2023年東大日本史(第1問)入試問題の解答(答案例)と解説

リード文の分析

古代の宮都などの大規模造営では、建築工事の現場だけでなく、山林での材木の伐り出し、瓦の製作、それらの輸送 (陸運・水運) など、資材調達の作業にも多くの労働力が必要であった。国家的造営工事に関する次の(1)~(4) の文章を読んで、下記の設問に答えよ。解答は、解答用紙(イ)の欄に記入せよ。

やや長いリード文ですね。
情報が多いので丁寧に読もうとする姿勢が大事ではあるものの、大事なところは太字の部分のみ。要するに、大規模な工事では、多くの労働力が必要だったという内容です。
太字と太字の間の部分は、大規模造営の具体的な作業内容が書かれていて、重要度は下がりますが、設問内容や資料文の内容によっては重要になりえる部分なので、気になる場合は、全体を一読した後にもう一度戻ってくると良いでしょう。

設問の分析

国家的造営工事の在り方は、国家財政とそれを支える地方支配との関係を反映して変化した。その変化について、律令制期、摂関期、院政期の違いにふれながら、6行以内で説明せよ。

メインで問われているのは、国家財政でもなく、地方支配でもなく「国家的造営工事の在り方の変化」です。
しかし、後述するように、与えられた資料文に書かれているのは、労働力の確保の仕方や徴税制度についてばかりなので、これをどう「在り方」として書くかが難しいところです。
律令制期、摂関期、院政期の3つに区切って記述するので、それぞれ2行(つまり60字)程度ずつ記述するのを目安に、資料文を見ていきます。

資料文の選定

各資料の冒頭を見ると、
(1)は「律令制のもと」とあるので、律令制期の内容として採用。
(2)は「奈良時代」とあるので、これも律令制期
(3)は「960年」とあるので、摂関期

ここまでは簡単。
問題は(4)です。冒頭に「1068年に即位した後三条天皇」とありますが、後三条天皇は摂関期と院政期の間にある隙間の時代の天皇。
しかしよく見ると、「後三条天皇は・・・工事を進めた。これを契機に・・・一国平均役の制度が確立した。」とあるので、後三条天皇以後もずっと続いていることが分かります。
よって院政期の資料として利用しましょう。

資料文の分析

資料文(1)

律令制のもとでは、仕丁(しちょう)と雇夫(こふ)が国家的造営工事に動員された。仕丁は、全国から50戸ごとに成年男子2名が徴発され、都に出仕し役務に従事した。雇夫は官司に雇用された人夫で、諸国から納められた庸が雇用の財源となった。

いきなり設問にド直球に答える内容。この資料を要約するだけでも、多少の部分点がありそうな資料です。

工事の担い手が仕丁と雇夫の2種類であることが書かれ、それぞれの特徴が書かれています。

仕丁は、参考書などで習うかもしれませんが、全国から一律で決められた割合ごとに集められる労働力のこと。答案に書く際「全国から一律に仕丁が集められた」などと書いても良いですが、ここでワンポイント。
律令制期には「全国の戸から一律で」というキーワードがいくつか登場します。
最も大切なのは税金です。飛鳥時代から戸籍の作成がスタートしますが、律令制期にも残存しています。この戸籍に載っている人数に従って税金を取るという人頭税の制度を採用していました。租庸調なども戸籍を前提として徴収されます。(10世紀頃に土地税に変わってしまうことも併せて覚えておきましょう)
他にも、兵役も戸籍に載っている正丁に対し3~4人に1人の割合で徴兵する軍団制が敷かれていました。
仕丁も同様で、戸籍をもとに徴発していましたから、「戸籍」というキーワードを盛り込めると答案のレベルがグッと上がります。

雇夫は官司によって雇われていて、庸が財源だそうです。
官司というのは役人ですから、朝廷そのものが雇用しているのではなく、役人が雇っているということでしょう。
しかしその財源は庸、つまり国税だそうです。ややこしいですが、一応気を付けておきましょう。

資料文(2)

奈良時代に朝廷が行った石山寺の造営工事では、仕丁・雇夫らが従事した作業の内容が記録に残されている。また、恭仁京・長岡京・平安京の造営など、大規模な工事を実施する際には、労働力不足への対処として、畿内周辺の諸国に多数の雇夫を集めることが命じられた。

奈良時代なので律令制期。
資料(1)でも登場した仕丁と雇夫が引き続き登場するので、単に「資料文が長くなるから(1)と(2)に分けたのか」くらいに考えれば良いでしょう。

