2020年東大世界史(第二問)入試問題の解答(答案例)と解説

設問別の答案例や解説

問1(a) 前3世紀末頃の匈奴の状況

解答例

匈奴は冒頓単于の下で勢力を拡大し、月氏を追ってタリム盆地を支配下に置いた。また、成立直後の漢を破り、貢納を課した。 

問題の要求

この問題では、「漢の武帝の時代に中国の北辺の支配をめぐり激しい攻防を繰り返した騎馬遊牧民国家の前3世紀末頃の状況」について述べることが求められている。問題文を読み間違えて、漢の武帝の時代の匈奴の状況について書いてしまうことのないように注意したい。このような些細なミスが入試においては命取りになる。 

まず、「漢の武帝の時代に中国の北辺の支配をめぐり激しい攻防を繰り返した騎馬遊牧民国家」が何かを特定する必要があるが、これはすぐに気づけなければならない。この騎馬遊牧民国家とは匈奴である。これは、「漢の武帝の時代」「中国の北辺の支配をめぐり」「騎馬遊牧民国家」の3つのキーワードから決めたい。中国周辺の主要な遊牧民は、紀元前6世紀からはスキタイ、紀元前3世紀からは匈奴、2世紀から鮮卑というように移り変わっていく。漢の武帝の治世は、紀元前2世紀中頃であったことから匈奴だと判別できるだろう。東京書籍の教科書を持っているならば、97ページの遊牧民の変遷についてまとめた表も参照してほしい。

解説

匈奴は、紀元前200年に漢を破って事実上の属国とし、またタリム盆地を支配下に置いて、オアシス都市が生み出す農工産品と東西交易の利益を手にした。しかし、漢の武帝の治世には、タリム盆地を奪われるなど漢の反撃にあった。そして、武帝の死後に漢と匈奴は和睦し、以後共存関係に入った。これが漢と匈奴の関係である。

ただ、ここで求められているのは、匈奴の前3世紀末頃の状況である。この頃の匈奴は、冒頓単于の下で急速に勢力を拡大し、東胡などを併合し月氏を駆逐して、タリム盆地を支配下に置き、中央ユーラシア東方最初の遊牧帝国を樹立した。また、成立直後の漢を倒し、漢に毎年の貢納を課した。これらの内容を決められた字数の範囲内でまとめればよい。

ポイントとしては、「冒頓単于の下で勢力を拡大したこと」「月氏を追ってタリム盆地を支配下に置いたこと」「漢を倒して、貢納を課したこと」の3つだろう。ただし、上に記した説明の部分から別のポイント(東胡などを併合・中央ユーラシア東方最初の遊牧帝国を樹立など)を選んで答案としてまとめてもよいが、字数の都合上答案に盛り込めるポイントが少なくなってしまい、内容の薄い答案に見えてしまう可能性が高い。他の受験生が確実に書いてくることから、教科書に書いてある内容は絶対に欠かせないポイントになるため、教科書に書かれていないような細かい内容は優先順位としては低くなる。よって、上に挙げた3つのポイントを中心に解答例はまとめている。答案にまとめる上で重要なポイントをランク付けし、重要なものからできる限りたくさんのポイントを答案に組み込んでいくことが大事になる。

まとめ

話が逸れたが、この問題は知識があれば、容易に書けるが、年代ごとに整理して知識を頭に入れておく必要がある。「漢の武帝の時代に中国の北辺の支配をめぐり激しい攻防を繰り返した騎馬遊牧民国家」が匈奴であるとわかっていることを採点官に示すためにも、答案に匈奴としっかり書いておきたい。答案の雰囲気などから採点官に読み取ってもらおうとするのではなく、しっかりと明示することで、わかっていますよというアピールを採点官にすることも大事である。

問1(b) 辛亥革命前後のモンゴルとチベットの独立の動き

解答例

清朝が辺境支配の強化を図ると、両地域は反発した。辛亥革命後に外モンゴルは独立を宣言し、その後中華民国宗主権下での自治が認められた。チベットは独立を主張する布告を出した。

