国語第二回

こんにちは、スタッフAです!
国語、第二回の授業が行われました。
前回分析した、2010年の東大入試文系国語第一問を各々が解き、互いの解答を分析・評価しました。
どれがだれの解答かはわかりませんが、それぞれの発言の内容から推測していると、人狼をやっているような気分になりました。

ぼくは、自分の可処分時間は限られていると考えて、普段は一般の方が書いた長文は読まないようにしています。ただ、流石、東京大学を志す塾生です。書かれた文章の語彙の豊富さや言葉の使い方、構成、どの点においても高いレベルにありました。知性や教養と文章は比例するんですね。
みんなの素晴らしい解答を共有したいところですが、本人たちの許可が必要なので、ぼくの解答を載せておきます。
(一)(二)は大手進学塾の解答を複数読み込んだ上で、(三)はそれらを読まずに解答しました。

2010年の東大入試文系国語第一問
設問(一)
「内面のプライバシー」とはどういうことか。
近代社会で、立場や評価に作用し、個人の本質とされる他人から干渉されることを望まない私的な部分。

設問(二)
「このような自己のコントロール」とあるが、なぜそのようなコントロールが求められるようになるのか。
行動と公の自己表現の違いは、自己同一性や社会的信用の毀損の原因となる。これを防ぐためには、他者から見られる自己を表層的に現れる自己と近似させる必要があるから。

設問(三)
「情報化が進むと、個人を知るのに、必ずしもその人の内面を見る必要はない、という考えも生まれてくる」のはなぜか。
個人を知るには、その個人のデータを見れば十分であり、かつ、手軽さや早さ、評価が公平である点を考慮すると内面を見るより優位である可能性があるから。

(三)では、先生も唸るほどの、秀逸なまとめ方が生徒から出ました。
「~~~~~評価する側とされる側両者に好都合だから」。

内面を見る必要がない理由は、知られる側と知る側両方に、利点があると筆者は考えており、その点をわかりやすく丁寧にまとめた一文です。目から鱗だけでなく、鰓(えら)が落ちました。
さらに、本文中にあった「道徳」の意味について質問があった際、別の生徒から圧倒的な解説がありました。

「不文律とか、自然法的な意味があるのかな、社会として正しいとされていること、正しい物事の善悪を判断する基準、判断される内容、でも統一的な、成文ですセイブン的(おそらく、正文)な見解が未だにだされていないもの」

道徳の意味を聞かれて、パッとこのような語釈が出てくるくらいには、自分の国語力を高めなければいけない、自分は未熟だなと思い知らされた一幕でした。

 

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