2019年東大世界史(第二問)入試問題の解答(答案例)と解説

設問別の答案例や解説

問1 ベンガル分割令による分割の仕方と意図した結果

解答例

ベンガル州をムスリム中心の東ベンガルとヒンドゥー教徒が多数派の西ベンガルに分け、協力して反英運動を展開していたヒンドゥー教徒とムスリムを反目させ、反英運動を弱体化させようとした。

問題の要求

この問題では、「ベンガル分割令がベンガル州をどのように分割し、いかなる結果を生じさせることを意図して制定されたのか」について述べることを求められている。
「ベンガル分割令によるベンガル州の分割の仕方」と「ベンガル分割令が発布された意図」の2つに答える必要があることに注意しよう。

解説

まず、ベンガル州の分割の仕方については、完全な知識問題であり、答案作成の時間短縮のためにもすぐに思いつきたい。
これに関しては、教科書において記述が見られる。ただ、教科書の出版社によって記述の詳しさが異なる。
たとえば、東京書籍の世界史Bの教科書には、「1905年に反映運動の中心であるベンガル州をムスリムの州とヒンドゥー教徒の州に分けるベンガル分割令(カーゾン法)を発表した。」と書かれている。
その一方で、帝国書院の世界史Bの教科書では、「反英運動の中心であるベンガル州を、ムスリム中心の東ベンガルと、ヒンドゥー教徒が多数派の西ベンガルに分けようとしたが、反対運動が強まり、1911年に撤回された。」と書かれている。
できる限り詳しく書くに越したことはない。
しかし、字数や時間の都合もあるため、東ベンガルや西ベンガルといったワードは使わなかったとしても、ベンガル州をムスリム中心の州とヒンドゥー教徒中心の州に分けたことには触れておきたい。
ベンガル州を東西に分けたと記述するだけでは足りないだろう。

次に、「ベンガル分割令が発布された意図」について考えたい。
法令が発布された意図について問われたときには、その時代背景についても考える必要がある。
そこで、19世紀後半のインドとイギリスの関係について見てみたい。
インド帝国の建設後、イギリスはインド人の弁護士や技術者、官僚などのエリートを協力者として利用することを考えた。
その一方で、インド人エリートの間では、民族意識が生まれ、インド人の不満を吸収するとともに、その政治参加を拡大するために1885年にボンベイでインド国民会議が設立された。
当初は親英的な組織であったが、次第に反英的な組織に変わり、反英運動の中心になっていった。
そして、1905年にイギリスはヒンドゥー教徒とイスラム教徒を反目させ、反英運動を弱体化させることを目的にベンガル分割令を発布し、ベンガル州をムスリム中心の東ベンガルとヒンドゥー教徒が多数派の西ベンガルに分けようとした。
そして、これを機にさらに反英運動が強まった。
これが主な流れである。
これをもとに、「ベンガル分割令が発布された意図」についてまとめればよい。

「ベンガル分割令によるベンガル州の分割の仕方」に関しては「ベンガル州をムスリム中心の東ベンガルとヒンドゥー教徒が多数派の西ベンガルに分けようとしたこと」、「ベンガル分割令が発布された意図」に関しては「イギリスがヒンドゥー教徒とイスラム教徒を反目させ、反英運動を弱体化させようとしたこと」がポイントとなる。
ただ2つの宗教の教徒を半目させようとしたことだけでなく、反英運動の弱体化を狙ったことまでしっかりと触れておきたい。

まとめ

この問題で求められていた「ベンガル分割令によるベンガル州の分割の仕方」に関しては、上にも示したように、帝国書院や東京書籍の世界史Bの教科書では記述が見られたが、山川の「詳説世界史B」や「新世界史」には記述が見られなかった。
複数の教科書を使って学習していくことが東大合格には不可欠と言える。
本問は、教科書レベルの知識があれば、容易に書ける問題であるため、確実に合格点が取れる答案を書けるようにしたい。

問2(a) 19世紀末から1920年代までの太平洋地域の状況

解答例

19世紀末にドイツ領になったが、第一次世界大戦で日本が占領し、その後のパリ講和会議で日本の委任統治領になった。

問題の要求

この問題では、「地図中の太線で囲まれた諸島が、19世紀末から1920年代までにたどった経緯」について述べることが求められている。

問題文を読んでも、一見何を書けばいいのかわからなくなるかもしれないが、落ち着いて、与えられている問題を解くためのヒントを探していこう。
問題文中の地図は、ミクロネシアを示している。
この地域は、もともとドイツ領であり、第一次世界大戦でのドイツの敗北を機に、戦勝国の委任統治領になった。
このことは問題文を読んだ瞬間に思いつきたい。ただ、意外と使う機会の少ない知識であるため、パッと出てこない人も多いかもしれない。
そういう人も落ち込むことなく、知識を引き出しやすくできるように一問一答を繰り返すなど世界史に触れる時間を増やすようにしてみてほしい。

