2021年 東大国語 第1問 松嶋健「ケアと共同性ー個人主義を超えて」解答(答案例)・解説

2021年 東大国語 第1問 松嶋健「ケアと共同性ー個人主義を超えてー」

おお、読みやすくってわかりやすい文章。と思ってしまったら要注意。読解内容にバイアスがかかりやすい問題で、記述も難しい。かなり凝った問題だと思います。
2021年入試では、受験生の国語の点数が全体的に落ち込んでいました。その原因は「古文が難しいからだ」というのが通説。これに対し、試験当日の私は「第4問も難しいだろ!」と鼻息を荒くして主張していました。

そこに伏兵現る。この第1問も相当難しいと思います。
この記事を書くために、熟読に熟読を重ね、各社の模範解答も検討し、再現答案なども多数見て、やっと納得のいくレベルまで考察が済みました。
その結論、「ピントの合っている答案はかなり少ない。」
多くの受験生が、あまり点数がなかったのではないかと思います。得点源とされていた第1問で点数が低いため、全体的な点数が低いという仮説も、十分考えられます。

さて、こういう記事を書くのは、講師としてリスキーなのですが、今回も勇気を出して記事を出します。
毎回書いていますが、現代文は回答者によって解釈のブレ、答案の表現のブレなどが激しい科目であるため、賛否両論が発生することは承知していますし、闊達な議論を奨励しています。お気づきの点がありましたら、遠慮なくコメントをお願いします。

※なお、本稿では最低限の読解や私(平井)の答案の紹介を行っています。
より詳細な内容に加え、サンプル答案の添削やアドバイスなど2時間ほどかけて解説した授業動画と合わせて、皆さんの実力を上げられるように組んでおります。

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敬天塾作成の答案例

敬天塾の答案例だけ見たいという方もいるでしょうから、はじめに掲載しておきます。
受験生の学習はもちろん、先生方の授業にお役に立てるのであれば、どうぞお使いください。
断りなしに授業時にコピペして生徒に配布するなども許可していますが、その際「敬天塾の答案である」ということを必ず明記していただくようお願いします。
ただし、無断で転売することは禁止しております。何卒ご了承ください。

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【平井基之のサンプル答案】

設問(一)
ケアを通じてのみ繋がる関係や家族ではなく、患者や見ず知らずの非感染者たちのコミュニティ内における、医学に由来しない独自の方法で患者を支援するという新たな親密な関係。

設問(二)
社会の治安維持のためなら精神障害者を排除すべきだという考えから、地域の共同体が苦しむ彼らに積極的に寄り添い、支援するべきだという共助を重視する考えに変わったということ。

設問(三)(具体的な答案)
患者は医療情報を選択する顧客だとみなす考えは、患者は選択の責任を自身が負う独りの存在だという前提があり、しかもその選択は漠然とした欲求に従って行わざるをえないという危険を孕むということ。

設問(三)別解(抽象的な答案)
顧客が多数のサービスから自由に選ぶことで社会が成立しているという考えは、人間は全員一人であり選択する責任は本人に及ぶという考えを前提に成り立っているということ。

設問(四)
患者の感覚や感情の変化を敏感に察知し、苦しむ患者に寄り添っていくケアの実践は、患者とケアのスタッフだけでなく、薬や道具、環境などあらゆるものを巻き込みながら患者のためになる効能を引き出し、患者と共に生きていく養生の場になりえるということ。

※多少、字数が多めの答案になっていますが、短くまとめきれない私の力量不足以外の何物でもありません。あくまで、答案サンプルの一つであり、皆さんの考察の材料となることを願って作成したものですので、寛大な心でご覧いただけると幸いです。

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【過去生徒Aのサンプル答案】

設問(一)
治療者と患者という目的主義的な関係や、感情の共有や血縁を基にした家族という無償の結びつきとは異なった、医療体制や地縁・血縁から排除されたHIV患者を中心とする、物理・精神的に生き延びるという目標を共有し相互的に支え合う中で生まれた連帯感。

設問(二)
精神障碍者に対する考え方が、社会的リスクとみなされていた患者を精神病院に隔離するという社会のリスク管理優先のものから、公的機関が積極的に患者へ寄り添い、地域での共生を支えるというケアの理念に基づいた人権優先のものへと変わったということ。

設問(三)
提供する側は適切な情報を与えるという補足的な役割のみで、顧客が自らの希望や欲望に従って商品やサービスを主体的に選択することができるという点で、選択の論理は、個人の意思や感情を尊重する近代的な考え方に基づいているということ。

