2023年東大世界史(第一問)入試問題の解答(答案例)と解説~50点合格者による実況中継~
1.はじめに
この解説は、従来の予備校などの解答解説とは違って現実的に高得点を取るための発想、プロセスを重視したものになっています。よって、教科書レベルの知識の解説などを中心にしているのではなく、書く内容を選ぶ過程などを重点的に記述するようにしています。
実際私が受験生だった時に他の予備校の解答解説を読んでも、どうしてその発想に至るのか、そこまで詳細な知識が本番で発想できるだろうか、と思うことが多かったです。
私は東京大学の二次試験本番では教科書レベルの記述しかしませんでしたがそれでも総合で50点という比較的高得点を取ることができました。
この解説では多くの受験生が知っているような基本的な知識から本番で高得点を取るための大論述を完成させる方法に重きを置きつつ、今回の問題ではなく今後東大世界史を解く上で参考になりそうなことも記述していきます。
2.総評
論述の対象が中央アジアという地域に限定されていた2022年度とは大きく異なり、広い時代、広い地域についての記述が2023年の第一問で出題されました。昨年度よりも解きやすいと感じた受験生が多かったのではないでしょうか。
その一方で、東大世界史第一問ではあまり見慣れない、地図を利用しての出題でした。これに戸惑わず、冷静に対処できたか、きちんと地図を利用して論述を完成させることができたか否かが差がついたポイントだと思われます。
似た形式の問題が1992年度の第一問で出題されていました。筆者はこの問題を解いた経験があったので、2023年度入試の本番でも動揺せずに問題に取り組むことができました。1992年度の問題に関しては、テーマが主権国家体制の展開でした。2023年度の記述に通ずる部分も多く、この年の過去問研究をしっかりと行なっていた受験生にとっては有利に働いたのではないでしょうか。
東大では全く同じ問題こそ出ないものの、今回のように似たようなテーマの大論述が出題されたり、第二問で過去に出題された内容を第一問の要素に含めることを求められたりすることがあるので、少なくとも30年分程度は丁寧に研究することをお勧めします。
では、今回の問題の話に戻りましょう。今回は、内容だけ見れば、扱う地域、時代が広いがゆえに一つ一つの内容については多くの文字数が割けないがゆえに結果としては表面的な理解のみでも大論述が完成してしまうので、取り組みやすい問題だったのではないでしょうか。
しかし、対象となる時代、地域があまりに広いので、去年の問題においてはあまり生じなかった、記述する内容の取捨選択が大変な問題であるという印象を受けます。
後にここの部分については記述しますが、指定語句やリード文を最大限活用して、必要十分な内容を選択して盛り込んでいく、という作業が必要であり、範囲として苦手にする受験生が多いが内容は一意に決まった去年とはまた違った難しさがある、いわば東大らしい問題であったと言えます。
全体としては、決して難しい問題ではなく、基本事項の組み合わせで解くことができるので、この問題が試験本番で出てきたら、ラッキーと思いたい一問です。
筆者自身この問題を東大入試本番で見たとき、苦手な範囲が出題された前年とは違い、解きやすい問題だと思い安心した記憶がありました。
この問題で苦戦した方も、どこで苦戦したのか、どうすれば改善できるのか、自己分析をしっかりと行いこの問題から最大限多くのものを吸収していただければと思っています。
3.解説
3-1大論述の構成の決定
これは毎回記述していることですが、書く内容が思いついたからといってすぐに解答用紙に論述を書き始めるようなことをしてはいけません。記述の内容を過不足なく詰め込むためにも、行き当たりばったりで書くことはやめましょう。
今回はどのような構成で書いていけば良いでしょうか。
大論述の構成には大きく3種類があります。
一つ目は、完全に時系列に沿って記述していく方法です。起こったことを年表にして、年表の順番通りに記述していきます。時代の前後関係が明確になるというメリットがあり、2022年のトルキスタンのような特定の地域に関する歴史を記述する際の使用に適していますが、今回のような、さまざまな地域にまたがる記述を書く場合には、地域ごとのタテの歴史が見えなくなってしまい、因果関係が見えづらくなってしまうため適していません。