問題の要求

この問題では、「辛亥革命前後のモンゴルとチベットの独立の動き」について説明することを求められている。今回は3行以内という字数制約の中で、「辛亥革命前のモンゴルの独立の動き」「辛亥革命前のチベットの独立の動き」「辛亥革命後のモンゴルの独立の動き」「辛亥革命後のチベットの独立の動き」の4つのことについて触れる必要がある。そのため1つ1つのことについて多くの字数は割けない。そうは言うものの、辛亥革命前のモンゴルとチベットの独立の動きに関しては教科書で説明されている箇所が少なく、説明しづらいため、おそらく主に辛亥革命後のモンゴルとチベットの独立の動きについて述べるために字数を多く割くことになるだろうと問題文を読んだ時点で想像できるようにしたい

解説

近代に入ると、欧米列強の進出などによって清朝の支配が動揺し、さらに琉球やベトナムを失うと、清朝は辺境支配の強化を図った。これに対し、モンゴルやチベットでは反発の動きが見られた。

モンゴルでは清末からの自立・独立路線が強まり、辛亥革命に際して外モンゴルが独立を宣言したが、中華民国は認めなかった。ロシアの介入もあり、中華民国の宗主権下での自治が認められた。

また、チベットでも自立の傾向が強まり、ダライ=ラマ13世は辛亥革命後に独立を主張する布告を出した。

これが辛亥革命前後のモンゴルとチベットの主な動きである。これらの内容をまとめればよい。ポイントとしては、「清朝の辺境支配の強化に対してモンゴルとチベットが反発したこと」「辛亥革命後に外モンゴルは独立を宣言したが、認められず、その後中華民国の宗主権下での自治が認められたこと」「辛亥革命後にチベットは独立を主張する布告を出したこと」の3つだろう。

まとめ

この問題に関しては、どの教科書にもほぼ同じ史実が書かれているため、皆似たような解答になるだろう。ただし、先ほども述べたが、辛亥革命前のモンゴルとチベットの独立の動きに関しては、教科書でさらっとしか触れられていないため、どの受験生も書くのに苦労するはずだ。しかし、誰もが多少の推測に頼って書かなければならないようなことは、意外と受験生間で知識量や経験値によって得点差がついてしまうポイントにもなりうる。知識量や経験値の多い人の方が、知識や経験からより正確な推測が可能になるからだ。本問で言えば、モンゴルとチベットが清朝の政策に反発したことが挙げられよう。結局、推測に頼らざるをえない部分でも、世界史が得意な人と苦手な人の間で差がついてしまう。また、推測に頼り、自信がなく書いたことでも意外と点数がきて、それでギリギリ合格すると言うこともある。1点でも多くもぎ取るという意識を持ってほしい。ただ、あくまで自分が持つ知識に基づいた合理的推測である。自分で根拠もなく勝手に作り出した嘘の史実ではない。このことには十分気をつけてほしい。

問(2)スエズ運河とその影響

解答例

エジプトに地中海と紅海を結ぶスエズ運河が建設された。イギリスはスエズ運河株式会社株を買収し、エジプトへの内政干渉を行った。それに対し、ウラービーらによるイギリスに対する反乱が発生したが、その後イギリスはエジプトを事実上保護国化した。

問題の要求

この問題では、「図版に描かれた工事によって造られた施設の場所と名称、その施設の完成から20年程の間のその地域に対するイギリスの関与とそれに対する反発」について述べることが求められる。「造られた場所」「造られたもの」「造られたものの完成から20年程の間のその地域に対するイギリスの関与」「それに対する反発」の4つについて、120字以内でしっかりと述べていく。問題で求められていることが多くても、忘れることなく1つ1つの要求にしっかりと応えるように意識したい。

解説

まず、図版に描かれた工事によって造られた施設とその施設のある国をしっかりと特定したい。問題文中に「19世紀後半の世界の一体化を進める画期となった一大工事」とある。19世紀後半において、世界の一体化を進めたもの(あるいは時間距離を縮めるのに貢献したもの)として主に取り上げられるのが、アメリカの大陸横断鉄道とスエズ運河である。さらに、本問では「その施設を含む地域は、1922年に王国として独立した」というヒントがある。1922年に王国として独立した国といえば、エジプトしかない。エジプトは、ワフド党の活躍もあって1922年にエジプト王国としてイギリスから独立した。これで解答で求められていることのうち、2つは出来上がった。

次に、「その施設の完成から20年程の間のその地域に対するイギリスの関与」と「それに対する反発」について考えたい。「その施設」、すなわちスエズ運河が1869年に出来上がったことを踏まえると、具体的には1870年代からのことを述べることになるだろう。