解説

1880年代以降、太平洋地域のマリアナ諸島、マーシャル諸島、パラオなどのカロリン諸島(これらは全てミクロネシア)はドイツ領になった。
しかし、第一次世界大戦中にこれらの地域は、日英同盟を理由に参戦した日本によって占領され、戦後のパリ講和会議で日本の委任統治領として認められた。
これらの流れを正しく論述すればよい。

まとめ

地図を正しく読み取れるかどうかが大きなポイントとなる。
ここを誤って、米西戦争期のアメリカやイギリスについて触れてしまうと、字数が取られてしまい、重要なドイツ関連の話に触れられないだけでなく、地図を正しく読み取れていないかのような印象を与えてしまう可能性がある。
「19世紀末にドイツ領になったこと」「第一次世界大戦で日本が占領し、パリ講和会議で日本の委任統治領として認められたこと」の2つのポイントにしっかりと触れておくのがよいだろう。
地図を正しく読むことができれば、書く内容は単純であることから易問であると言える。
世界史における地図を活用した勉強の重要性を教えてくれる問題である。

問2(b) 1920〜30年代におけるニュージーランドの政治的地位の変化

解答例

イギリスの自治領であったが、ウェストミンスター憲章により、イギリス本国と対等な地位を持つ独立国となった。

問題の要求

この問題では、「1920〜30年代にニュージーランドが経験した政治的な地位の変化」について述べることが求められている。

世界史でニュージーランドについて問われた場合、17世紀にタスマンが到達し、18世紀にクックが領有を宣言してイギリス領になったこと、1907年に自治領となったこと、1931年にイギリス連邦の一員として独立したこと、1951年にオーストラリア・アメリカ合衆国と太平洋安全保障条約(ANZUS)を締結したことあたりを問う問題がほとんどである。
この問題では、1920〜30年代について問われているため、1931年にイギリス連邦の一員として独立したことについて詳しく述べればよい。

解説

ニュージーランドは、1907年にカナダ、オーストラリアに続き、イギリスの自治領となった。
その後、イギリスは、1926年に自治領に対して、本国と対等な関係をもつ独立国であることを認める決定をし、その決定が1931年にウェストミンスター憲章で成文化された。

ポイントとしては、「1920年以前、ニュージーランドはイギリスの自治領であったこと」「1931年にウェストミンスター憲章で独立国となったこと」の2つである。

まとめ

この問題は、一見ニュージーランドの一国史について問われているように見え、問題をパッと見た感じでは敬遠してしまうかもしれない。
しかし、実質的には、20世紀前半のイギリスの外交史について問われているのとほぼ同じである。
問題文の見かけにとらわれず、しっかりと問題文を読み、問われていることを理解したうえで問題を解く順番や問題の取捨選択をしていきたい。
また、問題文で「政治的な地位の変化」について問われている以上、変化前の状態と変化後の状態に必ず言及するようにしたい。
問題で問われていること自体は難しくないため、確実に点数を稼いでおきたい問題と言える。

問3(a) 朝鮮における4〜7世紀の政治状況

解答例

高句麗が朝鮮半島北部を支配した後、新羅・百済・高句麗が抗争、新羅が百済・高句麗を滅ぼして朝鮮半島を統一した。

問題の要求

この問題では、「韓国史は『満州と韓半島』を舞台に展開したという考え方の根底にある4〜7世紀の政治状況」について述べることが求められている。

ここでは、ただ4〜7世紀の朝鮮半島の歴史について述べればいいというわけではない。
「満州と韓半島」という条件がついている通り、中国東北部の歴史にもしっかりと触れる必要がある。
4〜7世紀といえば、高句麗・新羅・百済の3国が争っていた時代である。
この時期に中国東北部を支配していたのは、高句麗である。高句麗の歴史についてしっかりと触れることを意識しつつ、3国の争いの歴史について述べればよい。