設問(四)
ケアの論理は、感覚や情動を基に状況を適切に判断し、苦しむ人々が苦痛とうまく付き合い、心身を調える術を提供する。それは人間本人だけでなく周囲の物事や環境を巻き込んだ包括的な作業であり、あらゆるものが共生する世界へとつながっているということ。

※以下に長々と記述する、私の解説の主義とは違う部分もありますが、語彙の使い方やまとめ方など参考になると思いますので、載せておきます。

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設問(一) ケアをする者と・・・ケアを通した親密性

実は一番難しい問題。一番てこずり、一番書き直した問題です。
傍線部アは、タイの事例の説明中にあるため非常に読みやすく、なんとなく読んでも意味が分かるような気がしてしまう問題。しかしながら、答えようとすると、はるかに高い壁が立ちはだかります。

採点は5段階評価で標準を3とし、
難しいポイント1つにつき+1、
簡単なポイント1つにつき-1としています。
「傍線部の構造」は答案骨格の作りにくさです。
「表現力」は自分の言葉に言い換える難しさです。

骨格の罠

まずは骨格をとらえると、「Aと異なったかたちでの、B」となっています。単純化して「AではなくB」としましょう。
ここでAに該当するのが「ケアをする者とされる者という一元的な関係とも家族とも」で、Bが「ケアを通した親密性」です。

さて、「AではなくB」をどういうことかと聞かれた場合、大事なのはABのどちらでしょう。当然ながらです。
「ブドウではない果物」と聞いたらわかりやすいでしょうか。「どんな果物だよ!」とツッコミを入れたくなるはずです。

しかし、この傍線部、Aの部分が長すぎる。
受験テクニックとして「どういうことかの問題は、言い換えなさい」と習いますから、一生懸命に言い換えようとします。すると、大事ではないの部分を言い換えるのに必死になり、肝心なを言い換えることを忘れてしまいます。もしくはを言い換える頃には字数が足りなくなってしまう。
これを何とかコントロールして、AよりもBの部分の説明を充実させられると良い答案になるでしょう。

この原因として、Aがそこそこ難しいというのも関わってきます。
Aをさらに分割すると、a1「ケアをする者とされる者という一元的な関係」a2「家族」の2つになりますが、a2の家族は簡単だから、問題はa1です。これが非常に難しい。

語彙に注意「一元的」

まずは語彙ですが、「一元的」を間違ってとらえている人がたくさんいました。
一元的を言い換えて「一方的」としている人が、これは間違いです。一元的とは「さまざまな事物が根源を一つにしているさま」です。
例えば、咳と鼻水と発熱が、インフルエンザウイルスが原因だったような場合が、一元的です。インフルエンザウイルス一つから派生して、色々な症状が起きているわけですね。一方的とは、大分違う印象です。

「ケア」の定義

さらに「ケア」の意味。これを「治療」などとしてはいけないと思います。
ケアという言葉の定義を探してみると、実は傍線部アの近くにはそれほど詳しく書いていません。傍線部の段落冒頭に、「HIVをめぐるさまざまな苦しみや生活上の問題に耳を傾けたり、マッサージをしたりといった相互的なケア」と「医学や疫学の知識とは異なる独自の知や実践を生み出していく」とあります。

確かによく考えれば、HIV患者に対し、生活の問題に耳を貸すことやマッサージは、医学的な治療ではありません。つまり、ケアとは耳を傾けるとかマッサージなんかの、いわゆる医学的な治療ではない新しい実践のことなのです。

これが、お医者さんにより実践されているわけではありません。感染者同士、もしくは非感染者を巻き込んだ集団で行われます。この点も重要。
本文全体の趣旨を読み取ると、HIV患者や精神障碍者を(社会全体ではなく)、地域の共同体でケアをする方法が登場した、というものです。ここで大事なのは、地域の人が患者さんをケアしに行きます。つまり、患者以外の「一般の人」をも巻き込んだ共同体が作られることです。

以上をまとめて、ここでの「ケア」について大事なポイントを列挙すると、

・従来の医学や疫学ではない、独自の知や実践である
・非感染者など一般人を巻き込んだ共同体で行われること

です。

平井答案の解説

ケアを通じてのみ繋がる関係や家族ではなく、患者や見ず知らずの非感染者たちのコミュニティ内における、医学に由来しない独自の方法で患者を支援するという新たな親密な関係。