1文目は朝廷主催の石山寺の造営工事で、仕丁と雇夫が作業した記録のこと。特に追加の情報はありません。

2文目は、恭仁京や長岡京、平安京の造営に際して、労働力不足への対処として、畿内周辺の諸国に雇夫を集めることが命じられたと書かれています。
労働力不足に対して雇夫が命じられたと書かれていますから、仕丁は関与せず。資料(1)で見た通り、雇夫の財源は庸ですから、朝廷が特別に予算を付けて雇夫を追徴したということです。
場所は畿内周辺ということですが、京の造営なので、近いところから集めたと解釈すれば良いでしょう。

資料文(3)

960年9月、平安京の内裏が火災ではじめて焼失した。その再建は、修理職や木工寮といった中央官司だけでなく、美濃・周防・山城など27カ国の受領に建物ごとの工事を割り当てて行われた。こうした方式はこの後の定例となった。

960年ということで、摂関期の資料。確かに、資料(1)(2)とは違う内容に変わっています。
まず、「修理職」と「木工寮」という聞きなれない役職が登場します。これに関しては、名前を見て「修理」と「木工」ですから、造営工事の修理をする役職だなとか、土木を担当する役職だなと思えばOK。これら2つは「中央官司」と書かれていますから、朝廷に勤めるお役人だと理解できれば十分でしょう。

次に注目するのが「だけでなく」、つまり修理職や木工寮以外にも造営工事に携わった人がいるということです。

それが誰かというと、後半部分に登場する「受領」です。
資料文を読み取った通りに「工事は受領が請け負った」などと書いても良いのですが、これではやや不十分。なぜなら「国家財政とそれを支える地方支配との関係を反映している」という設問文について、もう一歩踏み込めるからです。

受領は国司です。現地に赴任している国司を「受領」と呼び、代わりの人を現地に赴任させて自分は中央に居座る国司を「遥任」と呼びます。ようするに、これが「地方支配」に関する部分に該当します。
受領にしろ遥任にしろ国司ですから、それなりに高い地位の貴族です。しかもこの時期の国司は担当国の徴税権を与えられて、富裕化していました。そして極めつけは、成功や重任といった賄賂によって役職を得る(維持する)のが常態化していましたから、受領というのはただの国司以上の特権だったということです。
これに付随して、土地税から人頭税に変わったとか、他にもいくつかありますが、東大受験生ならば基本の知識。瞬間的に思い出せるようにしましょう。

さて、こんな受領に造営工事の一部が割り当てられたということは、「お前、カネ持ってるんだから工事くらいしろ」と命令が来たということです。国司の任命権を握っている朝廷に言われたから仕方なく工事をしていたということでしょうか。いずれにしろ、国家財政や地方支配に関る要素としてバッチリ使える内容なので、盛り込みましょう。

最後に、この方式が定例になったということですから、院政期の要素としても使ってよいと解釈できます。同じことを2回書くわけにはいかないので、文章表現で院政期まで続いたということがわかるように書くのが良いかと思います。

資料文(4)

1068年に即位した後三条天皇は、10年前に焼失した内裏をはじめ、平安宮全体の復興工事を進めた。これを契機に、造営費用をまかなうための臨時雑役を、国衙領だけでなく荘園にも一律に賦課する一国平均役の制度が確立した。

「資料文の選定」で書いた通り、この資料は院政期として使う資料です。

後三条天皇が復興工事を始めたのをきっかけに、一国平均役が確立したとのことですが、その中身として重要そうなのは「国衙領だけでなく荘園にも一律に賦課する」という部分。
院政期には「不輸不入の権」をもつ荘園が増えてしまい、国司による徴税が困難になっていました。つまり一国平均役というのは、不輸不入の権に関らず荘園から徴税するという効果があるわけです。

答案作成用メモの例

2023年度東大日本史第1問

実際の問題用紙には、このように書き込むなどすると、答案作成に役に立つでしょう。

 

答案例

律令制期は戸籍に従い一律に税と労働力を調達し、臨時に工事がある場合は官司を介して朝廷の財源から雇用した。摂関期には戸籍が形骸化したため、土木専門の官司や地方徴税権を握り富裕化した受領に労働力と資金の調達を任せるという形式が定例化した。院政期には国衙への納税義務を逃れる荘園が増えたため、公領と同様に荘園からも徴税する一国平均役によっても造営工事の財源を賄った。

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