2006年東大日本史(第2問)入試問題の解答(答案例)と解説

◎はじめに

東⼤⽇本史の問題は、リード⽂、資料⽂、設問⽂の3点で構成されているのがスタンダード(例外あり)。
これを、どの順で読むべきかというと、おススメはリード⽂→設問⽂→資料⽂の順です。

これがなぜかというと、理由は2点。
リード文は本文へ導入するための文なんだから、リード文の方が先。
そして、本文は設問に答えるための材料だから、設問文が先ということです。カレーを作るか、ポテトサラダを作るか決めないと、ジャガイモの用途が分からないのと同じで、何に答えるかが分からないと本文の使い道も分からないわけですね。

もちろん、絶対的な指標ではなく、あくまでガイドライン。
未来永劫、本文を最後にすべき問題しか出ない保証なんかないので、その場で柔軟に対応すべきといえばその通りではありますが、だからといって基本パターンを知らなくてよいことにはなりません。

これまで多くの答案を⾒て採点や添削を⾏ってきてわかったのですが、内容の良し悪し以前に、問われていることに答えていない答案が、想像の5倍くらい多いと思ってください。自分の答案が十分問いに答えているかどうか、必ずチェックするクセを付けましょう。

※この問題の詳しい解説や、問題の解法、高評価を受ける答案の書き方などは、オープン授業日本史第4講(工事中)にて扱っています。
ぜひこちらもご覧ください。

◎リード文の分析

ほとんど何もありませんが、「院政期における武士の進出」がテーマです。

◎設問の分析

設問A

設問Aは、中央政界で武士の力が必要とされた理由を答える問題です。
ご存じの通り、平安時代は院政期になるまで、メインキャラクターが天皇や貴族でしたが、院政期になると武士が台頭してきて、最後には武士が政権を取ります。
これは、武士そのものが実力で勝ち取ったという側面もありますが、設問のように「中央政界で武士が必要とされた」という事情があるからです。その理由を答えるのがこの問題です。

これは、教科書レベルでも説明されていることで、学んだ人も多いでしょう。
武士というのは、すなわち武力(≒軍事力)です。武力の用途は3つ。①戦争と②治安維持と③自力救済だと覚えましょう。

①戦争は対外戦争と内乱の両方を含みます。
日本は、海と言う天然の要塞に囲まれているので、大きな対外戦争をほとんどしない国です。挙げると、白村江と元寇と近代以降の戦争くらいしかありません。(刀伊の入寇みたいな例外もいくつかありますが)
一方で、内乱はたくさんあります。壬申の乱や承久の乱、戦国時代などなど。院政期で言えば、保元の乱と平治の乱が該当します。後に解説しますが、貴族が二分して、子飼いの武士同士を戦わせる、というような形で武士が中央政界に必要とされました。

②治安維持とは、警察のことです。院政期には、武士が警察のような役割をしていて、(後に解説する)僧兵への鎮圧などを担います。
警察以外にも、小さいところでは、司法による刑の執行なんかも武力の行使に当たります。法を犯した人間に対し、刑罰を執行する場合に、(例えば死刑など)武力を行使する場合があります。

最後に、③自力救済とは、政府が持つ軍事力ではなく国民一人一人が武力を持って自分の身を自分で守ることです。室町時代の室町幕府など、中央政府が弱い場合には、司法や警察が機能しなくなります。すると、自分の身は自分の身を守らないといけない状態に陥ります。例えば、自分の畑に、どこぞの誰かが侵入してきて作物を盗まれそうになったら、自分(や近隣の人)でクワを振り回して追い払わなければなりません。

※ちなみに、近代国家とは、国民全員から武力を取り上げて、軍隊と警察に分け与え、自力救済を禁止することで成立します。畑の作物を盗んだ相手に対して、クワで攻撃をしかけることは禁止されていて、代わりに司法が裁くのがルールです。

日本史にとって武力が重要なので解説が長くなりましたが、要するに院政期の武士は、(保元の乱や平治の乱などの)内乱と、僧兵の鎮圧など警察として機能したことが思い出せればOKです。

 

設問B

平氏が権力を掌握する過程と、その経済的基盤について述べる問題です。これに関しても、教科書レベルの知識で補えます。

まず、保元の乱や平治の乱で源氏より優位になったことがあります。次に、貴族として太政官の重要役職を独占したことや、天皇の外戚になったことも重要です。そして経済基盤としては、多くの知行国収入があったこと、寄進地形荘園からの収入があったこと、成功による収入や日宋貿易をしたことなどが思い出せると良いと思います。

以上のような知識を思い出しながら、資料文を参考に取捨選択していきましょう。

 

◎資料文の分析

5つ与えられていますが、どれも短いです。

資料文(1)

院政期に荘園と公領の境界が確定されたとのこと。そして、大寺社が多くの荘園の所有を認められることになった。ということが書いてあります。
知識がある人は、この背景に寺社の僧兵が強訴をしていたことを思い出せるかもしれませんが、知識がなくても「土地の境界線が自然に確定することなんてあるか?」くらいは疑いましょう。

当時、土地というのは財産の最たるものです。誰の所有かよくわからない土地があったとしたら、争うこともあるでしょう。中には話し合いや裁判で決定することもありますが、後半の「寺社が所有を認められることになった。」がありますから、僧兵が強訴をして所有争いをしていたことを思い出したいところです。

