制については、山川出版社のホームページに詳しいQ&Aが掲載されている。
世界史が好きな方には楽しめる解説である。

https://ywl.jp/file/f5so4q9HKwJVhPBfQXci/stream?adminpreview=0 

 

問2(b) アウラングゼーブ帝の頃の支配の弱体化の内容

解答例

解答例①

長期間の戦争に伴う支配階層の疲弊やジズヤの復活によって不満が高まり、ラージプートやシク教徒による反乱が多発した。

解答例②

領土拡大による官僚急増と給与地不足で財政が悪化し、ジズヤ復活やヒンドゥー教寺院破壊といった強硬策が異教徒の反乱を招いた。

問題の要求

この問題では、「アウラングゼーブ帝の治世の支配の弱体化の内容」について述べることが求められている。

アウラングゼーブという名前を見た時に、「ジズヤを復活してラージプートなどのヒンドゥー教徒たちの反感をかった」という内容はすぐに思い出せると思う。
このことについてはすぐに答案に盛り込めるだろうが、これに加えてどれだけ多くの要素を盛り込めるかが得点差に直結するだろう。
少しでも多くのことを書き込み、高密度な答案に仕上げたい。

解説

教科書の記述を確認してみよう。

東京書籍 『世界史探究』 2023  p194

長年の戦争でラージプート諸侯を含む支配者層は疲弊し、ムガル帝国への不満をつのらせていった(注: 帝国領の拡大とともに官位(マンサブ)を保有する支配者層が増大したため、彼らに徴税権を与える土地が不足しがちになったともいわれる。)。また、アウラングゼーブは、ヒンドゥー教徒に対して人頭税を復活させたので、彼らの反感をかった。17世紀後半には、ヒンドゥー教徒のシヴァージーがデカン高原にマラーター王国を建ててムガル帝国に対抗し、北西インドのシク教徒も反乱をおこした。一方、農村社会では農業生産の発展にともなってザミンダールとよばれる領主層が台頭し、ムガル帝国の支配を足元からおびやかすようになった。

帝国書院 『世界史探究』 2023   p162〜163

アウラングゼーブは人頭税を復活させるなどして、イスラームから逸脱していた帝国運営をイスラームによる統治に戻そうと試みた。彼は南インドにまで領土を広げて最大領域を築いた一方で、領土の拡大により官僚の急増と給与地不足を招いて財政を悪化させ、またイスラーム的政策がラージプートやシク教徒の反乱を誘発した。

これらの記述をもとにして、見ていこう。
ムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブは、ムガル帝国の領土を最大化した。

しかしその一方で、戦争が長い間続いたことからラージプートなどの支配階層が疲弊したことやジズヤを復活させたことによって、アウラングゼーブの支配に対する不満が次第に高まり、ラージプートやシク教徒による反乱が発生するようになった。
領土の拡大により官僚の急増と給与地不足を招いて財政を悪化させた点も特筆に値する。
また、農村社会におけるザミンダール(領主層)の台頭がムガル帝国による支配を脅かすようにもなった。
これらの内容をまとめればよいだろう。

 

まとめ

どうだっただろうか。ジズヤ復活によるヒンドゥー教徒たちの不満の高まったことは東大受験生なら思いつくだろうが、これだけでは不十分である。
支配の弱体化の具体的な内容である「ラージプートやシク教徒の反乱の頻発」を軸に、その原因を書き加えていくというスタイルで答案を作っていきたい。
先ほどのマンサブダール制の内容について問う問題よりは解きにくい問題ではあるが、教科書をしっかりと読み込んでいれば解けるレベルの問題ではあると思う。
教科書をしっかりと読み込めているかどうかの試金石としてこの問題を活用するのも1つの手である。

アウラングゼーブ絡みでは、1991東大大論述も併せてチェックしておきたい。

https://exam-strategy.jp/archives/18950 

また、政治体制についても、この機会に整理しておこう。

https://exam-strategy.jp/archives/10776 

 

問3(a) 17世紀のイギリスおよびフランスで実施された経済政策の内容

解答例

商業覇権を握るオランダの自由貿易に対抗すべく、英仏は重商主義政策を採った。イギリスではクロムウェルが航海法を制定しオランダの中継貿易に打撃を与え、フランスではコルベールが東インド会社を再建し特権マニュファクチュアの育成や高関税政策を採った。

問題の要求

この問題では、「17世紀のイギリスおよびフランスで実施された経済政策の内容」について述べることが求められている。
ただ、条件がいくつかあり、その経済政策を推進した人物や代表的な法令を明示しつつ、当時のオランダの動向とも結びつけて述べる必要がある。

この問題は、この年の問題のセットの中で1番手間がかかるだろう。
他の問題を手早く片付け、いかにこの問題に時間をかけて、答案の完成度を高められるかどうかが世界史の得点差に直結すると思われる。

ただ、たくさんのことを答案に盛り込まなければと気負う必要はなく、2つの国の経済政策について詳しく触れれば、人物名や法令、オランダの動向についても自然と触れることになるだろう。
たくさんのことに触れようとして、文章の論理構造が崩れてしまうことは防ぎたい。
意味の通らない文章になってしまえば、どれほど多くの要素を答案に入れようが点数は期待できない。

解説

17世紀には、オランダは、当時最先端の造船技術を持ち、交易や漁業、毛織物業の繁栄から世界全体に貿易網をめぐらせて商業覇権を握っていた。
オランダの動向に関しては、「世界の貿易に大きな影響を持ち、覇権を握っていた」ことに触れるくらいで良いだろう。
ここからは、イギリスとフランスの経済政策について詳しく見ていきたい。
基本的には、イギリスとフランスはオランダの自由貿易に対抗するために、重商主義政策をとっていた。

