2024年東大国語 第3問(漢文)方東樹『書林揚觶(しょりんようし)』現代語訳

現代語訳を作成しました。
もう少し分析を深めたのちに、解答(答案例)やいつもの設問別のプチアドバイスも公開する予定です。
※現代語訳も、分析を深めた後に微修正する可能性がございます。

本文と現代語訳の併記(暫定版PDF)

2024年『書林揚觶』現代語訳(暫定版)

現代語訳(暫定版)

一般的に、本を書き、理論を展開するには、必ず言わざるをえない(自説)が根本にある(べきだ)。
そうやってはじめて、その言葉は妥当であり、その言葉は誠実であり、その言葉は用いる価値がある。
そういうわけで、君子の言葉は物事の真理にまで到達してやめており、節度なく述べ立てたり、無責任に言い放ったり、好き放題に分を超えた議論をしたりして、
一時的に快楽を得ることをなどしない。
思うに、重要でなければ嫌うべきで、(根拠が)不確かであれば疑うべきだ。
既に嫌ってかつ疑っていれば、その本は貴んで信じること(など)できない。
君子の言葉は、寒い(日)や暑い(日)、昼や夜(が来ることや)、日常の衣服や食物のように、(ごく当たり前に受け入れられ)(誰も)疑うはずはなく、嫌うはずもない。
天下の万民は信じてこれ(=君子の言葉)を利用し、丘や山のように大きな利益が得られ、ほんのわずかも損害は被らない。
この点で昔と今の文筆家について考えると、(差は)明らかで、白黒のよう(にはっきりと異なる)。
本を書くのにあたって様々(な理論)を自分(の考え)に基づかなければ、その著者はたんに(他人の)言葉を(勝手に借用して)売る者にすぎない。
道家や法家の学徒は、学問は偏重しているとはいえ、
結局はそれぞれ、自分で世の中の後世にも(文章を残し)存在させれている。
この意味では、昔の文筆家は今でもこれ(=現在の学問)に(自分の文章を)残すことができている。
時代が下って(現在)、それができなくて、なんと(他人の文章を)盗用する(者がいる)。
そもそも、盗用して文章を作ったのでさえ、後世に伝えるには(価値が)足りない。
それなのに、まして盗用して書いた本ならなおさらそうだ。
そうして、見識がある者は常に、本が多いことを気に病む。
なんとこれが理由ではないか。

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