二つ目に、リード文で要求されている記述するテーマごとにそれぞれ論述を書いていくという方法です。内容が前後しないので、何の話をしているのか、というのが読む側にとっても書く側にとってもわかりやすいことがメリットです。デメリットとしては、記述する内容が要求されている複数のテーマにつながりがある場合が多いことです。
後に言及する、地域ごとに記述する方法であれば同じ文脈で述べられるのにも関わらず、テーマごとに分けてしまったがために二度記述しなければならなくなってしまいます。あるいは、複数挙げられているテーマについて明確な区別ができないこともあります。
今回について、政治のしくみがどのように変わったか、というテーマとどのような政体の独立国が誕生したか、というテーマを分けて書くとしましょう。
そうした時に、例えば、フランス革命を例にとると、8月10日事件をきっかけに絶対王政が崩壊し、第一共和政が行われるようになりましたが、これは新たな共和政という政体の共和国の誕生ということもできますし、一つの国の中での政治体制の変化と捉えることもでき、敢えてこの二つを全く別のものとして記述するのは不自然です。
この、テーマごとに述べるという手法は今回可能だと思いますが、以上に述べた理由から今回私個人としてはあまりお勧めしません。
三つ目に、対象となる国、地域ごとに分けてそれぞれについて記述していく方法です。この手法のメリットは、一つの国の中での歴史の流れがわかりやすいことです。今回のようにさまざまな国について述べる論述のときに用いるのに適しています。最初に述べた完全に時系列にして述べるよりもまとまりのある文章になります。
デメリットは、国家に関係なく広い領域にまたがった話をするのには向いていないことでしょうか。今回は、それぞれの国家に関して、その政治体制や政治のしくみについて書けば良かったので、国家ごとに内容が独立していることからこの手法を用いることができますが、さまざまな国や地域に共通な内容の記述をするのにはあまり向かないという傾向があります。
今回は以上の理由から、三つ目に紹介した、国ごとに分けて述べていく方法を用いるのが適当なのではないでしょうか。
大論述の構成については、必ずしも今回紹介した3種類のいずれかに帰着できると言うものではありません。また、正解があるわけでもありません。臨機応変にこれらを組み合わせることもあれば、場合によっては全く違った構成をとることもあり得ます。与えられた問題をしっかりと分析して、読みやすい記述を作るためにはどのような構成を取ればいいか、柔軟に判断していただければと思います。
3-2 リード文の分析
まず、書く内容を決定するためにも出題者からのヒントの宝庫である問題文をしっかりと分析していきます。
今回の問題の直接的な要求は、1770年前後から1920年前後までの時期にヨーロッパ、南北アメリカ、東アジアにおけるそれぞれの国の政治のしくみの変化、およびどのような政体の独立国が誕生したか、を述べることです。
大論述の問題分には様々なヒントがあるためについ、与えられたヒントに答えていくうちにこの問題の要求には関係ない記述まで盛り込んでしまうという現象に陥ってしまいがちです。自分が何を答えなければならないのか、ということを常に意識しておく必要があります。
それでは、問題文の他の部分からはどのようなヒントを引き出すことができるでしょうか。
問題文の中には、「一つの国の分裂や解体によって新しい独立国が生まれたりすることがあった」、「革命によって政体が変わる」、「憲法を定めるか、議会にどこまで権力を与えるか、国民の政治参加をどの範囲まで認めるかなどといった課題」など、問題で要求していることの解像度を上げるためのヒントがたくさん書いてあります。
今回の問題については、問題文の第二段落で述べられているこの問題での要求に答えていこうとしていきつつ、それにあたってのヒントとして第一段落の内容を活用していく、という姿勢で取り組めば良いでしょう。
また、今回はここ最近見られなかった地図を用いた出題になっています。どのように地図を用いれば良いでしょうか。