解説

ここでいくつかの教科書における該当箇所の記述を比較してみたい。帝国書院の世界史Bの教科書には、「4世紀に楽浪郡を滅ぼした高句麗は広開土王のときに全盛を迎え、朝鮮半島北部まで支配下におさめた。このころ半島南部では百済・新羅が成立し、高句麗と並び立つ形勢となった(三国時代)。(省略) 朝鮮半島では唐と結んだ新羅が百済・高句麗を滅ぼし、ついで唐も排除して、676年に三国の統一を果たした。」と書かれている。
山川の新世界史には、「中国東北の南部に前1世紀頃おこった高句麗は、4世紀初めに南下して楽浪郡を滅ぼし、朝鮮半島北部を支配した。この頃小国が分立していた半島南部でも統一がすすみ、東側に新羅、西側に百済が成立して、南側の地は加耶(加羅)諸国となった。高句麗・新羅・百済の3国がならびたっていたこの時代を朝鮮史上で三国時代という。3国はたがいに対抗し、ときには同盟関係を結びながら、中国の北朝・南朝に朝貢使節をおくって勢力の拡大をめざした。(省略) 朝鮮半島では、唐が新羅と連合して百済・高句麗を滅ぼしたのち、新羅が朝鮮半島の大部分を支配した。」と書かれている。
また、東京書籍の世界史Bの教科書には、「楽浪郡は朝鮮半島北部の高句麗によって313年に、帯方郡は半島南部の韓族によって滅ぼされた。朝鮮半島の南部では、農耕を生業とする韓族の諸国が馬韓・辰韓・弁韓(弁辰)の三韓にまとまり、4世紀半ばには、馬韓の地に百済、辰韓の地に新羅、中南部に加羅(伽耶,任那)諸国が成立した。高句麗は、広開土王(好太王)の時代から隆盛し、新羅や百済と勢力を競いあった。これら3国は、南朝や北朝に朝貢して冊封を受け、中国の権威を借りながら7世紀まで抗争をつづけた。(省略) 高句麗はこの侵攻を撃退したが、唐と結んで勢力をのばした新羅が、唐の援助によって、まず660年に百済を、ついで668年に高句麗を滅ぼし、676年には唐の勢力を排除して、朝鮮半島で最初の統一国家を樹立した。」と書かれている。
色は要素ごとに区別してある。

今回は、細かいことではあるが、東京書籍の教科書では、「高句麗が朝鮮半島北部を支配した。」という要素が抜けている。
この要素があった方が、中国東北部を支配していた高句麗が朝鮮半島北部にまで影響力を強く及ぼしていたことを表せ、満州を支配していた勢力と韓半島にいた勢力の争いを元にして論述の答案を書いているという印象を強く与えられて、採点官に問題の要求にしっかりと答えている印象をより与えられるだろう。
このように、教科書間で表現や情報量の差はある。
それを踏まえた勉強の仕方をしていく必要がある。

これらを踏まえて考えると、必要な要素は「中国東北部を支配していた高句麗が、4世紀に楽浪郡を滅ぼして朝鮮半島北部を支配したこと」「新羅・百済・高句麗の3国が抗争していたこと」「新羅が唐と結んで、百済・新羅を滅ぼし、唐を追い出して朝鮮半島を統一したこと」の3つである。

まとめ

解答欄が3行あれば、もっといろいろと書けるが、2行しかないため、要素を取捨選択して短く的確に答案を書き上げることになる。
しっかりと政治状況の変化が採点官に伝わるように、要素を取捨選択して答案を作り上げよう。
問題のレベルとしては普通であろう。
難しい知識は何ら問われていない。
この問題は、確実に点数をとっておきたい。

問3(b) 渤海が唐から受けた影響

解答例

渤海は唐の冊封を受け、唐の官僚制、律令制、漢訳仏教を取り入れ、唐の都城制をもとに首都の上京竜泉府を建設した。

問題の要求

この問題では、「渤海が唐から受けた影響」について述べることが求められている。
この問題は、問われていることもかなりはっきりしている。
手堅く書き上げて満点近い点数を狙いたい。

解説

渤海は、7世紀末に大祚栄が靺鞨の民と高句麗の遺民をもとに建国した国であり、唐の冊封のもとで中国の影響を強く受けていた。
唐の官僚制や都城制、律令制、漢訳仏教を取り入れた。
特に、首都の上京竜泉府は唐の都城制をもとにして建設された。
これらの内容をまとめればよい。
「唐の冊封を受けていたこと」「唐の官僚制、律令制、漢訳仏教を取り入れたこと」「首都の上京竜泉府は唐の都城制をもとに建設されたこと」の3つのポイントをまとめる。

まとめ

この問題は、問題の意図が読み取りやすく、必要となる知識量も少ないため、非常に取り組みやすい問題と言えるだろう。
ただ、唐の冊封を受けていたことや都城制の話は思いつきやすいが、他の要素に関しては思いつきにくい部分もあり、意外と書きにくくもあるかもしれない。
どんなことを問われても、要求されている字数を埋められるような盤石な知識が求められるとも言えるかもしれない。
試験の時間と緊張状態を考慮すると、普段何とか頭を捻って思いつけるようなレベルの知識は使い物にならなくなるため、誰もがすぐに思いつけるような、唐の冊封と都城制について触れることができているならば、十分合格点を取れるだろう。

2019年第2問を振り返って

全体的に解きやすい問題がそろっていたような印象を受けた。
問題を見た瞬間にパッと答えをある程度思いつく問題も多いのではないか。
実力のある受験生ならば、満点近くとってもおかしくないだろう。
もちろん、第2問・第3問で満点近くとれれば、世界史で高得点をとることが可能になり、東大合格がグッと近づいてくる。
世界史の知識を頭に取り込んでいる最中の受験生は、この年の第2問を世界史の実力を測る試金石としてもよいだろう。
この問題を解いて、出来が良くなくても、しっかりと知識を入れていってほしい。

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