・「ケアをする者とされる者という一元的な関係」を(一元的の意味に注意して)「ケアを通じてのみ繋がる関係」としました。
・家族は家族のままにしました。
・Aの部分をなるべく簡潔に、短い字数でまとめる工夫をしました。
・患者だけでなく、非感染者が加わりコミュニティが形成されていることを指摘しました。また非感染者に対して「見ず知らずの」と形容そ、より特徴が際立つように工夫しました。
・「医学や疫学の知識とは異なる」を「医学に由来しない」としました。
・「新しな」として「ケアが」新たな取り組みであることを明示しました。
・「親密な関係」として、「親密性」を言い換えました。(言葉遊びのレベルではありますが)

設問(二) 「社会」を中心におく論理から「人間」を中心におく論理への転換

これも一見簡単な問題。しかし、設問(一)と同様に罠が隠れています。

まず、傍線部の骨格は、「AからBへの転換」というもの。
Aに該当するのが、「社会」を中心におく論理で、
Bに該当するのが、「人間」を中心におく論理と、漢文でいうところの対句のようにピタリ対応しています。

こういう問題は、大きな方針としては簡単で、Aを言い換え、Bを言い換え、「転換」を言い換えれば答えになります。わざわざ、骨格を変えないと字数が収まらないような難しさはなく、単純に置換しておくのがスタンダードで良いと思います。

そして、こういう問題では「対比構造を読み取りましょう」という受験テクニックが存在します。しかし、この受験テクニックのせいで、罠に引っかかってしまう答案が続出していました。。。

恐怖!読み取ってはいけない対比構造

さて、突然ですが問題です。「社会」の対義語はなんでしょう。
答えは「個人」です。つまり、一般的には「社会」と「個人」が逆の概念として用いられます。

では、傍線部はどう書かれているでしょう。
「社会」を中心におく論理から「人間」を中心におく論理への転換、です。「社会」と「人間」を比較しています。
よく読むと、個人ではなく「人間」と比較されているのです。

ここに罠があります。
受験テクニック的にAとBを対比構造だとして答案を書くと、「社会を重視する考えから、個人を重視する考えに変化した」のような内容になります。しかし、こんな内容は本文中に書いていません。

Aの部分、すなわち「社会」を中心におく論理に関しては、確かに特定の個人を隔離して、社会の安全を優先するという内容が書かれています。
しかし、Bの部分である「人間」を中心におく論理の部分は、「社会より個人を優先する」という内容ではありません。苦しみを抱える人びとが地域で生きることを集団的に支えると書かれており、必ずしも「社会VS個人」という対立構造ではないことが分かると思います。

これは、本文中にも明確に書かれています。
タイとイタリアの事例をまとめいる段落である、第8段落の冒頭には、
「二つの人類学的研究から見えてくるのは、個人を基盤にしたものとも社会全体を基盤におくものとも異なる共同性の論理である。」
と書かれています。
単純化するなら、「個人でも社会でもない、共同性なんだ」という内容です。

よって、「社会優先の考えから個人優先の考えに変わった」という内容の答案ではダメだと考えます。

平井答案の解説

以上を踏まえ、私の答案例です。

社会の治安維持のためなら精神障害者を排除すべきだという考えから、地域の共同体が苦しむ彼らに積極的に寄り添い、支援するべきだという共助を重視する考えに変わったということ。

・A「社会」を中心におく論理、の部分を「社会の治安維持のためなら精神障害者を排除すべきだという考え」と言い換えました。なお、障「害」者の字は本文に準拠した表記です。

・「人間」を中心におく論理、の部分を「地域の共同体が苦しむ彼らに積極的に寄り添い、支援するべきだという共助を重視する考え」と言い換えました。

・「転換」は「変わった」と言い換えました。

・「寄り添い、支援する」と重ねることで、ケアの論理の特徴をより強く表現する工夫をしました。

・さらに、「共助を重視する」と重ねることで、ダメ押しをしました。

 

設問(三) 選択の論理は個人主義にもとづくものである

設問(三)も、単純そうに見えて深い問題でした。
いつも通り骨格から見ていくと、「選択の論理は個人主義にもとづくものである」ですから、単純化すれば「にもとづく」というもの。
分かると思いますが、に相当するのが「選択の論理」で、に相当するのが「個人主義」です。