地図の用い方に関しては必ずこのような使い方をしなければならないというものがあるわけではありません。基本的には時代が異なる地図が提示されていることから、地図を見比べて、二つの地図の表す時代の隔たりである100年間の間にどのような変化がどの地域で起こったのかということを読み取るのが無難でしょう。
今回に関しては、地図から多くの記述を発想するというよりも、指定語句の与えてくれるヒントと被る部分も大きいので、自分が書くと決めた内容が適当であるかの確認、他に記述するべき内容がないか、というチェックに使うことになったのではないでしょうか。
3-3 大論述本編
3-3-1 南北アメリカの記述
先述した通り、今回この解説では、地域ごとに分けてそれぞれ記述を完成させていくという構成を取ります。問題文でも、ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジアにおいて、と分かれて記述されているので、この方法を取るのが無難でしょう。
南北アメリカについて最初に書く理由ですが、のちのヨーロッパについての記述の部分でフランス革命に言及するということを論述を書き始める前に決めていて、フランス革命はアメリカ独立革命が影響を与えて起こったので、完全に地域に分けて記述するにせよアメリカについて先に言及してアメリカ独立革命という前提を作っておく方が自然だと判断したからです。(アメリカ独立革命に関しては指定語句になっていますし、今回の問題文を読んでフランス革命に言及しようと考えない受験生はいないでしょう。)
それに加え、1770年前後から、という時期の指定があり、指定語句やリード文からこの時代にちょうど当てはまるのがアメリカ独立革命なので、やはり、完全な時系列ではないにせよアメリカ独立革命から述べるのが自然でしょう。
3-3-2 アメリカ独立革命
アメリカ独立革命については、どのようなことを述べればよいでしょうか。
まず、問題文では、①諸国で政治の仕組みがどのように変わったか。②どのような政体の独立国が誕生したか、について述べるように要求されていました。(以下、この記事においては要求①、要求②と記述させていただきます。)
元はイギリスの植民地であったアメリカの独立に関しては、②の内容として書くのは自明でしょう。ご存知の通り、アメリカ独立革命によって、アメリカ合衆国という独立国が誕生しました。これに関して、要求②に沿った内容を書こうとすると、アメリカ合衆国では共和制が取られたことに言及するのは必須でしょう。
3-3-3 合衆国憲法
また、リード文の中で、憲法についても言及があったので、ここで合衆国憲法にも触れておきたいです。合衆国憲法については東大の論述で必須なので、特に重要なポイントをまとめておきましょう。
合衆国憲法の重要な特徴として特に論述などで挙げられるのは、人民主権、連邦主義、三権分立、また、今回新興国家の政体に関する場面で言及することになる、共和制です。これらについて、どのような意味であるか自分で理解しているか、記述できるかどうか確認しておきましょう。
とはいえ今回は憲法自体はメインで問われている事項ではないので、あまり詳細に踏み込みすぎないようにしたいです。
3-3-4 アメリカ合衆国の政治
北米については、この建国当初のこと以外に書く内容の候補としては、ジャクソニアンデモクラシーなどが挙げられるでしょうか。アメリカの政治に関しては、受験でも重要なことが多く、記述できそうな内容も多いので、どこまで書くか迷った受験生も多いでしょう。しかし、今回多くの地域について記述しなければならないことを考えても、民主政治の中での変化について述べる字数的余裕はないと判断できるでしょう。(文字数に余裕がないと判断しているのは、私の場合は、書こうと思った内容を列挙して下書きとして問題用紙の欄に記述していく中で気づいていました。)
3-3-5 ラテンアメリカの独立
次に、ラテンアメリカについて考えていきましょう。ラテンアメリカについて、今回の問題の大きな特徴と言える地図の上で大きな変化があったように思います。
地図Ⅰではラテンアメリカの多くの土地が斜線(植民地)であった一方で、地図Ⅱでは薄い色がついており、(共和制の独立国)かつ星がついています(成文憲法が制定された国を表す)。
