大英帝国と坂本龍馬

イギリスの強さを知っていた、龍馬と勝海舟!

坂本龍馬は勝海舟を切りに、部屋に踏み込みました。
勝「まあ待て。これを見よ。」
龍馬「!?」
勝「イギリスという国があって、ロシアという国がある。この2つの国が覇権を争っているのだ。」
龍馬「そうなんですか。本丁筋はどこですか?」
勝「え?なんだそれは?」
龍馬「私の故郷の土佐の町でございます。」
勝「そんなのは知らんが、日本はここで、土佐はここだ。」
龍馬「知らなかった!日本も土佐も、こんなに小さいんですね。」
勝「そうだ。世界は広いのだ。」
龍馬「なぜイギリスはこんなに小さいのに強いのですか?」
勝「それは、海軍を持っているからだ!」

この有名な会話は、1862年の話。日本は幕末、世界はパクスブリタニカの全盛期です。

日本史だけを勉強していると世界史のことが見えなくなり、
世界史だけを勉強していると日本史のことが見えなくなります。

しかし、当たり前ですが、日本は世界の中にあります。
そして、ヨーロッパの諸国は「俺たちのルール」を世界中に押し付けながら、地球の裏側の日本までやってきました。
だから、日本のことだけを見ていては、日本のことが分からないのです。

そこで、今回は世界のルールを作っていた、大英帝国に注目してみましょう。

大英帝国の略史

まずは、受験生なら必ず覚える歴史を簡潔に。
1707年、イングランドがスコットランドを併合します。
そして、7年戦争後のパリ条約(1763年)で、インド、カナダ、アフリカなど世界の美味しいところをイギリスがたくさんもっていきます。

これで世界の海洋覇権を握ったイギリスでしたが、1783年アメリカ独立戦争ではフランスをはじめとするヨーロッパ各国を敵に回してしまいます。
結果、アメリカという美味しいところは取れませんでした。

次のナポレオン戦争では勝ち、ウィーン条約では世界の5大国が決まります。
英露仏墺普の5つです。(ウィーン体制ですね。この順番で覚えましょう)
ヨーロッパの覇権国家は約100年経てば衰退していくのですが、イギリスだけは200年目に突入していきます。だからすごかった。

モンロー宣言で本当にヨーロッパの動きが封じられるか?

1823年にはモンロー宣言が出されます。
ここで、よく勉強している人は「あれ?モンロー宣言って、アメリカの話では?」
と思うかもしれませんが、よく考えてください。

まず通説。
「モンロー宣言で、アメリカはヨーロッパに向けて、新大陸に入ってくるな!と言った。」
だと思いますが、
アメリカにそんな力があると思いますか?

せっかくウィーン体制を覚えたんですから、応用させましょう。
アメリカは5大国に入っていません!

大国とは?

大国というのは、単に「強い国」とか「凄い国」というわけではありません。
「世界のルールを決めるのに、仲間外れに出来ない国」と言う意味です。
つまり、このころは、英露仏墺普の5つの国が全て集まって会議しないと、世界のルールを決められないのです。

裏を返せば、アメリカなんかいなくても世界のルールを決められてしまうのです。
もちろん、日本や中国、韓国などなんか眼中にありません。
はっきり言えば、アメリカは5大国のどれにも、直接対決で勝てない「離れ大島」の国です。

モンロー宣言の黒幕はイギリス

では、なぜモンロー宣言が出せたのか。
それは、裏でイギリスが手を引いていたからです。

当時、イギリスは、今のメキシコ以南のラテンアメリカへ触手を伸ばしていました。
しかしそこはスペインの土地です。
老大国のスペインを、フランスをはじめとするヨーロッパの国が、イギリスには好きにさせないぞ、と後押しします。

つまり、ラテンアメリカは、イギリス&アメリカ VS フランス&スペイン の代理戦争の場になってしまいました。
そこで、イギリスはアメリカに対して「ヨーロッパの連中は南北アメリカ大陸には関わるな」っていう宣言を出せよ、と持ち掛けます。
これが、モンロー宣言です。

但し、アメリカが先走ってしまいます。
本来、イギリスとの共同で宣言を出すつもりだったのが、モンロー大統領が単独で出してしまいます。
そのせいで、他の4大国はモンロー宣言を完全に無視してしまうのですが・・・。