さらに、文章全体の構成を見てみると、傍線部ウの直前に「選択の論理」と「ケアの論理」を対比することが書かれていて、傍線部ウが含まれる第9段落が「選択の論理」、次の第10段落が「ケアの論理」の説明です。
よって、第9段落の中だけで完結させれば事足りるはずであり、何かどうしても必要があれば他の段落を見る、という方針で良いでしょう。

段落の構成

では、第9段落の中身ですが、短いので説明のために全文書きます。(解説のために恣意的な改行、色の変化を施しています。)

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選択の論理個人主義にもとづくものであるが、その具体的な存在のかたちは市民であり顧客である。
この論理の下で患者は顧客となる。医療に従属させられるのではなく、顧客はみずからの歓望にしたがって商品やサービスを主体的に選択する。医師など専門職の役割は適切な情報を提供するだけである。選択はあなたの希望や徹望にしたがってご自由に、というわけだ。これはよい考え方のように見える。

ただこの選択の論理の下では、顧客は一人の個人であり、孤独に、しかも自分だけの責任で選択することを強いられる。インフォームド・コンセントはその典型的な例である。
しかも選択するには自分が何を欲しているかあらかじめ知っている必要があるが、それは本人にとってもそれほど自明ではない。

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さて、赤と青に色分けましました。
赤色の部分は「選択の論理」の説明部分青色の部分は「個人主義」の説明部分だと私が解釈した部分です。本文中では、明確に選択の論理と個人主義の境界が示されているわけではないのですが、文脈や内容の主張からこのように判断しています。

こう見ると、傍線部が第9段落の要約になっています。すなわち、この問題は「第9段落をわかりやすく説明せよ」という指示にかなり近いと考えられます。

生徒答案や再現答案などには、選択の論理と個人主義のないようが混在していたり、はっきり分けられていないものも多くありましたが、各キーワードは住み分け多たうえで記述するのが良いと思います。

「選択の論理」前半

では前半の赤い部分についてですが、ここでは患者を顧客、医者は情報の提供者とみなし、患者は医者から提示される情報を選択する存在であると説明されます。またこの時、自らの欲望に従って主体的に選択をします。(自由に選択する、とも書かれています。)

これらの内容、短い字数にまとめればよいでしょう。

「個人主義」

個人主義に関しては、本文中にそれほど多く書かれていません。
ただこの選択の論理の下では、顧客は一人の個人であり、孤独に、しかも自分だけの責任で選択することを強いられる。インフォームド・コンセントはその典型的な例である。
だけです。

インフォームドコンセントは例示された部分なので含めないとすると、書かれているのは「顧客は個人であること」「自分の責任で選択することになる」という2点でしょう。これをまとめればよいと思われます。

ただし、「顧客は個人で自己責任の下で選択する」などと(短すぎる字数で)まとめてしまうと、意味が良くわかりません。本文中の単語を並べただけ、という印象を持たれても仕方ないでしょう。

「個人主義」という言葉、「顧客は個人である」が意味する内容、「自分だけの責任で選択する」の意味を、自分なりに嚙み砕いたうえで説明するよう試みることで、しっかり読めているというのをアピールできるでしょう。

「選択の論理」後半

最後に、赤字の後半ですが、ここでは「選択するには、自分の欲求を正しく知っていることが必要である」ということ、そしてその欲求が「必ずしも自明ではない」ということが書かれています。

この部分は、本文全体の趣旨から外れた部分ですので、あまり丁寧に説明されていませんが、よく意味を読み取ると、
「顧客は、自分の欲求に従って医療情報を選択せざるをえないのだが、その判断基準の欲求がそもそもハッキリとはしないものだ。だから、顧客が選択する医療サービスが適切なものにならない可能性がある。」
などと読めるでしょう。この太字は、本文の内容の行間をお節介に読み取って補ったものですが、このくらいしないと、筆者が何を言おうとしているか分からないのではないかと思います。

あとは、この内容を論旨に従ってまとめればよいでしょう。

平井答案の解説

以上を踏まえ、私の答案例です。

患者は医療情報を選択する顧客だとみなす考えは、患者は選択の責任を自身が負う独りの存在だという前提があり、しかもその選択は漠然とした欲求に従って行わざるをえないという危険を孕むということ。