スエズ運河建設後、工事費用の多くを外債に頼ったため、エジプトの国家財政は破綻した。1875年にイギリスのディズレーリ首相は、エジプトからスエズ運河株式会社の株式を買収し、運河の経営権を握った(買収資金の調達のために、イギリス政府がユダヤ系金融資本のロスチャイルド家の援助を受けたことは有名な話である)。これにより、運河の株式を保有するイギリスとフランスの内政干渉が強まり、1876年には両国がエジプトの財政権を握った。そして、1880年代に入ると、ウラービー運動が起こった。指導者のウラービーは、アフガーニーのパン=イスラーム主義(ムスリムが西欧列強に対抗するために団結・協力するという思想)の影響を受け、「エジプト人のためのエジプト」をスローガンに掲げて、列強の内政干渉や経済侵略に対抗し、また宗主国であるオスマン帝国の支配にも反発して蜂起した。この運動では、立憲制の確立と議会の開設によって外国支配を排除し、またムハンマド=アリー朝の権力を抑えることも目指した。しかし、イギリスは、議会による国家予算の管理につながる運動を警戒して軍事介入し、これを鎮圧して、以後エジプトはイギリスの軍事占領下に置かれ、事実上の保護国となった。これらの流れから問題文の要求に合うようにキーワードや要点を抽出し、まとめ上げればよい。

イギリスの関与として「1875年のスエズ運河株式会社株の買収」「イギリスのエジプトに対する内政干渉」「事実上の保護国化」の3つ、そしてイギリスの関与への反発として「ウラービーの反乱」について述べればよいだろう。イギリスの関与に関するものならば、ここで挙げた3つのポイント以外のものも答案に入れても良いが、教科書や参考書にもしっかりと載っていて、受験生なら誰もが確実に書いてくるような内容であるため、これらのポイントは確実に入れたい。

 まとめ

この問題は比較的書きやすい問題であるため、受験生間でさほど差はつかないだろう。だからこそ確実に合格点を取れるように知識を入れておきたい。

(2)(b)オーストラリアへの入植と白豪主義の経緯

解答例

クックの航海後に英の流刑植民地となった。金鉱発見後の華僑流入増に白人が反発し、非白人移民を制限する等の白豪主義がとられた。

問題の要求

この問題では、「オーストラリアにおける、ヨーロッパ人の入植の経緯と白人中心主義が形成された過程」について述べるように求められている。問題を見た瞬間に、答案に入れる要素として、「流刑植民地として使われたこと」、白豪主義との兼ね合いから「非白人の移民が制限されたこと」の2つはすぐに思いつきたいところである。これらは「オーストラリア」「白人中心主義」というワードを見たら、反射的に連想したい事柄であり、すぐに思いつけるかどうかが解答スピードの短縮に直結する

解説

まずは、「ヨーロッパ人の入植の経緯」について考える。18世紀後半、クックの航海により、オーストラリア大陸のニューサウスウェールズがイギリスの植民地となり、イギリスはこの地に流刑囚を大量に送り込んだ。そして、移民はアボリジニーを追い払いながら内陸への開拓を進めていった。これらをまとめればよい。「ヨーロッパ人の入植の経緯」としては、「クックの航海」「英の流刑植民地として利用された」の2つがポイントになるだろう。クックの航海に関しては、絶対に入れなければならない要素とは言い切れないが、入れた方がより丁寧に問題の要求に応えていると言えるだろう。

今回は2つのことについて述べるように求められていることから、ヨーロッパ人の入植の経緯と白人中心主義が形成された過程についてそれぞれ半分ずつの字数を目安にして述べるのがよい。

次に「白人中心主義が形成された過程」について考える。オーストラリアでは、19世紀に入ると、牧羊業の成功と金鉱の発見により、移民が急増し、開拓が一挙に進んだ。特に、低賃金労働者として中国人労働者(華僑)が流入すると、中国人に反発する白人労働者の暴動なども発生した。その後、1901年には、イギリスの自治領としてオーストラリア連邦が成立すると、全国的な移民制限法が採択され、非白人の移民が禁止となった。これは白豪主義と呼ばれ、アジア系移民の禁止だけではなく、国内では露骨な差別政策が採られた。これらを短くまとめればよい。ポイントとしては、「金鉱の発見後にアジア系移民の流入が増加したこと」「アジア系移民の流入が白人の反感を買ったこと」「白豪主義が取られて、非白人の移民が制限されたこと」の3つになるだろう。

