日本史5月① 2008年、2017年、1999年、2012年、1995年、2010年の第1問

こんにちは、スタッフBです。

過去問の中から東国や東北、摂関政治に関するものを中心に、互いの答案を比較検討しました。

ある生徒の答案とそれに対するコメント、問い全体や他の生徒の答案に対するコメントをまとめています。

 

今回扱った問題

2008年、2017年、1999年、2012年、1995年、2010年の第1問

 

2008第1問

A

東国の豪族は王宮に仕え、人々は国外勢力に対する防備や要人警護、内乱時の軍事力として徴発されるなど、雌雄を決する重要な存在であった。

B

東国の軍事力に依存する傾向があったため、要所に関を設置、有事の際には固関を行って、逃亡や東国の兵との合同を防ごうとした。

 

A

雌雄を決すると言わないほうがいいのではないか。

「王宮」大王宮と書きなさい。

B

主語を入れたほうが良い

「東国の軍事力に依存する傾向があったため」誰がどういう時に依存するのか書くべき

 

見慣れない言葉の組み合わせは避けよう

 

2017第1問

A

唐に倣った律令による国家体制を構築する中、蝦夷の征討は夷狄を従属させる帝国であることを内外に示した。

B

軍役や開墾など人民の負担は増加し公地公民制は動揺、長期間の戦闘は土地を荒廃させ、国家財政を逼迫させた。一方で、東北の資源は重宝され、物資流通のため海上交通が発達、領土は拡大した。また蝦夷征討の軍事的官職は、後に武士の棟梁へと変化した。

 

B支配がまだ及んでいない場所なので「荒廃」したわけではないのではないか。

事象で止まっている。「社会にどのような影響を与えたか」という問いなので、もっと広がりのある答案にすべき

(2)の移住の話がないので入れるべき。

 

「政治的・経済的・軍事的基盤として、中央の権威付与と合わせて、東国武士社会到来を招いた」という記述について、東大の日本史の論述はあまり抽象的でないほうがいいとの意見があった。

何を持って律令制が浸透したといえるかという質問に対し、ひとりの生徒が「役所が置かれて徴税が行われたら。」と回答。

日本に対し「中華思想」は使わない。「小中華思想」にすべき。

「影響を及ぼす」では広すぎるので、もっと具体的に書くべき。

歴史学者や予備校の先生は、古代の日本は唐と同じような帝国を作りたいと思っていたとよく言っているので、その路線で記述して良い。

戦争をやめることはとても大変である。今まで戦ってきた矜持や犠牲者、それまでの投資を考えると安易にはやめられない。だから、徳政論争で軍事をやめたのは重大な決定。

 

1999第1問

天武天皇自身が軍事力により政敵を滅ぼし皇位を継承したことや唐や新羅の侵略によって属国としていた百済が滅ぼされ、白村江の戦いで大敗を喫したことで軍事の重要性は国際・国内両面において高まっていた。庚午年籍、庚寅年籍制定により人民の人数や属性などの把握を可能にし、豪族の支配下にあった人民は国家の直接支配のもと徴発された。また、軍団は戸を単位として正丁1人を徴兵して構成された。

 

「また、〜〜」はとってつけた感がある。

2文目に主語がない。

内容は問題ないが、時系列で書くべきではないか。天武、白村江の順で書いたのに「国際・国内」と書くのは良くない。順番を逆にすべき。

属性まで把握できないのではないか。属性は何を指しているのか。口語的ではないか。「特徴」などとすると良い。

 

戸籍には、徴兵と徴税の役割があった。

 

2012年第1問。

8世紀前半は戸籍によって把握した人民から、正丁3〜4人につき1人を挑発して軍団を構成した。8世紀後半になると、東国を中心に郡司の子弟などから健児を組織して兵の質を確保する一方、対外勢力の侵攻などを想定しない地域では軍団を廃止した。10世紀前半には、政府の軍団では反乱を鎮圧できないために、有力豪族などの軍事力を頼ることとなった。

 

「兵の質」は性格を表しているのか

私兵や軍事力の性格を書くべきではないか

 

性格を書くのは難しい。

 

1995第1問

A

どちらも天皇の補佐役として置かれ、権力拡大を背景に政務を担う時代もあった。天皇の成人前は摂政が、成人後は関白が置かれた。

 

B

後期は天皇と藤原北家の外戚関係を背景に、常置された摂政・関白が政治の実権を握って安定したが、前期は天皇親政により摂関政治が行われない時期や藤原北家による他氏排斥の繰り返しなどから不安定であったといえる。

 

A

いつの時代も摂政は政務を担っているはずである。

 

B

安定、不安定を書いているのは良い。

「を背景に」ではなく「が背景にあり」が良いのでは。

北家の中でずっと争っていたので安定はしていなかったのではないか。

 

道長は摂政と内覧であった。

道長が関白に就かなかったのは、名誉職に過ぎず実権を握れないからと聞いたことがある。

 

2010年第1問

奈良時代、貴族の官職は位階によって決まり、能力によって昇進したが、摂関期には上級貴族が人事権を持つようになった。上級貴族との親疎や家柄によって中下級貴族の官職が左右されるため、成功によって受領となるものもあった。また、上級貴族に直接仕えて警護や戦闘に当たり軍事力を拡大し結びつきを強めた。

 

どう結んでいくのかが弱い。

「位階によって決まり、能力によって昇進したが」と強調して書くのは良くない。

「成功によって」は良い。

 

摂関期に藤原家が腐敗したことに関する問題

もっと歴史的事実をストーリーとして捉えると良い。最初はこう、次はこうと話が流れていくと読みやすい答案になる。

 

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