地理第3回
こんにちは、スタッフAです!
地理第三回の授業が行われました。
今回は、東大入試2015年第3問、2017年第3問、2013年第3問を事前に解いて、解説を読み込みこんだ上で、授業に臨みました。
読んだ解説を、ぼくなりにまとめてみました。
2015年第3問は、日本の都市と社会の変化に関する問題です。
設問Aでは、東京都の中央区、荒川区、練馬区の
① 人口密度の推移(1950~2010年)のグラフ
② 1965年と2010年の職業構成のグラフ
から、中央区と荒川区の人口密度が急速に低下した理由を答えます。なお、練馬区は増え続けています。
荒川区には、古くから住宅や商店街、工場がありました。しかし、公害の深刻化や産業構造の変化により衰退した業種の工場は、閉鎖、あるいは移転し、それに伴って人口が減ったと考えられます。
中央区は、地価高騰や住環境の悪化により郊外へ人が移り、人口が減少したと考えられます。しかし、グラフを見ると、1990年代後半以降は人口密度が増加しています。これは、バブル崩壊後の地価下落により、都心回帰を促すような高層住宅が供給されたためです
こういう内容は、東大の過去問を解きこんでいる人には「定番」なのですが、過去問を解いてないと気付けませんね。
最高の教材は過去問だというのを、改めて感じました。
(設問B 略)
設問Cでは、東京23区、大阪市、名古屋市で働く人の住んでいる地域についてのデータが示され、下記の構成比の違いが問われました。
大阪市 市内からの通勤者45% それ以外からの通勤者54%、
名古屋市 市内からの通勤者が67% それ以外からの通勤者32%
名古屋市は、大阪より市内の住宅開発が進んでいるのかもしれません。また、名古屋市のほうが、面積が大きいことも要因と考えられます(面積比はおよそ1,5倍)。
さらに、東京の郊外から23区へ、大阪の郊外から大阪市内へと通勤する人の数の変化のグラフから、1985年から1995年まではどちらも増加しているのに対し、1995年以降は減少していることに、郊外住宅地の変化が大きく関わっていると示された上で、どのような変化があったのか問われました。
これは、バブル崩壊により金融業や不動産業などの雇用の減少で通勤者数が減少したこと、地価下落により住宅が開発され一部が都心に住んだこと、郊外に移り住んだ人々の子供の世代が独立し転居したためと考えられます。
参考にした解答の中には、「団塊世代が退職したため」という記述がありましたが、この世代は、第二次世界大戦直後1947年から1949年の第一次ベビーブームに生まれた世代です。多くの企業の定年である60歳に達するのは、2010年頃。
その15年前の1995年について問われた問題の解答としては、やや不適切なように思えます。
ただ、この問題は、使用を指定された3つの語句の中に「団塊世代」があるんです。
よって、「団塊世代が早期退職した」「団塊世代の子供が独立した」、そのような使い方が良いと考えます。
有名な塾や参考書でも、不適切な解答をすることはあります。だから各社の解答を比較するのが大事だし、予備校の模範解答が満点だと思わずに、自分の実力を高めることが大事だと思いました。
盲信せず、多くの情報を自分自身で濾過することを忘れないようにしなければいけないと思いました。