白人中心主義とは、その字面通り白人を中心とした社会を形成していこうとする考え方のことである。社会を白人を中心としたものにしていこうと考え出す背景には、白人が非白人に仕事を奪われたり、非白人の登場で治安が悪くなったりするなど白人が不利益を被ることが増え、非白人に対するマイナスな感情が増幅していることがあると考えられる。その部分をしっかりと説明していきたい。その場合、上に挙げた3つのポイントが必要不可欠だろう。

これらを踏まえて、再現答案を見てみたい。

答案1

クックの航海後に英の流刑地となり、牧羊発達や金鉱発見で中国移民が増加すると非白人移民を制限する白豪主義が採られた。

全体的によく書けている答案と言えるだろう。ただ、中国系などのアジア系移民の流入が増加したと書くだけでなく、その流入の増加が白人たちの反感を買ったことまで書くと、白人中心主義が形成された過程の説明としてより丁寧になるだろう。しかし、本番でこのレベルの答案が書けていれば、十分である。

答案2

クックの到達を契機に白人の入植が始まり、牧羊やゴールドラッシュによる中国系移民の流入に反発して、白豪主義が形成された。

完成度の高い答案と言えるだろう。ただ、贅沢を言えば、問題文で求められている「オーストラリアにおける、ヨーロッパ人の入植の経緯」についての説明として、流刑植民地であったことも書けるとなおよい。

まとめ

地理とも内容が被る部分であり、地理選択者にとって少し有利な部分もあったかもしれない。しかし、問われていることは平易であるため、正確な知識で確実に点をもぎとらなければならない

(3)(a)1920年代アメリカでの移民や黒人に対する排斥運動とそれに関わる政策

解答例

ヨーロッパからの非WASP系新移民は差別され、黒人やアジア系移民は人種偏見の対象となった。KKKが一時影響力を強めた他、新移民の受け入れが制限され、日系移民を禁止した移民法が成立した。

問題の要求

この問題では、「1920年代のアメリカ合衆国での移民や黒人に対する排斥運動やそれに関わる政策の概要」について述べることが求められている。問題を見て「1920年代のアメリカ合衆国」「移民」「黒人」といったキーワードを見つけた瞬間に、移民法が成立したことやクー=クラックス=クラン(KKK)について思いつきたい。自分の頭の中をいかに問題で述べられている時代や場所についての知識を早く出せる状態にするかが問題を解くスピードに直結する。高得点をとる人は問題を見た時に必要な要素を考えて導き出そうとしなくても、問題を見た瞬間に問題文中のキーワードから自然と浮かび上がってくるのだ。このようなレベルになるためには、普段から縦軸を年代、横軸を地域とした表のようなものを頭の中でイメージできるように知識を仕入れ、そのアウトプットを何度も何度も繰り返すのがよい。そうすると、上で述べたような高得点を取れる人と同じような思考プロセスで問題を解けるようになり、点数も上がるだろう。

解説

話は逸れたが、1920年代のアメリカでは、不寛容な傾向が少しずつ表面化していた。まず禁酒法(酒類の醸造・販売・運搬・輸出入を禁止した。1933年に再修正されて、禁酒条項は廃止された。) が実施された。また、カトリックやユダヤ教徒の排撃を提唱する秘密結社クー=クラックス=クラン(KKK)が一時影響力を強めた。さらに、1924年にはWASP系でない移民(カトリック系・ユダヤ系・ロシア正教徒など)の受け入れを制限し、また日系移民を含むアジア系の移民を禁止した移民法が成立した(実際のところ、1924年の移民法は事実上日系移民を禁止したものであったため、解答例では「日系移民を禁止した」とのみ述べた)。アメリカ社会の中心は、WASPと呼ばれる白人で、同じ白人でもカトリックのアイルランド系やイタリア系は差別され、黒人やアジア系移民が人種偏見の対象とされた。この時代には、社会主義運動への迫害が起こり、また冤罪で知られるサッコ・ヴァンゼッティ事件も起こった。これらの内容をまとめて答案を作ればよい。