指定語句にシモン=ボリバルがあることと、二つの地図を見比べた時の顕著な違いに注目しても、ラテンアメリカが独立したということに言及することは発想できるでしょう。
ラテンアメリカの独立に関しては、指定語句にシモン=ボリバルがあるのでつい詳細に書こうと思ってしまうかもしれませんが(彼がどの国の独立を導いたのか、など)、シモン=ボリバルはあくまでラテンアメリカ全体が独立する、という流れを構成するうちの一人として言及するべきです。具体的な国について言及する文字的な余裕はありません。
また、独立国が誕生するタイミングなので、問題文の要求②である「どのような政体の独立国が誕生したか」に言及することを忘れてはいけません。ラテンアメリカ全体ではほとんどの国が共和制を採用した、ということを書くようにしましょう。
ここで、世界史をきちんと勉強している人ならブラジルが帝政であったということを知っていて、ブラジルの扱いに困るかもしれません。実際には2個目の地図を見るともう帝政が終了し、共和制が取られている時期なので地図からは帝政が取られていたということは読み取れません。
結果的にはラテンアメリカ全体が共和制になっているので、あえて途中経過であるブラジルの帝政に述べる必要はないと判断できます。今回の問題の内容には沿っているので、文字数に余裕があれば、ブラジルは他のラテンアメリカ諸国とは違う独立の過程を辿ったということを書けば良いでしょう。
地図を見ると厳密には地図Ⅱの時点ではギニアの地方が欧米の植民地になっているのですが、高校世界史ではギニアについては扱わないのでギニアにわざわざ例外として言及する必要はありません。ただ、ラテンアメリカの「すべての国で」などと書くとそれは虚偽の記述になってしまうので、あくまでも「ラテンアメリカの大半、ほとんどの国」で共和制が採択されたと表現するようにしましょう。
3-3-6 ラテンアメリカにおける憲法
また、ラテンアメリカに関しては憲法が制定されたことに言及したいです。個々の内容だと主に高校世界史で扱う範囲だと、立憲革命であるメキシコ革命からの1917年憲法に言及するのがベストでしょうか。
ただ、必ずしもここでもこの例を挙げる必要はないと思います。あくまで憲法を制定したラテンアメリカ諸国の中の一例として述べることしかできないので、どうしようもなく文字数が余りそうになってしまった時に最終手段として書くようにしましょう。単なる具体例は大論述において優先順位は低いです。
3-3-7 ヨーロッパの記述部分の構成
ラテンアメリカについての記述が完成したところで、次にヨーロッパについて書いていきましょう。なぜ次に東アジアではなくヨーロッパについて書くかといえば、アメリカ独立革命→フランス革命の流れを断ちたくないからです。アメリカ大陸と東アジア地域よりも、アメリカ大陸とヨーロッパ諸国の方がつながりがあるのでこの解説では先にヨーロッパ諸国についての記述を完成させています。
ヨーロッパについて記述していくときに、ラテンアメリカと違って基本的にそれぞれの国が独自の歴史を辿っているので、全体の流れとしてすべて記述し切ることはできず、どの国について言及するか、ということを考えなければなりません。
どの国に言及するか、というのは基本的には指定語句から決めていけばいいと思います。書く内容を指定語句に基づいて決めるだけでは不十分な例も少なからずありますが(というのは、問題文の要求から明らかに発想した方がいい国、地域があるという場合です。)今回の場合は基本的に文字数もあまりないので自分で新たに書くべき国を決める必要もないでしょう。指定語句から、フランス、ドイツ、イギリスに言及すれば良いということがわかります。
言及する国を絞ったところで、それぞれの国の記述を組み立てていきましょう。
3-3-8 フランスの記述の注意点
まず、フランスについてです。フランスについては最もこの中で書きやすいのではないでしょうか。フランス革命の流れを説明して絶対王政から共和政に変わっていったことを記述すれば良いでしょう。フランス革命の流れについては多くの受験生がしっかりと把握していると思います。フランスに関しては書く内容が思いつかなくて困る、ということはないでしょう。