・「選択の論理」を「患者は医療情報を選択する顧客だとみなす考え」と端的に言い換えました。
・「個人主義」を「患者は選択の責任を自信が負う独りの存在だ」と言い換えました。この際、「顧客は一人の個人」を」「独り」とし、本文中には書かれていない「何の責任を負うのか」を「選択の責任を負う」と補うことで、本文の内容を分かりやすく説明しつつ、内容がずれないように言い換える工夫をしました。
・「もとづく」を「前提があり」と言い換えました。
・「自明でない」を「漠然とした」と言い換えました。
・漠然とした欲求に従い選択をする、という行為を「危険」と端的に指摘しました。(ただし、これはHPの載せて「見せる」答案、ないし「議論の対象とする答案」だからであって、本番で生徒が書くことはおススメしません。)

抽象的に書くか、具体的に書くか

【2024年3月27日追記】
※なお、この問題の解答において、抽象的な言葉のまま説明するか具体的な言葉で説明するかという2つの議論があります。
以前このような指摘を受けました。

「選択の論理」とは「顧客」や「サービス提供者」という上位概念を対象とした考えのことであり、今回の本文においては、患者を選択の論理における顧客の概念に当てはめて考えている。傍線部は「選択の論理」そのもののことを聞いているのだから、「患者は・・・」など1つの具体例に落として答えるのは不適切だ

これに関しては、その通りだと思います。

そこで、抽象的なままの答案も作成したので、ご覧ください。

顧客が多数のサービスから自由に選ぶことで社会が成立しているという考えは、人間は全員一人であり選択する責任は本人に及ぶという考えを前提に成り立っているということ。(抽象的な方の答案)

さて、どちらが正解となるかというと、どちらも正解となり得ると(現時点では)考えています。

私の(具体的な方の)答案では、「患者」と具体的に書いています。いくつか理由があるのですが、一つは「どういうことか」という問いに対する解釈次第であると考えていることです。一般的には「どういうことか」という問いには、「同内容を別表現で言い換えることで答えになる」と解説されることが多いです。しかし「どういうことか」が「具体的に答えなさい」という意味で用いられる例も多くあります。また本文全体の趣旨は、(上位概念である)「選択の論理」の説明ではなく、(具体的な現場での)患者と医師における関係性を述べています。
私の答案は、模範解答というより、答案例として作成しており、ぜひ皆さんの議論の対象にしていただきたいと思います。考察した内容などあれば、ぜひコメントなどで頂戴できればと思います。

設問(四) それは、人間だけを行為主体と・・・生きた世界像につながっている

これも非常に難しい問題。なぜなら、本文中には書かれていない内容について説明する問題だからです。
傍線部エは「それは」で始まり「つながっている。」で終わっています。つまり、傍線部エの内容は、それ以前の本文中に書かれていません。

かといって、本文中に全くヒントがないかというとそうではありません。設問の指示通り「本文全体の趣旨を踏まえ」ることによって、傍線部の意味するところが香ってくるのです。では、その思考のプロセスをたどっていきましょう。

 

内容は反復されている

例のごとく、傍線部エの骨格を見ていきましょう。
「それは、Aではなく、につながっている」という構造です。

まず「それは」とは何かというと、ハッキリ指示内容を特定するのが難しいのですが、文脈上「ケア」か「ケアの実践」と捉えてよいでしょう。

次にAに相当するのが「人間だけを行為主体と見る世界像」で、に相当するのが「関係するあらゆるものに行為の力能を見出す生きた世界像」です。
設問(一)と同様、は否定されている内容なので、よりもが重要です。なるべくをしっかり説明したい問題ですね。

さて、「Aではなく」と同様の文構造が、直前に繰り返されているのに気づいたでしょうか?
①「身体を管理するのではなく、身体の世話をし整える
②「ケアをする人とケアをされる人の二者での行為なのではなく、家族・・・共同的で協働的な作業なのである」
と、否定から肯定の文構造が(傍線部を含め)3度繰り返されています。

この3つの部分を前から順に①、②、傍線部、と呼ぶことにしましょう。

①の文の後には、「さらに、身体の養生に・・・」と続き、「つまり」と接続して②が始まります。つまり、①の発展した内容が②に対応するので、傍線部と対応するのは、主に②の部分です。

否定されている内容

とすると、当然ながら傍線部との比較をすれば、対応することになりますので、見てみましょう。まずは否定されている内容、つまり傍線部のAに対応する部分です。

②と傍線部を並べてみると、
②「ケアをする人とケアをされる人の二者での行為なのではなく」
傍「人間だけを行為主体と見る世界像ではなく」
とありますが、これはほぼ同義とみてよいでしょう。この部分は、それほど凝ったことをせずに答案にまとめて良いと思います。

