2024年(令和6年) 共通テスト追試 国語第3問 古文(幸若舞)『景清』・(浄瑠璃)『出世景清』現代語訳
古文の現代語訳を作ってみました。(漢文はこちら)
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(現代語訳のテキストをコピペされる際は、「敬天塾の現代語訳」と明記してくださいませ)
※本試の際と同様に、本文と現代語訳の併記の資料も作成中です。そちらはしばらくお待ちください。
なお、問題と解答のリンクも付けておきます。
(問題のリンク)https://www.dnc.ac.jp/kyotsu/kakomondai/r6/r6_tuisaishiken_mondai.html
(解答のリンク)
https://www.dnc.ac.jp/kyotsu/kakomondai/r6/r6_tuisaisiken_seikai.html
(幸若舞)『景清』現代語訳(暫定版)
1 清水坂のそばにて、阿古王と(周りの人が)申し上げる女性が、北野天満宮への参詣をしたところ、京や(郊外の)白川のあちらこちらの道端に立っている(立て)札を読んでみると、九年連れ添った我が夫の悪七兵衛景清を「(源頼朝が)討とう」と書いて、立ててある。阿古王は、身に余るつらさから、「この立て札を盗み取り、鴨川か、桂川にでも流した」と思ったけれども、途中で心変わりし、「ちょっと待てよ、我の心。日本全国に、平家の領地だって、地域の一か所もありはしない。(立札にある指名手配中の)平家の仲間の者とは、夫の景清だけである。(夫を)かくまっても、このこと(=景清の居場所)は結局は(情報が)洩れて討れるだろう。景清が討たれて、その後に思いがけない思いをするようなのよりも、九年連れ添った人情としては、二人の息子がいるので、このこと(=景清の居場所)を敵に知らせて、景清を討ち取らせて、二人の息子を一人前に育てて、後の栄華に誇ろう」と、冷静に考えた阿古王の内心は恐ろしい。
2 (阿古王は)この立て札を懐中し、(源頼朝の邸宅がある)六波羅殿へ参上し、「立て札の表記をあてにして、参上しております」と申し上げる。頼朝は、格別にお思いになり、阿古王をお呼び寄せになり、詳しく尋ねなさると、阿古王は(詳しく答えることを)ご承諾申し上げて、「そのようにございます。景清の行方を人々が知らないのも当然だとお思い下さい。この間は、尾張の熱田神宮にございましたけれども、平家の治世の御時よりも、清水寺を信仰し申し上げ(るようになり)、(景時は)月に一度は参詣します。明日は(祭礼の日である)十八日。(今夜は)必ず(景時は)私の所へやって来るに違いない。元々、(景清は)大酒呑みなので、酒を勧めようものなら、(飲み過ぎて酩酊し)正気を失って横になるはず。その時、私が(頼朝様のもとに報告しに)参上するつもりでございます。大勢を連れて押し寄せ、景清を討ち取らせ、私に報酬をお与えください。どうか、我の主君よ。」と申し上げる。頼朝は、(阿古王の話を)お聞きになって、「嬉しいです、阿古王殿、先立って報酬を与えよう。さあさあ」と(部下に)指示なさると、(部下は)「承知(しました)」と申し上げて(用意し)、砂金三十両を、阿古王に下賜なさる。阿古王は、(その報酬を)頂戴しまして、清水坂に帰りながら、その日が暮れるのを待っているのは、思いやりが無いよう(後に)噂された。
3 ああ痛ましいなあ、景清。このこと(=妻の裏切り)を全く知らないで、「明日は十八日。清水寺へ参りたい」と思ひ、熱田神宮を出発して、(普通なら)四日かかる道なのに、(一日かからずに移動し、)その日(=十七日)の夕方頃に、清水坂の側にある我が屋敷いに立ち寄って、門をとんとんと(叩き)訪ねる。(屋敷の)中から「誰か」と答える。「いや、(何の)差支えもありません。景清だ」と答えた。阿古王は、格別に喜んで、急いで出て来て、門を開き、景清を中へ招き入れた。二人の息子たちは、父を長らく見慣れていない(=久しく会っていない)のでば、父の周りに近寄って、親しげな様子である。阿古王は、涙を流す様子で、「ああ気の毒なことだなあ、景清。平家の治世の御時は、悪七兵衛景清と言って(世に知られ)、公家にも武家にも憎まれないで、わずかな時間の参詣に(さえも)奉公人を華やかに(連れ立って)、馬や鞍や(その他)武装品も、本当に立派でいらっしゃったけれど、いつの間にか平家(の人々)に先立たれ、精気は道中にやつれ果てて、御供も無く、景清は、さぞかし苦しく(思って)いらっしゃるでしょう」。予め考えておいたことなので、(手際よく)様々な(酒の)肴を取り出し、景清に酒を無理に勧めた。景清は(周りを)見ると、愛おしい子ども達は並んで座って、お酌のために立っているのは(気心が知れた)妻であり、(いったい)どこに警戒するだろうか、いや、どこにも警戒しない。(阿古王のお酌を)繰り返し受けて飲むうちに、あれほど武勇に優れている景清も、敵(=源頼朝)のことをすっかり忘れ、「嬉しいです、阿古王殿。清水寺へは明日参詣しようと思っております。休み申し上げ(よう)、「それでは(おやすみなさい)」と言って、間の障子をすっと開け、寝所に移動して、籐の枕に並んで寄り添って、正気を失って横になったのが、運のつきだと(後に)噂された。
(浄瑠璃)『出世景清』現代語訳(暫定版)
ここにおいて、阿古王と母親が同じ兄の伊庭十蔵広近は北野寺詣でをしたのだが、息を切らして(急いで)我が家に帰り、妹の阿古王をそばに招き、「これを見なさい。本当に『果報は寝て待て』という言葉の通りだなぁ。『悪(=強い)七兵衛景清を討ち殺してでも、捕らえてでも、参上させるも者がいれば、報酬は望みのままに』という御立札が立てられていた。私達の栄華の吉凶は今この時だと思われる。景清はどこに行ったのか。早く(源頼朝がいる)六波羅殿に告発して、特別な御報酬を受けよう。(景清は)どこだ、どこだ」と仰った。阿古王はしばらく返事もせず、(何も見えなくなるほど)激しく泣いて座っていたが、「なあ、兄上。そもそもあなた様は本気で仰っているのですか、あるいは狂乱なさっているのですか、私の夫ですから、あなた様にとっては妹婿、この子は甥っ子ではございませんか。平家の治世でございましたならば、「誰が(並ぶ者が)いようか、いや、誰もいない景清」だと、飛ぶ鳥を落とす(勢いの)身が、今この(源氏の)治世にてございますれば、ものの数ではない私たちをあてにして、いらっしゃっていますのに。たとえば日本に中国を添えてお与えになるといったとしても、そもそも人を訴え出ることができるのか、いや、できない。飛ぶ鳥が懐に入るときは、狩人も(その鳥を殺さずに)助けると(言います)よ。昨日までも今朝までも、(逢うことが一夜も)間が開かない(私と夫との)仲を、いったいぜんたい引き裂くことができようか、いや、できまい。なにとぞ、人(の肉体)は一代(で滅びるが)、評判は後世(まで続くと言いますので)、よく考え(直し)てみてくださいよ」と、阿古王は泣いたり、説得したりして、(兄を)止めた。
ちなみに『出世景清』のあらすじが文化デジタルライブラリーにありました。
前後のエピソードを知ると、さらに深く味わえます。
(文化デジタルライブラリーのリンク)https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc13/sakuhin/syuyo/p1/p1-b.html
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