 

資料文(2)

白河上皇といえば、当時の超権力者。なんでも自分の思い通りになるような人物ではありますが、それでも思い通りにならなかったのが3つだそうです。

1つ目の「加茂川の水」というのは、安定した水量にならないとか、洪水を抑えられないということです。賀茂川は頻繁に洪水を起こす暴れ川だそうですね。
ただ、もう一歩踏み込んでおきましょう。水というのは、人間の生命を支える根源的な資源です。古代の4文明を覚えるときに、川の名前も同時に覚えますが、これは真水がないと人間が生きられないからです。
川の側に人間が定住するようになると、作物を作るようになり、安定した食料が確保できるようになり、人口が増えます。すると必ず起こるのが、水の利権争いです。誰もが、水をたくさん欲しがるわけですから、当然です。
といことで、「水」というキーワードに対して、水利権争いまでまで反応できるようになると素晴らしいです。(2016年第2問が水利権についても問題です。参照して見て下さい。)

2つ目の「双六のさいころ」とは、そのままですね。さいころの目を自由に操ることができない、という意味です。当時、サイコロを使ったゲームが流行っていたそうですから、ゲームに勝てないということも含んでよいと思います。

しかし、ここまでの2つはオマケ。大事なのは3つ目の「比叡山の僧兵」です。
資料文(1)でも書きましたが、この時期の僧兵は寺社をバックにやりたい放題する武装集団です。
これをお読みの皆さんも、お寺とか神社にゴミをポイ捨てするとなると、バチが当たるんじゃないかと、心理的に憚られるのではないかと思います。平安時代は寺社への信仰心が今の日本人よりもはるかに高い時期ですから、寺社が武装して争いを起こして来たら、厄介なことだというのが分かると思います。

白河上皇のような権力者と言えども、僧兵には手を焼きました。全く思い通りにいかない。
ではどうするかというと、対抗勢力を用意するしかありません。これが武士だったということですね。(設問Aの回答に繋がります。)

 

資料文(3)

慈円や『愚管抄』というのはあまり気にしなくてよくて、カギ括弧の中を見ましょう。

まず1156年というのは、小学生でも覚えていると思いますが、保元の乱の年です。鳥羽上皇が亡くなると、天皇家や摂関系の内部対立が表面化し、内紛に発展します。(権力者がいなくなった後に内紛になる、というのもよくあるパターンではあります)
しかしながら、貴族同士や天皇家の人間同士が、直接ポカポカ殴り合うわけではありません。子飼いの武士たちに戦わせて、勝敗を決めることになります。
この時、戦っている武士同士が仲が悪いかどうかは関係ありません。仮に仲が良い者同士であろうとも、仕えている主君が敵同士であれば戦わざるを得ません。要するに、武士は貴族同士の争いを代理する軍事力だったということですね。(争っている貴族同士は仲が悪いです)

これも、設問Aに繋がっていきます。

 

資料文(4)

馬齢を重ねてまいりましたが、言ってよかった旅行先はどこか、と聞かれたら「広島」と答えています。

広島駅周辺に繁華街が広がり、アクセスも良くて遊びやすい。原爆ドームや、呉市の大和ミュージアム、宮島の厳島神社など歴史に触れる有名スポットもたくさん。お好み焼きやもみじ饅頭、牡蠣など食べ物も楽しめて、観光客を飽きさせない町だと感じました。

そんなことはさておき、平氏は厳島神社の信仰し、音戸の瀬戸を開削したことなどを習ったと思いますが、これらは今でいう広島です。

 

資料文(5)

そして、摂津の大輪田泊の修築で港を整備しました。資料文によると「外国船」も入港できるようにしたということですが、もちろん日宋貿易のためです。
平氏は海賊の討伐をしながら、瀬戸内海を中心に西国武士を家人に組織して軍事力を増大させつつ、厳島神社で神仏の加護を得て、日宋貿易による利益を吸収するという作戦に出ます。これらが基盤となって、最終的に権力を掌握するに至ります。

 

◎答案例

以上、情報は出揃ったので、まとめていきます。

設問Aに使えそうなのは、(もちろん、事前に覚えてきた知識に加えて)資料文1~3でしょう。設問Bは、設問Aの回答も踏まえつつ資料文4~5を用いて答えます。

設問A
荘園公領制の確立に伴い富裕化して武装した寺社勢力が朝廷を脅かし、また朝廷内の内紛を代理する軍事力が求められたため。

設問B
西国武士を家人として組織して保元の乱と平治の乱で勝利した平氏は武家の棟梁の地位を確立し、高位高官の独占や外戚戦略を進めて、院政を停止するに至った。経済基盤は、多数の荘園や知行国からの収入と、瀬戸内海航路の掌握による日宋貿易の収益であった。

 

◎総評

資料文は与えられているものの、東大受験生が事前にしらないような資料ではなく、知っていることがわざわざ書いてあるだけです。
もちろん、それでも資料文になっていること自体がヒントなので、解答の方針に役立てるのですが、それでもほとんど知識問題と言ってよいでしょう。

難易度としてはそれほど高くなく、設問AもBも、簡潔に情報を整理するだけで答えられます。

この問題はオープン授業第4回(工事中)で扱い、詳細な資料や知識、サンプル答案への添削をしながら答案作成のポイントを解説しています。
よろしければご視聴下さい。

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