ここで重要になってくるのは、他の受験生に差をつけられないようにしっかりと正確に知識を記述すること、また、具体例に踏み込みすぎないことだと思います。
フランス革命は重要な出来事が多く、受験生の知識も豊富であるためにどこまで踏み込んで書くか迷う受験生の方も少なくないと思います。今回の記述では扱う地域が膨大であり、基本的に文字数に余裕がないということを踏まえ問題の要求に沿ったものについて記述するようにしましょう。そうすると今回は政治体制の移り変わりについて中心に言及することになります。具体的な事件名はもちろん、テーマには沿っているもののあまりにも記述量が膨大なので一つ一つの憲法の制定及びその内容を詳細に述べることは現実的ではないように思われます。
3-3-9 フランスの政治
フランスにおいてはブルボン朝期に確立して以来絶対王政が行われていましたが、フランス革命が起こり、共和政が樹立されました。共和政になってからも政権に関して、ジャコバン派の台頭や、総裁政府の登場、統領政府の成立などの大きな動きは多くあったものの、絶対王政が倒れてからナポレオンが第一帝政を始めるまでの時期の政治体制は共和政とまとめることができます。
第一帝政下、また、七月王政下では制限選挙が行われていました。特に七月王政下で極端な制限選挙が行われていたということは、二月革命が起こる動機となったので知っている方も多いのではないでしょうか。そして二月革命が起こったことで第二共和政が成立しました。第二共和政の下では男子普通選挙が行われました。第二共和政の下での男子普通選挙の達成には論述の中で触れておきたいです。対比させて帝政及び王政下での制限選挙に言及しても良いですが、男子普通選挙への言及を優先させるべきです。基本的に、普通選挙の達成というのは民主化のプロセスの中でかなり大きな出来事なので、この論述全体を通して、普通選挙が達成したタイミングでは選挙について言及するべきです。
さて、第二共和政の後のフランスの政治体制について見ていきましょう。第二共和政が成立しましたが、大統領に選ばれたルイ=ナポレオンが独裁権を握り、国民投票によって皇帝となり、ナポレオン3世を自称して第二帝政が始まりました。第二帝政は普仏戦争に敗れた1870年に崩壊し、1875年に第三共和政が成立しました。
第二帝政、第三共和政については各予備校の答案を見ても言及するかしないか割れているところです。個人的には、本記事の最後に掲載している解答例にあるように「帝政が復活したが共和政が定着した」と比較的短い文言で政治体制の移り変わりをカバーできるので、ここまで書いてしまうのが無難であると思います。
以上でフランスについての記述は終了です。まとめると、フランスについては情報量が膨大なのでいかに今回求められている「政治のしくみ」の変化にフォーカスを置いて抽象化できるか、が重要なのではないでしょうか。今回解説の中で述べてきた通り、政治体制の変化を簡単に追っていくのが良いでしょう。
3-3-10 ドイツ帝国、帝国議会の使い方
では次にドイツについて見ていきましょう。ドイツについて、帝国議会が指定語句に上がっていることからドイツ帝国を中心に記述していけば良いでしょう。ドイツ統一の過程などを一つずつ説明するのは冗長ですし、政治のしくみの変遷という今回の要求に合致していないように思われます。
ドイツ帝国については1871年にプロイセン王がドイツ皇帝を兼ねるという形で成立しました。帝国はドイツの諸邦で構成される連邦国家で、ドイツ帝国成立後も各邦の政治のしくみは変わらなかったものの、帝国議会の議員は男性普通選挙制で選ばれていました。
帝国議会の設置はされていたものの帝国宰相は皇帝のみに責任を負い、議会の権限は弱いものでした。この部分に関しては少し発展的かもしれませんが教科書レベルの知識なのでこれを機にしっかりと定着させておきましょう。
新しく成立したドイツ帝国の政治体制について説明する中で、指定語句の中にある「帝国議会」という単語を用いたいです。ドイツ帝国の政治のしくみについてはインプットが十分でない受験生も多いであろうと考えられ、「帝国議会」は今回の論述の指定語句の中で最も使い方が難しく差がついたポイントになったのではないでしょうか。