よって、「1920年代のアメリカ合衆国での移民や黒人に対する排斥運動やそれに関わる政策の概要」についてまとめるポイントとしては、「クー=クラックス=クラン(KKK)が一時影響力を強めたこと」「WASPが保守化し、ヨーロッパからの新移民は差別され、黒人やアジア系移民が人種偏見の対象とされたこと」「1924年には新移民の受け入れを制限し、日系移民を禁止した移民法が成立したこと」の3つをまとめるのがよいだろう。

なお、サッコ・ヴァンゼッティ事件など移民や黒人に対する排斥運動についての説明を解答に盛り込むことで、差別内容を具体化するのもよいだろう。

まとめ

いずれにせよ、この問題は、教科書の記述をまとめるだけで答えが出来上がるような易問であるため、確実に高得点を稼ぎにいきたい

(3)(b)アメリカ=メキシコ戦争の経緯

解答例

アメリカ=メキシコ戦争。米のテキサス併合を背景に起こった戦争であり、勝利したアメリカはカリフォルニアなどを獲得した。

問題の要求

この問題では、「アメリカ合衆国において、1846年に開始された戦争の名、およびその戦争の経緯」について述べることが求められている。

まず、「アメリカ合衆国で1846年に起きた戦争」「領土の拡大や併合によって多様な住民を抱えることになった戦争」という2つのキーワードからアメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争)を導き出したい。戦争の経緯について問われた場合、戦争が勃発するに至った要因、勝敗、戦争の決着がついた後の領土などに関する取り決め(条約など)を述べるのが一般的である。問題文で戦争の経緯について問われていたら、すぐにこれらのことを思い浮かべられるようにしたい。

解説

アメリカ合衆国は、1803年にフランス領ルイジアナを購入し、つづく1819年にはスペイン領フロリダを購入した。その後、1830年にインディアン強制移住法を制定し、西へ西へと領土を拡張していった。こうした流れのなかで、アメリカが次に目をつけたのがテキサスであった。

当時、テキサスやカリフォルニアはメキシコの領土であったが、未開の地と言って良い状態で、移民の力を借りて開拓したいとメキシコ政府は考えていた。そこで、積極的に移民を奨励し、数多くのアメリカ人が黒人奴隷を引き連れてやってきた。

ただ、アメリカ人の入植者が増えるなかで、次第にテキサスの自治をメキシコ政府に要求しはじめたのである。こうした要求が拒絶されるなかで、「アラモの戦い」と称されるアメリカ人入植者とメキシコ政府との武力衝突が発生する。

こののち、アメリカ軍の介入などを経て、1836年にテキサス共和国としてメキシコから独立し、1845年にはアメリカ合衆国に併合されるに至った。

このように混迷を極めたテキサス領有問題は、1846 年になって大きな転換点を迎える。アメリカ側が、テキサス領のさらなる拡大や、カリフォルニアとニューメキシコを譲渡しろとメキシコ政府に要求したのである。メキシコ政府はこの申し出を拒否し、両国間で開戦に至った。

少し詳しく背景を書いたが、このような事柄は教科書には載っていないし、東大側も60字という指定字数から見て、このような知識を要求しているわけではないので安心してほしい。

ポイントとしては、「米のテキサス併合がアメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争)勃発の背景としてあったこと」「アメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争)では、アメリカが勝利し、カリフォルニアなどを獲得したこと」の2つを挙げればよい。字数に余裕があるならば、上で説明した内容を詳しく書いてもよいが、アメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争)勃発の背景であるテキサス併合とアメリカがカリフォルニアを獲得したことには絶対に触れておきたい。アメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争)の経緯について述べるうえで、欠かせない要素であり、受験生全員がほぼ確実に書いてくることだからだ。誰もが書ける要素を書き漏らしてしまうことは命取りになる。

 まとめ

この問題は、(3)(a)と同様に易問である。問題文で述べられている条件からアメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争)を確実に特定し、満点を取れるような正確な記述を心がけたい。

2020年第2問を振り返って

2020年の問題は、ただ知識をまとめ上げればよい問題が多かった。逆に言えば、知識がどれほどしっかりと入っているかが勝負の分かれ目となるということである。これらの問題を満足のいくように解けた人も思うように解けなかった人もしっかりと知識の充足に努めてほしい。また、この解説を読んで知識を補充するだけでなく、東大世界史で高得点をとるための思考法やテクニックも学び取ってほしい

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