2024年(令和6年) 共通テスト本試 国語第4問 漢文「華清宮」『詩林広記』 『考古編』現代語訳

現代語訳を作ってみました。一部、振り仮名も桑ています。

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R6(2024)年共通テスト本試 漢文『詩林広記』 『考古編』

現代語訳

【詩】

華清宮(唐の都長安の郊外にある、驪山の温泉地に造営された離宮)。

長安から振り返って遠方を望めば、(驪山は)綾絹を重ねたている(ように美しい)。
山頂にある華清宮の多数の門が、次々と開いていく。
ある騎馬が砂煙(を上げ疾走して来る)。(それを見て皇帝玄宗の妃である)楊貴妃はほほえむ。
人々は誰も、これがライチを届けに来た(騎馬である)のだと知らない。

【資料】

Ⅰ『天宝遺事』に記されていることには、「楊貴妃はライチを好物とした。当時、涪州は貢物(のライチ)を届けるにあたって(本来は公文書を運ぶ)早馬の中継による緊急輸送で運ぶこと、七日七夜(休まず)走らせて、都に到着した。人も馬もたくさん道に野垂れ死に、民衆はこれに苦しんだ」と。

Ⅱ『畳山詩話』に記されていることには、「玄宗は遠くのもの(=ライチ)を取り寄せ、それによって妻(の楊貴妃)を喜ばせた。人力を尽き果てさせ、人の命を犠牲にしても、気にかけないところ(≒傾向)があった」と。

Ⅲ『遯斎閑覧』に記されていることには、「杜牧の華清宮の詩はとりわけ広く知れ渡っている。唐の時代についての歴史記録によると、玄宗は十月に驪山に行幸し、(翌年の)春になってすぐに皇宮に帰った。したがって、これまで一度も六月には驪山にいない。それなのに、ライチは夏の一番暑い時期になって初めて熟す」と。(つまりライチが驪山の華清宮に運ばれるという杜牧の詩は時期が不一致で事実に反する)

Ⅳ『甘沢謡』に記されていることには、「天宝十四年六月一日に、楊貴妃の誕生日があり、皇帝の乗り物(に乗った皇帝と楊貴妃)が驪山に行幸した。宮廷の少年歌舞音楽隊に命令して、音楽を長生殿(という華清宮の建物の一つ)で演奏させ新しい楽曲を(楊貴妃への誕生日祝いとして)進呈させたけれども、まだ(その楽曲の)名前は無かった。ちょうど(その時)南海郡がライチを献上し、そのために、(新曲に)「茘枝香」と名付けた」と。

2024年(令和6年) 共通テスト本試 国語第4問 漢文「華清宮」『詩林広記』 『考古編』現代語訳” に対して2件のコメントがあります。

  1. 匿名 より:

    非常に助かります

    1. 古文担当 より:

      コメントありがとうございます。励みになります。

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