肯定されている内容は、自分で想像(創造)する

では、同様に肯定されている部分を並べます。

②「家族、関係のある人々、同じ病気を持つ人、薬、食べ物、道具、機械、場所、環境などのすべてから成る共同的で協働的な作業」
傍「関係するあらゆるものに行為の力能を見出す生きた世界像へつながる」

こちらも、ある程度似ている内容ですが、傍線部の方が一歩先の内容を述べています。
②では「すべてが関係する」ということと、「共同的」と「協働的」の3点。
これに対し、傍線部は「関係するあらゆるもの」に対し「行為の力能を見出す」「生きた世界像につながる」とあり、②の内容とは違う内容です。

問われているのは「どういうことか」ですから、「行為の力能を見出す」とか「生きた世界像につながる」を言い換えることになります。しかし、本文に書いていません。
そこで、自分で内容をある程度、想像(ないし創造)して説明することになります。(具体的にどうするかは、後の私の答案を参考にしてください。)

因果関係を整理して、説明が必要な部分を足す

以上で、答案作成の大きな方針が決まったので、あとは補足説明が必要なところを書き足していくことになります。

否定しているAの部分は「人間だけが関係するのではない」ということ。では、この「人間」とは誰かというと、ケアをする人とケアをされる人です。

では、どんなことに関係しているのかというと、「ケアの実践」ですね。そして、そのケアとは、文章の冒頭から散々書かれているのですが、前半部はケアの実践例で、後半部はケアそのものの説明に進んでいるので、後半部から要素を引っ張ってくる方が使いやすいでしょう。

ということで、最終段落(11段落)の内容を参考に、ケアを補足説明していきましょう。

このように、説明を足すことによって、内容が充実するわけですから、字数の許す限り繰り返し、優先すべき内容から盛り込んでいくことで、答案ができるでしょう。

平井答案の解説

以上を踏まえ、私の答案です。

患者の感覚や感情の変化を敏感に察知し、苦しむ患者に寄り添っていくケアの実践は、患者とケアのスタッフだけでなく、薬や道具、環境などあらゆるものを巻き込みながら患者のためになる効能を引き出し、患者と共に生きていく養生の場になりえるということ。

・原則として、上述の思考プロセスで答案を作成しています。(補足説明が必要な部分を、優先順位に従って盛り込んでいる)
・傍線部冒頭の「それは」を「ケアの実践」と捉え、ケアの説明を第11段落を要約しました。
・否定内容のAの部分は「患者とケアのスタッフだけでなく」としてまとめました。
・行程内容のBの部分は「薬と道具、環境などあらゆるもの」と、具体的な内容まで含めて書きました。
・「力能」を「患者のためになる効能」と言い換えています。
・「見出す」を「引き出す」としました。
・「生きた世界像」を「患者と共に生きていく養生の場」と言い換えています。

まとめ・講評

以上、様々解説してきました。
こうしてみると、様々な罠が隠れており、丁寧に、かつ大胆に読解しないと設問に答えられないという、非常に厄介な問題だったことがご理解いただけたのではないかと思います。

厳しい字数制限、言葉の定義、浅い読解では読み違えてしまう部分、単純な対立構造で読み取ってはならない部分などなど、非常に難しい問題でした。(例えば、ぜひ2011年第1問の解説記事と、比較して見て下さい。)

受験生が、入試当日に試験会場で見た印象は、「読みやすくて解きやすい」だったかもしれませんが、丁寧に読解すると非常に深く、設問の要求も難しい、という大きなギャップがあると思われます。

対策としては、表面的な文章の読解ではなく、筆者の主張を丁寧に読み取る訓練をすることでしょう。例えば、「ココとココが対立構造だ」とか「ココとココが同じだ」など、単純作業で文章を読み取ろうとすると、「読めた気」になって、実は意味が理解できていないということになりそうです。

2021年は第4問(解説記事はこちら)も非常に難しく、同様の訓練ができますので、理系の受験生もぜひ取り組んでみてはいかがでしょうか。

※なお、本稿では最低限の読解や私(平井)の答案の紹介を行っています。
より詳細な内容に加え、サンプル答案の添削やアドバイスなど2時間ほどかけて解説した授業動画と合わせて、皆さんの実力を上げられるように組んでおります。

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