日本史6月② 1993年第2問、2003年第2問、2019年第2問、2018年第2問
こんにちは、スタッフBです。1993年第2問、2003年第2問、2019年第2問、2018年第2問を解いて、互いの答案を検討しました。 とある生徒の答案、それに対するコメント、問題全体へのコメントをまとめました。
1993第2問
集団戦を基本とするもモンゴル軍に対し、日本は個人の戦闘の結果によって恩賞が与えられるため、また統一的な軍事訓練を受けていないため、一騎討ちを重視する傾向にあった。
「統一的な軍事訓練」はおそらく正しいが、書いても良いのか
惣領制の記述は必ず必要
「個人の戦闘の結果によって」は間違いとも合っているとも言えない。
「統一的な軍事訓練を受けていない」は面白いが、それが一騎討ちと関係あるのか。
指定用語の「武士団」がない。
日本軍が一騎打ちをした資料は残っている(ただ、事実、一騎打ちをしたかどうかはわからない)。
高麗は、日本との仲介役を任じられ、軍船建造から前線での戦闘まで幅広く対日戦争への参加を強制されたが、必ずしも従順ではなく、モンゴルの軍事行動の妨害や三別抄によるモンゴル軍への抵抗が戦争の実施を遅延させた。
「必ずしも」はなくてもいいのではないか
「モンゴルの軍事行動の妨害」はしていないので、「外交交渉」が良い
2003年第2問
嫡子単独相続が一般化し血縁的結合から地縁的結合へ移行したことで、武士は与する勢力を利害を重視して決定するようになった。
「移行したことで」は進行中のことなので「する中で」とするべき。
「勢力を利害を」のところ「〜を〜を」はよくない。
「血縁的結合から地縁的結合」はよく聞く言葉だが、文字数も多いし安易に用いるのはどうかな。
観応の擾乱では各勢力が南朝と近づき、地縁的結合が拡大して相続などが原因の内紛が全国に拡まると、正当性の確保のため一方が北朝方について、他方は南朝方についた。このため南北朝内乱は長期化した。
「各勢力」は尊氏派・直義派と明確にすべき。
「正当性の確保のため〜〜長期化した」はよくわからない。
2018年第2問
年貢収入中心の財政が逼迫したため、貨幣経済が発展する都市で活況を呈した土倉や酒屋に営業税を課した。
所在地との関係を聞かれているので、「京都」は書くべき。
この時代の経済基盤の特徴は御領所である。よって、書いたほうがいい。
徳政令によって債権者である土倉や酒屋の経営状態が悪化すると、幕府の重要財源であった営業税が減少した。そこで幕府は広く債務免除を行い、免除益の一部を徴収して歳出に充てた。
「分一銭」という単語は必要。本番ではもっと無難な答案を書こう。
分一銭は、債務免除と債権保護の側面があるので、両方書くべき。
2019第2問
承久の乱が鎮圧されて後鳥羽上皇は流罪、幕府は朝廷に対して優位となって監視を強化、勢力を西方へと進出させた。
因果関係的に「優位となった」という締め方がよいではないか。
承久の乱について問われている問題なのに、契機も過程も書いていない。問題の要求に答えていない。
「勢力を西方へと進出させた」は加点要素がない。
流罪ではなく、配流
比較的平易な問題であった。
地理と比べると、日本史は要素より、論理やわかりやすさが重視されるかもしれない。
二統が立てられ対立したことで、皇位継承や院政を行う上皇の決定は不安定になり、Aの事件以後権力を増大させて決定権を握った幕府に積極的に近づいて、有利な結果を得ようとした。
もっと具体的にした方が良い部分が複数あった。二統、不安定、有利な結果など。
「決定権を握った」は「実質」と添えるべき。
二統が立てられたから不安定になったわけではないのではないか。
Aの事件は「承久の乱」にしよう。
「二統」は「両統」にしよう。
「上皇」ではなく、この場合は「治天の君」
持明院統と大覚寺統が幕府に頻繁に通ったことを「政治工作を行うのが日常化した」と素晴らしい表現をした答案があった。