まず、17世紀のイギリスにおける経済政策について見てみよう。
17世紀のイギリスは、いくつかの革命が起こり、体制の変化がみられた変動の時代であった。
1651年には、クロムウェルが航海法を制定し、中継貿易に依存するオランダに打撃を与えようとした。
航海法は、具体的には、イギリスへの輸入品の運搬はイギリス船に限り、ヨーロッパからの輸入品の運搬はイギリス船か生産国の船、最初の積み出し国の船に限定するというものである。

また、名誉革命後には、フランスとの戦費調達のために、イングランド銀行が設立され、国債が発行された。
17世紀のフランスは、ブルボン朝による絶対王政が確立されていく時期にあたる。
17世紀後半には、ルイ14世のもとで、財務総監コルベールが重商主義政策を推進した。
具体的には、東インド会社を再建し、特権マニュファクチュアの育成に努めた。

ちなみに、コルベールがとった重商主義政策は、貿易差額主義と呼ばれ、輸入よりも輸出を増やし、輸出超過の状態にすることで、国家の貨幣収入を増大させようとするものであった。これらの内容をまとめればよい。

ポイントとしては、イギリス・フランス両国とも、重商主義政策を採用しており、
イギリスの経済政策に関しては、「中継貿易に依存するオランダに打撃を与えるために、クロムウェルが航海法を制定したこと」、
フランスの経済政策に関しては、「財務総監コルベールが東インド会社を再建し、特権マニュファクチュアの育成に努めたこと」が挙げられる。
当時のオランダの動向としては、字数の厳しさゆえに、「オランダが商業覇権を握っていたこと」に触れればよいだろう。経済政策を推進した人物や代表的な法令を明示することも忘れないようにしよう。

まとめ

必要とされる知識は難しくないが、問題で要求されていることを整理して理解し、問題の要求に沿うように答案をまとめあげていくのが難しい問題と言えるだろう。
あとは、当時のオランダの動向をどのように答案に絡めるかが難しい。
答案をきれいにまとめ上げるのに時間をかけることになるだろう。
第2問で出題される論述問題の中では、字数のかなり多い問題であるため、日本語が不自然にならないように答案を丁寧にまとめよう。
この年の問題のセットの中で、この問題は、受験生全員が確実に満点近い点数をとれるという問題ではないため、あまり気負わず、時間をかけすぎないようにしてできる限りいい答案を作る意識で取り掛かるとよい。

 

2010東大大論述の紹介

ちなみに、この問題に関連して、2010年の大論述でもオランダの世界史における役割について問われたことがあった。
東大受験生はぜひチェックしてみてほしい。

 ヨーロッパ大陸のライン川・マース川のデルタ地帯をふくむ低地地方は, 中世から現代まで歴史的に重要な役割をはたしてきた。 この地方では早くから都市と産業が発達し, 内陸と海域をむすぶ交易が展開した。このうち16世紀末に連邦として成立したオランダ(ネーデルラント)は, ヨーロッパの経済や文化の中心となったので, 多くの人材が集まり, また海外に進出した。近代のオランダは植民地主義の国でもあった。

   このようなオランダおよびオランダ系の人びとの世界史における役割について中世末から, 国家をこえた統合の進みつつある現在までの展望のなかで, 論述しなさい。解答は解答欄(イ)に 20行以内で記し,  かならず以下の8つの語句を一度は用い, その語句に下線を付しなさい。

グロティウス ニューヨーク コーヒー 太平洋戦争 長崎 ハプスブルク家 マーストリヒト条約 南アフリカ戦争

 

2016年第2問を振り返って

この年は世界史用語の説明問題が中心であった。
受験生としてはかなり解きやすかったのではないか。
少し苦労したといっても、第2問の(3)くらいだろう。

2016大論述では、1970年代後半から1980年代にかけての東アジア・中東・中米・南米の政治状況の変化について問われた。
正直、現役生にとっては過酷な一問であったろうし、高卒生もほとんどノーマークな現代史であったため、白紙答案が続出したと聞く。

つまり、この年の多くの受験生にとっては、第2問の中論述と、第3問の単答問題だけが世界史における得点源になったわけである。
東大側はそれを理解してか、比較的難度の低いセットを第2問で用意してくれた印象である。

仮に、この年の中論述で手こずるようなら、基礎の徹底を入試までにはかっておこう。
東大受験生にとってはサービス問題であると言っても過言ではない。
この年の問題のセットは教科書をしっかりと読み込んで対策していれば、かなりの高得点が狙えるはずだ。
受験生の中でも現役生は、世界史の学習に時間をかけるのが特に難しいかもしれないが、教科書レベルのことはしっかりと頭に入れておきたい。
それだけでも十分に合格点は取れるはずだ。

【さらに深く学びたい方のために】

敬天塾では、さらに深く学びたい方、本格的に東大対策をしたい方のために、映像授業や、補足資料などをご購入いただけます。
ご興味頂いたかたは、以下のリンクからどうぞご利用下さい。

世界史の映像授業です。世界史満点講師による東大に特化した世界史の授業を一度ご覧ください。
(講座リンク) https://exam-strategy.jp/op_w

世界史の大論述を書くために知っておくべき補足資料です。
(東大世界史における文化史の切り口) https://exam-strategy.jp/archives/10874
(大論述指定語句にみる東大世界史) https://exam-strategy.jp/archives/10872   

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)