2018年東大日本史(第2問)入試問題の解答(答案例)と解説

◎設問の分析

設問A

問われているのは室町幕府の財政の特徴である。それを幕府の所在地、つまり京都という地と関連させて記述するよう要求されている。当時の京都がどのような都市であったか考えよう。

設問B

Aで確認した幕府の財政の特徴を踏まえた上で資料文を読む事で、解答の方針が自ずと浮かび上がってくるだろう。教科書的な知識も組み合わせて完成度の高い解答を目指そう。

◎資料文の選定

東大日本史では、資料文が複数与えられた場合、設問Aと設問Bで利用する資料文が住み 分けされることがある(両方の設問に利用する資料文が与えられる場合もあることに注意)。今回は、設問Aでは幕府の税収・支出に触れている⑵を主に使いつつ財政難に触れている⑷にも留意すべきだろう。設問Bでは徳政に触れている⑶⑷⑸が主となりそうだ。

◎設問の解説

設問A

室町幕府の財政という事で、まずは幕府の収入と支出について資料文⑵から読み取ると、収入としては「土倉役・酒屋役の恒常的な課税」があり、支出として「年中行事費用」があった事がわかる(⑸においても幕府が賀茂祭に出費している事が触れられている)。

土倉・酒屋とは高利貸業者の事であり、土倉役・酒屋役とはそれらに対し課される営業税の事である。ここで資料文⑷に着目すると、幕府は徳政令を発布した事によって財政難に陥っている事がわかる。徳政令とは土倉・酒屋に債権を放棄させるものであるから、必然的に徳政令を出せば土倉・酒屋は営業が滞り幕府の税収も減少する。徳政令による財政難はこのような論理で説明されるが、それはつまり裏を返せば土倉・酒屋からの税収は幕府にとって重要な財源だったという事である。

ではここで、土倉役・酒屋役以外にどのような財源があったか、知識を確認しておこう。

まずは御料所(直轄地)からの年貢があったが、室町幕府は御料所の規模が小さかったため、これ以外にも多様な財源を持っていた。守護の分担金、地頭・御家人に対する賦課金、禅僧からの献金、日明貿易での利益や守護を通して賦課した段銭・棟別銭などである。そして重要なのが、先述の土倉役・酒屋役や関所・港湾で徴収する通行料の関銭・津料だった。このように、直轄地からの年貢が少ない室町幕府は流通経済に課税するという解決策をとっていた。

さて、幕府の財政の特徴をいくつか挙げたが、最後に設問の条件である所在地(=京都)との関係を考察してみよう。当時において、京都とは全国的な流通経済の中心地であり商工業が発達した都市だった。さらに、幕府は義満の時代に京都市政権を掌握しており、それには商業課税権すなわち土倉・酒屋に対し課税できる権利も含まれていた。この点に関するヒントは資料文⑴にある。多くが有力な寺社などの個別的な保護・支配にあるなか、幕府が土倉を再興させる事は、それらの土倉を幕府の管轄下において徴税する前提となっている。資料文⑴のこの内容が建武式目つまり尊氏の頃であり、資料文⑵の南北朝合体後の義満の頃には土倉に対し恒常的に課税出来るまでになっているという経過もわかる。⑴の扱いに少し困った人もいるだろうが、このように対象とする期間の限定に用いる事も出来る。

なお、解答では以上の京都が全国的な流通経済の中心だった点と、幕府が京都の市政権を握っていた点の2点を、幕府財政の特徴に関連づけて述べれば良い。

設問B

問われているのは、徳政令が室町幕府の財政難をもたらした理由と、それに対する幕府の方策である。

まず前者の問いについては、先述の設問Aの解説中でほとんど答えが出てしまっているが、もう少し詳しく解説しよう。土一揆とは資料文⑶に書かれてあるように質物を奪い返したり借用証書を焼いたりといった実力行使による債務の破棄である(厳密にはこうした実力行使を私徳政と言う)。そして、嘉吉の土一揆のような徳政令発布の要求は、そのような実力による債務破棄を徳政令によって追認させ正当性を得る事を目的としていた。

このように幕府が徳政令を発布する事によって土倉・酒屋が債権を失い、つまり幕府は課税対象を失い、設問Aで見たようにそれに財源を依拠している幕府は財政難に陥るのである。

次に、このような事態に対する幕府の方策を考えよう。

こちらの問いは、資料文⑸の「徳政十分の一」というワードからピンと来たいところである。それは分一銭であり、徳政令発布に際して債務額・債権額の10分の1もしくは5分の1の手数料を幕府に納入すれば、債権の保護または債務の破棄を認めるというものだった。

室町幕府は、財政難に対してこのように分一徳政令を発布する事によって対応したのだった。

◎答案例(解答)と総評

設問A

直轄領からの収入が少ない幕府は、商工業の中心である京都の市政権を利用し土倉役・酒屋役など流通経済への課税に依拠した。
(問番号含め59字)

Aに関しては、「京都の市政権」の部分まで踏み込めるかが他の解答と差をつける点であったろう。義満が京都の市政権を掌握していたという知識があれば資料文⑴から導き出せただろうが、そうでないと少し厳しかったかもしれない。その場合は、⑴に寄せて「土倉・酒屋を幕府の管轄下に置き」といった書き方をする事も出来る。

設問B

土倉役・酒屋役に依存する幕府は、徳政令による債権破棄で課税対象が減少し収入減に陥った。そこで幕府は、徳政令発布に際し手数料として分一銭を債権者・債務者に納入させ新たな財源とした。(問番号含め90字)

Bは、内容こそ難しくはないが字数が厳しく、文章構成に迷う部分があっただろう。問われている内容を簡潔に書けるようにしよう。いずれも、資料文の読解に教科書知識を組み合わせる必要があるという東大中世史らしい問題だった。

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