3-3-11 ヴァイマル共和国の成立および特徴
また、ドイツについてはドイツ帝国の政治のしくみのみならず、その崩壊及びヴァイマル共和国についても言及したいところです。
1918年に起こったドイツ革命で(詳細な革命の経緯は教科書で確認することお勧めします。)ドイツ帝国は滅亡し、新しく共和制の国家が成立しました。この国家のもとでは民主的な憲法であるヴァイマル憲法が制定されました。この憲法に基づいた共和制国家をヴァイマル共和国と呼びます。
ヴァイマル共和国については、帝政が崩壊して共和制の国家がドイツに成立したこと、また、民主的な憲法が成立したことを記述すれば良いでしょう。ヴァイマル共和国についての記述で本問の要求である新しく成立した国家の政治体制、及び憲法の制定についての2点を言及することができます。
3-3-12 イギリスの選挙権拡大
イギリスの記述を見ていきましょう。今回の問題の指定している時代、イギリスではずっと立憲民主制が取られ、民主的な議会が設置されていました。政権の移り変わりはあったにせよこの体制そのものに変化はありませんでした。イギリスについてはイギリスの政治体制を説明するとともに、指定語句に選挙法改正があることから、選挙権が拡大していったということを記述するのがよさそうです。
イギリスの四回の選挙法改正についてそれぞれ詳細に述べることができるという受験生も少なくないと思いますが、今回重要なのは選挙権が拡大した、という事実です。よって、今回は四回それぞれについて結果を述べるのではなく、選挙法改正によって段階的に選挙権が拡大していったということ、また、その結果として第一次世界大戦後に男女普通選挙が実現されたということを記述すると要点を絞ってイギリスの選挙法について記述できるのではないでしょうか。イギリスについては政治的な大きな変化が他の地域と比べてあるとは言えないので、選挙法改正について述べるのみにとどめるのが良いかと思います。
3-3-13 ヴェルサイユ体制
以上までヨーロッパの中でも特定の国について述べてきました。ここで、指定語句を見てみるとヨーロッパに関して「ヴェルサイユ体制」という語句がまだ使われずに残っています。ヴェルサイユ体制はどのように使えば良いでしょうか。
ヴェルサイユ体制の下で「民族自決」のモットーが掲げられ、旧同盟国側、及び旧ロシア帝国の領土から多くの民族が独立し、数々の新しい国家が成立しました。(例えばハンガリー、ポーランド、フィンランドなど)今回、問題文の指示に基づけば新しく興った国家がどのような政治体制の国家であるのかについて言及しなければなりません。この時期に独立した国家の多くは共和制国家として独立しましたが、中にはハンガリーなど王政の国家として独立した国もあるのでそれは注意しておく必要があります。
現実的には、第一次大戦後に独立した国の政治体制を正確に覚えていることを期待することは厳しいことだと思います。実際筆者も試験当日正確な記憶を呼び起こして記述したわけではありません。このような時、実践的には減点を回避するために自信がないことは避ける、という戦法を取ってもいいと思いますし、減点も覚悟した上で自分の勘に頼って、曖昧に書く、という戦い方をしてもいいと思います。筆者は、さすがにこの時代の新興国家で王政がマジョリティになることはないだろう、と判断して「多くの共和制国家が誕生した」と記述しました。
今回のヴェルサイユ体制下での民族自決の原則、及びそれに伴うヨーロッパ地域での新興国家の独立に関する記述は東大世界史で頻出なので、この流れは必ず押さえて自分のものにしましょう。
ここまででヨーロッパ地域の記述が終わりました。どうしても記述する国の数が多いためヨーロッパの記述が長くなってしまう論述になると思います。3つ地域があるからといって文字数も三等分するわけではもちろんありません。書く要素の数を見ながら臨機応変に対応していきましょう。
3-3-14 中国における政治体制の変化
それでは最後に東アジアについて記述していきます。今回地図を見比べてみると、東アジアでは大きな変化が生じたことがわかります。中国、日本、朝鮮のうち、今回は指定語句から中国と日本について記述していくとわかります。