モンロー宣言でイギリスの強さが分かる

さて、モンロー宣言の裏話はこれくらいにするとして、何を学べば良いでしょうか。
それは、イギリスVSその他の4大国 でも、互角かそれ以上の力関係があったという事です。
歴史の事実を丸暗記するだけでなく、背景にある国同士の思惑まで踏み込んでいくと、生きた歴史の勉強になるでしょう。

我こそはパーマストン、得意技は「砲艦外交」

パクスブリタニカの全盛期を引っ張ったのはパーマストンです。
1830~1865年のうち、ほとんどの時期で、総理大臣か外務大臣を務め、世界の外交を引っ張る(かき乱す?)人です。

1839年には、イギリス領カナダとアメリカ合衆国の国境で、イギリス人のスパイが捕まります。
アメリカの法律に従えば、当然死刑。

しかし、パーマストンは得意の砲艦外交でアメリカを恫喝します。
「釈放しないと、ボストンとかニューヨークを灰にするぞ!」

これに対し、アメリカは泣き寝入り。スパイも釈放されます。
このくらいイギリスは強かった(アメリカも、まだこの時期は弱かった。)

薩摩と長州より賢かったアメリカ

むしろ、本当に強い相手とは戦わなかったアメリカを褒めるべきでしょう。
アメリカと言えば、この時期に、日本に不平等条約を押し付けていく相手です。
しかし、薩摩や長州は、パーマストン率いるイギリスに、単独で喧嘩を売ってしまってますから(薩摩、長州の人、ごめんなさい)
フォローしておくと、日本には情報がないですから、イギリスの本当の怖さが分からなかったのでしょう。
薩摩や長州が、イギリスにメッタメタのギッタギタに負けたせいで、「こりゃ、かなわない」と攘夷を諦めて政策が転換するわけですから、
やはり、日本史と世界史はつながっているわけですね。

日本史選択者も、イギリスの怖さを世界史から学べば、この辺りがよくわかるでしょう。

アヘン戦争とパーマストン

1840年にはアヘン戦争があります。清を一瞬でやっつけました。

余談ですが、イギリスは「アヘン戦争と呼ぶな、英清戦争と呼べ」と言っているそうです。
道徳的にはイギリスに全ての非があるのですが、一切認めないという外交の姿勢は流石です。

またまた余談ですが、アヘン戦争が起こった場所を地図で確認しておきましょう。
清は満州族の国ですから、当然北の方が中心地です。一方、アヘン戦争はものすごく南の方で起きています。
だから、清にとっては「南の方で、なにかあったらしい」程度の認識だったとか。

砲艦外交の神髄

話を戻しましょう。
パーマストンの代名詞は「砲艦外交」
こう聞くと物騒に思いますが、実はイメージほどではありません。
圧倒的な軍事力を背景に持ち、「砲艦でお前の国の町を焼くぞ」と恐喝、恫喝を行うことによって、
戦わずして相手を泣き寝入りさせることの方が多かったのです。

相手が従わなかった場合、本当に軍事力を行使するのですが、滅多に使わない。
むしろその前の段階で、ものすごく粘り強く会議を行い、相手に言うことを聞かせていました。
パーマストンは強いだけじゃなくて、頭も良い。

クリミア戦争と明治維新

そして、1853年クリミア戦争が起こります。
日本なんかより圧倒的に強い、世界1位のイギリスと、世界2位のロシアがユーラシア大陸全土でドンパチします。
そして、クリミア戦争には、北海道戦線まであるのです。
イギリスとロシアが、北海道の近くで戦っているのを知り、日本人はどう思ったでしょうか?

「このままだとやられる。」
こうして、日本は富国強兵に傾いていくのです。

論述問題を書くためには?

東大受験では、歴史の論述問題が出ます。
論述問題を解くためには、歴史を考察し、文字通り「論述」しなければなりません。
それは、暗記した知識を書き並べるものではありません。
ストーリーにして、ある主張を書くものです。

そのためには、ストーリーをインプットする必要があるでしょう。
世界史上、最も他国に圧倒的な差をつけて強かった大英帝国を知る事は、未来ある皆さんにとっても、大事なことと思います。

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