日本史4月②古代の外交

こんにちは、スタッフBです。

今回は、東大入試日本史の中で、古代の外交を扱った問題を事前に解き、予備校の回答を確認してから授業に参加しました。

答案比較をして、授業中に出た意見を整理しています。

 

 

平安、鎌倉、室町は外交をあまり行っていない。

一方で、飛鳥時代までは外交が活発で、外交に関する出題も多い。

 

1994年第1問

Bは、「倭国の王の中国皇帝に対する対し方」の変化をもたらした歴史的背景を答える問題。2つの予備校は、変化を答えていたが、国内・国際両面の背景を問われているので、「国内面では〜、国際面では〜」と記述する方が良いのではないか。

 

朝貢外交から対等外交へ変化したことは事実だが、今回の問いは倭王の中国皇帝に対する対し方という個人間の話題なので「外交」という言葉は控えるべきではないか。

日本史の答案には「文化の摂取」が散見されるが、それは目的ではなく副作用ではないか。

 

聖徳太子と仏教は密接である。

仏教の優遇が、十七条の憲法にも現れている。

 

冊封と朝貢の違いは?

冊封は名目上の上下関係。朝貢外交は主に経済的な関係。

 

 

1992年第1問

国際面は資料から読み取れるが、国内面は予備知識から記述するしかない。そのため、短くまとめた答案が多かった。

 

百済を支援したのは、安全保障の面が大きい。日本は百済を自国のように考えていた。

 

隋の煬帝は、日本の無礼な態度に対して憤慨したが、攻め込んでこなかったのは、隋と高句麗との関係が悪化していたから。

 

白村江の戦いの後、なぜ、日本に攻め込んでこなかったのか。高句麗が滅んだため、唐と新羅は隣国となり、国境線などを巡って争うようになった。

これにより、両国は日本に攻め込まず、日本は積極的に新羅に近づいて外交関係を築いた。

 

 

2011年第1問

A白村江の戦いでの倭の軍勢に関する問題。

「西国」という地方だけでなく、「人民」という身分の上下に触れる回答があったが、これは重要な視点である。ただ、地方にだけ触れる答案でもそれなりの点数が与えられるのではないか。

 

B資料と問いにズレがあり、何を答えて良いのか判断しづらい問題であった。予備校の回答にも幅があったように思われる。

律令国家の形成にどのような影響をもたらしたかに、素直に答える記述が望ましいのではないか。

 

2009年第1問

時期区分を行うことを指定されているので、取り組みやすい問題。

ただし、資料(2)の扱いに困るという意見があった。

東アジア情勢の変化としては、

 

隋が中国を統一し高句麗と対立したこと

 

唐が朝鮮に軍事侵攻し、倭の介入を排除しつつ、百済・高句麗を滅亡させたこと

朝鮮支配をめぐり新羅と対立したこと

その後新羅との関係が改善し、唐を中心とする東アジア秩序が形成されたこと

が挙げられる。

 

それに伴い、遣使は対等外交から政治的交渉の手段、さらに文化的役割へと変化した。

 

 

2003年第1問

解きやすい問題で、予備校の答案にブレもない。「たて前は〜実際は〜、たて前は〜実際は〜」と2回ずつ書き、読みやすい記述にするのも良い。

たて前

唐との関係 独自の帝国構造

新羅との関係 服属国として扱う

 

実際

唐との関係 朝貢していた

新羅との関係 対等な立場を主張される。文物の盛んな輸入。

 

 

 

 

古代日本の外交についての意見交換

中国情勢が影響するのは言うまでもない。

安全保障が背景にある。

朝鮮情勢に助けられて上手くいくことが多いのではないか、という意見が出た。朝鮮情勢が悪化したため、日本にも侵略行為が及ぶ危機を抱くことがよくある。

 

 

古代の東アジアは、中国に従うのが当時の一般的な考え方だが、日本は島国でやや離れている。冊封されずに対等外交をしようという考え方が生まれたのではないか。

日本の国土が奪われたことはないので、外交面での失敗はないのではないか(新羅や北方領土、台湾などの例はあるが)。

 

外交の成功要因として、圧倒的な国力の差があったときに、争わずに従属し、その中で最大の利益を得るように行動している。

 

日本は世界の中にある。日本史を学ぶ上で、他国を知ることも必要かもしれない。

日清戦争・日露戦争のあたりではビスマルク、ザビエルの来日時はスペイン・ポルトガル、ペリー来航ではイギリス、可能であればこれらの動きをおさえておきたい。

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