まず、中国に関しては、地図Iの時点では君主制であったものの、地図IIでは共和制になっていることがわかります。ここから、辛亥革命に言及することは明らかでしょう。
また、指定語句に光緒新政があります。光緒新政はどのように使えば良いでしょうか。
光緒新政は、20世紀初頭の清朝において行われた近代国家の建設に向けた一連の改革のことです。具体的には科挙の廃止や、立憲君主制の確立に向けて憲法大綱の発表と国会開設の公約などがあります。皆さんもご存知の通り、このように近代的な改革を試みましたが辛亥革命が起こり、清朝は滅亡しました。
今回、光緒新政の使い方としては、光緒新政によって立憲君主制の樹立を試みたものの失敗し、辛亥革命によって君主制の清朝は滅び、共和国である中華民国が誕生したという流れの中で使うのが良いのではないでしょうか。光緒新政によって立憲君主制が成立したわけではもちろんないので、政治の近代化の失敗例として記述するのが適切かと思います。
3-3-15 日本における立憲君主制の成立
次に日本についての記述を見ていきましょう。地図Iと地図Ⅱを見比べると、日本には新しく地図Ⅱの時点で星がついていることがわかります。これと合わせて大日本帝国憲法が指定語句にあることから、日本が明治維新を通して近代化し、立憲君主制の国家になったということを言及すれば良いでしょう。
ここで明治維新に言及する必要性についてですが、明治維新は指定語句になっていないものの、今回は政治のしくみの変化に言及することが求められているので幕末期から明治初期に大幅な改革である明治維新があったことも記述するのが今回求められていることにちょうど合致していて良いと思います。
3-3-16 まとめ
以上で全ての指定語句を使い切り、言及するべき国にも言及できたのではないでしょうか。
今回の問題全体として、難易度は比較的低めではあるものの言及するべきことが膨大であるために内容の取捨選択がかなり必要な問題であったということが言えます。東大世界史の大論述はほとんどの場合記述したい内容に対して文字数が足りません。内容の割に少ない文字数の中で重要な点を押さえていく訓練をするのに絶好の問題であったと思います。東大を目指す方には一度は丁寧に解いて欲しい問題です。この問題を解けた方も解けなかった方も復習の際にこの解説が少しでもお役に立つと嬉しいです。
最後に予備校が出しているようないわゆる「綺麗な」解答ではなく、受験生が「現実的に」書けそうな解答例を添えさせていただきます。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
解答例
北米においてイギリス植民地がアメリカ独立革命を経て独立し、共和制国家であるアメリカ合衆国が誕生した。合衆国では人民主権を定めた合衆国憲法が制定された。ラテンアメリカでもフランス革命の影響を受けてシモン=ボリバルらクリオーリョを中心にスペインからの独立が進み共和制国家が勃興した。ヨーロッパについて、フランス革命の結果フランスは共和制国家となったがナポレオンの元で帝政となり、以後も王政がとられた。しかし二月革命の結果再び共和制となり男性普通選挙が行われた。その後再び帝政が復活したものの共和政が定着した。19世紀後半に成立したドイツ帝国では帝国議会の議員は男性普通選挙により選ばれたが、議会の権限は制約されていた。帝国はドイツ革命で崩壊し、民主的な憲法に基づいた共和制国家であるヴァイマル共和国が成立した。議会中心の立憲君主制であったイギリスにおいては四度の選挙法改正によって選挙権が拡大し、第一次世界大戦後には男女普通選挙を実現した。第一次世界大戦後ヴェルサイユ体制のもとで民族自決の原則に基づきヨーロッパで多くの共和制国家が成立した。東アジアについて、19世紀後半日本では明治維新が起こり日本は大日本帝国憲法に基づく近代的な立憲君主制国家となった。中国の清では20世紀初頭から光緒新政によって近代化、立憲君主制国家の樹立を目指したが挫折し、辛亥革命が起こった結果共和制国家である中華民国が誕生した。
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